大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)364号 判決 1964年8月05日
控訴人 坪田てること松浪テル
右訴訟代理人弁護士 品川澄雄
被控訴人 谷口作治郎訴訟承継人 谷口有恒
<外二名>
右三名訴訟代理人弁護士 樫本信雄
浜本恒哉
主文
原判決を次のとおり変更する。
控訴人は被控訴人らに対し金三、〇七一円を支払いせよ。
被控訴人らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、被控訴人ら先代亡谷口作治郎が、本件建物を所有していたところ、同人は、昭和三五年一二月四日死亡したので妻被控訴人谷口ゆき、長男被控訴人谷口有恒、長女被控訴人笹岡妙子が遺産相続によつて本件建物の所有権を取得したこと、および、控訴人が、本件建物を占有していることは当事者間に争いがない。
二、控訴人は、賃借権にもとづき、本件建物を占有していると抗弁しているのに対し、被控訴人らは、控訴人主張の本件建物賃貸借契約は、解除されたと再抗弁するので判断する。
(一) 谷口作治郎が、昭和一〇年頃本件建物を控訴人に対し、賃料一ヶ月金三三円毎月末払いの約束で期間の定めなく賃貸したことは、当事者間に争いがない。
被控訴人らは、本件賃貸借契約には、賃貸人の承諾なくして本件建物の転貸や改造をしてはならない約束があつたと主張し、原審と当審での証人那須寛一の証言中には、これにそう供述があるが、右証言は、弁論の全趣旨に対比して直ちに信用することができないし、ほかに、右事実を認めることができる証拠はない。
しかし、賃借人である控訴人は、右特約の有無にかかわらず、本件建物を転貸するについては、民法六一二条の適用があり、本件建物を善良な管理者の注意義務をもつて保管する義務のあることは勿論である。
(二) そこで、谷口作治郎が控訴人に対してした本件賃貸借契約解除の原因である無断転貸の有無について考究する。
(1) 控訴人が、本件建物の階下を訴外会社に転貸したことと、谷口作治郎が昭和三二年二月一五日控訴人に到達した書面で、本件契約を解除する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。
(2) ≪証拠省略≫を総合すると次のことが認められる。
(イ) 控訴人は、昭和二〇年頃本件建物の階下で自転車預り業をしていた。その当時階下は、コンクリートの店舗と奥に四畳半と二畳の二間があつた。
(ロ) 控訴人は、昭和二一年一月頃、賃貸人である谷口作治郎には無断で訴外因幡弥太郎に対し右階下全部を転貸した。同訴外人は、そこで、電熱器の製造販売をはじめたが、間もなくこれを会社組織にして訴外会社を設立し、引き続いてここで電気器具の卸や販売の店舗に使用した。
(ハ) 訴外会社は、その頃から今日まで、右階下の表入口(間口二間)の上に、いつぱいに横看板を掲げ、その看板には、「工事材料卸因幡電機産業株式会社」と記載されていたので、一見して、訴外会社が本件建物の階下を使用していることが判る状態であつた。
(ニ) 本件建物の賃料は、谷口作治郎の使用人が毎月取り立てていたが、その使用人は、すでに昭和二一年頃から、本件建物の階下を訴外会社が占有して使用していることは十分諒知していた。
(ホ) 訴外会社は、昭和二八年三月頃本件建物の裏の空地を利用して建増しをし、炊事場を階下から二階に移し、階段を付け替え、階上に四畳の間を作る改造をしたが、これを谷口作治郎の使用人に見とがめられ、その頃控訴人と右因幡弥太郎は連名で谷口作治郎に念書を差し入れたが、その念書は、右無断改造によつて本件建物に加工した物を一ヶ年内に撤去すべく、もしその履行がないときは、控訴人と因幡弥太郎は、谷口作治郎の選択によつて、右加工物の所有権を放棄するか、損害賠償をするというものであつた。
(ヘ) このようなことがあつたのに、谷口作治郎は、訴外会社の無断転借を問題とすることなく、控訴人から、引き続いて本件建物の賃料を取り立てた。
右認定に反する原審(一部)と当審での証人那須寛一の各証言は措信しないし、ほかに、右認定の妨げになる証拠はない。
(3) 右認定の事実からすると、谷口作治郎は、控訴人の訴外会社に対する無断転貸借を黙示的に承諾したと認めるのが相当である。
したがつて、谷口作治郎がした無断転貸を理由にした本件賃貸借契約解除は無効である。
(三) 次に、谷口作治郎が控訴人に対してした本件賃貸借契約解除の原因である無断改造の有無について考究する。
(1) 谷口作治郎が、昭和三二年二月一五日控訴人に到達した書面で、無断改造を理由に、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。
(2) ≪証拠省略≫を総合すると次のことが認められる。
(イ) 訴外会社は、昭和三二年一月頃、立地条件その他を勘案した結果、従来営んでいた電気工事の営業は、他に新営業所を求めてそこに移し、本件建物の階下では、新たに家庭電化製品の小売をはじめようと考え、そのために必要な改造工事を訴外中根喜市に依頼した。
(ロ) 右依頼を受けた中根喜市は、その頃右階下を右小売店にふさわしくするため次の改造工事をした。
(A) 真黒になつていた東西両側の内側壁と天井に見場をよくするためベニヤ板をはりつけ、東側に南北に通ずる通路を設けるため東側から約六〇糎のところに板壁を設けた。
しかし、この改造工事は、本件建物自体の柱などを切つたり削つたりしてしたものでないから、打ちつけたベニヤ板をはがし、板壁を撤去することによつて、容易に復元することができる簡易なものである。
(B) 床板をはがしてコンクリートにした。
本件建物の階下は、一部土間、一部コンクリート張りで、訴外会社は、その全面を板張りにして使用していたが、それが浸水などのため腐朽していた。工事を依頼された中根喜市は板張りをはがして、従前の表の方のコンクリート張りを少し塗つて高くし、これまでコンクリート張りでなかつた奥の部分をコンクリート張りにした。したがつて、右工事は、すでにあつたコンクリートの補修と、新たにコンクリート張りをすることからなつていたが、浸水防止のため必要な工事だから、そうしたのである。
(C) 庇を取り外してモルタル塗りにしようとした。
中根喜市は、訴外会社から、表が腐つているから直してモルタル塗りにするよう依頼されたが、その当時表入口の庇は、その桁が完全に腐朽して落ちかけており、それを修理するには、庇を取り外さなければ、その工事は不可能の状態にあつた。そこで、中根喜市は、右庇を除去したとき、谷口作治郎が改造などの処分禁止の仮処分の執行をしたので、右工事は、そこまでで中止せざるをえなかつた。
(D) なお表入口は工事前はガラス戸四枚が入つていたが、それが現在では、ガラス戸が外されて板張りになつている。しかし控訴人の方で、ガラス戸とその敷居は、本件建物の階下にそのまま保管している。
(ハ) このようにして、中根喜市は、庇の修理工事を未完のままにして仕事を終えたが、その工事代金は、約金四〇、〇〇〇円にすぎない。
右認定に反する原審証人那須寛一の証言は措置しないし、ほかに右認定の妨げとなる証拠はない。
(3) 適法な転借人は、直接、賃貸人に対し、目的物を善良な管理者の注意義務をもつて保管する義務がある(民法六一三条一項前段)が、このことは、賃借人の賃貸人に対する保管義務(民法四〇〇条)に何らの消長を来たさない(同条二項)。そして、転借人は、賃借人の負担する目的物保管義務については、一種の履行補助者の地位にあるといえるから、転借人の故意又は過失による目的物の損傷についても、賃借人は賃貸人に対して全的責任を負わなければならないと解するのが相当である。
さきに認定したとおり、訴外会社は、本件建物の階下を適法に転借し、昭和三二年一月頃そこを右のような改装工事をしたわけであるから、転借人である訴外会社の右改装が賃借物の保管義務違反と認められるならば、賃借人である控訴人は、これについて責を帰せしめられる筋合である。
一方賃借人は、賃借物を賃貸人に引き渡すまで、善良な管理者の注意義務をもつて、保管する義務があるのであるが、賃借建物を利用して店舗営業をなす賃借人もしくは転借人は、右義務に違反しない限度内で、店舗営業の必要に応じた、賃借建物の損傷の補修、必要な造作、改装をすることができると解するのが相当である。
今本件についてみると、すでに認定したとおり、転借人である訴外会社は、従来営んでいた電気工事の営業を他所ですることにして、本件建物では家庭電化製品の小売をなすべく、それにふさわしいようにしようとしたのが、本件工事であつて、それは、本件建物の柱や鴨居などを切つたりして本件建物自体に損傷を加えたものではないし、(A)の壁と天井にベニヤ板を張り通路を設けた工事は容易にベニヤ板をはがし、通路の板張りを撤去することによつて復元ができるものであり、(B)の床をコンクリート張りにした工事は、浸水防止のため必要な工事であつて、一部はすでに本件工事前からコンクリート張りになつていたのを補修したにすぎず、腐朽した板張りを除いた以上、本件建物の階下全部を店舗として使用するため最少限度必要な工事であつて、本件建物自体を損傷したものとはいえない。(C)の庇の工事についても、庇の腐朽が甚だしかつたので、これを取りのぞいたにすぎないから、これによつて、本件建物を損傷したとはいえない。(D)のガラス戸を取りのぞいて板張りにしたのも、ガラス戸と敷居がそのまま保存されてあるのであるから、これ又容易に復元できるわけである。
このように観てくると、訴外会社のした本件工事は、これだけでは、賃借物の保管義務に違反して賃借物を損傷したものとは認められないし、賃貸借の目的建物で、店舗営業をする賃借人もしくは転借人にとつて社会通念上、許された補修改装と認めるのが相当である。
そのことは、さきに認定したように、訴外会社が、昭和二八年三月頃本件建物の裏の空地を利用して増改築したため、控訴人と訴外会社の因幡弥太郎が連名で谷口作治郎に一札入れた事実があつても、何らの消長を来たすものではない。
以上の次第で、谷口作治郎がした無断改造を理由にした本件賃貸借契約解除は無効である。
(四) そうしてみると、控訴人の本件建物の占有は、賃借権にもとづく適法なものであるとしなければならない。
三、被控訴人ら主張の未払い賃料と賃料相当の損害金の支払い請求について。
(一) 被控訴人らは、昭和三二年一月一日から同年二月一五日まで一ヶ月金二、〇〇〇円の割合による賃料の支払いをしないと主張しているのに対し、控訴人はこのことを明らかに争わないから自白したものとみなす。
そうすると、控訴人は、被控訴人らに対し右期間の未払い賃料である金三、〇七一円を支払わなければならない(被控訴人らの相続分は、相等しく三分の一づつであるから、各自分はいずれも三分の一)。
(二) 被控訴人らは、控訴人に対し、同年二月一六日から明渡しずみまで、一月金二、〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払いを求めているが、谷口作治郎が控訴人に対してした本件建物の賃貸借契約の解除が無効であることは右に説示したとおりであるから、控訴人には、被控訴人らに賃料の支払義務はあつても賃料相当損害金を支払わなければならない義務はない。
四、以上の次第で、被控訴人らの本件請求は、未払い賃料の支払いを求める部分だけ正当であり、その余の請求は失当として棄却を免れない。したがつて、これと異なる原判決は、右の範囲で変更を免れない。
そこで、民訴三八六条、九六条、八九条九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長判事 平峯隆 判事 日高敏夫 古崎慶長)