大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)1082号 判決 1962年11月19日
控訴人・附帯被控訴人 被告 川島秀治郎
訴訟代理人 有井茂次
被控訴人・附帯控訴人 原告 金川たきゑ 外六名
訴訟代理人 中村直美
主文
原判決を次の通り変更する。
控訴人は、被控訴人金川たきゑに対し金六六、二六六円、被控訴人金川保子、同金川猛雄、同金川京子、同金川正已、同金川弘、同石川花子に対し各金二二、〇八八円及び各これに対する昭和三一年九月三〇日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払わなければならない。
被控訴人等のその余の請求は、これを棄却する。
本件附帯控訴はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用(第一審及び控訴費用)はこれを五分し、その一を控訴人、その余を被控訴人等の負担とし、附帯控訴費用は、いずれもこれを附帯控訴人等の負担とする。
この判決は、被控訴人等勝訴部分につき、それぞれ仮りに執行することができる。
事実
控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人と称する)代理人は、控訴につき、「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人とする。」との判決を、附帯控訴につき、附帯控訴棄却の判決を求め、
被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人と称する)代理人は、控訴につき「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を、附帯控訴(昭和三六年(ネ)第一〇八二号)につき「控訴人は、被控訴人たきゑに対し、金三三三、三三二円、同保子に対し金一五七、七七七円、同猛雄に対し金一二七、七七七円、同京子に対し金一二七、七七七円、同弘に対し金七七、七七七円、及び各これに対する昭和三一年九月三〇日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。」との判決、附帯控訴(昭和三七年(ネ)第一六二号)につき「控訴人は被控訴人正已、同花子に対し各金七七、七七七円及び各これに対する昭和三一年九月三〇日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。」との判決並びに各仮執行の宣言を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は
被控訴代理人において、事実関係につき、本件仮執行の目的となつた家屋は別紙目録の通りである。そして、被控訴人金川恒夫は本訴係属中なる昭和三五年六月三日に死亡し、被控訴人たきゑ(妻)及びその余の被控訴人等六名(子)において、これを相続すると共に恒夫の訴訟上の地位を承継した。そして右亡恒夫の損害賠償債権として原審で請求した分は金七〇〇、〇〇〇円(財産上損害五〇〇、〇〇〇円、精神上損害二〇〇、〇〇〇円)であるか、同人の取得した債権は更に大きく金一、四〇〇、〇〇〇円(財産上損害八〇〇、〇〇〇円、精神上損害六〇〇、〇〇〇円)に達するから、その請求を右の額(差額七〇〇、〇〇〇円)まで拡張し、その相続によつて承継した債権として被控訴人たきゑ(相続分三分の一)につき金二三三、三三二円、同保子、猛雄、京子、弘(相続分各九分の一)につき各金七七、七七七円を請求すると共に、被控訴人たきゑ自身の債権として原審請求通り金一〇〇、〇〇〇円、同保子自身の債権として同じく金八〇、〇〇〇円、同猛雄、京子自身の債権として同じく各金二〇、〇〇〇円を附帯控訴(昭和三六年(ネ)第一〇八二号)として請求し、また前記亡恒夫より相続により承継した債権として、被控訴人正已、同花子(各相続分九分の一)につき各金七七、七七七円を附帯控訴(昭和三七年(ネ)第一六二号)として各本件訴状送達翌日たる昭和三一年九月三〇日以降支払済までの年五分の損害金と共に請求する。控訴人は本件家屋をその仮執行により被控訴人等を退去せしめた後、訴外藤本茂に売却し、その占有をも引渡したことにより、賃借人たる亡恒夫はその賃借権を以て新所有者藤本に対抗するを得なくなり、これがためにその賃借権を失つたものである。そして右家屋の賃料は昭和二七年一二月一日以降一ケ月金一、〇〇〇円であつて、当時控訴人よりこれを一ケ月金一、五〇〇円に値上げの請求があつたか、右値上は修理完了後のこととし、それまでは旧賃料を支払う約定であつたから、賃借権価格算定基準としては右金一、〇〇〇円の賃料に拠るべきである、と述べ、立証として、検甲第一号証を提出し、当審における被控訴人たきゑ本人尋問の結果を援用し、検乙第一号証の成立を認め、控訴代理人において、事実関係につき、被控訴人主張の恒夫の死亡、相続並に身分関係は認める、と述べ、立証として、検乙第一号証を提出し、当審における証人谷口吉春、林ヨシ、林松太郎の証言、控訴人本人尋問の結果を援用し、検甲第一号証は不知と述べたほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
理由
承継前の被控訴人亡金川恒夫が別紙目録記載の家屋をその所有者訴外荻野幸治より賃借していたところ、同人より控訴人の子川島敏子が昭和二一年六月二七日にこれを買受け、賃貸人の地位を承継したこと、控訴人が右恒夫を相手方として、昭和二九年七月一日京都簡易裁判所に対し、賃料不払及び無断転貸による賃貸借契約解除を原因とする右家屋明渡の請求訴訟(同庁昭和二九年(ハ)第一五三号事件)を提起し、昭和三〇年一一月一四日仮執行宣言付きの勝訴判決を受け、昭和三一年三月三一日本件家屋につき右仮執行宣言による家屋明渡の強制執行を為し、その結果賃借人たる右金川恒夫及び同居中のその妻被控訴人たきゑ、長女被控訴人保子、二男被控訴人猛雄、二女被控訴人京子は右家屋より退去せしめられその占有を夫つたこと、右明渡後間もなく本件家屋が訴外藤本茂に売却され、同人にその占有が移転されたこと、前記第一審判決に対しては恒夫より控訴を提起し、控訴審において昭和三一年八月一日、原判決取消、被控訴人(本件控訴人)の請求棄却の判決があり、これに対しては上訴の提起なく確定したことは当事者間に争がない。
そうすると、控訴人はさきの仮執行の復元のため、その故意、過失の有無を問わず、右恒夫等に対し、同人等が失つた本件家屋の占有を原状に回復せしむべき義務あることは明らかである(民事訴訟法第一九八条第二項。)
よつて控訴人の示談の抗弁につき審按する。金川恒夫の印鑑の印影であることにつき争なく、この事実と、証人谷口吉春(当審)、証人林ヨシ、林松太郎の証言、控訴人本人尋問の結果(いずれも原審及び当審)とによつて金川恒夫が作成(本文は司法書士林松太郎が記載)したものと認められる第一号証と、成立に争のない甲第一一号証、同第一六号証、右各証人の証言、控訴人本人尋問の結果を綜合すると、本件仮執行のなされた後間もない昭和三一年四月四日控訴人と金川恒夫間に、その妻被控訴人たきゑ、訴外谷口吉春等も関与して、右恒夫の提起していた第一審の判決に対する控訴を取下げ、恒夫の供託していた供託金を取戻して、その約半額金二〇、〇〇〇円を示談金として恒夫が取得し、これと共に本件家屋に備付けられた畳、建具の所有者をも後日決定してその取得者を定めて、授受を為し、本件に関する一切の紛争を解決すべきことを内容とする示談契約が成立し、控訴人は直ちに右供託金の取戻に同意して、その中の供託書、供託通知書をその取戻手続を担当した林松太郎に交付し、同月九日を期して右取戻金中より金二〇、〇〇〇円を恒夫が受取ると共に、同人より控訴取下書を第二審の裁判所たる京都地方裁判所へ提出する手筈を定めたこと、ところがその後被控訴人たきゑより右示談の内容、就中示談金の額につき不満を申出でて、その実行を渋り、同月一一日頃被控訴人たきゑは、一旦右恒夫に代り、林松太郎の妻ヨシ附添の下に右裁判所へ控訴取下書の提出に赴いたが、結局これを提出せずして持帰り、右示談契約はその実現を見るに至らずして終つたことを認めるに足り、右認定に反する被控訴人たきゑ本人尋問の結果(原審及び当審)は、前記各証拠に対比して到底措信し難く、検甲第一号証を以てしても右認定を左右するに足らず、他にこれに反する証拠はない。右認定事実によると、右示談契約の趣旨は、金川恒夫が控訴人の弁済に提供していた供託金の内金二〇、〇〇〇円を示談金として取得することにより、本件仮執行の結果を甘受し、これに対する不服並びに本案請求権の存否に対する不服の表現たる控訴の申立を取下げることにより、その不服の意思を撤回し、既成事態をそのまま落着せしめると共に、本件家屋の明渡についての紛議並びに金員請求を一切取止め解決するに在つたことは一見明瞭であるけれども、右示談の内容の最大要素は、右恒夫の不服申立の撤回即ち控訴取下による訴訟事件の終了であり、かつそれが支障なく実現するに在つたこと(それは訴訟行為であるから、取下の実行即ち取下書の提出受理が、当事者の意思の主眼点とみるべきである)も容易に推認できるところであつて、他の示談条件は右の実行を前提として、これと不可分的に結合し、独立してその効力を主張するものでないことも、また見易いところである。そうすると、右示談契約に伴う効力、特に控訴人の主張する仮執行に起因する金銭的請求権の放棄の効力はすべて右不服撤回の具現たる控訴取下行為の発効に依存していたものというべく、その実現を見なかつたことは前述の通りであるから、単に取下を為すべき旨の契約がなされたのみでは、本件仮執行に起因する一切の請求権の放棄の効力を認めることはできず、控訴人の右抗弁は結局理由がない。また控訴人は、右第二審裁判所において原判決取消請求棄却の裁判がなされたのは、右恒夫自身が示談契約に基く控訴取下を履行しなかつた契約違反に起因するから、その結果たる仮執行の復元請求はできない旨抗弁するが、仮執行の結果を原状に回復する要請は、仮執行宣言が後の裁判によつて取消されたことに基く一種の法定責任と解すべきであつて、仮執行権利者の行為自体にその主たる責任原因が存するものでない上に、第二審裁判の内容が右の通りであつたことの原因は、その請求自体に含まれていたものと見るべきで、控訴取下が為されなかつたこととは直接相当因果関係がない(即ち、恒夫の違法行為に基いて右のような裁判がなされたものと考える訳にゆかない)から、右恒夫等は右第二審裁判の結果に伴う法効果を主張することは何等妨げなく、この点の控訴人の抗弁も採用できない。
そこで右金川恒夫の仮執行原状回復請求権の内容について検討するに、被控訴人等は、本件仮執行により恒夫が本件家屋に対して有していた賃借権及びその同居家族の居住権を侵害したと主張するけれども、本件仮執行は、それ自体としては直接に右家屋に対する恒夫の占有権と、その同居親族の占有を失わしめたのみで、恒夫が正当な賃貸人たる訴外川島敏子に対して有する契約に基く賃借権は当然に消滅する筈なく、依然として存続していたものであつて、ただ当事者間に争のない通り、その後右家屋を買受けた訴外藤本茂がこれを正権原に基き占有するに至つたため、右川島敏子に対する賃借権に基く占有回復が不能に帰するに至つたに外ならず、右の通り、仮執行自体に基く喪失は、恒夫についてはその占有権以外のものではないが、被控訴人等の主張、特にその居住権を云為する主張は右の占有権の喪失をも包含指称するものと解することができるから、右恒夫については、右の占有権の原状回復請求権を認むべきところ、その回復が現在不能となつたことは前述の通りであるから、その回復に代る損害賠償の請求権を認めなければならない。よつて本件家屋の当時の占有権の評価について見るに、占有権の価値は現在及び将来における事実上の占有より生ずる利益の総体であつて、その占有の安定根拠であり、かつ法的価値である本権の価値とは別個のものであるが、これと最も近接し、本件の場合の如く、その占有が賃借の意思を以てなされていた場合は、その本権たる賃借権の価値が最近似値と考えることができるから、鑑定人中西三郎の鑑定結果により、本件家屋の占有権の価格は金一九八、八〇〇円(賃料一ケ月金一、五〇〇円基準、被控訴人等は右賃料基準は失当である旨主張するが、成立に争のない甲第六、一三、一四号証と控訴人本人尋問の結果によると、本件家屋の賃料は昭和二七年一二月一日より従前の一ケ月一、〇〇〇円を一、五〇〇円に値上することとし、その値上差額五〇〇円の支払が事実上猶予されていたに外ならぬことが認められ、これに反する被控訴人たきゑ本人尋問の結果は措信できないから、右鑑定基準に関する被控訴人等の主張は採用しない)であることが認められ、右認定を左右すべき証拠がないから、右恒夫が昭和二五年六月三日死亡し、被控訴人たきゑがその妻(相続分三分の一)として、その余の被控訴人等六名がその子(相続分九分の一)として同人を相続したこと当事者間に争ない以上は、右のうち被控訴人たきゑは金六六、二六六円(円以下切捨)、その余の被控訴人六名は各金二二、〇八八円(円以下切捨)の各控訴人に対する損害賠償債権(いずれも訴状送達翌日たる昭和三一年九月三〇日以降年五分の遅延損害金加算)を取得したことが明らかである。しかし、被控訴人等が右恒夫より右認定額以上の財産的損害の賠償債権を相続したとする主張は理由がない。
次に被控訴人等は本件仮執行により、右恒夫につき金二〇〇、〇〇〇円、たきゑにつき金一〇〇、〇〇〇円、保子につき金八〇、〇〇〇円、猛雄、京子につき各金五〇、〇〇〇円の精神上の損害賠償即ち慰藉料請求権を取得したと主張するので按ずるに、仮執行制度が裁判の最初の言渡からその確定までの時間的経過による利害の解消調節を目指した裁判の内容実現のための一種の保障的機能であり、従つて先の裁判と宣言が取消されたことによる原状回復の要請も、右の制度、機能の裏作用として必然的に要求され、故意、過失の有無にかかわらない法的義務の一種と見られ、これに関与して仮執行を求める当事者の意思は、かかる機能の利用者の域を出でず、換言すれば、単に仮執行をすることは、単に訴訟を提起することと同様に、通常はその結果につきすべての責任を負担することを要する責任原因ではなく、しかも往々職権により仮執行を許容する事例に鑑みると、右仮執行の当然復元、即ち右の反作用として法の予定する原状回復の内容も、さきの仮執行により一旦相手方に移転した執行の目的物の機械的再移転(復帰)と、右の往復に要したる直接の失費とに限られ、仮執行による一切の損害に及ぶものでないことは、右の当然の帰結といわねばならない。即ち、仮執行による目的物の移動以外の他の損害例えば営業上の損失、精神上の損害の如きものは、仮執行制度の単純利用者に負課せしむべきでないから、その回復は、右の法の当然に予定する原状回復の対象には含まれず、かかる損害の一切を負担せしむべきは、仮執行制度の不当な利用者であり、その主観的帰責原因としては、不当仮執行(又はその基本となる不当訴訟提起)が執行債権者の故意過失に出でたことを必要とするものと解するを相当とする。従つて被控訴人等の求める精神上の損害賠償も、単に仮執行を許容した原判決が取消され確定したことのみを理由とする限り、その請求を認容することはできない。
そして被控訴人等の予備的請求原因たる不法行為の主張が、右精神上の損害賠償請求のみについても、これを維持するものであるか否かは疑わしいけれども、仮りにその分に限り、不法行為の主張をなすものとして判断を試みるに、控訴人が金川恒夫に対する家屋明渡請求権のないことを知り、又は知り得べかりしに拘らず、仮執行宣言判決のなされたことを奇貨として不当執行を為したとの主張については、被控訴人等の全立証によるも、その該当事実を認め得るに至らず、むしろ、成立に争のない甲第一〇、一一、一三、一六号証と控訴人本人尋問の結果を綜合すると、本件家屋は控訴人が自ら出金してその娘に当る川島敏子のために買求め、同人名義に所有権移転登記をしたものの、実際は控訴人が自己名義を用いて賃料取立等すべての管理を為し、支配的実権を持つていたので、賃料延滞等を理由とする家屋明渡については自己が正当な訴訟当事者たり得るものと信じて訴訟を提起し、勝訴判決に基き仮執行をしたものであつて、故意は固より、恒夫や被控訴人等の権利侵害をも辞せない過失による不当執行と認めることはできないから、不法行為を原因とする被控訴人等の慰藉料請求もこれを是認することはできない。
そうすると、原判決中、承継前の被控訴人恒夫、被控訴人たきゑ、同保子、同猛雄、同京子につき慰藉料としての金員支払を認容した部分は相当でなく、右恒夫につき財産的損害として前認定の金一九八、八〇〇円及び遅延損害金の金員請求の認容部分の訴訟承継に基く請求(その請求については附帯控訴を要しない)のみが正当であり、右以外の金員の支払を求める附帯控訴請求はいずれも失当であるから、右控訴と訴訟承継により原判決を変更するほか附帯控訴はいずれも棄却すべきものとし、民事訴訟法第九六条第九二条第九三条第一九六条を適用して主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 岡垣久晃 裁判官 宮川種一郎 裁判官 大野千里)
(別紙目録は省略する。)