大阪高等裁判所 昭和37年(う)1550号 判決 1962年12月10日
控訴人 検察官 片岡平太
被告人 桐山義仁
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金五千円に処する。
右罰金を完納することができないときは、五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
本件公訴事実中、日本刀一振の不法所持の点については、被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、本件記録に綴つてある大阪地方検察庁検事正代理次席検事片岡平太作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。
論旨は要するに原判決の法令の解釈適用の誤りを主張し、原判決は、本件公訴事実中「被告人は昭和三十六年六月二十三日頃、吉村嘉一郎より登録を受けた刃渡り約七十六センチメートルの日本刀一振を譲り受けたのにかかわらず、右登録の事務を行つた大阪府教育委員会に対し、すみやかに、その旨の届出をしなかつたものである」との銃砲刀剣類等所持取締法第十六条第一項違反の事実について、右法条中の「すみやかに」なる文言は、その内容があいまい不明確であつて、憲法第三十一条の趣旨に照らし、適用不能の無効な規定であるから、被告人にその刑責を問うことはできないとして、無罪の言渡をしたが、同判決は同法第十七条第一項の解釈適用を誤つたもので、破棄さるべきであるというのである。
よつて案ずるに、銃砲刀剣類等所持取締法(以下本法という)第十七条第一項には「登録を受けた銃砲又は刀剣類を譲り受け、若しくは相続し、又はこれらの貸付若しくは保管の委託をした者は、委員会規則で定める手続により、すみやかにその旨を文化財保護委員会に届け出なければならない。貸付又は保管の委託をしなくなつた場合においても、また同様とする」と規定されてあり、右規定に違反して届出をしなかつた者は同法第三十三条により六月以下の懲役又は一万円以下の罰金に処せられることとされている。そしてこの「すみやかに」の文言は、ひとり右条項のみならず、同法第七条第二項、第八条第二項、第九条第二項、第十六条、第二十三条においても見られ、且つ、いずれも罰則(同法第三十五条)によつてその履行が強制されており、他の刑罰法規、これを例えば、麻薬取締法第三十五条第一項、第五十条第一項、覚せい剤取締法第二十三条、第三十条の十二、あへん法第二十条、第二十五条第一項、軽犯罪法第一条第十八号、道路交通法第九十四条第一項その他多数の法令にもその例が見られるのである。右に明らかなように「すみやかに」という文言は本法第十七条第一項においてのみ用いられているものではなく、広く各法令において慣用されている法令用語であつて、そこには立法上の技術に基く定着した一定の約束と慣例が認められるのである。即ち「すみやかに」は、「直ちに」「遅滞なく」という用語とともに時間的即時性を表わすものとして用いられるが、これらは区別して用いられており、その即時性は、最も強いものが「直ちに」であり、ついで「すみやかに」、さらに「遅滞なく」の順に弱まつており、「遅滞なく」は正当な又は合理的な理由による遅滞は許容されるものと解されている。
ところで「すみやかに」というのは、「何日以内に」という数量的な観念とちがつて、価値判断を伴う用語であつて、その判断には解釈を必要とするのであるが、このことは「直ちに」「遅滞なく」についても同様であり、さらに広く法律用語の大部分についても共通の性格であつて、ひとり「すみやかに」の用語にのみ限られたものではない。一定の行為を命ずる場合に「何日以内」というような確定期限をもつてするか、或いは「直ちに」「すみやかに」というような定め方をするかは、その法令の立法趣旨、要求される行為の直接の目的、性質、方式等によつて合目的的合理的に考えらるべきであつて、作為又は不作為を命ずる場合に確定期限による定め方のみですべての場合に対処することは、複雑多岐にわたる社会生活事象に照らせば、現実に不可能、不適当であることは明らかである。従つて原判決が本法第十七条第一項は、同条項における「すみやかに」という用語が「何日以内」というような数量的観念とは異り主観性の強いもので、客観性が稀薄であり不明確であるから、同条違反に対する本法第三十三条の罰則は罪刑法定主義ひいては憲法第三十一条に違反して全面的に無効であり、その適用は拒否せらるべきであるとしているのは、法律解釈における方法を誤つたものといわねばならない。加うるに、法令用語としての「すみやかに」は前示のとおり法令上のみならず社会生活上においても定着した一定の内容を持つ観念であり、個々具体的の場合において、「すみやか」と「非すみやか」との限界にあるような事例については、勿論、原判決のいうように、現実的には「すみやか」であるか否かについて見解の分れる場合のあることは否めないけれども、その場合でも客観的にみて規範的に公正な判断は不可能ではなく、現実上限界上にある事例に対する見解が異なることがあるからといつて、全般的に「すみやか」であるか否かの公正な判断が社会生活上客観的妥当性を有するということは否定しえないところである。
原判決が右限界上にある事例に対する判断に相違の生ずる現実的可能性を過大視し、本法第十七条第一項違反についての同法第三十三条の罰則を、明確性を欠くものとして、全面的に無効であるとしたのは、この点においてその解釈を誤つているのである。ひるがえつて考えるに、本法はその第一条に明記してあるように、銃砲、刀剣類等の所持に関する危害予防上必要な規制を定めるものであつて、銃砲、刀剣類は原則としてその所持が禁止されているけれども、同法第十四条所定の登録を受けた銃砲刀剣類は、同法第二十一条の場合のほかは何人でもこれを所持することができることとされており、しかもその運搬が容易であるところから、これが転々することが考えられるので、その所在の把握が困難となることを慮つて、その移転の事実を早急且つ正確に把握するために同法第十七条第一項をもうけて、譲渡、相続その他所定の場合にその旨の届出を命じているものと考えられる。従つて右届出を命ずる法の趣旨からは、事情が許せばその日直ちにでも届出がなされることが望ましく、何らかの事情が存するとしても出来るだけ早く届出がなされなければならないと考えられるが、銃砲刀剣類を譲り受け、若しくは相続し、又はこれらの貸付若しくは保管の委託をした場合、その譲受等の事情、当該銃砲刀剣類の登録を行つた教育委員会とその譲受等のあつた場所との距離、交通の利便、届出に要する手続、その他譲受けなどした者の当時の特殊事情(例えば旅行先での譲受、譲受後の急病その他の事故など)等を考慮すると、あまねく各具体的事情に適応するような、すみやかな一定の期間を定めて何日以内とすることは極めて困難又は不可能であるのみならず、特に一定の確定期限を定めなければならない実質上又は手続上の必要もないようであり、かりに強いて確定期限を定めたとすると、直ちにでも届け出られる事情にある者もその期間中は届出を怠るということになりかねないし、反面、個々の事例によつてはその期間が不当に短か過ぎるという場合に生ずることも当然予想されるのである。以上のとおりであるから、本法第十七条第一項が「すみやかに」届け出なければならないとして、その期間について例えば同法第八条第三項におけるように「何日以内に」というような確定期限を附していないのは、それ相当の理由のあることであり、原判決のいうように日数をもつて期間を限らなかつたことを非難するのは当らない。以上の通りであるから、「すみやかに」という用語を用いて期間を限つてあるからといつて、同条項の規定の内容が不明確でありそれ故に同条項違反の本法第二十三条の罰則を全面的に無効であるとして、被告人が本件登録を受けた刀剣を譲り受けたのにかかわらず、その後、正当な事由なくして七ケ月以上を経過しても、なおその旨の届出をしなかつた事実を認めながら、右被告人の所為を無罪であるとした原判決は全く法令の解釈ひいてその適用を誤つたものといわねばならない。そしてその法令の解釈適用の誤りは判決に影響が及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百八十条により原判決を破棄し、同法第四百条但書により更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和三十六年六月二十三日頃、吉村嘉一郎から登録を受けた刃渡り約七十六センチメートルの日本刀一振(当裁判所昭和三七年押第四六八号の一)を譲り受けたが、かかる場合は、法令の定めるところにより、すみやかにその旨を文化財保護委員会の事務を行う都道府県の教育委員会に届け出なければならないのにかかわらず、正当な事由なく、それ以来昭和三十七年二月二十六日まで、右日本刀の登録の事務を行つた大阪府教育委員会に、その届出をせずに放置し、もつてすみやかに右届出をしなかつたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は銃砲刀剣類等所持取締法第十七条第一項(第二十条、第十九条第一項)、昭和三十七年四月五日法律第七十二号銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律附則第四項、同法律による改正前の銃砲刀剣類等所持取締法第三十三条、罰金等臨時措置法第二条に該当するから、所定刑中罰金刑を選択し、その罰金額の範囲内で被告人を罰金五千円に処し、右罰金を完納することができないときは刑法第十八条により五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
(無罪の部分について)
本件公訴事実中「被告人は法定の除外事由がないのに、昭和三十六年六月二十三日頃から昭和三十七年二月十六日頃までの間、大阪市港区五条通一丁目七番地桐山飯場二階の自宅において、刃渡り約七十六センチメートルの日本刀一振を所持したものである」との点については、右日本刀は正規の登録を受けているものであつて、その所持が罪とならないことは原判決が判示しているとおりである。従つて本件公訴事実中右日本刀不法所持の点については刑事訴訟法第三百三十六条前段により被告人に対し無罪の言渡をすることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塩田宇三郎 裁判官 竹沢喜代治 裁判官 野間礼二)