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大阪高等裁判所 昭和33年(ラ)112号 決定 1958年6月30日

抗告人 田村俊雄(仮名)

主文

原審判を取り消す。

抗告人が届出人亡田村豊から同人と本籍兵庫県○○郡○○町○○○○○番地亡山中たか子との間に出生した仙吾の出生届出の委託を受けたことを確認する。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は、別紙記載のとおりである。

記録によると、亡田村豊は、昭和一八年頃満洲に行き開拓団に入つていたが、昭和二〇年三月一〇日頃結婚の目的で本籍地である兵庫県○○郡○○町に帰り、同年○月○○日田村平蔵、外一名の媒酌で亡山中たか子(本籍兵庫県○○郡○○町○○○○○番地)と婚姻の式を挙げ事実上の婚姻をし、同年○月○○日頃まで兄の抗告人方で同女と同棲していたこと、亡田村豊は、亡山中たか子を伴つて再び満洲に行く準備中、同月二四日頃現地召集の電報を受け、同月二六日満洲に向つて出発し、満洲の部隊に入隊した旨の通知をしたのみで、その後消息を絶つたこと、亡田村豊は、応召に際し、兄の抗告人に対し、「家内もあることだし、出た後のことはよろしく頼む。」と依頼して出発したこと、亡たか子は、亡田村豊の子を懐胎し、昭和二一年○月○○日仙吾を分娩したが、豊との婚姻届ができてなかつたために仙吾を自己と豊との間の子として届出をすることができなかつたので、自己の子として届け出たこと、たか子は、昭和二三年○月○○日死亡したこと、抗告人は、豊が生還することを期していたが、豊は昭和二〇年八月一四日中華民国興安北省依力克得附近で戦死し、昭和三二年六月一五日その旨の公報を受けて、初めて同人が死亡したことを知つたことをそれぞれ認めることができる。亡豊が応召に際し、兄の抗告人に対し、前記のように「家内もあることだしよろしく頼む。」と委託した趣旨は、たか子との婚姻届とたか子との間に子供が生れた場合にその出生届を委託した趣旨と解するを相当とする。豊とたか子との結婚生活は、昭和二〇年○月○○日から同年○月○○日頃までの短期間であるとはいえ、一旦夫婦生活に入つた以上子供が生れるであろうことは予測し得るところであるから、豊が応召当時同人がたか子の懐胎の事実を確認しなかつたとしても、応召後万一子供が生れた場合にその出生届を予め委託することも考えられるから、応召の際の委託の趣旨を右のように解することは、何等経験則に反するものではない。そして、昭和一五年法律第四号(委託又は郵便による戸籍届出に関する件)第一条第一項にいわゆる届出人が戦時に際し戦闘その他の公務に従事し自ら戸籍の届出をすることが困難なるによりその委託をなしたものであることは、届出人が戦時に際し現に戦闘その他の公務に従事している際に委託した場合だけでなく、在外部隊に召集され急遽応召し国外にある部隊に入隊するため、婚姻届をすることが困難であり、未だ懐胎中で将来出生すべき子の届出をすることが不可能であるために委託した場合をも包含するものと解すべきことは、右法律の立法趣旨から明らかである。そうすると、抗告人は、亡田村豊から同人が戦時に際し戦闘その他の公務に従事し自ら同人と亡たか子間に生れた仙吾の出生届をすることが困難なため右出生届の委託を受けたものであるといわなければならない。従つて、抗告人が右の委託を受けたことの確認を求める審判の申立は正当として認容さるべきである。

以上と見解を異にし、抗告人の本件申立を却下した原審判は失当であつて、本件抗告は理由があるから原審判を取り消し、本件については、みずから事件につき審判に代る裁判をするを相当と認め、家事審判規則第一九条第二項に則り主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 熊野啓五郎 裁判官 岡野幸之助 裁判官 山内敏彦)

(別紙)

抗告の趣旨(略)

抗告の理由

一、抗告人は原審判は不服であるから本抗告を為す。

原審判に依れば亡田村豊は昭和二十年○月○○日亡山中たか子と結婚式を挙げて同棲し同年○月○○日頃現地召集を受け急遽満洲帰還する迄其間結婚届を出す余裕があつたにも拘らず其の手続を為さざりし事を掲げられて居りますが元来結婚式を上げるや否や其届出を為す者は田舎では稀で普通は半年や一ヶ年経過して相互其気心を知り合つた上で婚姻届を提出することが慣習とも言ふべきものであり殊に召集を受けると言ふ事は先づ以つて予知しなかつたので荏苒手続を執らなんだものであります。

而して亡豊と亡たか子が仙吾を懐胎後二ヶ月位よりならんので渡満に際し其事実を知る筈がないと指摘されて居りますが一旦同棲して夫婦の関係を結んだからには何時子が出来るかも知れんと言ふ事は常識あるものは誰れでも判断して居る所であります。

亡豊は前述の如く俄に召集令状を接受し直ちに其任に赴く時夫等の問題を後顧の患ひなき様充分兄である抗告人に依託し応召を急いだものであつて適々抗告人が原審に於て負託に背きたる点を追窮せられた際田舎者で且裁判所に初めて出頭取調べを受けた事とて豊から依託された其儘の要点を述べつくし得なかつた為に答弁が不充分と思われるのであります。

尚本件審判より先に神戸地方裁判所豊岡支部に対し検察官を被告として仙吾認知の訴を後見人山中太蔵より提起しましたが死亡を知つたのは三ヶ年以内であつても死亡後十年を経過して居るから民法特別法に抵触して居ると云ふ事を理由に却下されましたが豊が生死不明であるので母たか子も其内に生存が明らかなり次第処理致したいと思ひつつ日を過ごしたものであり政府も昭和二十年八月十四日中華民国興安省依力克得付近で戦死したと戦死の場所及其日を断定しながら十二年目に公報を寄せたのは政府も手落であると察せらるるにも拘らず法を楯に却下されたことは全く涙ある法の本質を殺した裁きであると確信する次第であります。

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