大阪高等裁判所 昭和34年(く)3号 判決 1959年3月10日
被告人 岩尾覚 外一四名
主文
本件抗告を棄却する。
理由
所論は、先ず、原決定は本件忌避申立の趣旨を曲解し、右曲解の上に立つて忌避原因の当否を判断している違法があると主張するようであるが、記録をしさいに調査すると、本件忌避申立において示した忌避原因は、これを要約すると、結局原決定が本件忌避申立の要旨として摘示したところと同趣旨に帰着することが明らかであるから、原決定には所論のようなかしは存しない。従つてこの点の主張は理由がない。
所論は、更に、原決定が本件忌避申立を理由なしとして却下したのは違法且不当であると主張するから、この点を検討する。記録によると、本件忌避申立は、被告人岩尾覚ほか十四名に対する地方公務員法違反被告事件の公判審理に関与した裁判長裁判官中田勝三、裁判官尾鼻輝次、同古田時博に対してなされたものであつて、右忌避申立において示した忌避原因は、原決定に摘示したとおり、(一)裁判官中田勝三については、(イ)右被告事件の第一回公判は昭和三三年一二月一二日和歌山地方裁判所法廷において開廷されたが、同法廷には傍聴に名をかりて右被告事件の捜査に関係した多数の警察官が入廷している事実があり、厳正公平であるべき法廷に、一行政権の末端である警察官しかも本件被告事件の捜査に関係した警察官が在廷することは、裁判の公正を害し、憲法の保障する被告人の公平な裁判を受ける権利を侵害することが甚だしいので、被告人等の弁護人が、こもごも、裁判長である中田裁判官に対し、裁判の公正を保持するため、右事実に対し、速かに適切な訴訟指揮上の処置をとるよう申し入れたところ、同裁判官は右の如き警察官在廷の事実を知りながら、右の事実では未だもつて審理を妨害し、裁判の公正が害されているとは認められないとして、右申入を拒否しなんらの処置をも講じなかつたのであるが、右のような態度に出た同裁判官は、憲法が認めている被告人の公平な裁判を受ける権利に思いを致さず、明らかに被告人等にとつて不公平な裁判をする虞があるものというべきであり、更に(ロ)中田裁判官は本件被告事件の起訴前の勾留処分、刑事訴訟法第二二六条による証人尋問等につき、当時司法行政上の立場からこれに関与し、或いは右各処分に関する研究会等に関係し、もつて本件被告事件について事前にいわゆる雑知識を有していることが明らかであるから、右は現行刑事訴訟法の起訴状一本主義の立前に違背し、ひいては被告人の公平な裁判を受ける権利を侵害し、もつて不公平な裁判をする虞があるといい、又(二)裁判官尾鼻輝次、同古田時博については、右両裁判官は本件被告事件の起訴前の勾留処分に関与しているのであるが、かかる裁判官がその事件の公判審理に関与することは、前段同様起訴状一本主義の原則に抵触し、被告人等の公平な裁判を受ける権利を侵害し、もつて被告人等のため不公平な裁判をする虞があるというのである。
先ず、裁判官中田勝三に対する忌避原因について、
記録中の公判調書謄本によると、前記被告事件の第一回公判は忌避申立人主張のとおり開廷せられたところ、裁判長の各被告人に対する人定質問が終了した直後、弁護人は、被告事件の捜査に関係した現職の警察官数名が在廷すると主張し、数名の弁護人及び被告人は、こもごも中田裁判長に対し、右のような警察官が在廷することは裁判の公正を害するという理由で、右事実を調査のうえ、若しかかる警察官が在廷すれば、これに退廷を命じ又は退廷を勧告されたい旨しつように申し入れたが、中田裁判長は、本日の傍聴人によつて審理を妨害させた事実はなく、又審理の公正が害されるという状況も認められないとして、弁護人等の右申入をあくまで拒絶し、申入のような一切の処置をとらなかつたことが明らかである。
思うに、憲法が裁判の公正を担保するため裁判公開の原則を定めている趣旨に鑑みると、裁判の傍聴は、みだりにこれを制限することが許されないことは当然であり、従つて傍聴人を退廷させるについても、裁判所法第七一条、刑事訴訟法第二八八条により、審理を妨害したり又は不当の行状をする者等に対し法廷の秩序維持のため退廷させる場合及び刑事訴訟規則第二〇二条により、被告人、証人等が特定の傍聴人の面前で充分な供述をすることができないと思料するときに、その供述をする間、その傍聴人を退廷させる場合など法規に認められた場合にかぎり、裁判長の職権に属する法廷警察権及び訴訟指揮権に基いて、これをなしうるに過ぎないものというべきである。
ところで、被告事件の捜査に関係した警察官がその被告事件の公開法廷に傍聴人として在廷していることは、それ自体、なんら審理の妨害など法廷の秩序を害するものでないことは勿論であり、又そのため一概に裁判の公正が害せられるという筋合のものでもないと解するから、これに対し前記のような裁判長の職権を発動して退廷させる処置をとることは適当ではなく、又かりに被告人等においてその警察官の傍聴する面前で充分な供述ができないという首肯すべき特別の理由があるとしても、右被告人等の供述の段階にいたらない前にその警察官を退廷させ被告人等の供述以外の公判手続についても傍聴をさせない処置をとることは、前記刑事訴訟規則の規定などに照し許されないところであるから、中田裁判長が、前記のように公判審理の進行程度が漸く被告人に対する人定質問が終つた直後であつて、未だ被告人等の供述の段階にいたらない時期になされた弁護人等の前記申入を拒絶し、申入のような処置をとらなかつたことは、むしろ当然のことであつて、右裁判長の措置になんら違法や不当のかどがなく、もとより同裁判官が右のような態度に出たからといつて、同裁判官において不公平な裁判をする虞があるとは到底考えられない。
又本件被告事件については検察官から起訴前の勾留処分及び刑事訴訟法第二二六条による証人尋問等の請求がなされ、当時中田裁判官が司法行政事務の担当者として右事件について報告を受け、更に令状当番の変更に関する裁判官の協議会が開かれた際同裁判官もその一員として右議事に加わつたことは本件記録を通じてうかがわれるところであるけれども、同裁判官が公判前において右の程度以上に本件被告事件に関与したことや同裁判官が所論のように右起訴前の処分に関して特に検察官の便宜を図り被告人側に対し不公平な措置をとつたことについては、これを肯定するに足る疎明資料は見当らない。しかして、中田裁判官が前記司法行政事務の担当者としての立場などから、かりに本件公判前に被告事件につきある程度のいわゆる雑知識を得ていたとしても、裁判官が事前に事件の知識を有している一事をもつては、必ずしも、その裁判官がその事件につき予断を抱き、不公平な裁判をする虞があるものとは速断できないものと解すべきである。
次に、裁判官尾鼻輝次、同古田時博に対する忌避原因について、
本件記録によると、尾鼻、古田両裁判官は本件被告事件について開かれた第一回公判に陪席裁判官として関与したのであるが、右両裁判官は、いずれも、本件被告人等のうちの一、二名に対し起訴前の勾留処分を行つたことが明らかである。もとより裁判官がなんらの予備知識を持たないで、いわゆる白紙の状態で事件の審理に臨むことは、望ましいことであることはいうまでもないところであるが、裁判所によつては、裁判官の配置定員などの都合により、起訴前の勾留処分等をした裁判官がその事件の公判審理に当る場合が生ずることはやむをえないところであるばかりでなく、起訴前の勾留に関する裁判に関与した裁判官が本案である被告事件の審判に関与しても、その一事のみで、直ちに事件につき予断を抱き不公平な裁判をする虞があるとはいえないと解する。
そうだとすると、本件忌避原因はいずれも理由がないものといわなければならないし、なお記録を精査しても、他に前記各裁判官においてなんらか不公平な裁判をする虞があることを認めるに足る資料は少しも見当らないから、結局本件忌避申立は理由がなく、従つて右申立を却下した原決定は正当である。所論は当裁判所と異る見解に基き或いは疎明のない事実に依拠して原決定を論難するに帰するものと解するのほかないから、採用の限りではない。
(裁判官 吉田正雄 竹中義郎 井上清一郎)