大阪高等裁判所 昭和34年(う)1306号 判決 1960年4月15日
被告人 北角卓三
主文
本件控訴を棄却する。
理由
所論第一点について。
所論は原判決が被告人が判示今津芳雄を殴打して同人に判示傷害を与えた際には、飲酒のため泥酔して心神喪失の状態にあつたことを認めた上、右所為は被告人が自分に酒乱の習癖のあることを自覚しながら過度に飲酒酩酊してなされたものであるとして重過失傷害罪を構成するとしたのは、刑法第三九条を無視したものである。現行刑法上病的酩酊の素質を有する者が、自ら招いた病的酩酊による心神喪失の状態においてなした所為を処罰すべき根拠はない。酩酊の上他人に暴行を加うべきことを予見した場合ならともかく、かかる予見はなく順次酒量を加え自制力を失つて過度に飲酒し病的酩酊に陥つたことについて重過失を認めるのは誤りで、原判決は法令の適用を誤つたものであるとの旨を主張する。ところで、心神喪失者の行為は処罰の対象とならないことは刑法第三九条第一項に明定されているとおりであるが、かかる状態に陥れば刑罰に触れる行為により他人に害悪を及ぼす習癖があることを自覚する者がこれを利用する意図を有し又は不注意にも自制を怠りかかる状態を招来し、よつて他人に害悪を及ぼす等の結果を発生させたときには、いわゆる原因において自由な行為がある場合として、その結果に対し故意又は過失の責任を免れないと解すべきことは刑法上疑を存しない。そして多量に飲酒するときは病的酩酊に陥り、よつて心神喪失の状態において他人に犯罪の害悪を及ぼす危険のある素質を有することを自覚する者は、右の原因となる飲酒を抑止又は制限する等右危険の発生を未然に防止する義務を有し、これを怠ることによつて生ぜしめた結果に対し過失責任があることは最高裁判所の判例(昭和二六年一月一七日大法廷判決、集第五巻第一号二〇頁参照)の示すとおりである。ついで重過失とは注意義務を著るしく怠つた場合と解すべきところ、原判決の示すところによれば、被告人はかねてから酒に酔うと短気粗暴になり、過度に飲酒すると心神喪失又はこれに近い状態に陥り他人に暴行、傷害の害悪を加える習癖のあることを自覚していたのであるからみずから飲酒を制限又は抑止し、酩酊のため心神喪失の状態に陥り、他人に対し右害悪を加えるに至ることを防止する義務があることは明らかであり、しかも判示のとおり被告人は過去において七回も飲酒の上暴行、傷害罪を犯して処罰され、そのうちの一つは、昭和三四年四月四日原裁判所において傷害罪により懲役四月に処せられ、三年間その執行を猶予し保護観察に付する旨を言渡されたもので、しかもその後も本件を含む二回の犯行をくり返したものであり、かかる傾向を有する者はみずから飲酒について特に注意して自戒自制すべきであるのに、判示のように数日前から胃腸を害して絶食状態が続いていたところへ、本件当日自宅において焼酎二合を飲み、ひき続き旅館柳荘において友人と清酒約二合五勺を飲み、更にバー朝日亭においてウイスキー・ジンフイズ等を相当量飲み続けて泥酔したのは、まさに著るしく前記注意義務を怠つたことに該当し、被告人は判示結果に対し重大な過失責任を問わるべきであり、原判決が被告人に対し刑法第二一一条の重過失傷害の罪を認めたのは正当である。論旨は理由がない。
(その余の判決理由は省略する。)
(裁判官 小川武夫 三木良雄 柳田俊雄)