大判例

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大阪高等裁判所 昭和40年(う)2071号 判決 1966年3月25日

被告人 竹城正明

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三月に処する。

理由

本件控訴の趣意は大阪地方検察庁検察官検事ト部節夫作成の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

控訴趣意第一について

論旨は、原判決は、本件公訴事実中被告人が負傷者篠原徳一を救護しなかつたとの点につき、「道路交通法七二条一項前段が命じている救護の措置を必要としない状況が設定されてしまつた」との考えの下に被告人に対し無罪を言渡したのであるが、右は法令の解釈適用を誤り、ひいては重大な事実を誤認したものであるから、到底破棄を免れない、というのである。

そこでまず、本件救護義務違反の責任を論ずる前提として本件事故並にその直後の状況、被傷者篠原徳一の負傷の程度について検討を要するので、これらの点について案ずるに、原判決挙示の証拠(原判決の証拠の標目中「被告人の二月一五日付および四月一九日付各供述調書」とあるのを「被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書」と、「後藤定勝および加納昌子の各供述調書」とあるのを「後藤定勝及び加納昌子の司法警察職員に対する各供述調書」とそれぞれ訂正する。)のほか被告人の原審公判廷における供述を綜合すると、被告人は原判示第二の如く飲酒による仮眠状態に陥つたため道路左側を進行中の自車を右側に暴走させ、折柄対向してきた篠原徳一(当時二六年)運転の原付自転車前部に自車前部を衝突させ、同人を自転車諸共路上に転倒させたが、その際被告人は半ば無意識のうちにブレーキを踏み急停車したこと、一方路上に倒れた篠原は起き上ろうとしても右足首が痛くて立ち上れず、大声で被告人に自転車を起してくれるよう頼んだのであるが、被告人も自車が何かに当つたように感じ、声もするので、ふらふらしながら外に出て見ると、人と自転車が倒れており、初めて自分が衝突事故を起したことに気付き、篠原にいわれるままに自転車を起こそうとしたが起こすことができず、その内篠原は自力で立ち上つたこと、そして、同人は跛を引きながら被告人に対し「足が痛い」と告げたが、足のほうはせいぜい捻挫程度で、まさか切れているとは思つていなかつたので救護を求めることなく、被告人に対しては専ら壊れた自転車に対する修理費の請求をしていたこと、一方被告人は相手が跛を引いてはいるが、負傷したことをいわないので大した傷でないと思い、敢て傷のことについて尋ねることもせず、自転車の修理費さえ出せばよいとの考えから、自己の住所、氏名、電話番号等を印刷した名刺を同人に渡し「自分はこういう者だから、来てくれたらちやんとする」旨告げたこと、そこへ丁度通りかかつた田中一広なる男が被告人らの話を聞き「わしが仲へはいつてやるから話をつけよ」といつて仲介に入り、同人が倒れた自転車を起こし、篠原に対し怪我の有無を尋ねたところ、篠原は大したことはないと答えたこと、ところが警ら中の警察官横野正実が自転車に乗つて同所を通りかかつたのであるが、同人は二、三人の人が立ち話をしているので喧嘩でもあつたのではないかと思い、一〇メートル位離れた所から「何かあつたのか」と尋ねたところ、田中が「何でもない、大丈夫や」というし、別に交通事故があつた様子もないのでそのまま立ち去つたこと、そして篠原は、被告人が酔つているので被告人とは自転車の弁償の話し合いはできないと考え、被告人の会社に電話して責任者を呼んで話を進めようと思い、かつ田中も同意見であつたところから、道路向い側にある公衆電話から被告人の会社に電話すべく跛を引きながら道路を横断し電話ボツクスの所まで行つたところ、通行人の通報によつて丁度パトカーが事故現場に急行して来たので、被告人は自己の酩酊運転中における本件事故が警察官に発覚し逮捕されることを恐れ、自動車に乗つてその場から逃走したこと、そこで篠原はパトカーに告げて被告人を追跡してもらい、自分も又タクシーに乗つて被告人の跡を追つたが遂に見失い、途中で現場に引き返し、別のパトカーで附近の藤田病院に赴き診断を受けたところ、右下腿部に加療約二週間を要する挫創を受けていることが判り、同病院で同部を六針か七針程度縫い合わせてもらつたこと、及び篠原が路上に転倒してから電話をかけるまでに約一〇分間を要した事実を認めることができる。そして当審で取り調べた医師浜田裕幸の検察官に対する供述調書によると、同医師は藤田病院で篠原の診察、治療に当つた者であるが、来院当初同人は右下腿後面の足関節より約三センチメートル上の所に長さ約六センチメートル、深さアキレス腱に達する挫創を受けており、いわゆる軽傷の部類ではなく、受傷の日から一二日後である二月二六日に抜糸し、三月一日まで通院治療を受けたことが認められる。

ところで原判決は、負傷者篠原の年令、性別のほか、負傷の程度が直ちに事故現場での応急手当を必要とするほど火急のものでなく、応急の措置をとらなければならないほど負傷の程度が重いと見受けられるような挙動がなかつたこと、すなわち、篠原は被告人に対し救護を求めたことがなく、被告人以外の者に救護を求めようとすれば、たやすく求められる機会がいくらでもあつたのにこれを利用しようとする態度に出でず、又自ら負傷の程度を確かめようともせず、負傷のことはそつちのけにして単車の損壊についての弁償の話をつけることに専念しているなどの諸点を掲げ、道路交通法七二条一項前段が命じている救護の措置を必要としない情況が設定されたとして被告人に対し無罪を言渡しているのである。

成程同条一項前段は「車両等の交通事故による人の死傷又は物の損壊があつたときは、当該車両等の運転者その他の乗務員は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し云々」と定め、傷害の程度については何等規定していないのであるが、苟も被害者が自動車に衝突して路上に転倒した以上相当重い負傷をしているものと考えられるのが通常であるから、運転者たる者は直ちに停車して負傷の有無を確認し、もし負傷の事実が判明すれば、被傷者が救護の申出に対し、これを明示的に拒絶し、かつ、その負傷が社会通念上医師の治療等による救護の措置を必要としない程度の軽微なものであると明かに認められないかぎり被傷者の年令、性別及び負傷の程度如何に拘らず被傷者に対し必要な救護措置を採るべき義務があると解するのが相当である。従つて、本件において原判決が被傷者の年令、性別及び傷害の軽重如何によつて救護義務の有無を論ずるのは間違いであるし、被傷者が自ら負傷の程度を確かめなかつたとか、人的損害に対する話がなかつたとか、あるいは被傷者自ら又は被告人以外の第三者の助けをかりて救護の措置を採り得たかどうかは本条の義務を免れる理由とはならない。そして、前段認定の如く被告人は篠原が路上に転倒し、暫くの間起き上ることができず、起き上つてから跛を引いていることを現認したのに拘らず傷害の事実の有無や程度を確認したり救護の申出をしていないのみならず、同人の傷害の程度や同人が本件事故後パトカーによつて病院に運ばれている点から考え、もし被告人の申出があれば救護を拒絶するものとは到底認めることができないから、同人が事故現場において被告人に対し救護を求めなかつた事実があるからといつて、被告人の救護義務がなくなるものではない。

ところで被告人は前段認定の如く、自車を篠原の原付自動車に衝突させて同人を自転車諸共路上に転倒させ、その結果同人が跛を引きながら「足が痛い」といつていたことを認識していたのであるから、右事故により同人が負傷した事実について少くとも未必的な認識があつたことは明白であり、被告人はかかる認識を有しながら敢て同人に対し何等の救護措置を講じることなく逃走したのであるから、同条一項前段にいう救護義務違反の罪が成立することは当然である。

これと異なる見解の下に被告人に対し無罪を言渡した原判決は、畢竟同条に関する法令の解釈適用を誤り、ひいては事実を誤認したものであつて、この誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。そして右救護義務違反の罪と原判示各罪とは併合罪の関係にあり一個の刑を言渡すのが相当であるから、原判示各罪の量刑不当に関する論旨に対する判断を省略し刑事訴訟法三九七条第一項、三八〇条、三八二条により原判決全部を破棄し同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。

罪となるべき事実

原判示第二の事実中「同人にたいし約二週間の加療を要する」とあるを「同人に対し通院加療一六日間を要する」と訂正し、原判示第三以下を次のとおり変更するほか原判示各事実と同一であるから、これを引用する。

第三前記第二記載のとおり自動車を運転中、交通事故により篠原徳一に対し傷害を与えたのにかかわらず

(一)  負傷者篠原徳一を救護せず

(二)  事故直後現場を通りかかつた警察官やもよりの警察署の警察官に右事故発生の日時、場所等法令に定める事項を直ちに報告しなかつた

ものである。

証拠の標目<省略>

法令の適用

原判示第一、第二及び当審で認定した判示第三の(二)の事実につき原判示関係法条を適用し(選択刑も原判決と同様)当審認定の判示第三の(一)につき道路交通法七二条一項前段、一一七条を適用したうえ所定刑中懲役刑を選択し、原判示第一、第二及び当審認定の判示第三の(一)、(二)は併合罪であるから、刑法四五条前段、四七条、一〇条により重い判示第三の(一)の刑に同法四七条但書の制限内で併合加重をした刑期範囲内で被告人を懲役三月に処し、なお、情状について検討するに本件救護義務違反及び報告義務違反はさほど悪質な事犯とは認め難いが、本件事故は被告人の飲酒酩酊中の犯行にかかり、しかも過失の程度は極めて重いのに対し、被害者には全く責むべき点がないこと等に照らすと、被害者との間に示談が成立し被告人において治療費、自転車の修理費等五万六、〇〇〇円を被害者に支払つていること、その他有利な事情を十分考慮しても刑の執行を猶予すべき事案とは認められず、原審及び当審の訴訟費用負担免除につき刑事訴訟法一八一条一項但書を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 笠松義資 中田勝三 荒石利雄)

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