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大阪高等裁判所 昭和39年(ネ)846号 判決 1966年1月20日

控訴人(被申請人) コクヨ株式会社

被控訴人(申請人) 田淵卓男

主文

原判決を取消す。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の仮処分申請を却下する。申請費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張、証拠の提出、援用、認否は、

控訴代理人において、控訴会社は昭和三七年二月一日をもつて従前の就業規則を改正実施したがその後同年四月一四日に至りコクヨ労働組合との間に本件ユニオンシヨツプ条項を含む労働協約を締結したものである、と述べ、

(疏明省略)

被控訴代理人において、控訴会社は昭和三二年五月一六日以降制定実施せられてきた就業規則を改正して昭和三七年四月三〇日所轄労働基準監督署にその届出をなしたが、控訴会社の発行にかかる右改正規則の冊子の記載によればその第七五条に「この就業規則は昭和三七年一一月一日より実施する」と明記せられているのである。

ところで一般に就業規則の成立時期については、使用者がその意思により就業規則として確定した時期をもつて有効に成立するものと解すべきであり、右確定の時期は当該就業規則自体の中にこれを明示するのが通例である。また使用者が就業規則の作成変更につき労働組合との協議を義務付けられている場合においても就業規則としての成立時期は必ずしも右協議の成立時期と一致しなければならないものではなく、右協議成立後合理的期間内において使用者の側で任意に一定の日時を定め得べきものと解せられるから、控訴会社における右改正就業規則の成立実施の期日はその自ら明示したところに従い昭和三七年一一月一日と認むべきである。これに対し控訴会社とコクヨ労働組合の間にユニオンシヨツプ条項を含む現行労働協約が締結されたのは昭和三七年四月一四日であるから、右就業規則の改正実施が右労働協約締結の後たることは一点の疑問の余地もないところである、と述べ(疎明省略)たほか、原判決事実記載と同一であるからこれを引用する。

理由

控訴人が肩書地に本店および今里工場を、大阪市東成区深江西之町に深江工場を、大阪府八尾市内に八尾工場を有し、従業員約二、〇〇〇名を使用して便箋、ノート、帳簿等文書用品の製造販売業を経営する株式会社であつて旧商号を株式会社黒田国光堂と称していたものであること(以下控訴会社または単に会社という)、被控訴人が昭和三〇年一〇月臨時工として控訴会社に雇われ昭和三一年一月二一日に本工に採用され、今里工場単式活版科、深江工場便箋活版科、今里工場凸版印刷科等の各職場に配置せられ印刷工として就労し、かつ前記のとおり本工に採用せられると同時に黒田国光堂労働組合(現在の名称はコクヨ労働組合、以下組合と略称する)に加入し、同組合において、深江工場における組合帳簿支部の執行委員、同支部長、中央委員、中央副執行委員長等組合役員を歴任した後昭和三六年二月から同年八月まで中央執行委員長の地位に在つたこと、組合は昭和三七年一一月一七日の組合大会と同月二〇日施行の組合員の一般投票をもつて被控訴人に対し組合より除名する処分を行なつたこと、ならびに会社が先に昭和三七年四月組合との間に締結した労働協約第五条所定のユニオンシヨツプ条項に基き同協約第二五条第四号を適用し被控訴人に対し同月二七日付をもつて解雇する旨の意思表示をなしたことは、いずれも当事者間に争がない。

被控訴人は本件解雇当時控訴会社の前記各事業場に施行せられていた就業規則は労働協約締結の後たる昭和三七年一一月一日に改正実施せられたものであり、その第一八条および第一九条に従業員の解雇事由を限定列挙しているが、右所定の解雇事由中には労働協約第五条のユニオンシヨツプ条項に相当する事項は含まれていないから、本件解雇は右の解雇事由に該当しない事由によつて行われたもので、就業規則の解雇制限条項に違反し無効であると主張し、原審は被控訴人の右主張を容れて本件仮処分申請を認容しているので、当裁判所もまずこの点について判断する。

一、本件解雇当時会社が制定してその事業場に現に実施していた就業規則の第一八条および第一九条において従業員の解雇もしくは懲戒解雇をなすにつきその基準たるべき解雇事由が制限的に定められていたこと、ならびに右限定せられた事由の中にいわゆるユニオンシヨツプ条項に該当する解雇事由の定めが存しなかつたことは控訴人において明らかに争わないので自白したものとみなすべきところ、各成立に争のない甲第五号証の一、二、乙第六号証、当審における証人中嶋直躬間所繁雄の各証言ならびに右証言によつて各成立の認められる乙第七号証の一ないし一八、同第八号証の一ないし一五、同第九号証、同第一一号証の一、二、同第一二号証および第一三号証、当審における証人中嶋直躬および間所繁雄の各証言を総合すれば、前記解雇当時に行われていた就業規則の制定実施に関するいきさつは、次のとおりであつたことが認められる、すなわち(1)控訴会社では昭和三二年五月一六日以来甲第五号証の二の旧就業規則を実施してきたのであるが、その後(イ)職制機構の変動による手続形式の変更にともない規定の文言形式を修正整理し、労働時間、従業員の異動社外出向、職場の配置転換、休日休暇、解雇等諸種の労働条件に関しより一層具体的な、もしくは細目的な規定を新設すること、(ロ)事実上既に行なわれている労務管理上の取扱例を成文化することによつて労働関係の明確化に資すること、ならびに(ハ)懲戒の一種として新たに停職を付加すること等を目的として旧規則の改正を企図し、右各事項につき会社側においてその改正試案を作成のうえ旧規則第七三条に従い組合に協議の申入れをなし、これに基き会社側の委員として当時の深江工場総務課長代理中嶋直躬、組合側委員として大東清人ほか四名をもつて構成する就業規則改正小委員会が設置せられて右改正案をこれに付議し、同委員会は昭和三六年一二月二八日を第一回として爾後昭和三七年二月一二日までの間前後六回に亘り会議を開いて協議を重ねた結果、旧規則には明記がなかつた一般解雇の基準につき現行規則(甲第五号証の二)の第一八条第一九条に該当する規定を新たに設けること、その他私事欠勤の場合の願い出に関する方式を定めた旧規則第三二条を現行規則の第三五条の如く改めることなどを含む就業規則の改正、ならびに右改正規則は二月一日にさかのぼつて実施することにつき妥結をみるに至つた。そこで会社は同年二月一三日旧規則中改正せられた条項全部につき改正後の全文を二枚四頁の紙片に複写し、一工場につき五、六部ずつ工場全体としては約三〇部を格別の期間の限定を付することなしに各工場の食堂、更衣室および出勤タイムカード置場付近設置の掲示板に吊して一般従業員の縦覧に供したほか、旧規則中改正にかかる事項に関し改正後の全文を列記し、各改正の趣旨を解説した謄写版刷り文書を作成して全工場の職長(職長、科長、課長および工場長)に配布し、これに基き右職制を通じてその所属従業員に改正の事実と内容を伝達解説せしめるなどして同年二月末頃までには会社として措るべき処置は一応尽して従業員一般に対する周知徹底をはかつた。(2)ところで、会社は右改正による就業規則の変更に関し所轄労働基準監督署に対する法定の届出手続を履むため小委員会終結後数日以内に前記改正にかかる規則の条文のみを摘記しこれに組合の改正に関する意見書を添えて所轄の東成労働基準監督署に提出したところ、就業規則の改正変更の届出については改正前の旧就業規則の全条項と改正せられた新規則の全条項を対照記載し、一読当該改正の要領を識別理解し得べき書面をもつて届出の手続をなすよう同署係官から指示せられ、会社提出の前記書類は不備として不受理の取扱とされた。そこで会社では早速右指示に添う新旧規則全文を対照表示した届書の作成に着手したのであるが、これより先同月八日付書面をもつて組合から会社に対し休日休暇に関する労働条件改訂要求の申出がなされ、右要求につき労使協議会による協議交渉が進行中であつて遠からず交渉が妥結するものと予測せられる状況に在つたので、右交渉によつて新しい協定が成立した上で就業規則中に休日休暇の項につき右協定内容を織り込んだものを新規則として労働基準監督署に変更届出をすべく前記対照表の作成は一時中止していたところ、同年三月七日に至り右交渉は妥結した。ところが同年三月に入つてから会社側としては業務運営の都合上従業員の二交替勤務制の採用の必要ありとして組合に対しその採用の適否に関する協議の申入れをなし、爾来労使協議会に付議して継続審議したが、若し組合が会社の提案を容れて二交替勤務制が実施せられることになれば、従業員の就労条件に著大な変更を生ずることになるので右交渉の終結を待つてその結果をも就業規則の改正内容に加え、叙上数次に亘る多様な改正変更全般につき一挙に法定の届出手続を完了するのが事務処理上簡便であるとしてなお暫く右交渉の妥結を待つたが、容易に妥結の運びに至らないため同年四月三〇日付をもつて、差しあたり前記の休日休暇に関する改正までを内容とする変更の届出を了し、次で同年五月二九日に至り二交替勤務制に関する交渉が妥結したので、就業規則の関連条項を右交渉結果の趣旨に添うよう改正して変更の届出をした。(3)かくて会社としては上記一連の改正に伴つて改正就業規則を印刷に付することになつたが、その後組合との間の一時金支給に関する交渉や新規採用者の入社試験など緊急処理を要する業務に追はれたため改正規則の印刷成文化が遅延し、同年九月末近くになつてようやくその印刷に着手し、同年一〇月中にこれが完了をみるに至つたものである。

以上の事実が認められ、他に右認定を覆えすに足りる反対証拠はない。

二、労働基準法第八九条には、使用者が就業規則を作成しまたはこれを変更した場合には当該行政官庁に届け出るべき旨が規定せられているけれども、右届出手続の履践は作成または変更にかかる就業規則の効力発生要件をなすものではなく、使用者においてその事業場の多数の労働者に共通な就業に関する規則を定めこれを就業規則として表示し従業員一般をしてその存在および内容を周知せしめ得るに足る相当な方法を講じた時は、その時において就業規則として妥当し関係当事者を一般的に拘束する効力を生ずるに至るものと解せられるところ、叙上認定の事実からすれば、本件解雇基準を定めた現行規定の部分は遅くとも昭和三七年二月末頃までには就業規則としての効力をもつて実施せられていたものと認められる。もつとも、前記甲第五号証の二によれば、改正せられた就業規則の成文には附則第七五条として、「この就業規則は昭和三七年一一月一日より実施する。」と記載せられていることが明かであるけれども、右は前示の変更内容を盛つた改正就業規則全文を新たに印刷する仕事を担当していた中嶋直躬が印刷着手に際し印刷完成の日時を同年一〇月末頃と予測した結果現実にその配布を実行する時期を勘案して、原稿に右の日付を独断記入したものにほかならないことが前示中嶋直躬の証言により認められるので、この一事をとらえて、改正就業規則の成立ないし実施が右の一一月一日であるとすることはできない。

三、さらに控訴会社と組合の間における前記労働協約の締結のいきさつについてみるに、

(1)  控訴会社とその労働組合との間においては労働協約(旧協約)が有効期間の満了により昭和二九年三月三一日限り失効して以来形式上は無協約状態が続いていたが、昭和三六年後半に至つて新協約を締結すべきことに労使間の意見一致をみるに至つたので、組合は同年一二月労働協約対策小委員会(以下小委員会という)を設置し、同月二八日を第一回として爾後継続的に会社側の委員と会合を重ね既存の旧協約の各条項を基本資料として参照しつつ新たに締結すべき協約内容の形成立案につき交渉討議をした結果昭和三七年一月二四日一応労使間に原則的了解が成立した。そこで組合側は小委員会において右了解内容に従つた小委員会案を作成してこれを一般組合員の討議にかけたうえその意向を斟酌しつつ組合中央執行委員会において検討審議して同年二月一九日中央執行委員会案(中執委案と略称する)を作成し、再び一般組合員の討議に付したうえ同年三月六日の中央執行委員会において右中執委案を組合の最終的成案として可決確定して会社に提示し、会社側の検討を経て同年四月一四日右中執委案どおりの内容による新労働協約の締結をみるに至つたのであつて、右協約にはその第五条において

「組合より除名された者は原則として解雇される。但し会社が解雇を不適当と認めた場合は解雇しないことがある。」

と規定するとともに、これをうけて第二五条(解雇)に、

「会社は次の各号の一に該当する場合のほかは、組合員を解雇しない。当該事項発生のときは、事前にこのことを組合に通告する。

一 懲戒審査委員会による解雇処分が決定したとき。

二 就業規則第一八条に該当したとき。

三 天災地変その他やむを得ない事由によるとき。

四 組合の除名によるとき。」

との規定が設けられた。

(2)  ところで新労働協約第二五条には、上記の如く組合員解雇事由の一つとして「就業規則第一八条第一号第二号に該当したとき」と定められているが、ここにいう「就業規則第一八条」とは甲第五号証の二の新就業規則第一八条を指すのであつて、右の条文が前記中執委において決定された昭和三七年三月六日当時には、右第一八条に関する部分はすでに新就業規則として発効するに至つていたので、労働協約の案文を作るに当つても右の新就業規則の条文に従つてこれを引用したものである。

以上の事実は、前記甲第五号証の一、二、各成立に争のない甲第六号証、乙第三および第五号証当審証人間所繁雄同中嶋直躬の各証言ならびに右間所繁雄の証言によつて成立を認められる乙第一〇号証等によつて疎明される。

四、かくして以上認定した事実関係からすれば、本件において当面問題となつているところの現行就業規則中の解雇基準に関する前記第一八条の規定部分の成立と、新労働協約の締結との関係は、前者が後者に先行しており、後者における解雇条項は前者の改正規定に従つて協定されたほか、新たにユニオンシヨツプに基く解雇事由が加えられたものと認めるのが相当である。

のみならず、ユニオンシヨツプ協定――従つて、それに基く解雇基準の設定――は、労働組合対使用者という集団的な関係の中において、どちらかといえば組合の組織維持のために結ばれるものであつて、本来使用者がその事業経営上だけの立場から一方的に定める就業規則とはおのずから定立の面を異にする。この意味で両者は直接には相関連するところがなく、いわばユニオンシヨツプ条項は就業規則の規定の枠外で認められる問題であるから、ユニオンシヨツプに基く解雇が就業規則に定められていない場合においても、就業規則の面でこれを制限したものとみるべきではあるまい。

そうすると、本件解雇当時に行われていた新就業規則は会社と組合との間に新労働協約が締結された後の昭和三七年一一月一日に成立実施をみるに至つたものであつて、控訴会社が右就業規則の解雇事由に労働協約第二五条第四号の解雇事由を掲げなかつたのは、ユニオンシヨツプ条項に基く従業員の解雇は行わないとの解雇制限を自ら設定したものであつて、本件解雇は右就業規則による自己制限に違反するものとして無効であるとの被控訴人の主張は、以上いずれの点からいつてもその理由がなく、これとほぼ同一の見解に基いて本件仮処分申請を認容した原判決は失当を免がれないところ、本件において被控訴人は他にも解雇無効の原因事実を主張しており、本件仮処分申請の当否を判断するためには他の無効原因の存否についてなお弁論をする必要がある。

よつて原判決を取消した上、民事訴訟法第三八九条により本件を第一審裁判所たる大阪地方裁判所に差戻すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小石寿夫 日野達蔵 松田延雄)

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