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大阪高等裁判所 昭和33年(ネ)1716号 判決 1968年1月12日

控訴人 マサヱこと 三好まさゑ

右訴訟代理人弁護士 加藤正次

被控訴人 都島自動車株式会社

右代表者代表取締役 高士政郎

右訴訟代理人弁護士 藤原龍男

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

(控訴人の求める裁判)

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決。

(被控訴会社の求める裁判)

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

との判決。

(当事者の主張ならびに証拠の関係)

次に記載するほかは、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

被控訴会社において

一、(被控訴会社が、本件土地の前主から、これを買い受けるについて、控訴人の右前主に対する賃貸借関係を承継した、というようなことはない。)

被控訴会社は、本件土地を買い受ける際、前所有者売主鎌田清次と控訴人間に賃貸借関係あることを知って本件土地の所有権を取得したものであるが、そのことから、当然に、被控訴会社が右賃貸借関係を承継したことにならないことはいうまでもないし、また他に被控訴会社においてこれを承継した事実もない。

二、(権利濫用の抗弁について)

(一)、(権利濫用の法理について)

土地の新所有者が右地上に賃借権の存することを知って右土地を買い受けても、新所有者が賃借人においてその地上に建物の築造に着手していることを知ってその敷地を買い受け、賃借人が多年右土地を営業の本拠としている場合においても、土地所有者の賃借人に対する土地明渡請求につき権利濫用たることは否定される(最高裁判所昭和三二年五月二一日法律新聞五七号七頁、同昭和二八年九月一七日第一小法廷判決ジュリスト四六号五五頁参照)。

控訴人の主張するところが、かりに真実であるとしても、結局当事者双方の経済力の相違を云々するにすぎず、この故に被控訴会社の本訴請求を以て権利濫用となすに足りない(最高裁昭和三一年一二月二〇日民集一〇巻一二号一五八一頁以下参照)。

(二)、(被控訴会社が本訴請求をなすにいたった事情)

被控訴会社が本件土地の所有権を取得したのは、控訴人主張のように法律上の瑕疵に乗じ専ら明渡しをさせようとの意図のもとにこれをしたのではなく、鎌田清次の懇請によりこれを買い受けたものである。

ところが、本件土地の西南側に隣接して被控訴会社の周防町営業所が設置されているのであるが、右営業所の敷地(大阪市南区周防町三四番地の一・同町三五番地の一合計三四四・九五m2(一〇四坪三合五勺)のうち一一一・三〇m2(三三坪六七)は田中吉太郎の所有で、同人は右敷地を被控訴会社に賃貸するに当りはじめから建物所有を禁じ被控訴会社から借地法の保護を奪い、期間を二年と定め、その後も常に更新拒絶をし、いうがままの地代の増額に応じて始めて更新する経過をたどって来たばかりでなく、被控訴会社が鎌田清次から本件土地を買得した昭和三二年一二月当時、控訴人は同人に地代月額四、〇〇〇円(坪当り二二七円)を支払っていたのに対し、被控訴会社が田中に支払っていた地代は月額一九八、一〇〇円(坪当り五、八八三円)、現在では月額二七五、九六〇円(坪当り八、一九六円)の巨額に上っている。このような過大な費用の負担には耐え難いので、苦慮した末幸にもさきに取得した土地が隣地にあるので、ここに営業所の一部を移転しようと計画し本訴請求に至ったのである。

(三)、控訴人主張の被控訴会社の規模については次の点を争う、その余はこれを認める。

被控訴会社の運転手は三二七名、修理工は四七名、バスガイドは三七名、本店は高倉町四丁目三三にあり、本田・此花・国際ホテル・香里園・新町・布施・門真・大和田各営業所は存在しない、本店の敷地は六八〇坪三九(二、二四九・二二m2)、建物は二八九坪六八(九五七・六五m2)、その他の営業所敷地約一〇坪(三三・〇五m2)、津市に傍系会社はない、堀江タクシーは昭和二六年設立であり、株式会社都島旅行社の設立は昭和三五年五月二六日であり、都島住宅株式会社の都島区内の土地家屋所有は約百分の一であり浴場映画館を有せず、傍系会社は高士の家族で構成され総所有財産は百億単位であるとの事実はない。

(四)、(控訴人の本件建物の買取請求の主張について)

借地法第四条第二項は同条第一項の更新請求の当事者間で、有効かつ適法に存在していた賃借権が期間の満了によって消滅し同第一項但書によって賃貸借の更新のなかった場合の規定であるから、控訴人の主張は失当である。

と陳述し、

控訴人において

一、(被控訴会社は、控訴人と鎌田清次間の賃貸借を承継したものである。)

本件土地の西隣御堂筋に面して被控訴会社の周防町タクシー営業所があり、右営業所の東隣に周防町に面し、本件土地入口小路の西南角に家号ふみや桜井薫の洋酒スタンドがあり、被控訴会社は桜井や控訴人等が土地の所有者から賃借して料理屋等を営んでいることを熟知していたもので、本件土地の売買に際し右事実を認識の上これを考慮に入れ本来ならば時価の数分の一に過ぎない坪当りわずか七万円程度の安価で買い受けたもので、このことは明示若は黙示に賃貸借を承認しこれを承継することとして前主鎌田から所有権を取得したものである。

二、(そうでないとしても、被控訴会社の本訴請求は権利の濫用であって許さるべきでない。)

控訴人は昭和二一年七月三一日終戦後日なお浅く本件土地の周囲一望廃墟の時代に、当時の所有者鎌田清次から敷金三〇〇円を差し入れて賃借、五、六千円の整地費を支出してまず土地の整備を行い、次で家屋を建築し料理屋を開設、近隣と共同してここに雨風横丁なる小路を設置し市民に親しまれるよう地域の発展を策し、爾来約二〇年営営として業務に精励し、漸くにして現時繁栄を迎へ全生活の本拠をこれに集中し、家族従業員とともに全生活をこれにかけているのであって、いま被控訴会社の請求が容れられ、その生活本拠をくつがえされれば終戦来辛苦して築き上げて来たところも一朝にして水泡に帰し惨たんたる結果を招くことは火を見るよりも明らかである。

これに引きかえ、被控訴会社は、控訴人の知り得た昭和三九年二月現在の規模によっても、資本金三五三一万六、〇〇〇円、昭和一六年五月三日設立、保有タクシー二〇〇台余、観光バス五〇台、従業員として一般職員男女約一〇〇名、運転手三五〇余名、修理工一〇〇名、バスガイド約五〇名、営業所は、次のとおり、いずれも第一流の繁華な場所に存在する。1、本店(大阪市都島区高倉町四丁目一一)、2、曽根崎営業所(同市北区曽根崎新地二丁目)、3、本町営業所(同市東区本町二丁目二一)、4、周防町営業所(同市南区周防町三四)、5、宗右衛門町営業所(同市南区宗右衛門町)、6、十三営業所(同市東淀川区十三西之町二丁目)、7、本田営業所(同市西区梅本町五五の八)、8、大運橋営業所(同市大正区小林町一一三の四一)、9、守口営業所(守口市京阪本通二丁目)10、住吉営業所(大阪市住吉区南加賀屋町四二九)、11、此花営業所(同市此花区恩貴島南之町四五の五九)、12、国際ホテル営業所(同市東区本町橋詰町)、13、香里園営業所(寝屋川市大字都六九九)、14、新町営業所(大阪市西区北堀江御池三の二二)、15、布施営業所(布施市菱屋西二〇一)、16、門真営業所(門真市元町六)、17、大和田営業所(同市横地四七)。そうして、本店の敷地は四九五六・六六m2(一、四九九・三九坪)、建物鉄筋三階建一、一五七・〇二m2(三五〇坪)、その他の営業所は最小九九・一七m2(三〇坪)乃至二九七・五二m2(九〇坪)、周防町営業所の外敷地は大部分自己所有土地である。そのほか、名古屋市及び津市(被控訴人会社代表者出身地)において傍系会社を有し、タクシー数百台を有し、堀江タクシーを買収してその実権を有し、和歌山県牟婁郡田原町及び古座町に社有山林三三〇、五七八・五一m2(一〇万坪)帳簿価額で約三〇〇〇万円と称せられ、傍系同族会社として、(イ)都島交通株式会社(資本金六〇〇万円、昭和二一年六月一三日設立)、(ロ)株式会社都島ドライブクラブ(資本金一〇〇万円、昭和三一年一二月二〇日設立)、(ハ)株式会社都島旅行社(資本金二〇〇万円昭和一一年一月二〇日設立)、(ニ)都島住宅株式会社(資本金四〇〇〇万円昭和一〇年三月二七日設立)、(ホ)都島倉庫株式会社(資本金二〇〇万円、昭和二七年一一月一八日設立)がある。このように各会社設立はいずれも相当古く戦後いずれもぼう大な資産を有し、とくに、右都島住宅株式会社は大阪市都島区の三分の一に相当する土地家屋を所有すると俗称される程大量の不動産を有し浴場映画館その他あらゆる面にその力を延べているが、これら会社は、いずれも、被控訴会社代表者高士政郎の家族等で構成されているものである。その総所有財産は数十億でなく百億単位との世評がある。

このようにぼう大な財産経済力を有する控訴会社にとって、露地の奥まったところにあるわずか五九・一九m2(一七坪)の土地の使用権の存否の如きはほとんどとるに足らぬものでしかなく、その営業にも財産にもいささかの痛ようも感じない程度のものにすぎない。

しかも、本件土地の南側、被控訴会社の周防町営業所の東側に隣接する洋酒バア桜井薫の家屋敷地および本件土地の北側二軒の飲食店の敷地に対する明渡訴訟が被控訴会社の敗訴に確定した現在、かりに本件土地を控訴人から取り上げてみたところで被控訴会社の周防町営業所のタクシー一台の置場の拡張さえむつかしいほどであって、これを強行する実益はすでに失なわれているものであるから、被控訴会社が本訴を維持することはただ控訴人に対し非合理な苦痛を与えることのみを目的とするものということができる。

民法第六一二条の規定に違反する不動産の無断転貸さえこれを理由とする賃貸借の解除は今や次第に制限されつつあるのが実情である。いわんや、控訴人は終始一貫むしろ愚直な程信義に徹し、賃料の支払も誠実に履行し来ったもので、何一つ賃借人の義務に違反していないのである。

被控訴会社は控訴人の右のような事実を認識しながら、控訴人の法律手続上の瑕疵に乗じて不当な利益を収めようとするもので、その悪意ある行動は公序良俗に違反し所有権行使の限界をこえ権利濫用の典型ともいうべきものである。

このことは、職権調停において被控訴会社のとった態度にもあらわれている。すなわち数年間の長きにわたる調停の数十回の呼出にも頑として一回も代表者自ら出頭せず、調停委員も唖然としてなんの進展も見得ずやむなく不調とされたものである。

被控訴会社は専ら明渡しをさせようとの意図の下に土地を取得したものでなく、鎌田清次の懇請によって買い受けたというが、それなら借地人らと鎌田間の円満な借地関係をそのまま承継して賃料の収益をはかればいいはずである。しかるに、土地買い受けの翌年早早に借地人全員に明渡しの提訴をしたのはどういう心境の変化か理解に苦しむ。

また、被控訴会社は田中吉太郎との周防町営業所の敷地の賃貸借を云云するが、本件土地と附近土地の地理的関係からたとえ、被控訴会社が本件土地の明渡しを受けたとしても、これによって右敷地の賃借を廃止する訳にはいかないのであるから、その主張自体意味のない思い付きの云いのがれにすぎない。

三、以上の主張が認められないとすれば、控訴人は被控訴会社に対し本件建物の買取請求権を行使する。

≪証拠関係省略≫

理由

一、≪証拠省略≫によれば、被控訴会社が、昭和三二年一二月一〇日、原判決主文一項記載の土地(以下本件土地と記載する)の所有権を、前主鎌田清次から売買によって取得し、同日その旨の登記を経由したことを認めることができる。

控訴人が、これより先、本件土地を鎌田清次から賃料一月金四、〇〇〇円で賃借し、本件地上に原判決主文一項記載の建物(本件家屋と記載する)を所有して来たもので、現に本件土地上に本件家屋を所有して本件土地を占有していることは当事者間に争がない。

二、賃借権の抗弁について。

控訴人の右賃貸借並びに右地上の本件家屋の建築所有は、被控訴会社の本件土地所有権取得登記以前に始まっていることも当事者間に争がない。

ところで、控訴人が右賃借権についてはもとより本件建物について、被控訴会社の本件土地所有権移転登記に先立つ、登記をしていないことは、控訴人において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

そうすると、控訴人は右賃借権を以て、特段の事情のない限り被控訴会社に対抗することを得ないものといわねばならない。

控訴人は、被控訴会社が、本件土地の買受けに際し、右土地の前主鎌田清次と控訴人間の賃貸借関係を承認しこれを承継することとして本件土地の所有権を取得したものであると主張するが、右主張事実を認めるに足る証拠はどこにもない。

したがって、右控訴人主張の賃借権の抗弁は採用に由ないものといわねばならない。

もっとも、後記認定のように被控訴会社が本件土地を時価の約四分の一で買い受けた事実や本件土地が被控訴会社の営業所の極く近所に所在していた事実から、被控訴会社は、控訴人が本件土地を前主鎌田清次から賃借し、みぎ土地上に建物を所有し、みぎ建物を自分の営業の場所として使用していることを知悉しながら、右土地を買い受けたものであることを認めることができるけれども、このことから、直ちに、同会社が右土地買受けにあたり、その前主鎌田と控訴人との間の右土地の賃貸借関係を承認し賃貸人の地位を承継したことが証明されたと云うことはできない。けだし、被控訴会社に前記知識があっても、必ずしも被控訴会社が賃貸借関係の承認ないし賃貸人の地位の承継などの対外的行為をするものと限らないし、かえって、後記認定の右買受け前後の被控訴会社の行動に徴すれば、被控訴人は右買受けの当初から、控訴人に本件土地の明渡しを求めるつもりであって、本件土地についての控訴人の賃借権を承認し賃貸人の地位を承継する意思など全くなかったことが認められるからである。

三、権利濫用の抗弁について。

前一、二記載の事実と≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

控訴人は、昭和二一年七月三一日、終戦後日なお浅く本件土地の附近一帯は焼野原であったが、所有者鎌田清次に敷金三〇〇円を差し入れて本件土地を賃借し、五・六、〇〇〇円を投じて整地をし、同年一〇月ころ、本件建物を建築して料理店を開設し、現在洋酒グリル経営ふみやこと桜井薫外数名の小料理店経営者と共同して雨風横丁なる小路を設け、爾来十数年右露地は中級の飲食店街をなしている。控訴人経営の料理店みよしは、大丸百貨店等に近く、会社員等の固定した客をもち、控訴人は女店員二名と本件家屋に住んでいるが、長男は一家(妻と子供二人)で吹田市の借家に住み、鉄工所に勤めて月収約三万七・八、〇〇〇円、控訴人の夫は長男と同居していたが肋膜炎を病み現在入院中である。

いま、控訴人が、本件家屋を収去して本件土地を明け渡すことは、ほとんどその生活の根拠を喪失するにひとしい。

これに対し、被控訴会社は、昭和三九年二月現在で、資本金三、五三一万六、〇〇〇円で、少くとも、保有タクシー二〇〇台余、観光バス五〇台余、従業員一般職員男女約一〇〇名、運転手三二七名、修理工四七名、バスガイド三五名、大阪市都島区高倉町四丁目に本店を有するほか曽根崎営業所等八箇所の営業所を有し、本店の敷地二、二四九・二二m2(六八〇・三九坪)建物九五七・六一m2(二八九・六八坪)名古屋市に数百台のタクシーをもつ傍系会社を有し、和歌山県に山林三三〇、五七八・五一m2(一〇万坪)を有するほか、なお傍系会社に資本金六〇〇万円の都島交通株式会社、資本金一〇〇万円の株式会社都島ドライブクラブ、資本金二〇〇万円の株式会社都島旅行社、資本金四、〇〇〇万円の都島住宅株式会社、資本金二〇〇万円の都島倉庫株式会社等があり、右都島住宅株式会社は都島区内の約一〇〇分の一の土地家屋を有する(このことは、被控訴人の認めるところである。)。

そうして、本件土地の南西に隣接して被控訴会社の周防町営業所があり(このことも当事者間に争がない)、その東隣、本件土地の南隣の地上には上記ふみやこと桜井薫所有の家屋が存し、その関係は、別紙図面表示のとおりであるが、桜井は前記のとおり、右家屋の敷地を、控訴人と同じころ、前主鎌田清次から賃借し、その上に右家屋を建築所有しているものであるが、控訴人と異り、被控訴会社が右土地を鎌田から買い受け登記する前に右家屋の登記を経由していたので、被控訴会社は右家屋収去土地明渡しを訴求したが、右訴訟は桜井の勝訴に終わった。

以上認定の通りであるから、被控訴会社は、たとえ、控訴人から本件土地の明渡しを受けたとしても、現駐車場から直接本件土地に自動車を入れることは不可能であり、従って、本件土地を駐車場の拡張部分として使用することはできないことが一見明瞭であり、現在の周防町営業所内の事務室を本件土地に移し、そのあとを駐車用に使用するとしても、車一台分位に過ぎず、駐車場内における自動車の方向転換操作の余裕もほとんどない。

被控訴会社が本件土地に従業員の休息所等の施設を作る利便はうかがえないでもないが、被控訴会社の資力からして、右施設をするために本件土地を不可缺とするものでもなく、これをおいても他に(たとえば現営業所所在敷地の賃貸人田中吉太郎と話合の上今の事務所を二階建以上のものとする等。)考えられないではない。

もっとも、≪証拠省略≫によれば、被控訴会社の現周防町営業所の敷地の賃貸借は期間を二年とするもので、更新毎に賃料の値上げを要求されていることがうかがえるが、本件土地のみの明渡しを受けたからといって現周防町営業所の敷地を田中に返還してその替りにここに新しく営業所をおくことは前認のような地形上とうていできない。

また、被控訴会社が本件土地を買受けの際の事情等を見るに、≪証拠省略≫によれば被控訴会社は昭和三二年本件土地を含む三筆の土地を前主鎌田清次から買い受けたものであるが、当時右地上にはすでに賃借人らの家屋が建築されており本件土地の上にも控訴人の本件家屋が建設され附近は上記のとおり一の飲食店街をなしていたもので、このことは被控訴会社において認識し、これを考慮に入れて当時としては相当安く(当時の坪当り時価は四〇万円位であったのに)坪当り一〇万円に足らない価格で買い受けたもので、鎌田としては当時病気で金の必要にせまられて売ったものであって、値段は被控訴会社のさし値で売ることとしたものである。≪証拠判断省略≫

被控訴会社が、本件土地買受け当時控訴人に本件土地の賃借権ないし地上建物の登記のないのに乗じてこれを買い受けたという事実はこれを認めうる証拠はないが、控訴人との調停の六〇数回にわたる期日においても被控訴会社において、誠意を尽して交渉をした形跡を見るべきものがなく、控訴人らのように土地を賃借して家屋を建設し、その上に生活を築き上げている者の土地に対する利害の深刻さについて被控訴会社がいくばくの真しな考慮をついやしたものか、疑いの存するところである。

また被控訴会社が現在本訴を維持している法的根拠が、控訴人の建物未登記による対抗要件欠缺に乗じ、建物保護法の適用による賃借権の否定にあることが明かである。

元来、法律上権利を与えられた者は任意にその権利を行使しうるのが原則であって、法律が一定の者のために一定の内容の権利を認める限り必然的にその者の利益のために他の者の利益を排斥することを認めるものともいい得ないではなく、権利者がその権利を行使することによってたとえ他人に多少の損害を生ぜしめることがあってもただその一事だけではこれを妨げるいわれはないともいい得る。しかしながら権利の行使でありさえすれば他人に対し如何なる損害を加えても許されるというものではない。法律が権利を認めながら特にその行使について正当事由のあることを要求している場合は勿論、直接そのような規制をしていない場合においても、そもそも、私権は公共の福祉にしたがうのであり、権利の行使は信義にしたがい誠実にこれをすることを要するのであって、もし権利の行使が社会生活上とうてい認容し得ないような不当な結果を生ずるとか、或は他人に損害を加える目的のみでなされる等、公序良俗に反し許すべきでないと判断されるときは、それは権利の濫用として許されないものといわねばならない。

そうして、権利の濫用とみとめざるを得ない場合、事態の解決は、権利行使者の利益を保護すべきか否かの二者択一にのみ考慮するのではなく、できるかぎり両当事者の利益の調節をはかるものでなければならない。

これを本件について見るに、被控訴会社は鎌田清次から譲り受けた本件土地について、鎌田と控訴人間に適法に存立していた賃貸借関係は、対抗要件を欠くの故に、本件土地の新所得者たる被控訴会社に対抗し得ないにもかかわらず、控訴人が本件地上に家屋を所有して本件土地を占有することは、不法占有であるとして、右家屋の収去土地の明渡しと賃料相当の損害金の請求をするというものである。

もし控訴人が、本件土地が賃貸人鎌田清次の所有に属していた間に本件家屋の所有権の保存登記をしておきさえすれば、本件のような憂目をみないですんだものであり、控訴人がその登記をするにつき妨げとなるべき事情はなにも認められない。ただ、控訴人が法律に暗いためにこれを怠ったものである。もとより、法定の手続をしさえすれば得られる法の保護を、無知の故に法定の手続を怠った者に対しても、与えなければならないという理由はどこにもない。しかしながら、本件において、被控訴会社が控訴人に対し本件家屋の収去土地明渡しを求めるのが、単に控訴人に損害を加える目的のみでこれをしているものとはとうてい認め得ないが、被控訴会社が本件家屋土地明渡しによって受けうる利益はさして見るべきものがないのに比して、控訴人がこれによって被る損失はあまりにも大きい。

上来判示する諸事情のもとにおいて、被控訴会社が控訴人の賃借権の対抗要件の欠缺をとがめ立て、権利の行使であるとしてこれを実現することは、控訴人の無知に基づく過失に乗じ、到底比較にならぬ程権衡を失する利害関係にある当事者間において、被控訴会社の小なる利益のため控訴人に大なる犠牲を忍ばねばならぬことを強要するものであって、当事者間の利害の適正な調和を図り以て健全な社会の存立をささえる法の基本理念にてらしとうてい認容し得ない不当な結果をもたらすものといわねばならない。

被控訴会社の本件土地の所有権の適正な行使は控訴人から適正な土地の賃料を徴収する限度にとどまるべく、控訴人の本件土地に対する賃借権を否定し家屋の収去土地明渡しを求めることは、少くとも本件口頭弁論終結時までの諸事情の下においては、右限度を越え権利の濫用にほかならず、許されないとしなければならない。

したがって、控訴人主張の権利濫用の抗弁は理由があることに帰着する。

四、賃料相当損害金の請求について。

右に説示したとおり、本件においては、控訴人の本件土地の賃借権の対抗要件の欠缺にもかかわらず、被控訴会社に対する関係では、対抗要件を具備する場合と同様に、被控訴会社は、控訴人と鎌田間に存した賃貸借契約の承継を否定することは許されない法律関係に立つわけである。

そうすると、被控訴会社は控訴人に対し、賃料の請求をすることができても、賃料相当の損害金の請求ができないことは明らかである。

したがって、被控訴会社のこの請求は採用に由ない。

五、むすび

以上の次第で、被控訴会社の控訴人に対する本件家屋収去土地明渡請求および本件土地の不法占有を理由とする賃料相当の損害金の請求は、失当でありいずれも棄却するのほかはない。

したがって、これと異なる原判決を取り消し、被控訴会社の本訴請求を棄却することとし、民訴法三八六条九六条八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長判事 宅間達彦 判事 長瀬清澄 古崎慶長)

<以下省略>

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