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大阪高等裁判所 昭和35年(ネ)13号 判決 1960年12月15日

控訴人(原告) 一ノ瀬バルブ株式会社

被控訴人(被告) 大阪国税局長

訴訟代理人 平田浩 外二名

原審 大阪地方昭和三一年(行)第三三号(例集一〇巻一二号232参照)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴会社代表者は、「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人に対し昭和三二年二月六日付でなした源泉徴収所得税徴収決定に対する控訴人の審査請求を棄却する旨の決定はこれを取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴指定代理人は主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張、証拠の提出援用認否は、それぞれ次のとおり附言したほかは、原判決書事実摘示と同一であるから、これを引用する。

控訴会社代表者は、「被控訴人は、通勤費と通勤手当とを同視しているほか、またはこれを混同している。控訴会社の主張しているのは、通勤手当のことでなく、契約によつて傭主の負担する勤労者の通勤費のことである。それが、勤労者の所得(労働対償)でなく、傭主の費用であると主張しているのである。通勤費は費用であつて、通勤手当はその補填である。この両者は反対のものである。一般に通勤費は費用である。費用は目的をもつ消耗である。その消耗とは、持つ所得の滅失減少ということである。故に、費用は所得でなく、通勤費は所得でない。この通勤費(費用)の負担は、傭主と勤労者との労働契約によつてきまる。その約束のもとに傭主が運送機関に支払う勤労者の通勤費は、傭主の目的実現―勤労者の勤労享受―の機会(連続的にまたは個別的に)を作るための消耗である。被控訴人は、国家公務員の法律による通勤手当を引用するが、被控訴人の主張に従えば、国が国家公務員の通勤費を負担する筈はないので、恐らく通勤の苦痛慰安のための支給でなかろうかと思われる。とすると、国は今なお「通勤費勤労者持ち」を固執し、国家公務員に一円の通勤費をも支給していないことになるのではなかろうか。しかし、国家公務員の通勤費の問題は、本件には関係のないことである。」と附言した。

被控訴指定代理人は、「控訴会社に限らず、使用者が労働者に通勤費相当の現金を支給し、或いは通勤定期乗車券を支給する例は数多くみられるところである。ところで、このように通勤費(通勤手当)が支給されるようになつたのは、戦後のことであつて、戦前には、通勤費は職場から離れて居住している労働者が当然これを負担すべきであるとの前提に立つて、特別に通勤手当が支給されるような例はあまりなかつたといつてよかろう。敗戦により、経済事情が混乱し、企業の資本は非常に弱体化した。これが、賃金事情にも反映し、給与生活者は非常な低賃金におかれたうえに、基本給はできる限り少額にとどめ、諸手当の形で労働者の生活を保障するという変則的な賃金体系がとられた。このため、わが国の現在の賃金体系は、直接労働の質および量に対応する基本給、超過勤務手当等のほかに、家族手当、物価手当、勤務地手当、生活補助金、住宅手当、子女教育手当等のように一見労働と関係のないような名称を付せられた諸手当が、実質的には労働の対価として支払われている。通勤手当も、この変則的な賃金体系の一内容を構成するものであり、実質的には給与の一部として広く支給されるようになつたものといえる。すなわち、戦後、都市における住宅事情が非常に悪化し、給与生活者は、職場の近くに住居を求めることができなくなり、通勤距離が長くなつたため、それでなくても低額に過ぎる賃金に対し、通勤費の占める割合が無視できないものとなつた結果、基本給を増額することはできないまでも、労働協約或いは就業規則により、賃金体系の一部として通勤費に相当する金額の全部または一部を通勤手当として支給し、或いは通勤定期乗車券を現物給与する企業が次第に増加し、今では大多数の企業がこれを支給するようになつたのである。このように、通勤手当は、もともと通勤費は労働者が負担すべきものであるとの前提に立ちつつ、低賃金をいくらかでも緩和するものとして戦後の特殊事情から次第に賃金体系の中にとり入れられてきたものなのであつて、一見労働とは関係なく支給されているようではあつても、他の諸手当と同じく、実質的には労働の対償として支給されているものである。このことは、民間の賃金事情等を考慮して昭和三三年四月から国家公務員にも支給される通勤手当が、給与の一種として規定されており(一般職の職員の給与に関する法律一二条)、また、通勤費は本来公務員が負担すべきものであるとの前提に立つて、職員の一箇月の通勤費から百円を控除した額とし、しかも六百円をこえるときは六百円に制限していることからもいいうることである。」と附言した。

理由

当裁判所の認定並びに判断は、左記理由を附加するほかは、原判決書理由に記載するところと同一であるから、ここにこれを引用する。

わが国戦後の賃金体系を考察してみると、直接労働の質および量に対応する基本給、超過勤務手当等のほかに、家族手当、勤務地手当、通勤手当、住宅手当、子女教育手当、物価手当、生活補助金等のように一見労働とは関係のないような名目を付せられた諸手当も、賃金体系の内容を構成し、実質的には労働の対価として支給されてきたことは否定できないところである。このように、賃金が、厳格な意味での労働の対価、すなわち労働者が使用者に提供した労働の質と量に比例し、同一労働同一賃金の原則に従うような労働の対価に限られず、それ以外に上叙のような諸手当の名目のものをも包含するに至つた事情については、概ね被控訴人が当審において陳述するとおりであると考えられる(それ以外に、基本給のごときものは一たん増額すると、これを削減することは不可能もしくは著しく困難であるという事情も考えられる)。もとよりこのような賃金体系は決して固定的なものであるということはできず、上叙のごとき名目の諸手当の中には現在すでに解消し、もしくはその方向に進んでいるものもあるけれども、通勤手当の名目によるものは今なおこの賃金体系の一内容を構成し、実質的には明らかに賃金の一部と考えられる。

そうすると、本件のごとく、控訴会社が、労働条件として従業員の通勤費の実費を控訴会社の方で負担することを定めた労働契約にもとずいて従業員に交付する本件通勤定期乗車券またはその購入代金相当額の金員も、上叙の賃金体系の一内容を構成する実質的な賃金の一部にほかならないものと認めるのが相当である。

控訴会社は、右は、通勤手当でなく、契約によつて傭主の負担と定めた「費用」たる通勤費であると主張するが、本件のごとき場合は、いわゆる通勤手当或いは通勤費と名称のいかんに拘らず、その実質は上叙のごとく賃金の一部と認められるものであつて、これを控訴会社主張のごとく区別して論ずることは、本件の場合適切ではない。

そうすると、原判決は相当であつて本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三八四条第一項により本件控訴を棄却し、控訴費用の負担について同法第九五条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 亀井左取 杉山克彦 新月寛)

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