大阪高等裁判所 昭和35年(ネ)1189号 判決 1963年3月18日
理由
控訴銀行鶴橋支店が昭和二九年五月四日金一九六万円の普通預金の預入れを受け、之に対し預金者名義を被控訴人とする口座番号A第一五一号の普通預金通帳を発行した事実は当事者間に争がなく、被控訴人は右の預金者は自己であると主張するに対し、控訴銀行はその預金は訴外甲が被控訴人の名義を使用してなしたものであると主張するので、以下この点につき考察する。
証拠に依れば次の(イ)(ロ)(ハ)の各事実を認定するに十分である。
(イ)訴外甲乙丙等は昭和二九年三月頃相謀つて、金主を探して銀行に預金させ、その預入手続に際し、金主の作成した預金申込書を、同じく金主名義であるが、之に共犯者所有の印鑑を押捺して作成したものとすりかえ、通帳は金主に保管させつつ、右の印鑑を使用して金主の不知の間に預金の引出をすることを企て、先づ丙が被控訴人に対し金二〇〇万円の銀行預金をして貰うことにより、同人等が同銀行から金融を受け、その謝礼として銀行利息以外に月三分の裏利子を支払うことを示して承諾させ、先づ池田銀行淀屋橋支店において之を実行しようとしたが失敗した。
(ロ)そこであらためて同年五月初頃甲乙が控訴銀行鶴橋支店を選び同支店長Aに面会し、甲等の関係の太陽物産株式会社と当座取引を開きたい旨及び近々預金者を連れて来て相当大口の預金をする旨の申入をした。
(ハ)同月四日被控訴人は池田銀行淀屋橋支店振出の金一八二万円の小切手一通を持ち、丙と共に前示鶴橋支店に到り、丙等から裏利子として支払を受けるべき一四万円は被控訴人のなす預金に合算して預金をする話合もできた。このとき丙は同支店カウンターの内部にいた甲を同支店長Aの知合で、この預金及び銀行よりの金融の件を依頼している人物であると説明したので、被控訴人は之を信じてカウンター内側の同人から預金印鑑用紙を受取り、之に氏名住所を記入し捺印して同人に渡したところ、甲は予め別の印鑑用紙に被控訴人の氏名を記載し、その住所欄に「大阪市南区東賑町二丁目二八番地太陽物産株式会社内」職業欄に「製函製紙」と記入し、之に丙の印章を押しておいたものを被控訴人から受取つた用紙とすりかえ、之と前記小切手及び丙が被控訴人に対して支払を約した現金一四万円を以て合計一九六万円の普通預金をする旨を支店長Aに告げた。そこで同人は預金係Bにその手続を命じた結果、右小切手等は被控訴人より同支店出納係に差入れられ、その結果冒頭に認定の預金通帳が作成され、同支店長より甲丙を通じて被控訴人に交付された。
ところで右のように銀行のカウンターの内部において、甲により預金印鑑用紙のすりかえ行為が行なわれたということは、通常あり得べからざることであり、支店長Aはもとよりかようなすりかえ行為を認容したことはないに相違ないが、同支店カウンターの内部で本件のような犯罪行為の行なわれるのを防止することは支店長として当然の責務であるから、甲が同所で行動するままに放任したこと自体が当然咎められて然るべきであり、単に之を全く知らなかつたとしてすますことのできる事柄ではない。一方被控訴人が控訴銀行に預金をするつもりで、カウンター内部の甲から窓口のところで預金印鑑用紙を受取り、その場で之に正規の記入と捺印をして同人に交付した際には、被控訴人としては甲のかかる行動を支店長Aが諒承しているものと考えるのが自然であり、その行為の外形上においても、正に被控訴人の控訴銀行に対してなした預金行為の一部であつたと見るのが相当である。してみると本件預金の預入れに際しては、たとえ甲のすりかえ行為のため印鑑は被控訴人のものと相違する結果を生じたとはいえ、被控訴人の名義が使用され、又預金の大部分なる一八二万円も同人の出捐にかかり、而も同額の小切手は被控訴人から支店出納係りに交付され、通帳も同人名義で発行され、同支店内において被控訴人の手に入り、その後引続き同人が所持して来たのであり、更に先に認定したとおり預金の行われる前に、甲等は支店長Aに対し金主が来て相当大口の預金をする旨を告げているのである。
以上のようなすべての判断を総合すれば、本件預金行為の大半は被控訴人が之をなしたのであって、その預け主は被控訴人であつたと認定するのが相当であり、控訴人の主張する預金手続は通常の預金の行われる場合の過程であつて、本件においてはそのとおりに行われなかつたと見るべきである。してみると、被控訴人が預金者であることを否定して、右に認定したような不法な行動をとつた甲を以て右の預金者であるとする控訴人の主張は到底採用できない。
控訴人は甲が預金名義人の機関として之に関与する状態を演出して預入をしたのであるから、同人が先に控訴銀行に届出た印鑑を以て払戻を受けたことは、被控訴人の機関としての行為であると主張するのであるが、先に認定したごとく、本件預入の際には、甲は銀行カウンターの内部において通常は銀行の預金係りのするような行為をしたのであつて、何等被控訴人の機関とみるべき立場にあつたと謂えないのであるから、かかる事実を前提とする主張は採用できない。
更に本件預金債権の準占有者に対する弁済の主張に付ても、その主張の振替え及び弁済の行なわれた状況が先に認定したとおり(原判決を一部引用)であつて、本件預金の内金一〇万円を訴外太陽物産株式会社の当座取引口座に振替えられた経緯も、甲等三名が二時間にわたり通帳を持たぬままで払戻を請求し続け遂に荒々しい剣幕になつて執拗に預金の払戻を求めるに至つたため支店長Aはやむなく之に応じたものであり、その翌日支店長代理Bが金一七〇万円の払戻請求に応じたのも、同人が前日支店長Aの便宜扱をした経過を聞いていたので己むを得ないと考えたにすぎないのであり、而も原審証人Aは太陽物産の当座に振替えることを求められたとき、いささか疑問を感じた旨の証言さえしているのであるから、かかる状況の下にあつては、到底甲を以て本件預金の債権者らしい外観を呈し、いわゆる債権の準占有者に該当するものとし、又之に対する弁済を以て善意のものと認めるに足りない。
尚後日被控訴人が本件通帳を持参して払戻を請求した際控訴銀行鶴橋支店が之を拒絶した理由は、印鑑相違のほかに、すでに右のごとく甲等の要求に応じ振替及び弁済をしていたことが大きな原因となつていることは当然推察に難くないところであるから、右の弁済を以て被控訴人に対抗できない以上、右印鑑の相違ということのみによつては、払込請求の日翌日以降の遅滞の責任を免れる理由となすに足りない。