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大阪高等裁判所 昭和35年(ネ)1064号 判決 1967年3月30日

控訴人 高岡薫明 外三名

被控訴人 特殊発条興業株式会社

主文

一、原判決を左のとおり変更する。

二、被控訴人は控訴人らに対し尼崎市長洲西通一丁目五〇番地宅地一、六五六平方メートル〇六(五〇〇坪九合六勺)を右地上に存する別紙目録<省略>記載の建物を収去して明渡し、且つ昭和三四年二月二一日以降昭和三五年一二月末日迄月額金三九、四八九円(内訳、控訴人薫明、同尚子各金一二、三四〇円、同順子金九、八七二円、同三枝子金四、九三六円)、昭和三六年一月一日以降右土地明渡済まで月額金五〇、〇九六円(内訳控訴人薫明、同尚子各金一五、六五五円、同順子金一二、五二四円、同三枝子金六、二六二円)の各割合による金員を支払え。

三、控訴人らその余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

この判決は第二項後段金員支払部分に限り控訴人らにおいて仮に執行することができる。

事実

(当事者の申立)

控訴人ら訴訟代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人らに対し尼崎市長洲西通一丁目五〇番地一六五六平方メートル〇六(五〇〇坪九合六勺)を右地上に存する別紙目録記載の建物を収去して明渡し、且つ昭和三四年二月一日より右土地明渡済にいたるまで月額金五〇、〇九六円を支払え。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

(当事者の主張)

控訴代理人は

第一、請求の原因として、

一、訴外亡高岡薫太郎(昭和三二年三月二九日死亡)は主文掲記の土地(以下本件土地という)を所有し、これを訴外小瀬伝之助に昭和一三年六月二〇日公正証書により賃貸したが、右薫太郎は生前二回にわたり控訴人らに本件土地を贈与した。すなわち、薫太郎はその第一回として昭和一九年一二月二三日自己の持分中二分の一を、控訴人薫明、同尚子、訴外亡高岡啓子、及び控訴人順子の四名に共有持分各八分の一宛贈与し、同月二八日その旨の登記をした。またその第二回は昭和三一年九月三〇日に残余持分二分の一を控訴人薫明、同尚子、同順子及び同三枝子の四名に共有持分八分の一宛贈与し、同年一二月七日その旨の登記をした。ところで右第一回の受贈者啓子は昭和三〇年一月一〇日死亡したので、同人の本件土地の持分八分の一はその親である控訴人薫明及び同尚子において各一六分の一宛相続し、その登記は昭和四一年九月二日した。

以上の次第で控訴人らは昭和三一年一二月七日以降本件土地を共有しその持分は控訴人薫明同尚子は各一六分の五、同順子は四分の一、同三枝子は八分の一の割合となる。

二、右のように控訴人らは本件土地を所有するものであるが、被控訴人は控訴人に対抗しうる権原なく、右地上に別紙目録記載の建物を所有し昭和三四年二月二一日以降これを占有使用し控訴人らに対し賃料相当の損害を与えている。そして右損害金は月額金五〇、〇九六円(一坪当り一〇〇円)を相当とするので、控訴人らは被控訴人に対し右建物収去土地明渡並に右同日以降右土地明渡済まで右割合による損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだ。と陳べ、

第二、被控訴人主張の賃借権の抗弁を否認し、

本件地上建物について被控訴人がその主張の保存登記をした日時は不知、被控訴人が直接薫太郎より本件土地を賃借したことは否認する。薫太郎は伝之助個人に本件土地を賃貸したもので、被控訴会社は賃借人ではない。

被控訴人がその主張の如く本件地上建物の一部についてその主張の日時に保存登記をしたとしても被控訴人は賃借人でないから、被控訴人の抗弁は理由がない。すなわち、

一、被控訴会社は亡薫太郎より直接本件土地を借受けたというが、被控訴会社は昭和一三年六月一二日(昭和一三年法律第七二号による改正前の商法施行当時)設立され、同月二一日設立登記をしたものであつて、本件土地は右設立登記の前日たる同月二〇日に亡薫太郎が訴外小瀬伝之助(以下伝之助という)個人との間に公正証書により賃貸借契約を締結したもので、当事者の意思は伝之助を賃借人としたもので、薫太郎も伝之助個人を信頼し同人に賃貸したものである。もし被控訴会社が借受けるのであれば、会社は既に同年六月一二日設立されており、伝之助はその代表取締役になつていたのであるから、被控訴会社を代表して、薫太郎と賃借人を会社として契約書を作成することも可能であり、これを公正証書にする必要があれば翌二一日設立登記後にすればすぐにでも可能であつたのに、右公正証書には伝之助個人を賃借人としているところからみても右のことは明白である。

二、被控訴人は賃料を被控訴会社名義で支払つたことを以て当初より会社が借受けたものであるというが、かりに亡薫太郎が本件土地の賃料を被控訴会社から受領していたとしても、それは、被控訴会社が後述のとおり伝之助より本件土地を適法に転借していたことによるものであるから、転借人が賃料を直接賃貸人に支払つたとしても異とするに足らない。けだし、民法第六一三条により転借人は直接資料を賃貸人に支払う義務があるので、被控訴会社が直接右賃料の支払をしたからとて会社が当初より賃借したことにはならない。薫太郎は自己の帳簿(甲第一二号証)には被控訴会社よりの賃料受領につき「地代小瀬伝之助三〇年一月より六月迄」「地代受入小瀬伝之助一ケ年地代」等記帳しているのであつて、伝之助が賃借人であることを意識していたこと明かである。そして民法第六一三条にいわゆる適法な転借人には賃貸人の明示又は黙示の承諾を得た転借人のみならず、信義則その他によつて賃貸人の解除権が否定される無断転借人も含まれるものと解すべきところ、伝之助は本件土地の賃借人であり、被控訴会社設立以来、被控訴会社の全株式を所有し、その代表取締役となつてこれを経営してきたものであるから、被控訴会社が本件土地を占有使用し、伝之助が右会社において人的にも資本的にも支配的地位を有している限り(以下これを伝之助時代という)被控訴会社は右にいわゆる適法な転借人といわねばならない。そしてそのような転借人が賃貸人に賃料を支払つたからとて転借人か賃借人となるものでないこというまでもない。

三、ところが伝之助は昭和三一年六月亡薫太郎に無断で被控訴会社の経営の実権を完全に訴外大同製鋼株式会社に引渡し、もつて本件土地を同会社に転貸若しくは賃借権を譲渡するに至つた。すなわち、同月七日伝之助は被控訴会社の代表取締役及び取締役の地位を退きその支配する全株式を訴外大同製鋼株式会社に譲渡し、同訴外会社が被控訴会社に派遣役員を送り、被控訴会社を経営することになつた(以下大同製鋼時代という)。すなわち、当時賃借人小瀬伝之助は自己の所有し、又は被控訴会社の役員又は従業員に持たせていた同会社の全株式(当時発行済株式数六万株、資本金三〇〇万円)を訴外会社に譲渡し、同年六月七日には設立当時より重任してきた代表取締役及取締役を辞任し、即日これに代り訴外会社より派遣された訴外村田定吉(訴外会社大阪支店長)が被控訴会社の代表取締役となり、その他中塚健治も同様その派遣役員となり、役員を更迭したのみならず資本関係についても、訴外会社が被控訴会社の経営を担当するに当り、伝之助から被控訴会社の株式四万四千株を提供せしめこれを取得しているほか、その余の株式についてもその後同三二年一月末までに訴外会社が被控訴会社の旧債権者であつた南海鋼線工作所の訴外田中某から一万六千株を買収した結果、当時における被控訴会社の発行済全株式はすべて訴外会社の所有するところとなり、しかもその後同三二年六月及び同三四年二月の二回にわたる増資に際し、それぞれ新株式六万株(発行価格総額金三〇〇万円)を発行したが、いずれもその全額を同訴外会社が引受け、結局被控訴会社の発行済株式の総数一八万株(総額九〇〇万円)の全部が訴外会社の所有に帰し、大同製鋼のワンマンカンパニーとなつた。これを要するに、大同製鋼が被控訴会社を買収し、その経営主体となつてからの被控訴会社は人的にも資本的にもその性格を一変することになつた。このように伝之助の支配をはなれた被控訴会社の出現並にその土地占有は賃借人伝之助との賃貸借からみて明かに背信性ある転貸借関係に該当するに至つたものといわねばならない。控訴人らは右事実を発見して昭和三四年二月二一日付その頃到着の書面をもつて伝之助に対し本件土地の賃貸借契約を解除した。よつて被控訴会社は爾後無権原で本件土地を占有していることにかわりはない。と陳べ、

被控訴代理人は

一、答弁として、「本件土地がもと訴外薫太郎の所有であり、その後控訴人らがその主張のようにその所有権(共有持分権)を取得したこと、被控訴会社が右地上に控訴人ら主張の建物を所有し、右土地を控訴人ら主張の頃より占有使用していることは争わないが本件土地についての控訴人主張の登記関係は知らない。」と陳べ、

二、抗弁として、「被控訴会社は建物所有の目的で本件土地を昭和一三年六月二〇日右薫太郎より賃借し、右賃借地上に被控訴人所有名義の登記ある建物を所有してきたので、右借地権は控訴人らに対抗出来るものであり、被控訴会社は当初より自己の賃借権に基き本件土地上に右建物を所有するものであるから控訴人らの本訴請求は失当である。すなわち、

(1)  薫太郎と被控訴会社との土地賃貸借契約

訴外小瀬伝之助は被控訴会社を設立し、会社において建物所有の目的で昭和一三年六月二〇日当時の地主亡薫太郎との間に被控訴会社を代表してこれが賃貸借契約を締結した。伝之助は右契約をなすに際し、薫太郎に対し株式会社を設立して本件土地に工場を建設することやその機械設備製品一切を説明し、会社が土地を使用することを本契約の内容として賃貸借契約をした。もつとも伝之助は右契約当時被控訴会社の代表取締役であつたが、設立登記未了のため、その登記迄暫定的に個人名義で公正証書により契約書を作成しているが、それは形式的暫定的なもので、契約に際し本件土地使用者は会社であることを明かにしているのであるから、賃貸借契約は会社と薫太郎との間になされたものである。従つて被控訴会社は当初より本件土地の賃借人である。そして被控訴会社はその翌日設立登記を終え、爾来借地人として本件土地を占有使用し、賃料も被控訴会社の名において支払つてきたものである。

(2)  地上建物の登記

本件地上建物のうち(H)(I)の建物は昭和一七年既に被控訴会社名義に保存登記をなし(尤も右登記当時(H)の二階は三三坪五合(I)は五七坪六合七勺二階一一坪五合八勺)、また(A)(G)(E)の建物は昭和三〇年夫々登記をした(もつとも右(A)(G)の建物は昭和三〇年初の火災のため焼失したので新築し同年一一月二八日登記をしたものであり、焼失建物についても登記があつた)。

(3)  賃借権の対抗

従つて控訴人らがその主張の日時頃本件土地を前主薫太郎より贈与を受けてその所有権を取得したとしても、当時被控訴会社は地上に登記せる建物を所有していたから前主薫太郎に対する右賃借権をもつて控訴人らに対抗しうるものであり、その権原に基き本件土地を占有使用するものである。

(4)  控訴人らがその主張のように伝之助に対し契約解除をしたとしても、賃借人は被控訴会社である以上、被控訴会社の借地権には影響がない。」と陳べた。

(当事者双方の証拠の提出援用認否)

証拠<省略>………

ほか原判決事実摘示のとおりであるからここにこれを引用する。

理由

一、本件土地がもと訴外亡高岡薫太郎の所有にぞくしていたところ控訴人らが、その後控訴人ら主張のようにその所有権(共有持分権)を取得したこと、被控訴人が本件土地上に控訴人ら主張の建物を建設所有し、右土地を控訴人ら主張の頃より占有使用していることはいずれも当事者間に争がない。そして本件土地について控訴人ら主張のような各所有権移転登記がなされていることは成立に争のない甲第二七号証によつてこれを認めることができる。

二、そこで被控訴人主張の賃借権の抗弁について考える。

被控訴会社は本件土地を訴外亡薫太郎より昭和一三年六月賃借したというけれども、これを認めるに足る証拠なく、却つて、各成立に争のない甲第一、二号証、同第九号証、同第一〇号証の一、二、同第一六号証、乙第一ないし一七号証、当審における控訴人薫明(39・11・25施行)の供述により真正に成立したものと認められる甲第八号証、同第一五号証(薫太郎作成)、同第一七号証の一、二(官署作成部分については成立に争がない)、原審並に当審証人小瀬伝之助の証言、原審並に当審における控訴人薫明の供述を綜合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち、(イ)訴外小瀬伝之助は昭和一三年五月頃発条試験機、発条座金、バルナツトワシヤ発条、鋼線の加工製造販売などを目的とする会社設立準備中であり、当時他の所で右事業を個人(但し共同)でやつていたが、右設立すべき会社の建物工場敷地とする目的で当時所有者であつた亡高岡薫太郎に対し本件土地の売渡方を交渉したが、同人は売却は出来ぬが、賃貸ならば承諾してもよい旨答え、その後薫太郎において伝之助の人柄及び当時同人が非法人組織で製造していたその製品など調査した上伝之助個人を信頼し右当事者間に本件土地について賃貸借契約の話を進め、同年六月八日伝之助より敷金の内入をうけ、同月二〇日神戸地方裁判所所属公証人山下文次郎役場で借主伝之助、貸主薫太郎間に同年六月一日を起算日とし普通の木造家屋所有を目的とする賃貸借契約公正証書を作成するに至つた。(ロ)他方伝之助が設立準備中の被控訴会社は資本金一五万円一株五〇円(一二円五〇銭払込)、代表取締役を同人、取締役は同人とその実父の使用人であつた訴外田中康、実弟訴外小瀬春次の二人という陣容で本件土地を本店所在地として昭和一三年六月一二日発足(会社成立)、同月二一日その旨の登記を経由したが、その実体は伝之助が主宰、支配するいわゆる個人会社にぞくするものであつた。そして被控訴会社は設立後まもなく本件土地上に建物工場等を建築して会社においてこれを所有本件土地の占有使用をなし来り賃料も会社名義で薫太郎、後には控訴人らに支払つてきた。(ハ)薫太郎は自己の帳簿には伝之助に対する地代の領収として記帖し、また地代の値上も賃借人たる伝之助に対しなしてきた。(ニ)本件土地上の建物の登記関係は当初昭和一七年五月四日その一部(別紙目録(H)(I)等相当建物)につき被控訴会社名義の保存登記がなされ、その後昭和三六年一二月二五日迄に計一四回の増築、新築、更正、変更の登記を経由現在は別紙目録(A)ないし(I)の建物に符合する登記がなされている。そして内(A)と(E)と(G)の建物は昭和三〇年一一月二八日家屋番号四の五として新に保存登記がなされた。(ホ)本件土地はもと兵庫県尼崎市長津字平黒二二番地宅地(但右賃貸当時は登記簿上は田)六三一坪であつたが区割整理により昭和三一年七月五日尼崎市長洲西通壱丁目五拾番地宅地五〇〇坪九合六勺(一、六五六平方メートル〇六)となつた。

以上の事実が認められ、右認定事実関係のもとでは薫太郎より伝之助個人が本件土地を賃借したものであつて、被控訴会社が賃借したものと認めることはできない。被控訴会社は当時伝之助が会社の代表取締役であつたが、会社は設立登記をしていなかつたので伝之助が、会社設立登記をするまで形式的暫定的に個人として賃借契約したもので、実体は伝之助が会社の代表取締役として会社のために本件土地を賃借したものであるというが、そのような事実は認められず、当時の商法によれば、株式会社の設立登記は第三者に対する対抗要件であつて、会社は創立総会の終了により成立しているわけであるから、会社のために賃借するならば伝之助が会社の代表資格で契約を結ぶことも当事者間において出来た筈であり、また設立登記までの暫定的な契約といつても、その翌日設立登記がなされているところからみて、わづか一両日のために実質に反して個人として契約したものと認むべき事情も認められず、また会社設立登記役被控訴会社を賃借人として更改契約がなされたとか、個人より会社が賃借権の譲渡をうけたとの主張立証もない。また会社が土地を使用することを告げて個人がかりても、右賃借地上に個人所有の建物を建設して会社にこれを賃貸し会社がこれを占有使用することは毫も防げないのであるから、ただそれだけで、当然に会社が賃借人となるいわれはない。また被控訴会社はその名において本件土地の賃料を支払つてきたと主張しこれを以て被控訴会社が本件土地の賃借人であることの一資料となさんとするようである。

そして会社の名において右賃料支払がなされてきたことは、前認定の通りであるが、前認定の事実関係、特に伝之助は被控訴会社設立以来、資本的にも人的にも被控訴会社を支配してその経営の実権を握つていたものとなることを併せ考えると被控訴会社が本件地上に建物を所有することは民法第六一二条にいう転貸にはなるが未だ賃貸当事者間の信頼関係を破るものではないから賃貸人に解除権は発生しないものといわねばならない。そして民法第六一三条によれば適法な転借人は賃貸人に対して直接に義務を負うのであり、右にいわゆる適法な転借人とは承諾のある転借人のほか、前認定の如き解除権の未発生の転借人をも含むものと解するを相当とするから、被控訴会社が自己の名において賃料を支払つたとしても、直にこれがために本件土地の賃借人となるものではない。

以上認定のとおり、被控訴会社が薫太郎より直接本件土地を賃借したことは認められないから、これを前提とする被控訴会社の抗弁は爾余の判断をなすまでもなく理由がないものといわねばならない。

三、ところで、控訴人らは、本件土地の賃借人は訴外伝之助であり、被控訴会社は右伝之助の支配する会社である限り賃貸人の承諾がなくとも(承諾したとの主張はない)、適法な転借人であると自ら主張し、被控訴会社は右主張を援用しないところであるが 前認定の如く右関係を認定しうる以上控訴人らは本件土地所有権に基いて被控訴会社に対し地上建物収去土地明渡、損害金の請求をなしえないものといわねばならない。そこで、控訴人らは右伝之助との賃貸借はその後同人が被控訴会社の支配的地位を失い、大同製鋼がこれを管理運営することになつたことにより、被控訴会社の土地使用は背信性ある転貸借関係となり、これがために控訴人らは伝之助に対し、本件賃貸借契約を解除したと主張するのでこの点について判断する。

各成立に争のない甲第九、一一、二一号各証に、原審(第一、二回)並に当審(第一回)証人小瀬伝之助、当審証人山本忠一の各証言、原審における被控訴会社代表者中塚健治、原審並に当審における控訴人高岡薫明の各供述を綜合すると、被控訴会社は昭和二九年頃大同製鋼に対し材料代金約九〇〇万円の債務を負担するほか、他にも多額の債務を負担し、ために同年八月一五日破産の申立をうけ、手続進行の結果、同三〇年三月一〇日和議成立したが、その後も経営順調に運ばず、遂に大同製鋼において被控訴会社の経営に参加することになり、かくして小瀬伝之助はその所有する全株式を同会社に提供したうえ昭和三一年五月七日(登記は同年六月一九日)設立以来重任してきた代表取締役たる取締役を辞任して相談役となり、かわつて同年六月七日(登記は同月一九日)大同製鋼の大阪支店長であつた訴外村田定吉がこれに就任し更に同三二年一一月二五日(登記は同年一二月六日)同人にかわり同様大同製鋼の社員である中塚健治が代表取締役たる取締役に就任しその後同人は昭和三六年七月辞任し、中川義信が代表取締役となつて現在に及び、その他の取締役も伝之助の実子である訴外小瀬清及び前示田中康のほかはいずれも訴外会社より派遣されて役員に就任しているものであること、被控訴会社は営業目的は設立当初より変更はないが(但し後に昭和三五年五月二五日一部変更)、その資本金は和議成立当時は金三〇〇万円であつたが、大同製鋼が経営に参加した後二回(昭和三二年六月七日、昭和三四年二月七日)の増資が行われ、その結果金九〇〇万円に達しており、その株式は同訴外会社において全部所有支配しているものであることが各認められる。思うに、賃借人が個人として借入れた土地を同人が個人企業を会社組織に改め設立した会社に地上建物を所有させてこれに使用さすことは右賃借人が資本的にも人間的にも右会社の支配的地位を占め、会社経営の実権を掌握している限り、賃貸人との間の信頼関係を破るものとはいえないから、背信行為と認めるに足りない特段の事情あるものとして民法第六一二条二項による解除権は発生しないことに帰着するわけであるが(最判昭三九年一一月一九日)、後に株式の移転、賃借人の役員辞任等によつて会社の実権が第三者に移行したような場合はおのづから事情が変更したものとして、そのときから民法第六一二条を適用して賃貸借契約を解除することができると解するを相当とする。

今これを本件についてみるに前認定の事実関係の下においては被控訴会社はおそくとも昭和三一年五月七日以降は人的構成においても、資本的構成においても多大の変化を来し、賃借人伝之助は被控訴会社の経営についての実権を失つたものと認められるから、爾後の被控訴会社の本件土地使用関係(転借関係)は背信性あるものとして控訴人らに民法第六一二条二項による解除権を発生せしめること明かで、控訴人らが右事実を知るに及んで、昭和三四年七月二二日到達の内容証明郵便で夫々右転貸を理由に本件賃貸契約の解除をしたことは各成立に争のない甲第三号証、同第二二号証の四によつてこれを認めることができる。そして右解除権の行使は右内容証明の到着により有効になされたものと認められるが、前認定のような被控訴会社の本件土地使用関係は基本たる右賃貸の解除をまつまでもなく、特段の事情がない限り、伝之助が被控訴会社の経営の実権を失つた時より地主に対し不法占有となるから(被控訴会社は伝之助の賃借権を援用することは出来ない)、被控訴会社は、同会社において、会社経営上の事情変更後賃貸人たる控訴人らが転貸を承諾したことにつきなんらの主張もしない本件では、控訴人らに対し本件地上に建物を所有するの権原なく、これを収去して土地を明渡し、昭和三四年二月二一日以降明渡済にいたるまで賃料相当の損害金を支払わねばならないこと明かである。控訴人らは本訴において薫太郎及び控訴人らは当時そのような事態が発生していることを知らず自ら伝之助に対する賃貸人としての地位を承継したことを前提とし賃料の支払をもうけ、後日右を知るに及んで右賃貸借契約の解除をしたと主張するものであるが、本件において建物保護法により伝之助の賃借権を控訴人らに対抗しうるかどうかはそれ自体問題であるが、たとい対抗力がなくともかかる賃貸借について新地主の側より賃貸人の地位の承継を主張することは何ら妨げないものといわねばならない。

四、そこで損害金の額について考えるに、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認むべき甲第一三号証によれば本件土地の賃料は昭和三四年一月一日現在において月額三九、四九八円、昭和三六年一月一日現在において月額六五、〇四七円が各相当と認められるから、被控訴会社は控訴人の請求金中昭和三四年二月二一日以降昭和三五年一二月末日までの分は月額金三九、四九八円(これを控訴人らの持分に応じ按分すると、控訴人薫明、同尚子は各金一二、三四〇円、同順子は金九、八七二円、同三枝子は金四、九三六円)の、昭和三六年一月一日以降の分については、控訴人らの主張額月額五〇、〇九六円(これを控訴人らの持分に応じて按分すると控訴人薫明、同尚子は各金一五、六五五円、同順子は金一二、五二四円、同三枝子は金六、二六二円)の、各割合で、控訴人らに対し右損害金を支払う義務があり、控訴人らの金員請求は右限度において正当であるが、右限度をこえる部分は失当として棄却を免れない。

五、よつて、右と結論を異にする原判決は相当でないので、民事訴訟法第三八六条(当審で請求認容した部分につき)、第三八四条(当審で請求棄却と判定した部分につき)、第九六条、第八九条、第九二条但書、第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宅間達彦 増田幸次郎 小林謙助)

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