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大阪高等裁判所 昭和35年(ネ)1015号 判決 1963年7月17日

控訴人 西村秀男

被控訴人 久田徳二

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張ならびに証拠関係は、次に記載するもののほかは、原判決事実摘示と同一であるから、こゝにこれを引用する。

(控訴代理人の主張)

本件家屋の火災につき、かりに、控訴人に重過失の責任があるとしても、その損害額を争う。すなわち、本件家屋の構造は(1) 木造瓦葺平家建脱衣場と(2) 木造瓦葺側面レンガ積浴室およびその付属の釜場と(3) 木造瓦葺二階建居宅の三棟よりなるが、本件火災による焼毀の程度は右(1) の部分については屋根の一部が焼毀し、(2) の部分は屋根の部分と付属釜場が焼毀した程度(3) の部分のみ約七〇%焼毀したものである。しかも前記焼毀部分は本件火災の直後、すなわち昭和二九年一二月八日頃より同月末日の間に控訴人において(1) (2) の部分については全部修復し完全に浴場業の場屋たらしめたものであり、(3) の部分も修復の予定のところ、被控訴人申請の仮処分の執行により停止されたものである。右のとおり、(1) (2) の部分は修復が完成したから被控訴人はなんら損害を蒙つていないし、また(3) の部分は、被控訴人が保険金五〇〇、〇〇〇円を取得したから損害はない。

(被控訴代理人の主張)

本件家屋の浴室と釜場は別棟であるから四棟建であり、右家屋の焼毀程度についての控訴人の主張を争う。控訴人主張の修復工事は、被控訴人が本件火災直後の昭和二九年一二月七日右家屋の現状変更禁止の仮処分の執行をなした後、右仮処分を無視して強行された不法なものであつて、これによつて、被控訴人の損害賠償請求権が消滅ないし、減額されるいわれはない。なお、被控訴人が受領した火災保険金四一二、五九三円である。

(証拠関係)<省略>

理由

一、被控訴人の先代久田久五郎が昭和二〇年八月控訴人に対し本件家屋を賃貸し、昭和二〇年九月六日右久五郎の死亡により被控訴人が家督相続をした結果、その賃貸人たる地位を承継したこと、ならびに、昭和二九年一二月五日本件家屋に火災があつたことは当事者間に争がない。

二、そこで、右火災が控訴人の過失に基づくか否かを判断する。

(1)  成立に争のない甲第一、二号証、同第五号証、同第九号証、原審証人織部吉造、同鈴木富美子の各証言、原審ならびに当審における控訴人本人の供述および当審における検証の結果を総合すると、「控訴人は本件家屋で賃借以来湯屋営業をなしていたが、控訴人自ら湯沸釜の釜焚に従事し、時に使用人鈴木富美子をしてこれに当らせていた(鈴木富美子-当時金田姓-が控訴人の使用人であつたことは争がない)。控訴人方では従前より湯沸釜の灰燼処理に際しては、燃焼した石炭殼を右釜の焚口より取出し、東側事務室との間の障壁(竹と木などを組材としたモルタル塗で釜の焚口に面した側に亜鉛引鉄板を張つたもの)の際に置き、除熱したうえこれを他に搬出する方法をとつていた。そのため、右石炭殼の余熱により前記障壁内の可燃部分が永年の間に乾燥炭化し着火燻焼し易い状態となつていた。

たまたま、本件火災発生当夜も前記鈴木富美子が午後一〇時半頃釜から取り出した石炭殼を従前どおりに始末して右障壁際に集積したため、その直後、その余熱によつて炭化した右障壁内の可燃部分が発火し、その火がさらに釜場上部の天井に燃え移つた結果本件火災が発生した。」ことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(2)  しかして、釜の焚口より取出された石炭殼は相当の余熱があるのであるから、これを前記のようにたゞ鉄板を張つたのみの壁際に置いて冷却するのをまつときは、その余熱が壁の内部に伝わり、その可燃部分が乾燥炭化し着火燻焼し易い状態にいたることは、毎日火気を取扱う浴場経営者としては容易に考えつかねばならないところであるから、控訴人としては右石炭殼は前記障壁より相当離れたところに取出すとか、あるいは、障壁に十分な断熱設備を施すことによつて、壁の内部の加熱を防止すべき注意義務があるといわねばならない。しかるに、控訴人はこれを怠つていたため、前記のように永年の間に序々に障壁内部の可燃部分が石炭殼の余熱によつて炭化燻焼し易い状態になつていたことに気付かず、いきおい使用人にもこの点に関する注意などを与えず、前記のように従前どおり石炭殼の始末を自らなし、あるいは使用人をしてなさしめていたことが明らかである。しからば、本件火災は控訴人が火気を取扱う浴場経営者として当然つくすべき注意義務を怠つた過失に基因するものといわねばならない。

(3)  控訴人は、右火災は控訴人の過失に基づくものでなく、前記金田富美子の過失に基づくものであると主張するが、前認定のような事実関係のもとにおいては、控訴人自身に過失あること明らかである。

また、控訴人は使用人金田富美子の選任監督に過失がないから本件失火責任がないと主張するが、かりに、右金田に過失があるとしても、控訴人自身右火災につき過失責任を免れないこと前認定のとおりであるから、右主張は理由がない。

しからば、控訴人がその過失によつて本件建物を焼いた以上、賃借人としての保管義務に違反したことはいうまでもないから、賃貸契約上の債務不履行の責に任ずべきは当然であり、失火の責任に関する法律は不法行為に基づく損害賠償に関するもので、契約上の債務不履行に基づく損害賠償責任に関するものでないから、控訴人に重過失なき限り責任がない旨の控訴人の主張は採用できない。

三、そこで、損害額につき判断する。

(一)  原審証人土手下久男、同仙石国雄の各証言によれば、本件家屋の前記火災当時の価格は約四、五〇〇、〇〇〇円と認められ、右火災による燃焼の部位、程度をみるに、成立に争のない甲第一、二号証、同第九号証、乙第一号証に原審証人仙石国雄、同鈴木富美子、同安部一男、原審ならびに当審における証人織部吉造、当審証人松井一雄の各証言、当審における控訴人本人の供述、検証の結果を総合すると、

「本件建物は、そのうち、木造瓦葺平家建浴室建坪二〇坪五合(以下脱衣場という)は脱衣場に、煉瓦造亜鉛鋼板葺平家建浴室建坪一四坪七合(以下浴室という)は浴室に、木造亜鉛鋼板平家建釜場建坪四坪九合(以下釜湯という)は釜場に、木造瓦葺二階建店舖建坪一八坪、外二階坪九坪(以下居宅という)は控訴人の住居等にそれぞれ使用されていたが、右四棟の建物は一応棟を異にするも、そのうち脱衣場、浴室、釜場の三棟は構造上一体として湯屋営業の場屋を形成し、これに右居宅を合して一個建の建物となつている。

そして、右火災の結果(イ)脱衣場は西側玄関入口および内部にはなんらの被害なく、発火点たる釜場に近接する東側屋根の一部を焼失し、天井一部が落下し、(ロ)浴室は浴槽(一部タイル剥落)、タイル張内部の壁、流し床、煉瓦の外部側壁などの不燃部分を残し、上屋の木造部分を焼失し、(ハ)釜場はボイラー、送水管の設備には異常はなく、上屋部分を焼失し、(ニ)居宅は階上全部を焼失し、階下一部を残したが、家屋としての使用には耐え得ない状態となつた。しかし前記浴場営業の場屋部分は、浴室、釜場に上屋を新設し、脱衣場の屋根の一部を改修すれば、浴場として使用可能の状態にあつた。」ことが認められ、これを火災による燃焼前の状況と対比すれば、本件建物の主たる使用目的となる浴場場屋の重要部分が焼失を免れたことに徴し、右家屋は滅失した場合に該らず、一部滅失と認めるのが相当であつて、右焼失の部位程度にてらし、本件家屋の火災による価値喪失は全体の約五五パーセントに相当とする金二、五〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。右認定に反する甲第一号証の記載は採用しがたい。

しかして、当審における被控訴本人の供述により成立を認めうる甲第一五号証によると、被控訴人は右火災につき火災保険金四一二、五九三円の給付を受けたことが認められるから、右限度で前記損害の補償を受けたものであるが、これを控除し、なお、金二、〇八七、四〇九円相当の損害を蒙つたことは明らかである。

(二)  控訴人は、右火災後控訴人において本件家屋中前記居宅部分をのぞく脱衣場、浴室、釜場部分を全部修復し完全に浴場の場屋たらしめたから、被控訴人に損害はないと主張する。

成立に争のない甲第四号証の一、同第一一号証、同第一三号証、検甲第一号証の一ないし三、同第二号証の一、二、当審における証人松井一男、同西出達元(第二回)の各証言、控訴人本人の供述、検証の結果に弁論の全趣旨を総合すると、「被控訴人は控訴人に対し本件家屋に対する無断改築を理由に前記賃貸借契約の解除を主張してその明渡を訴求中のところ、昭和二九年一二月五日前記火災発生をみたので、右賃貸借の目的物の滅失により賃貸借契約が終了したことを右明渡請求原因に附加主張して右訴訟を維持すべく控訴人による右罹災家屋の現状変更を防止するため、同年一二月七日右焼残り家屋に対する現状変更禁止の仮処分決定をえてその執行をなした。しかるに、控訴人は右焼残り家屋を補修して浴場営業を再開するため、右仮処分直後からその改修工事に着手し、費用約八〇〇、〇〇〇円を投じて釜場に木造亜鉛板葺の上屋を建築し、(ただし後記被控訴人の第二次の仮処分の執行により外壁は木組のまゝ中止)コンクリートの石炭置場を設置し、浴室の浴槽、内側壁、床のタイルを補修し、焼残つた煉瓦側壁を利用してトタン葺の天井、湯気抜の腰屋根を加設し北側外壁をセメント塗とし、脱衣場の天井を張替え、屋根を瓦葺よりトタン葺に改める等の応急工事を施した。そこで、被控訴人は、さらに、昭和三〇年一月五日右家屋に対する控訴人の占有を解き執行吏の保管を命じ、現状不変更を条件として控訴人に占有を許す旨の仮処分決定をえて、その執行をなし、控訴人の爾後の改修工事の続行を阻止した。」ことが認められ、右認定に反する証拠はない。

およそ、物の滅失、毀損による損害賠償は、それが不法行為によると債務不履行によるとを問わず、その原状回復(以前と同じ価値状態を復元すること)を本旨とするものであつて、民法上特別の規定のある場合をのぞき金銭賠償の原則が採られていても、それは債権者(賠償権利者)より債務者(賠償義務者)に対し、原状回復を請求しえないというにとどまり、物の毀損の原状回復自体が可能であり、かつ、債権者の意思に反しないかぎり、右原状回復によつて現実に滅失価値が填補せられた場合は、原則として、その限度において損害が填補せられることはいうまでもない。

しかしながら、右原状回復が債権者の意思に反する場合はさらに検討を要する。これを、本件のごとき賃借家屋の一部滅失の場合についてみるに、その改修工事による原状回復自体は必ずしも不可能ということはできないが、同じく建物一部の改修でも、賃借建物に附加された畳、建具などの造作あるいは建物の極く少部分にして比較的独立構造をもつ部分の改修(たとえば屋根瓦、塀、側壁、門などの改修はこれにあたる)のごとき、通常何人の手により如何なる方法によつて改修が施されても、その価値再現、回復が定型的に可能であり、従つて賠償請求権者たる建物所有者としても、建物の維持保存のため、右改修の結果自体を忍受すべきが当然と認められる場合は格別、右改修が前記限度を超え、建物全体の構造、態様などに影響を及ぼし、ひいては建物所有者の処分利用権能の行使自体にまで制約を加えるがごとき場合にいたつては、原状回復たる改修といえども建物所有者の意思を無視することは許されず、その意思に反した改修をもつては、原状回復による損害填補を認むべきでないと解するのが相当である。

ところで、前認定によると、控訴人がなした本件焼残り建物の改修工事は、全焼を免れたとはいえ、大部分を焼失した家屋に対する改修で右建物の構造、態様に改変を加える可能性は大であるばかりか、それが明らかに所有者たる被控訴人の意思に反して強行されたものであり、控訴人の営業再開の便宜のためになされた応急的改修を出でないものであるから、前記説示にてらし、右改修工事によつて生じた本件家屋の価値復元は、毀損による前記損害を填補するものということができない。したがつて、控訴人のこの点についての主張は採用しがたい。

四、叙上判断したところによれば、控訴人に対し前記損害中金二、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和三〇年二月一九日から右完済まで法定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める被控訴人の本件請求は理由があるから、これを認容した原判決は正当である。

よつて、本件控訴を棄却し、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 沢栄三 斎藤平伍 中平健吉)

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