大阪高等裁判所 昭和35年(ナ)1号 判決 1961年7月29日
原告 佐野留一
被告 兵庫県選挙管理委員会委員長
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は、昭和三五年一一月二〇日施行せられた兵庫県第一区における衆議院議員選挙は当選者首藤新八と次点者砂田重民との関係において無効である、との判決を求め、その請求の原因として、
原告は、昭和三五年一一月二〇日施行せられた兵庫県第一区における衆議院議員選挙の選挙人である。右選挙には五島虎雄・首藤新八・永江一夫・砂田重民・河上丈太郎・中井一夫・立花敏男が立候補して、河上丈太郎・五島虎雄・首藤新八が当選の決定をうけたが、右選挙は、次の理由により少くとも最下位当選人首藤新八(得票数六二、五二〇票)と最上位落選人砂田重民(得票数五九、九九七票)との関係において選挙の結果に異動を及ぼす虞れのある違法がある。すなわち、
1 首藤新八は、その選挙事務所を神戸市生田区三宮町一丁目一七番地に設置して選挙運動をしていたが、同事務所は神戸市生田区第三投票所から三百メートル未満の箇所にあつた。原告は、砂田候補の運動員であるところから、右投票所から三百メートル未満の地点にある砂田・首藤両候補の選挙事務所について、同年十一月十九日午後一〇時頃訴外椋野昭男外二名を被告の事務局に遣わして、翌二〇日の選挙当日事務所閉鎖の要否につき質させた。その際同事務局係員は、両選挙事務所は共に閉鎖または移転の要がある旨、および首藤に対しては事務局よりその旨注意すると答えた。同日午後一〇時頃原告は同事務局に対し重ねて電話して両選挙事務所の選挙当日における閉鎖の要否につき問合せたところ、前同様の回答であつたので、砂田選挙事務所は直ちに閉鎖した。ところが翌二〇日午前七時半頃原告が、投票を終えて首藤事務所の前を通ると、前日と同様に新藤新八の氏名を大書した七十余枚の看板を掲げて大々的に宣伝に努めていたので、大に驚き右事実を兵庫県警察本部に電話した結果、その注意により、首藤事務所は同日午前九時過ぎにいたり漸く閉鎖された。かかる場合、被告は選挙の前日に首藤に対し同日中に選挙事務所を閉鎖または移転すべき旨を指示し、かつ選挙当日に事務所の閉鎖の有無を確かめ、万一開いておるときは速刻閉鎖を命ずべきであるにかかわらず、これをなさず首藤の有利に図つた。ものであるが、右は公職選挙法第一三二条、第一三四条の規定に違反し、本件選挙の管理執行に違法があつたものとしなければならぬ。
ところで首藤選挙事務所の設置箇所は、生田警察署の正面に当る電車通りに面し、神戸市内においては最も往来頻繁なところであるから、右選挙事務所を選挙当日に閉鎖しなかつたことによる宣伝効果は、兵庫県第一区の選挙人に影響を及ぼし、従つて少くとも首藤新八と砂田重民との関係において、選挙の結果に異動を及ぼす虞れがあるものとしなければならぬ。蓋し選挙当日の午前九時頃までに首藤選挙事務所の前を電車、自動車、自転車、或は待歩で通行し、よつて首藤選挙事務所の威容を現認してその影響を受けた者は、必しも第三投票所において投票すべき選挙人に限られるものでないことはもちろん、当日同時刻頃までに投票した者に限られるものでもないからである。
被告は公職選挙法第一三二条、第一三四条の注意について、右各規定は当該選挙事務所の設置箇所から三百メートル以内にある投票所の静ひつを保持すること並に右投票所における投票人に影響を及ぼすことを防止する立法趣旨であるから、該規定の違反が、選挙の結果に異動を及ぼす虞れの有無は、もつぱら右投票所における同時刻頃までの投票人についてこれを決定し得るものゝ如く主張するけれども、公職選挙法第一三二条についてかゝる狭義の解釈をとるべき理由はない。と述べ、被告の主張事実を否認し、首藤候補が選挙事務所を設けた生田区は有権者最も少く投票率は常に最低である。選挙人が選挙当日の午前九時までに首藤選挙事務所の威容を見た者が同時刻までに必ずしも投票するものでないと同じく事務所の前を電車、自動車、自転車或は待歩で通る者が生田区第三投票所区域内の選挙人のみでないことも、明かであるから、右投票所のみについて影響の有無を決すべきではない、と附陳した。
(証拠省略)
被告は、原告の請求棄却の判決を求め、答弁として、
原告がその主張の選挙における選挙人であること、その選挙において原告主張のとおり七名の立候補があり三名が被告より当選の決定をうけたこと、砂田、首藤の各選挙事務所が生田区第三投票所から三百メートル未満の地点に設置されていた事実は、いずれも認めるが、その余の原告主張事実はすべて争う。
本件選挙の管理執行にあたり原告指摘の点につき被告のなした措置は左のとおりである。
1 同年一一月一九日午前一〇時頃神戸市選挙管理委員会事務局より被告事務局に、第一区の候補者全部の選挙事務所がいずれも所属地域の投票所から三百メートル未満の地点に設置されておるから選挙当日閉鎖させるよう依頼があつた。よつて被告の事務局係員は、同日の午後一〇時から一〇時三〇分頃までの間に、電話により、七名の候補者全部の選挙事務所に対し、同日中に事務所を閉鎖するかまたは投票所から三百メートル以外の地点に移転するよう指示した。
2 翌二〇日午前七時三〇分頃砂田選挙事務所から被告の事務局に、電話をもつて、首藤選挙事務所がまだ閉鎖されていない旨の申出があつたので、被告は、直ちに電話をもつて、首藤事務所に閉鎖を命じるとともに、生田警察署選挙係に、首藤選挙事務所がいまだ閉鎖されていないので被告より閉鎖を命じたが、念のため同署からも首藤選挙事務所を閉鎖させるよう手配方を依頼した経過であるから、本件選挙の管理執行には何ら違法の点はない。
仮に、首藤候補の選挙事務所が選挙当日の午前九時過まで閉鎖されなかつたとしても右の事実は何等選挙の結果に異動を及ぼす虞があるものとはいえない。即ち公職選挙法一三二条は、選挙の当日においても投票所を設けた場所の入口から三百メートル以外の区域に限り、選挙事務所の設置を認めているところ、首藤選挙事務所から三百メートル未満の区域にある投票所は、生田区第三投票所のみであつて、そこにおける投票者数は、時限別に調査したところによると、投票開始時から午前九時まで八九人、午前一〇時まで一五〇人、午後六時の閉鎖時まで一、三〇八人であり、兵庫県第一区の最下位当選人首藤新八と最上位落選人砂田重民との得票差は二、五二三票である。従つて、午前一〇時現在の投票者一五〇人全員に影響を与え、その結果が首藤新八に有利をもたらしたとしても、得票結果において、当選決定をうけた三名の当落に何らの影響を及ぼさないものである。よつて原告の本訴請求は失当である。
と述べた。
(証拠省略)
理由
原告がその主張の選挙における選挙人であること、その選挙において原告主張のとおり、七名の立候補があり、三名が被告より当選の決定をうけたこと、砂田・首藤の各選挙事務所がいずれも生田区第三投票所から三百メートル未満の地点に設置されていた事実は、いずれも、当事者間に争がない。
原告は、被告が選挙の前日に首藤新八に対し生田区第三投票所から三百メートル未満の地点に設置された選挙事務所を昭和三五年一一月十九日中に選挙事務所を閉鎖または移転すべき旨を注意し、かつ、翌選挙当日に事務所の閉鎖の有無を確かめ、万一開いておるときは速刻閉鎖を命ずべきであるにかかわらず、被告はことさらに首藤選挙事務所の閉鎖を命じることなく選挙当日の午前九時過ぎに至るまでこれを維持せしめて首藤の利益を図つたと主張するけれどもこの点に関する証人椋野照男、同高田喜代蔵の各証言並びに原告本人の供述は当裁判所の信用しないところである。もつとも証人安原昭・前園秋弘の各証言と証人椋野照男・高田喜代蔵の各証言並びに原告本人の供述の各一部弁論の全趣旨を合わせ考えると、選挙前日である同月一九日の午後一〇時頃から一〇時三〇分頃までの間に、被告の事務局係員は、電話により、首藤選挙事務所に対し選挙事務所が投票所から三百メートル未満の地点に設置されているから同日中に事務所を閉鎖するかまたは投票所から三百メートル以外の地点に移転するよう指示し、なおその他の候補者の選挙事務所に対しても右と同趣旨の指示をしたこと、然るに首藤選挙事務所は一一月一九日午後一二時頃に事務所の閉鎖に着手し、その表に掲示せられていた首藤新八の氏名を大書した看板も大半はこれを撤去したのであるが、その中十数枚はいまだこれを撤去せずその閉鎖を完了していなかつたので、該事実を発見した原告から被告の事務局に対し、同日午前七時三〇分頃電話を以てその旨を告げて善処を求めた。そこで被告の事務局係員は、直ちに電話をもつて首藤選挙事務所に対し、閉鎖すべき旨の命令を伝えるとともに、生田警察署選挙係に対し、首藤選挙事務所が閉鎖していないので被告より閉鎖の命令を発したが、念のため同署からも同事務所を閉鎖させるよう措置方を依頼したこと、よつて首藤選挙事務所では右命令にもとづき午前八時頃から看板の撤去にかかり午前九時二〇分頃までに完全にこれを撤去した事実がうかがえる。
ところで公職選挙法第一三二条、第一三四条によると選挙の当日においては選挙事務所は投票所から三百メートル以外の区域に限りこれを設置することができるのであつて、これに違反する選挙事務所の設置がなされたときは、選挙管理委員会は直ちにその閉鎖を命じなければならぬのであるが、右は、選挙管理委員会が選挙の当日に限りこれを執行し得べき職責であつて、然かもその違反の結果は、場合によつては当該選挙の無効というような重大な事態をも招来し得べきものであるから、選挙管理委員会は右職責の逐行に当つては、最も厳格且つ迅速なる措置を取ることを要し、状況に応じて警察官署と連絡し、或は即時行政代執行処分を取るなどして、いやしくも遷延を許さぬ万全の方法を講じなければならぬことはもちろんである。然るに被告は選挙当日の午前七時三〇分頃砂田選挙事務所の申出によつて始めて首藤選挙事務所が閉鎖を了していない事実を知り、よつて電話を以て、首藤選挙事務所に対してその閉鎖を命令し、且つ生田警察署にその旨を連絡して右選挙事務所を閉鎖せしめるよう措置を要望したに止まり、自ら係員をしてその閉鎖の有無を確認し、或はその作業を指示監督する等適切な処置を取らなかつたために、同日午前九時二十分に至るまで閉鎖を完了しなかつたことは、被告の前記職責に鑑みその措置やや緩漫に失したきらいのあることを免れないのであつて、この点において本件選挙の管理執行に全然違法がなかつたものとはいい得ない。
よつて右の違法は、本件選挙の結果に異動を及ぼす虞れがあるものであるか否かについて判断するに、成立に争のない乙第一号証ないし第四号証、第五号証の一、二によると、第三投票所における時刻別投票人数は、午前九時までに八九人、午前一〇時までに一五〇人であつて、仮にこれに、第三投票区に隣接する第二投票区、第六投票区、第七投票区、第一四投票区の投票人数を加算しても、その時刻別投票人数は、午前九時までに八二七人、午前一〇時までに、一、二一三人であることが認められるところ、首藤新八と砂田重民との得票差は二、五二三票であるから、前記各投票所の午前一〇時までの投票人がすべて首藤新八に投票したものと仮定しても、いまだ右両名の関係において選挙の結果に異動を及ぼすことはないものとしなければならぬ。
原告は、首藤選挙事務所の設置箇所は生田警察署正面の電車通りであつて、神戸市内において最も往来頻繁の箇所であるから、その影響は兵庫県第一区の選挙人全部に及んだものであり、また右影響の時間的範囲は、前記選挙事務所閉鎖の時刻に限定されない旨を主張するけれども、公職選挙法第二〇五条にいわゆる「選挙の結果に異動を及ぼす虞れがある場合」とは、単に選挙の結果に異動を及ぼす可能性が考えられるばかりでなく、経験則上その蓋然性があることを要するものと解すべきである。然るに本件検証の結果によると、首藤選挙事務所の設置箇所は、国鉄並びに阪急三宮駅方面より神戸市海岸地帯のビル街に至る電車通りに面し、且つ神戸市の繁華街である通称「センター街」にも近く、平日は相当往来頻繁な箇所であるけれども、日曜祭日の早朝(本件選挙あつた昭和三五年一一月二〇日が日曜日であることは顕著な事実である。)はさまで往来の頻繁な箇所ではないことがうかがわれるのであるから、該箇所に午前九時二十分頃迄十数枚の看板が掲示せられ、選挙事務所としての閉鎖が完了せられなかつた一事によつて兵庫県第一区の選挙人全体に対し原告の主張するような広汎な影響を与えたものとは断じ難いのであつて、右の事実と、仮に首藤選挙事務所の閉鎖遅延による影響が他の投票区の選挙人にも及んだものとすれば、その影響が最も濃密に表われるべき関係にある隣接四投票区を含めて午前一〇時までの投票人数が前認定のとおりである事実とを綜合すると、首藤選挙事務所が選挙当日の午前九時二〇分頃まで違法に設置されたことによつて、首藤新八と砂田重民の関係における選挙の結果に異動を及ぼすべき蓋然性はないものとしなければならぬから、原告の右主張はこれを採用することができぬ。
そうなると、原告の本訴請求は、じ余の争点につき判断するまでもなく理由がないから、これを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 田中正雄 河野春吉 本井巽)