大阪高等裁判所 昭和37年(ラ)2号 決定 1962年9月15日
決 定
京都市上京区今小路通御前通西入紙屋川町八七四番地
再抗告人(原告)
本郷大槌
右代理人弁護士
猪野愈
京都市中京区油小路通四条上る藤本町五五三番地
相手方(被告)
今井フミ
京都市右京区宇多野福王子町八〇番地
相手方(被告)
上田茂
右同所
相手方(被告)
上田弘子
京都地方裁判所昭和三六年(ソ)第四号移送決定に対する即時抗告事件につき、同裁判所が昭和三六年一〇月一〇日なした抗告棄却の決定に対し、再抗告人から適法な再抗告の申立があつたので当裁判所は左のとおり決定する。
主文
本件再抗告を棄却する。
再抗告費用は再抗告人の負担とする。
理由
本件再抗告の趣旨並びに理由は別紙記載のとおりである。
よつて按ずるに、本件記録によると、右京簡易裁判所昭和三五年(ハ)第七八号土地所有権移転登記手続請求事件における再抗告人(原告)の請求は、再抗告人は、昭和三四年七月一三日相手方(被告)今井フミとの間に、同相手方所有の本件第一乃至第四の山林を、売買代金を金一三五万円とし、内金二〇万円は即時支払い残金一一五万円は同相手方において直ちに所有権移転登記申請手続の準備に着手し登記手続を完了すると引換えに支払うとの約定で売買契約を締結し、再抗告人は即日金一〇万円を同相手方に支払いその所有権を取得したが、右山林はいずれも同相手方がさきに前所有者(登記簿上いずれも現所有名義人)なる相手方上田弘子(被告、第一山林の単独所有者第三山林の四分の一の共有持分権者)、及び、相手方上田茂(被告、第二山林の単独所有者第四山林の二分の一の共有持分権者)からそれぞれこれを買受けその所有権を取得し、売買予約による所有権移転請求権保全の仮登記をしたのみで所有権移転の本登記を未だ経由していないのものである。よつて相手今井フミに代位して、相手方上田弘子に対し右第一及び第三の山林につき、相手方上田茂に対し右第二及び第四の山林につき、それぞれ相手方今井フミに対して売買による所有権移転登記手続を求め、さらに相手方今井フミに対し再抗告人から右売買残代金一一五万円の支払を受けると引換えに再抗告人に対して右第一乃至第四の山林につきそれぞれ売買による所有権移転登記手続を求めるというにあつて、要するに再抗告人が前記売買により右第一及び第二の山林の単独所有権を、第三及び第四の山林の共有持分権を取得したことを主張して自己にその所有権移転登記を請求するもので、その訴訟物は登記請求権である。しかして右登記請求権は登記権利者である再抗告人が、登記義務者である相手方等に対し登記の申請に協力すべきことを請求するもので、私法上の行為を要求するものであり、且つ、その権利は金銭に見積ることを得るものであるから財産権上の請求であることはいうまでもない。
ところで、民事訴訟法第二二条第一項によれば、事物管轄を定めるための訴訟の目的の価額即ち訴訟物の価額は、原告が訴を以て主張する利益によりこれを算定すべく、その利益の評価は客観的価値の標準により原告の主観的標準によるべきものでなく、反対給付に係る請求であつても、原告の主張する請求権の価額により、反対給付を差引いた差額によるべきものではないと解するのが相当であつて、また同法第二九条によりその価額は訴提起の時を標準として定められることはいうまでもない。
本件についてこれを観るに、再抗告人は、前記の如く順次売買により同人が本件第一乃至第四の山林の所有権を取得したと主張して、残代金一一五万円の支払いと引換えにその所有権移転登記を求めるものであるから、訴訟物たる右登記請求権の価額は、その目的である右第一乃至第四の山林の本訴提起(昭和三五年一一月二二日)当時の価額に準拠すべきものと解するのが相当である。
しかして所論の如く、訴訟物の価額算定については、昭和三一年一二月一二日民事甲第四一二号高等裁判所長官地方裁判所長あて最高裁判所民事局通知が発せられており、右通知によると、所有権移転登記請求権は目的たる物の価格により、目的たる物の価格は地方税法(昭和二五年法律第二二六号)第三四九条の規定による固定資産税の課税標準となる価格のあるものについてはその価格とし、その他のものについては取引価格とするとあるところ、右通知により訴訟物の価額算定の基準を定めたのは、右通知にあるとおり従来各裁判所における受付事務の取扱の分れていた実情にかんがみ参考資料として作成されたものであつて、右通知があつてから爾来今日迄右通知により訴訟物の価額算定について各庁の取扱が統一され、具体的事件について不当不合理な点が認められない限り事実上尊重せられ、各裁判所の受付執務の参考資料とされており、右通知が裁判所外部なる日本弁護士連合会及び各弁護士会にも公表され、且つ、日本弁護士連合会及び各弁護士会においても右基準について了承しておるものであり、又市販の六法全書に右通知が登載せられて一般国民にも公開されておるものであることは顕著な事実であるけれども、これにより右通知による訴訟物の価額算定基準そのものが慣習法として法的拘束力を有するものとは到底解することはできない。このことは右通知にも訴訟物の価額に争があるとき等の基準となるものではない旨付記されているところによつてもこれを理解することができる。
しかして、地方税法第三四九条の規定による固定資産税の課税標準価格は、所論の如く固定資産評価員又は固定資産評価補助員の調査に基き市町村長の決定するもので、不動産の適正な時価を決定するものとされるところであるが、右は固定資産課税台帳に登録せられた不動産に関する限り法律上唯一の適正な客観的価格であると断ずべきものではなく、訴訟物の価額算定につき個々具体的な場合に右課税標準価格がその不動産の時価と相違するとしてその価額について争われる場合においては、訴訟物の価額は事物管轄を定める前提要件となるもので、管轄の有無は裁判所が職権でこれを調査すべきもので職権を以て証拠調をなすこともできるものであるから、裁判所はその適正な時価を認定することを要するものであることは言を俟たないところである。
しかして、原審は挙示の調査による資料により、本件第一乃至第四の山林に関する再抗告人と相手方今井フミ間の売買価格は金一三五万円であること、再抗告人の買受目的は転売によつて利益を得んとするものでなく本件土地を宅地にして自己が使用する点にあつたこと、本件土地の立地条件が客観的にも右目的に適していること、右売買価格は再抗告人の特殊の感情や個人的事実をはなれて、一般人が再抗告人の立場におかれたとすれば右客観的な立地条件等をおりこんで附けたであろう価格である、と認定しているのであつて、以上認定事実は挙示の資料に照し首肯するに足り、右山林売買当時から本訴提起までの間に右山林の価格が低落したような特別の事情は認められないのであるから、右売買価格を以て本件第一乃至第四の山林の正当な客観的に妥当な取引価格であると認め、本件訴訟物たる右登記請求権の価額の基準となした原審の判断は正当であると認める。
してみると、本件は地方裁判所の事物管轄に属するものと認め本件移送決定を正当として抗告を棄却した原決定には何等違法の点はなく、論旨はすべて理由がない。
よつて本件再抗告を棄却し、再抗告費用につき民事訴訟法第四一四条第八九条第九五条を適用して主文のとおり決定する。
昭和三七年九月一五日
大阪高等裁判所第七民事部
裁判長裁判官 小野田 常太郎
裁判官 亀 井 左 取
裁判官 下 出 義 明
再抗告の趣旨
原決定を取消し右京簡易裁判所のなした移送決定はこれを取消す
被告のなしたる移送の申立は却下する旨の裁判を求める
再抗告の理由
一、原決定は「抗告人は、本件訴訟物の価額算定につき抗告人主張の前記局長通知――昭和三一年一二月一二日民事甲第四一二号高等裁判所長官、地方裁判所長あて最高裁判所民事局長通知――の適用があり、右によれば本件の訴額は本件不動産のいわゆる課税標準価格であると主張するが、右通知はその性質上法的拘束力をもつのではなく、只法的安定のため具体的事件についてその非合理性、不当性がみとめられない限り事実上尊重され、裁判所の受付執務の参考資料となるにすぎないものである。訴額の算定は終局においては裁判所がするものであるこというまでもない。……訴額は民事訴訟法第二二条、第二九条により算定すべきものであるこというをまたない。」と判示している。
成る程訴額については裁判所の職権調査事項であつて終局的には裁判所がその算定をすることになるとの判示は正にその通りであるが、決して裁判所の恣意、独善的判定にゆだねているものでないことは民事訴訟法第二二条、第二九条の規定の存することによつても充分明かである。
而して原決定は前記局長通知を以てその性質上法的拘束力をもつものでなく、……裁判所の受付執務の参考資料となるにすぎないと述べているが形式に堕した見解である。
即ち右局長通知は形式的には高等裁判所長官、地方裁判所長にあてた裁判所内部の執務の参考資料の如き形式をとつているが、右局長通知は裁判所外部である日本弁護士連合会及び各弁護士会にも公表され且つ日本弁護士連合会、各弁護士会においても右基準によることを了承しているものであるのみならず、市販の六法全書にも登載されて一般国民にも公開されており、且つ既に五年余に亘つて右局長通知に定める基準に従つて処理実施されて来ているのであるから、対外的、対世的にも法規範としての効力を有するに至つているものというべきである。即ち社会的に長期間に亘つて規範としての効果を及ぼして来たことにより慣習法としての法規範性を取得したものといわなければならない。
しかのみならず、右局長通知の定める訴額算定基準に関し、目的たる物の価格は、その物につき地方税法第三四九条の規定による固定資産税の課税標準となる価格(以下課税標準価格という)のあるものについては、その価格とするとの定めはつぎの地方税法の規定によつて実質的にその正当性が裏付けられているのである。
即ち、地方税法第三四一条によれば「価格とは適正な時価をいう」と規定し、同法第四〇九条において適正な時価の評価基準を示し、同法第四〇八条において市町村長は固定資産評価員又は固定資産評価補助員に……固定資産の状況を毎年少くとも一回実地に調査させねばならないと規定しているのである。かくして実地調査によつた上、同法第四〇九条の評価基準に基いて決定せられた適正な時価は同法第四一一条に基いて固定資産課税台帳に登録せられることとされているのである。従つて固定資産課税台帳に登録せられた不動産に関する限り法律上は唯一つ課税標準価格のみが適正な時価を示すものといわなければならないのである。
故に前記局長通知に定める同通知記載の基準は訴額に争いがあるとき等の基準となるものではない旨の断り書は前記の固定資産課税台帳に登録せられている不動産の価格そのものについては法律上全くその適用のないものという他なく従つて同通知の定める物の引渡請求権が所有権によるときは物の価格の二分の一、占有権に基くときは三分の一とか或いは所有権移転登記請求権は目的たる物の価格を訴額とするとかの基準についてのみ適用がありうるに過ぎないものと解する他ないのである。
而して本件の場合本訴被告が争つているのは本件不動産の価格そのものであつて、本件不動産は課税標準価格があるのであるから前記の理由からいつて訴額に争いがある場合に該当しないのである。
しかるに法規範としての対外的効力を生ずるに至つている前記局長通知の解釈を誤り訴額に争があると速断し右局長通知を適用せず、裁判所独自の見解で訴額を決定した原審の判断は決定に影響を及ぼすこと明かな法令の違背があると信ずる。
二、原決定は「地方税法による固定資産税の課税標準価格は、それぞは理念としては客観的価格によるべきものであるが、具体的にはそれぞれの行政目的のためにその評価を異にし、しかもこれらは取引社会における客観的相場以下に定められることが多いから、直ちにこれをもつて本件訴額の算定の基準にできない」と判示し、「本件訴訟物の価格は金一三五万円となる」と判示した。
(一) しかし乍ら前項記載の如く地方税法によれば課税標準価格こそは、固定資産課税台帳に登録ある不動産についての法律上唯一の適正な価格であると解さるべきであるのに原決定は地方税法の規定を無視したものか解釈を誤つたものか、こさら法律を無視した。課税標準価格は行政目的のためその評価を異にし、取引社会における客観的相場以下に定められることが多いとの判示は原審の独断であるし法律の無視である。地方税法の規定によれないというのであればその具体的根拠を法律的に理由ずけるべきであるのに慢然と直ちに課税標準価格をもつて本件訴額の算定の基準にできないというが如きは理由不備独断も著しい。原決定はすべて裁判官は……この憲法及び法律のみに拘束される旨の憲法第七六条第三項に違背している。
(二) 又本件不動産の価格は法律上課税標準価格のみが唯一の客観的価格であつて現実の取引価格は夫々多少とも主観的感情特殊事情を含むものであり特に本件土地の売買取引に当つては原告において審尋の際明瞭に数年先の附近の開発発展を見越した先物買いであり、又本件土地が景色がよいのにほれ込み自分の別荘を建てたいという主観的にどうしても手に入れたいとの願望もあつて取引価格を決めたものである旨陳述しているのにことさら主観的感情や特殊事情を無視して売買価格を正当なる客観的に妥当なる取引価格と認めるのが相当であると認定し、右取引価格が本件訴額の基準となると判示しているが、登記請求権の訴額が目的たる物の価格であるとの点も後述する通り法令の解釈を誤つたものと考えるものであるが、この点はさておき、課税標準価格(唯一の客観的価格を示すものである)を無視して慢然と取引価格を訴額算定の基礎として判断したのは民事訴訟法第二二条の解釈を誤り決定に影響を及ぼすこと明かな違法をおかしたものというべきである。
(三) 又前項記載の如く法律上は課税標準価格こそ本件不動産の客観的価格であつて訴額算定の基準にされるべきであるのに主観的感情、特殊事情に基き決せられた取引価格を以て訴額算定の基礎として判断せられたる為訴額が五五、五七五円から一、三五〇、〇〇〇円と判示され、その結果として高額の印紙の貼用が本訴維持のため要求されることとなるわけである。ところが原決定は地方税法の解釈を誤つたものであること前に詳説した通りであつて、その違法の結果原告は印紙代を負担せしめられるような結果となるので原決定はひいては財産権を保障した憲法第二九条にも違背するものというべきである。
三、次に原決定は本訴の訴訟物たる権利は所有権移転登記請求権であり、その価格の算定については大審院判例(大判大正八・一〇・九)が「その目的である不動産自体の価格による」と判示しているとし、これは原告が被告の右登記手続をするという意思表示を得ることによつてうける利益に一致すべく、登記を伴わない物権は無価値に等しいという取引通念に添つていることを実質的理由として判示している。
しかし乍ら前記判例は「登記請求権ノ価値アルハ不動産ヲ目的トスルカ為メナルヲ以テ其価額ハ目的タル不動産ノ価額ニ準拠スヘキモノト解スルヲ相当トス」と判示するに過ぎず何故に登記請求権が不動産を目的とする為であるから価値があるというべきなのか、又訴額が目的たる不動産の価額に準拠すべきものであるかの実質的な理由は述べていないのである。右判例は登記請求権について充分理論的な究明をすることなく物上請求権としての所有権移転登記請求権をのみ念頭において判断したものと推察される。ところで登記請求権は所有権に基き物上請求権と同種のものとして発生する場合、契約に基く発生の場合、登記簿の形式と実質とが一致しない場合登記制度上形式と実質とを一致せしむべき理想から発生する場合の三つの場合のあることは現時の通説である。而して不動産について登記請求権というものの発生する基礎があるのであるから不動産に関係することはいうまでもないだろうが、右の最後の不動産登記簿の制度の理想から登記請求権が発生する場合の如き登記請求権が目的不動産の所有権取得にのみ発生するといえるかどうか、従つて登記請求権の訴額を目的不動産の価格といつてしまつて妥当であるか疑わしい。
特に原決定の登記を伴わない物権は、無価値に等しい取引通念が存するとの判示が果して然るかは単に裁判所の独断にしか過ぎないという他ない。
(一) 民法は物権変動について意思主義をとつている。従つて所有権は意思表示のみによつて移転しているのであつて、登記は単に対抗要件であるに過ぎない、単なる対抗要件を取得することと所有権を取得することとは法律的にも一般取引通念からいつても随分意味が異るのである。然るにそれを訴額において同価値と評価すべき合理的な根拠は全くないといつてよい。もし物権変動に関して形式主義をとつているのならその合理性は首肯されうるであろうが。
(二) 又判例理論は実体的な権利の変動があればそれに応じた登記をするために登記をするために登記請求権を生ずるとの立場をとるところから不動産の買主は目的物を第三者に転売した後にも登記請求権を失わない(大判大正五年四月一日民六七四)としている。従つて目的たる不動産を現に所有しないものについても登記請求権は認められているのであるから、必ずしも「登記を伴わない物権は無価値に等しい」から、その無価値に等しい物権に「取引通念」上の価値を得るためにのみ登記請求権に基く訴が提起されるとは限らないのである。
(三) 従つて前記局長通知によらないという以上いわゆる対抗要件たる登記を得ることにより原告のうける客観的経済的利益は当然には登記を得ること即所有権取得ではない以上目的たる不動産の価格ということはあり得ず、裁判所において充分合理的に判断すべきであるから原決定の示す理由は不備という他なく又取引通念と称するものも独断にしか過ぎないので、結局原決定はこの点においても民事訴訟法第二二条の解釈を誤り、右誤りは決定に影響を及ぼしたこと明かな違法がある。
四、蛇足乍ら原決定は、元来事物管轄は常に訴訟要件として当然に裁判所の職権探知に服するものでありと述べているが、事物管轄の定めは専属管轄ではないから職権調査事項であつても職権探知に当然服すべき筋合のものではない。この点でも法令の解釈を誤つていうべきである。
五、以上の次第で原決定は到底取消を免れないものと信ずる。