大阪高等裁判所 昭和37年(ネ)1181号 判決 1964年2月14日
控訴人 中岡幸太郎
右訴訟代理人弁護士 小野正一
被控訴人 赤土富栄
右訴訟代理人弁護士 島秀一
主文
原判決主文第一項(建物所有権確認)、第三項(反訴請求)に対する控訴を棄却する。
原判決主文中第二項を左のとおり変更する。
控訴人は被控訴人に対して金九八四円を支払え。
被控訴人のその余の金員支払請求並びに右建物明渡請求をいずれも棄却する。
訴訟費用(反訴に関する部分を含む)は第一、二審を通じてこれを三分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の各負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。
被控訴人の本訴請求を棄却する。反訴につき、大和高田市大字高田一七九二番地上木造瓦葺平家建二戸建居宅一棟建坪三六坪九勺が控訴人の所有であることを確認する。
訴訟費用は本訴、反訴を通じ第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は、
控訴代理人に於いて
「原判決は、疎開命令が発せられたことは被控訴人の認めるところであるが、右命令により直ちに被控訴人が本件家屋の所有権を失つたものと認め得る根拠なく、又被控訴人が本件建物疎開について補償金をうけたことを確認するに足りる資料がない旨判示して控訴人の主張をしりぞけた。しかしながら、戦時中ある地域、又はある建物に対する強制疎開命令は持主や占有者の反抗を許さない至上命令であつたこと、居住者が指定期日までに建物を取りこわさないときは兵隊がトラクターを持つて来て容赦なく引き倒しその他甚だしく強暴な方法でたたきつぶしたこと、取りこわし前に建物所有者と居住者に命令者の一方的決定による補償がなされたこと、取りこわした建物の木材等は単なる屑物として取捨てられ、土地は道路敷地又は広場として維持され、終戦後も元所有者に返還されなかつたこと、建物を取りこわし土地が空地となつても(又は建物、土地の補償金が支払われても)所有権消滅による抹消登記手続や所有権移転登記手続がなされるような事態でなかつたこと、終戦時に強制疎開のあと始末がなされず放置されたこと等はすべて公知の事実で、当事者の立証を要しないことである。即ち本件について云えば、被控訴人は既に本件建物疎開に伴う補償金の交付をうけていることは公知の事実というべく、又建物除却の指定期日が昭和二〇年八月一五日と定められていた本件建物については控訴人に於て同日迄に柱だけ残存する程度迄これを取りこわしていたことも反証を許さぬ厳然たる事実なのである。さればその後控訴人に於て復旧した本件家屋は原始的に控訴人の所有というべきで、被控訴人は建物の所有権登記が強制疎開前のまま残存することを奇貨として、甲第七号証の二の家賃領収証控などを勝手に作成して本件建物が被控訴人の所有であると主張して本訴請求に及んでいるものであつて、その失当であることは明白である。
仮りに、本件建物は控訴人に於て復旧しその所有権を取得したという主張が失当であるとしても、控訴人としては、昭和二〇年七月頃強制疎開命令を伝達しその後屡々取りこわしについて指示を与えていた警察官及び高田町役場吏員らから、同年八月一五日終戦の際、本件建物の残骸的物件(屑物とすることが決定し何人の所有にも属さないもの)をお前の自由にしたらよかろうと告げられたので、控訴人に於いては貰つたものとして修復し、それ以来所有の意思を以て何人からも異議なく平穏公然と住居として占有を継続してきたものである。即ち控訴人は所有の意思を以て平穏且公然に本件建物を占有し、その占有の始善意無過失であつたから、その占有を始めた昭和二〇年八月一五日から一〇年を経過した昭和三〇年八月一五日本件建物の所有権を時効により取得した。
以上、本件建物は控訴人の所有で被控訴人の所有でないから本件建物が被控訴人の所有であることを前提とする被控訴人の本訴請求は失当で、又被控訴人は控訴人の右建物所有権を否認するのでその確認を求めて反訴請求に及ぶものである。」
と述べ、
被控訴代理人に於て、原判決事実摘示にかかる本訴請求原因中原判決二枚目裏末行賃貸借契約がなかつたとしてもとある部分を賃貸借契約終了にもとずく明渡請求が理由がないならばと訂正し、
立証として≪省略≫
理由
被控訴人がその所有にかかる大和高田市大字高田一七九二番地上木造瓦葺平家二戸建居宅一棟三六坪〇九の内北側一戸を、従前控訴人の先代中岡久吉に賃貸していたこと、右中岡久吉が死亡し(死亡日が昭和二〇年一月一五日であることは控訴人の明かに争わぬところである。)控訴人が右賃借権を相続したこと、その後現在に至るまで引続きこれに居住していることは当事者間に争がないところ、被控訴人は第一次的には控訴人の賃料不払による賃貸借契約解除を理由として、第二次的には所有権にもとずき右家屋の明渡を求めるに対し、控訴人は右家屋については今次戦争中その両隣の家屋と共に、その各敷地を防火用広場とするため、昭和二〇年七月、取りこわし期日を同年八月一五日とする強制疎開命令が出され、被控訴人は右家屋所有権喪失に伴う補償金の交付をうけ(被控訴人はこれにより右所有権喪失)、而して控訴人は解体を条件として右家屋の下渡をうけ、昭和二〇年八月一五日迄に右家屋を柱だけ残存する程度に取りこわしてその所有権を取得したところ、昭和二〇年八月一五日戦争が終了し、その後控訴人に於いて資材を調達し日時をかけて漸く現状のように家屋を復旧したものであるから、現存家屋は控訴人の所有であると抗争する。
よつて、考察するに、右家屋につき今次戦争中強制疎開命令が出されたことは当事者間に争なく、≪証拠省略≫によると、右強制疎開命令の出されたのは昭和二〇年七月で右家屋除去の時期は同年八月一六日午前八時であつたことが認められる。右家屋除去の時期が同月一五日であつたという≪証拠省略≫は採用し難い。
右家屋のとりこわしは控訴人に於てこれを始めたことは当事者間に争のないところ、控訴人は昭和二〇年八月一五日当時右家屋を柱だけ残し一挙に主体を解体できる程度にとりこわしていたと主強し、≪証拠省略≫には、控訴人は昭和二〇年八月一五日現在、右家屋の天井板及び床板のとりのぞき、壁のとりこぼち(但し、隣家辻シカとの境の壁を除く)、裏側の屋根瓦全部のとりのぞき、表側の庇の取りおとしをなしていた旨の証言及び供述があるが、≪証拠省略≫によると、控訴人は右の当時右家屋の天井板、床板をとりはずし、裏側屋根瓦をとり除いていた程度であることが認められ、右認定に反し、それ以上にわたつて右家屋のとりこわしがなされたとする前記各証言及び供述は措信し難く、いわんや控訴人が右の当時その主張の程度まで右家屋をとりこわしていたと認めるに足る証拠はない。
そうすると、昭和二〇年八月一五日現在控訴人の一部とりこわしにかかわらず、右家屋は依然建物として存在したものというべきである。
ところで、本件の如き今次戦争中における建物強制疎開は旧防空法第五条の四又は六にもとずき防空用空地確保のため一定の要件を備えた建物を相当の補償の下に公権力を以て除去する公用収用処分で、収用の時期について別段の定めがなされれば格別、そうでないときは右命令に定められた建物除去の時期を以て国が当該建物所有権を取得するものと解すべく、従つて収用の時期について別段の定めのなされたことの明かでない本件に於ては国は右家屋除去の時期である昭和二〇年八月一六日午前八時に右家屋所有権を取得する筋合であるところ、その前日になされた我国のポツダム宣言受諾によつて右家屋の強制疎開命令はその目的の喪失により当然失効したものというべく、これにより、もはや国は右除去の時期に右家屋の所有権を取得するいわれはないというべきである。
控訴人は、被控訴人は右家屋の強制疎開に伴う補償金を受領してその所有権を失い、而して控訴人に於いて右家屋を解体することを条件として国よりその下渡をうけ、その後これを解体したものであるから、右家屋は控訴人の所有であると主張するが、当時建物の強制疎開をなすことは防空上の至上命令で、当該建物の所有者もしくは居住者に於て期日をまたず、それまでにその除去をなし、又そのとりこわし資材を活用することが望ましかつたので、建物強制疎開命令が出されたとき当該建物の所有者もしくは居住者に於て事実上当該建物をとりこわしにかかる例があり、本件に於ては所有者たる被控訴人に於て異議がなかつたので、居住者たる控訴人がそのとりこわし資材を活用することとなつて右家屋のとりこわしを始めたというに過ぎないものとみるべく、前記認定、説示のとおり右家屋は昭和二〇年八月一五日現在依然建物として存在し、その所有権は被控訴人にあり、国の所有ではなかつたから、法律上、事前に国が右家屋を控訴人に対し解体を条件として下渡しする権限はなく又その払下をしたとみるべきではない。又原審証人森田卯之松、中岡英子の各証言によると、被控訴人は昭和二〇年八月末か同年九月初頃補償金を受領したことが認められるが、右補償金の性質を明確にする資料なく(前記経過によると右家屋の一部とりこわしに対する損害補償として交付されたものと認めるのが相当と思料される。)被控訴人が右補償金を受領したことによつて、右家屋の所有権を喪失し、国が右所有権を取得したとみるべきではない。
ところで、控訴人は戦争終了後一部修復資材を自ら調達して右家屋を現状のとおり修復したことは弁論の全趣旨により明かであるが、これによつて右家屋所有権の権利主体に変動を来すものではなく、民法第二四二条第一項に則り右家屋所有権が依然被控訴人にあることに変りはない。
控訴人はその主張の事由により昭和二〇年八月一五日から一〇年の経過と共に右家屋所有権を時効取得したと主張し、而して控訴人が右の期間右家屋に居住してこれを占有したことは当事者間に争ないが、昭和二〇年八月一五日まで控訴人は右家屋の賃借人としてこれを占有し、而して強制疎開に伴う控訴人の右家屋の一部とりこわし及び修復にかかわらず終始右家屋の所有権は被控訴人にあるから、修復後の控訴人の右家屋の占有も賃借人としての占有である性質を失うものでないところ、控訴人は右家屋の強制疎開命令を伝達し、そのとりこわしを指示した警察官及び高田町役場からお前の自由にしたらよかろうと告げられたので右家屋の修復をなしたもので右家屋は自分の所有に帰したと信じたと主張するに止まり、被控訴人に対して右家屋を自己の所有として占有居住する旨の意思を表明したとの主張も又これを認めるに足りる証拠もないから賃借人としての他主占有が自主占有に変更したものと認め難く、かえつて原審証人村田藤作の証言によると、終戦後間もなく控訴人はその妻及び実弟村田藤作を介して被控訴人に対し右家屋の復旧資材の提供を求めたがことわられたことが認められる(原審証人村田藤作、同中岡英子の証言によると、被控訴人側に於ては、右拒否の事由として、その際、右家屋は控訴人所有にかかり被控訴人所有のものではない旨言明したというが、右証言部分は措信できない。尚原審証人辻シカ、原審及び当審証人藤田幸治郎並びに控訴人は、その尋問に於て、本件家屋は控訴人に於て修復後は自己の所有としてこれを占有し、賃料の支払をなしたこともなく、又被控訴人からも賃料の請求をうけたこともない旨供述し、而して被控訴人が賃料の請求をしなかつたと認むべきこと後記のとおりであるが、控訴人は一旦は被控訴人に対して家屋の復旧資材の提供を求めていること、被控訴人がこれを拒否したので控訴人が自ら資材を調達して復旧したこと又被控訴人も或種の補償金を受領したこと前記のとおりで、それ故に控訴人は賃料支払を心よしとせず、又被控訴人に於ても賃料請求を厳格にしなかつたに止まるものと解するのが相当で、このような状態を以て控訴人が爾後所有の意思を以て右家屋を占有することを明かにしたと断定することはできない)。また当審における控訴本人尋問の結果によれば、家を毀つて他の場所に持つて行けばやると巡査部長から伝達されたというのであつて、このような事実では本件土地上に建つたままの本件家屋につき控訴人がそれを所有の意思を以て占有し始めるについての新権原と認めるに足らず、仮りにそのように認められるとしても、叙上の事実関係のもとでは、善意とはいえないか或いは少くとも自己の所有であると信ずるにつき過失があるものと云うべきであるから、控訴人の時効取得の抗弁は採用できない。
そうすると、右家屋につき所有権確認を求める被控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべきであるが、控訴人の所有権確認を求める反訴請求は失当としてこれを棄却すべきである。(尚控訴人は控訴状に於て大和高田市大字高田一七九二番地上木造瓦葺平家二戸建居宅一棟建坪三六坪九勺全部の所有権確認を求める趣旨の記載をなしているが、弁論の全趣旨によると、右は右家屋の内北側一戸の所有権確認を求める趣旨であると認められる。もし、右一棟の内南側の建物の所有権確認をも求めるものであるとすれば、右南側の建物が控訴人の所有であると認むべき何等の証拠もないから、棄却を免れない。)
そこで、次に被控訴人の本件家屋の明渡並びに賃料、損害金請求について考察するに、本件家屋については昭和二〇年八月一五日以降も被控訴人と控訴人との間に賃貸借が存続したものというべきところ、被控訴人は昭和三三年三月二〇日控訴人に対して、昭和二五年八月一日以降の延滞賃料が合計一三万八五四一円あるとして、その支払を昭和三三年三月二五日迄になすべく、その支払がないときは右賃貸借契約を解除する旨の賃料の催告並びに停止条件付契約解除の意思表示をなしたこと、昭和二五年八月一日以降の本件家屋の統制賃料額が被控訴人主張のとおり(原判決添付目録記載の額)であること、控訴人が右の期間賃料の支払をせず又右催告にも応じなかつたことは当事者間に争がないが、約定賃料額は法令上その統制賃料額の算定基準の改定がなされると同時に当然に改定額のとおりに改定されるものではなく、特別の事情のない限り賃貸人に於てその改定の都度改定額によることを賃借人に告げて増額請求をして始めてそれ以後賃料額改定の効果が発生するものであると解すべきところ、本件家屋の賃料額は昭和二〇年八月一五日当時一月金九円五〇銭であつたが(被控訴人主張の右金額は控訴人の明かに争わないところである。)、被控訴人に於てその時以降の統制賃料額改定の都度控訴人に対してこれを告げてその請求をしたと認めるに足りる証拠はないから≪証拠の認否省略≫、原判決添付目録記載のとおりに本件家屋の賃料額が改定されたものとはなし難く、従つて右延滞賃料の催告額は著しく過大で右催告は無効である。
よつて、右解除の意思表示は無効で右賃貸借は現に存続しているものというべきであるから、右解除が有効になされたことを前提とする本件家屋の明渡並びに昭和三三年三月二六日以降の損害金の支払を求める被控訴人の請求も、又所有権にもとずく明渡請求も失当で、棄却を免れない。
そこで、昭和二四年八月一日以降昭和三三年三月二五日迄の間の延滞賃料請求部分について考察するに、控訴人がその間の賃料の支払をしていないこと並びにその間の統制賃料額が原判決添付目録記載のとおりであることは控訴人の認めるところであるが、被控訴人は昭和二〇年八月当時の賃料一月九円五〇銭を、その後昭和三三年三月二五日迄の間統制賃料額の改定に伴つてその都度逐次増額改定する通知をなしたと認めるに足りる証拠のないこと前記のとおりであるから、前記説示の理由により本件家屋の賃料額は尚一月金九円五〇銭の割合であると認めるの外はない。そうすると、右延滞賃料請求は昭和二四年八月一日以降昭和三三年三月二五日迄の間の一月金九円五〇銭の割合による金員合計九八四円(円以下切捨)の支払を求める限度で正当としてこれを認容すべく、その余は失当としてこれを棄却すべきである。
以上の判断と一致する限度で原判決は相当で、これと異る限度で原判決は相当でないから、民事訴訟法第三八四条、第三八六条に則りその限度でこれを変更すべく、訴訟費用の負担につき同法第九六条第九二条第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 宅間達彦 裁判官 増田幸次郎 井上三郎)