大阪高等裁判所 昭和39年(ラ)213号 決定 1965年4月22日
抗告人 田中文男(仮名)
相手方 野村清子(仮名)
利害関係人 田中きぬ子(仮名)
主文
一、原審判を取り消す。
二、本件を京都家庭裁判所に差し戻す。
理由
一、抗告人の本件抗告の趣旨と理由は別紙記載のとおりである。
二、当裁判所の判断
(一) 抗告理由第一点について
抗告人は、利害関係人田中きぬ子は被相続人から現金有価証券および家財道具類一切の贈与を受けたことによつて満足し、更に遺産に対し、自己の相続分を主張してその分割に与かる意思はなく、抗告人に対し昭和三六年七月一七日付の書面で、被相続人の遺産である本件不動産(京都市○○区○○○○○町二四番地一、宅地五六坪七合四勺、同所家屋番号同町二三番一、木造瓦葺二階建居宅一棟建坪一八坪六合外二階坪一三坪三合、附属木造瓦葺平家建浴室便所、建坪三坪六合)の持分を贈与する旨の意思表示をした。したがつて、利害関係人田中きぬ子には、遺産を分割する必要とその理由がないと主張しているので判断する。
利害関係人田中きぬ子には、抗告人が主張するような理由で、本件遺産分割に与かる意思がなく相続分を抗告人に譲渡したことを肯認することができる的確な資料は本件にはない。もつとも、利害関係人名義の証明書(甲第二号証)には「被相続人より相続分に等しい贈与を受けているので、被相続人の死亡による相続につきその受くべき相続分はない。」と記載のうえ、同利害関係人の署名押印があるが、同書面は、抗告人側の圧力によつて、やむをえず作成されたもので、必ずしも同利害関係人の真意に出たものといい難いことは、本件記録によつて明らかである。かりに、利害関係人において、生前贈与を受けたことを理由に相続分のないことを認めた事実があつたとしても、現在利害関係人が相続分のあることを主張し、これに副う遺産の分与を求めている以上裁判所は持戻し贈与にあたる生前贈与があつたかどうかを検討し、なければ法定相続分により分割を実施すべく、あればこれを斟酌して民法九〇三条の相続分を算定し、これに従つた分割をなすべきであることはいうまでもない。
そうして、抗告人が贈与書面であると主張している甲第一号証(手紙)は、前記甲第二号証、証人田中きぬ子の証言その他本件記録に現われた資料に照すとき、同利害関係人が、自己の本件不動産に対する持分あるいは相続分を認識した上、これを抗告人に書面で贈与する明確な意思のもとに、したためられたものと認めることは困難であり、むしろ同利害関係人が自己の身の振方をつけるため、本件家屋を立退くにさいし、抗告人に対しその管理を托するためにしたためた手紙であるとみるのが相当である。
ところで、本件記録によると、同利害関係人は、被相続人の死後預金約四〇万円、東洋レーヨン株式会社の株券一、〇〇〇株、日立製作所の株券一、二〇〇株のほか家財道具類を保管しているほか、遺族扶助料の支給を受けていることが認められる。原審は証人田中きぬ子の証言により被相続人の同利害関係人に対する持戻し贈与を否定したのであるが、右の預金有価証券が抗告人主張の如く相続財産であるのか、それとも同利害関係人の固有財産であるのかという点については審理が十分になされておらず、これを判定しうる証拠がない。また被相続人の遺した家財道具類のうちには、遺産分割の対象に適する客観的価値のあるものも存在すると思われるが、この点も明らかにされていない。
もつとも、本件遺産の分割につき、抗告人は「利害関係人を除外すれば遺産は本件の土地、家屋だけとすることに異議がない」と述べ、相手方野村清子も「遺産の範囲は本件土地家屋のみで異議がない」旨の陳述をしているが、利害関係人はこの点につき何ら意思を表明することなく、法律どおりの遺産分割を希望しているのであつて、右の如く相続人の一部に異議がないからといつて、遺産の範囲を確定せずに、異議のない部分についてのみ遺産の分割をすることは、原則として許されないものというべきである。けだし、遺産の分割は共有の分割と異り、民法九〇六条の分割基準に従つた綜合的分割でなければならないのはいうまでもなく、そのためには遺産の全範囲を確定しその全部を分割の対象とするのでなければ、右の趣旨に従つた分割の実を挙げることができないからである。もつとも遺産の範囲に争があり、民訴法上の判決による確定を相当とする場合等、やむをえない事情があり、しかも右分割基準の実現に著しい支障がないときは、遺産の一部の分割も許されないことはないが、本件では右のような特段の事情は窺われないのであるから、遺産の全部を勘案し、全部について分割を実施すべきであり、本件不動産のみを分割の対象としたのは失当である。
(二) 抗告理由第二点について
抗告人は、相手方野村清子は、被相続人から、生前学資の支給を受け、嫁入支度の贈与をえたと主張している。
本件記録によると、同相手方は、京都府立○○高等女学校高等科を卒業し、婚姻のさい被相続人より一通りの婚姻支度を受けていることが認められる。したがつて同相手方は、民法九〇三条にいうところの婚姻のための贈与を受けた特別受益者であるから、同条の相続分の算定に当つて、右贈与額は当然斟酌されねばならない。
なお、抗告人は、○○○大学に入学して一年間被相続人から学資の支給を受けたことが本件記録上明らかであるから、右生計の資本としての贈与であるかどうかを、被相続人の社会的地位、資力その他諸般の事情によつて検討し、これが肯定されるときは、前同様民法九〇三条の相続分の算定に斟酌すべきである。原審判はこの点についても、何ら考慮した形跡がなく、法定相続分によつて遺産の分割をしているのは、前同様失当である。
抗告人は、また、同相手方は、本件不動産を他に賃貸して利益を挙げていると主張している。
相続人は、相続財産を管理しなければならず、右管理行為によつて遺産分割時までに挙げ得た利益(ただし管理費用を差引いたもの)は、相続開始当時存在していた相続財産ではないが、遺産より産出されたものであるのと遺産の包括的な性格、民法九〇九条の趣旨よりして、これのみを分離して、共有分割の方法によらしめるのは適当ではなく、むしろ一般の遺産とともに、遺産分割の審判の対象になるものと解すべきである。
本件において、相手方野村清子が、昭和三六年九月から本件不動産を他に賃貸して収益を挙げていることは記録上明らかであるから、特別の事情なき限り右収益を遺産のうちに含めて分割すべきものといわなければならない。原審判はこれを看過した点においても失当である。
さらに抗告人は、抗告人が本件不動産を単独で所有することが、被相続人の生前の希望にそうと主張しているが、本件記録に顕われた資料を精査しても、右の事実は認め難い。
なお、抗告人は共有形態とする分割は相手方との感情対立を融和する所以でないと主張する。
原審は、抗告人に本件不動産を取得させ、その単独所有とするときは、抗告人にその相続分を超過する分を相手方、利害関係人らの共同相続人に支払わせなければならないが、抗告人には一時にその支払をする資力がなく、さりとて分割払の方法をとることは相手方の強く反対するところであり、分割を強行することは両者の感情対立を調整しその融和をはかる余地をなくするものであるとして、本件不動産を抗告人と相手方の共有とし、両者の相続分超過部分についての代償を利害関係人に支払うべき旨を命じたのであるが、本件不動産を抗告人と相手方の共有としただけで、遺産分割禁止の審判がないのであるから、抗告人あるいは相手方においていつでも民訴手続による共有の分割請求ができ、これによつて共有の分割が強行実施されるときは、両者の対立感情融和のために共有にした趣旨は達成されないし、また本件記録によるときは、両者の感情の疎隔対立は相当根強いものがあり、その融和の日は予測できない状態にあることが推認できるのであつて、かような状態では両者の協議による本件不動産の管理が円滑に行われることは期待できないし、とくに本件家屋は記録により認められる如く相当腐朽、破損し、修理に相当の費用を要するものと思われるし、また抗告人、相手方のいずれもが、遠隔の地に居住しているためその管理は容易なことではなく、これを換価処分するにしても両名の感情の対立が右の如くである以上合意が調わず、有利な処分の時期を失するおそれがあるのであつて、前記共有形態による分割は、後日の紛争の原因を遺すことになるだけで、所期の成果を収め難い懸念が多分にあるというべきである。もつとも記録によると相手方は本件不動産を現状のままにしておくこと、分割するにしても抗告人との共有のままにしておくことを希望しているようであるが(その理由は明らかでないが、抗告人の単独所有とすることに対する反撥心に由来するものと考えられる節がある)、記録によると本件不動産に対する相続人の愛着の念、その他の事由によりこれを他人に手渡すに忍びないものがあるとは考えられないし、相手方提出の証拠資料によると本件不動産の換価処分については被相続人も生前から反対の意向ではなかつたことが窺われるから、換価分割が一概に不適当であるとはいえない。とくに相手方の夫野村二郎には本件不動産を買取るに足る十分な資力があることが記録上認められるから、同人に売却しその代金を分割するという方法もとれないわけではないし、さらに本件不動産を相手方の単独所有とし、その相続分の超過分を抗告人および利害関係人に支払わせる方法も考えられる(相手方の支払は夫二郎の援助があればできないわけでないし、また記録によれば抗告人としても、開業に適しない京都における本件家屋を固執する要はなく、相手方より受ける代償金で他の適当な場所を選び開業した方が得策でないかと思われる)。そしてこれらの分割方法の方が、共有形態の分割よりも紛争の抜本的解決に資する所以であると思料されるのである。
そうであれば、他に特段の事情がない以上、原審が主として抗告人および相手方の両名の対立感情融和のために、抗告人と相手方の共有形態に移す遺産分割方法をとつたのは失当であるといわなければならない。
以上のとおりであつて、原審判は爾余の抗告理由についての判断をまつまでもなく取消を免れないから、本件を原審に差戻しさらに審理せしめるのを相当と認め、主文のとおり決定する。
(裁判長判事 金田宇佐夫 判事 日高敏夫 判事 山田忠治)
抗告理由<省略>