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大阪高等裁判所 昭和36年(う)1001号 判決 1966年9月24日

被告人 浜中豊一

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人鬼追明夫作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点、事実誤認の主張について

論旨は、原判示第一、第二の事実について、それが被告人の犯行であることは被告人の司法警察職員及び検察官に対する各供述調書(自供調書)によつてのみ認められるところ、右調書は捜査官の誘導と早期釈放を望む被告人の焦りによつて供述録取されたもので、任意性がない。仮に任意性があるとしても、そのような情況下でなされた供述は信用性が極めて低い。結局、原判示第一、第二の事実が被告人の犯行であることの証拠はないことに帰するから、右事実につき被告人は無罪である、というのである。

よつて記録を精査し案ずるに、成程弁護人主張の如く原判示第一、第二の事実が被告人の犯行によるものであることを直接立証する証拠は被告人の司法警察職員及び検察官に対する各供述調書以外にはないところ、被告人は原審公判廷において、警察、検察庁においては一刻も早く帰りたい一心で供述したとか、捜査官の誘導によつて供述したとか供述しているのであるが、原判決挙示の原審公判廷における証人西川寿夫の供述ならびに司法巡査作成の昭和三三年三月一四日付被害付捜査報告書及び同年五月一九日付捜査報告書によれば、西川寿夫は警察官として原判示第三の犯行により現行犯逮捕された被告人の取調べに当つたのであるが、その際、被告人は原判示第三の事実のほか進んで原判示第一、第二の事実を含め十数件の同種犯行を自供し、且地図上に犯行場所を指示した上捜査官をその現場に案内していること、しかもその中数個は被害届も提出されていない事案であつたことが認められ、右取調べの際、捜査官により誘導が行われたという形跡は見当らない。更に、被告人の警察(司法警察員に対する昭和三三年三月一三日、同月一七日付各供述調書)検察庁(検察官に対する昭和三三年五月二七日、同月二八日(二通)、同月三一日付各供述調書)における自供調書の内容を検討すると、被告人の原判示第一、第二の犯行に至る経緯、犯行現場の模様、点火の方法等に関し、被告人自らの体験に基かなければ判明しないような事実についての極めて自然な供述が見られ、その供述内容は原判決挙示の補強証拠ともよく符合するので、被告人の司法警察職員に対する供述調書及びこれに引続いて録取された原判決挙示の被告人の検察官に対する供述調書中の被告人の各供述は捜査官の誘導や早く釈放されたいという被告人の焦慮を利用した取調べによつて引出されたものとは到底認めがたい。なお、原判決はその判示各犯行当時被告人が病的酩酊による朦朧状態にあつたと認め被告人の心神喪失中の犯行であるとしており、右判断は正当というべきであるが、かかる心神喪失中の行為についての被告人の自供調書が果して任意性なり信用性を持ちうるかの点につき疑問が生ずるけれども、前記のとおり被告人の警察、検察庁における自供の経緯及びその自供調書中には極く自然な供述がみられること、ならびに被告人は原判示の各犯行当時の行動につき完全な健忘があつたとは認めがたいが部分的な健忘を生じたことは考えられる旨の原審鑑定人村上仁、同長山泰政作成の各鑑定書の記載に徴すると、被告人の警察、検察庁における前記各供述の任意性及び信用性に疑をさしはさむことはできない。以上の次第で、原判決挙示の原判示第一、第二の事実を自供した被告人の各検察官調書の任意性に疑を容れる余地はなく、またその信用性も充分に認められるから、原判決挙示の各補強証拠と相俟つて原判示第一、第二の事実を認定した原判決には何ら事実の誤認はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点、事実誤認及び法令適用の誤りの主張について

論旨は、被告人は相当量飲酒すると可成り奇矯な酔態を示すのであるが、本件犯行時迄に本人の自覚するものは例えば酔余街頭で猿真似をしたり、植木鉢を抱えてダンスをしたり、他家の物を勝手に持ち出したりするという失火行為とは全然異質のしかも比較的無害な習癖である。そして所携のマツチを弄び火を失する習癖のあることは被告人自身も原判示第三の行為によつて逮捕されてはじめて自覚するに至つたものである。原判決の認定する如く被告人が単に失火について漠然たる不安を有していたとしても、それは必ずしも「高度の蓋然性」を自覚していたとはいいえない。されば被告人が失火について不安を覚えていたとしても、飲酒に際しての刑法第一一七条ノ二の重大な過失の前提要件たる注意義務はないというべきである。よつて原判決は刑法第一一七条ノ二の解釈を誤り、且注意義務の存否について事実を誤認したものである。なお、原判示第二の事実については、被告人は午後五時頃から翌日の午前一時頃迄の間約八時間のうちにビール二本、ウイスキーのオンザロツク二杯を飲んだのであるから被告人の酒量から考えると極くその量を制限したといわざるをえない。従つて被告人に前記のような注意義務があるとしても、原判示第二の事実については注意義務違背の責はない、というのである。

よつて記録及び当審における事実調べの結果を精査し案ずるに、原判決はその判示第一ないし第三事実における被告人の重大な過失を認定するに当り、弁護人主張の如く先ず被告人が飲酒癖に陥り、酔余街頭で猿真似をしたり植木鉢を抱えてダンスをしたり、他家の物を勝手に持ち出したりなどの奇矯な酔態を呈することがあり、昭和二九年頃から被告人もそのような自己の習癖を自覚するに至つたことを認め、次いで、昭和三二年に入つてからは夜間飲酒後に一人で街路を放浪し、時には間歇的に夢幻的な朦朧状態に陥ることを経験するようになつたところ、偶々昭和三二年六月二〇日京都市内に起つた四件連続放火事件に際し被告人は自己の当日における挙動、現場の模様等を考え合せあるいは被告人が火を失したのではなかろうかという強い不安を持つに至り、その頃からは被告人が夜間外出先等で飲酒すると飲酒後の朦朧状態下においてあるいは衝動的にマツチを弄ぶなどして火を失するかも知れないという極めて高度の蓋然性を自覚する迄に至つたとし、かかる前提に立つて、このように飲酒時の習癖により火を失する危険性を有し、且それを自覚する者には、漫然と夜間外出先で飲酒するなどは厳に慎しみ、仮に飲酒するにしてもその量を極度に制限し、且予め確実な介護者をつけるなど右危険の発生を未然に防止すべき注意義務があると判断している。しかし乍ら、被告人が有し且それを自覚していた習癖として原判決が認定しているのは、単に酔余街頭で猿真似をしたり、植木鉢を抱えてダンスをしたり、他家の物を勝手に持ち出したりするなどの奇矯な酔態を呈することであつて、放火ないし失火とは無関係な習癖であるから、被告人がかかる習癖を有し、且自覚していたからといつて被告人が飲酒後の朦朧状態下において衝動的にマツチを弄ぶなどして火を失する危険性があるとか、被告人がそれを自覚していたと断定することはできない。尤も、原判決は偶々昭和三二年六月二〇日京都市内に起つた四件連続放火事件に際し、被告人が自己の挙動、現場の模様等を考え合せてあるいは被告人が火を失したのではなかろうかという強い不安を持つに至つた結果、被告人が飲酒後の朦朧状態下においてあるいは衝動的にマツチを弄ぶなどして火を失するかも知れないという極めて高度の蓋然性を自覚するようになつたとしているので、原判決としては被告人が右連続放火事件に際会してあるいは自分が火を失したのではなかろうかという強い不安を持つようになつた結果、所謂強迫状態(強迫神経症)に陥り、夜間外出先等で飲酒すると飲酒後の朦朧状態下においてあるいは衝動的にマツチを弄ぶなどして火を失するかもしれないという不安に悩まされるに至り、そのような蓋然性を自覚するようになつた、という趣旨を述べたようにも解せられるが、所謂強迫状態にあつてはそのような懸念される行動は実行されないのが普通であるから、主観的にはともかく客観的には被告人が火を失するかもしれないという蓋然性は低いものといわねばならない。何れにしても、原判決が認定した事実からは、原判示のように被告人が飲酒時の習癖により火を失する危険性を有し、且それを自覚していたということはできないから、原判決が認めた注意義務はその前提事実において欠けるところがあるといわねばならない。

しかし、原判決挙示の≪証拠略≫のほか、≪証拠略≫を綜合すれば、被告人は何れも飲酒して帰宅の途中、

(1)  昭和三二年一月三〇日午前零時三〇分、京都市中京区二条通東洞院東入松屋町三〇番地田村卯吉方表入口横に立てかけてあつたすだれにポスターを丸めて差込みこれに所携のマツチで点火して右すだれを焼きし、

(2)  同年二月下旬頃の午前零時より午前七時迄の間に同市北区紫野宮西町一七番地中原幹雄方表入口横に貼つてあつたポスターに所携のマツチで点火して右ポスターを焼きし、

(3)  同年三月三〇日午前一時過頃、同市中京区寺町通御池東南角下本能寺前町五〇〇番地の二、白石城之介管理のエンパイヤビル東側の空地南西側に置いてあつたゴミ箱の紙屑に所携のマツチで点火して右ゴミ箱を焼きし、

(4)  同日午前一時四〇分頃、同市中京区二条通寺町東入る榎ノ木町七七番地の一、近藤良男方西側板塀附近に置いてあつたカンナ屑に所携のマツチで点火して右カンナ屑及び板塀の一部を焼きし、

(5)  同年四月一六日午前二時過頃、同市上京区大宮通上立売上る樋口町二六〇番地の一、山口勇一方表ガラス戸に貼つてあつたポスターに所携のマツチで点火して右ポスターを焼きし、

(6)  同日午前三時頃、同市上京区西堀川通鞍馬口下る西入る路上大野方前において、早瀬亀太郎所有の自動三輪車荷台に積んであつた木箱、古俵に所携のマツチで点火して右木箱、古俵を焼きし、

(7)  同日午前三時三〇分頃、同市上京区大宮通上立売上る西入る伊佐町二四六番地、林愛子方表軒下に置いてあつた古俵に所携のマツチで点火して右古俵を焼きし、

(8)  同年五月一日午前零時過頃、同市上京区大宮通上立売上る西北角花開院町一三九番地高岸スミ江方南軒下に置いてあつた空木箱に入れてあつた包紙に所携のマツチで点火して右空木箱を焼きし、

(9)  同月上旬頃の午前零時から午前七時迄の間に、同市上京区堀川通寺の内上る四丁目天神北町一七番地内藤平八郎方表入口に貼つてあつたポスターに所携のマツチで点火して右ポスターを焼きし、

(10)  同年六月二〇日午前一時三〇分頃、同市中京区姉小路通河原町西入下本能寺前町四九二番地、森下寅松方表腰板に貼つてあつたポスターに所携のマツチで点火して右ポスターを焼きし、

(11)  同日午前一時三五分頃、同市中京区御幸町通姉小路上る大文字町三六三番地、林長一方表出入口の上部の格子に木綿を丸めて押込みこれに所携のマツチで点火して右格子を焼きし、

(12)  同日午前二時一〇分頃、同市上京区下立売通鳥丸西入五丁目町一八〇番地、株式会社マルイ商会(社長伊藤繁)表軒下に置いてあつた木枠に所携のマツチで点火して右木枠を焼きし、

(13)  同日午前二時一〇分頃、同市上京区下立売通衣棚東北角東立売町二〇四番地、柴田きく方西側軒下の鶏小屋の上部に置いであつた竹籠に所携のマツチで点火して右竹籠、格子戸及び軒を焼きし、

(14)  同年八月一六日頃の午前零時より午前七時迄の間に、同市上京区旧堀川通寺の内上る三丁目上天神町六二〇番地、織田長三郎方表格子戸に貼つてあつたポスターに所携のマツチで点火して右ポスターを焼きし、

た事実を認めることができる。しかして被告人が右各行為当時所謂病的酩酊の状態にあつたとしても、さきに説示したとおり少くとも警察、検察庁において自供した範囲内では自己の行為につき記憶を有していたものと認められるから、被告人には夜間外出先等で飲酒しての帰宅途次などに一人で街路を放浪し、朦朧状態の下で衝動的に所携のマツチを弄び火を失する習癖があり、且これを自覚していたものといわねばならない。かかる事実の認められる以上、正に原判示のとおり、被告人は飲酒時の習癖により火を失する高度の危険性を有し、且それを自覚していたものというべく、かかる被告人としては、漫然と夜間外出先で飲酒する等は厳に慎しみ、仮に飲酒するような場合でもその量を極度に制限し、且予め確実な介護者を付けるなどして右危険の発生を未然に防止すべき注意義務を負うものというべきである。以上の次第で、原判決は被告人の注意義務の判示において不充分な点があるけれども、原判示の注意義務の内容は結局正当というべきであるから原判決には所論のような刑法第一一七条ノ二の解釈適用の誤りはない。次に、原判示第二の犯行前における被告人の飲酒量は、弁護人主張の如く午後五時過ぎ頃から翌日午前一時頃迄の間に三ケ所において少くともビール二本程度、ウイスキーをオンザロツクで二杯であるが、被告人の適量が日本酒で五、六合(原判決挙示の被告人の検察官に対する昭和三三年三月二八日付供述調書及び原審第一〇回公判期日における被告人の供述参照)であることを考えれば、酒量を極度に制限したとはいえないのみならず、右飲酒の際及び帰宅の途中被告人において確実な介護者を付けるなどの措置をとつていないのであるから、原判決が被告人につき重大な過失を認めたのは相当である。結局、原判決には所論のような法令適用の誤りないし事実誤認はないから、論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三九六条、第一八一条第一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中勇雄 三木良雄 山田忠治)

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