大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和40年(う)680号 判決 1965年12月03日

控訴人 被告人

被告人 鹿田洋三

検察官 岩本信正

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三〇、〇〇〇円に処する。

若し、右罰金を完納できないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人柏原武夫同松枝述良連名の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

論旨第一点事実誤認の主張について

所論は要するに、原判決は、被告人は運転者として常に進路前方左右を注視し、障碍物等の早期発見につとめ、安全を期して運転し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるに拘らず、これを怠たり漫然進行を続けた過失により、進路前方に居た坂本留吉(当七四年)を早期に発見せず、約二米に接近してこれに気付き、慌てて急停車の措置に出たが及ばず、車の前面を同人に衝突させて路上に転倒させ、脳底骨折の重傷を負わせて死亡させたと認定しているが、被告人は前方並びに左右に十分注意を払つていたものであり、被告人の右前方を進行していた三輪トラツクの陰から被害者が急に被告人の車の前に飛び出して来たため衝突したものであるから被告人に何ら過失なく、無罪であるというのである。

よつて案ずるに、被告人は搜査官に対してはもとより原審及び当審の公判廷においても、終始自己の運転する自動車の左前方(以下左、右は被告人の進行方向に向つての方角を指す)路上には視野を遮ぎる障碍物はなかつたが、右前方には、荷台を高く鉄板で囲んだ軽三輪自動車一台が進行していた旨の供述をしており、右の供述を措信できないとして排斥するに足る資料がないので、被告人の進路右前方には軽三輪自動車が走つていたものとして、被告人の過失の有無を論定しなければならない。そしてもし、被害者が左から右へ横断しようとしていたものであれば、被告人の視野を遮るものはなかつたのであるから被告人に前方注視義務を守らなかつた過失のあること明白であるが、右から左へ横断しようとしたものであれば、弁護人所論の死角の問題を考慮に入れて過失の有無を判定しなければならないのである。よつて被害者が、どの方向から被告人の面前を横断しようとしたものであるかを考察するに、当審及び原審で取調べたすべての証拠をし細に検討しても、被害者が左から右へ横断しようとしていたという事実は合理的な疑を残さない程度に証明されているとはいえないのであつて、被害者の死亡診断書の記載によれば、被害者が身体の左側に傷害(左頸骨腓骨開放性骨折、左下腿打撲傷)を受けている事実に徴し、弁護人主張の如く被害者は右から左へ道路を横断している途中被告人の運転する自動車に衝突したものと認定せざるを得ないのである。ところで、原判決は、被告人の右前方を進行していた軽三輪車があつたかどうか、被害者がどちらからどちらへ道路を横断しようとしていたかの二点については何ら触れることなく、ただ被告人は前方注視を怠り二米の至近距離に近づくまで被害者の存在に気づかなかつた点に過失があると判示しているのである。しかしながら、後記認定のとおり被告人の運転する自動車と右前方を進行する軽三輪車との前後の間隔が約一米に過ぎないのに、被告人が被告人の前方にいる被害者の存在に気付いたのが二米前であるとすれば、被害者は、先行三輪車の通過した直後その背後から出て来たとは到底考えられないのであつて、被害者は、先行軽三輪車の前を通つて、被告人の前に現われたとみなければならず、被害者は、七四才の老令であり、おそらく、軽三輪車の直ぐ後に被告人の自動車が進行していることに気付かず、軽三輪車のみに注意を奪われてその前方を横断し、被告人の前に現われたものと思われるのであつて、もし、そのように被害者が右から左へ道路を横断するため、被告人の前へ突如現われたとすれば、弁護人所論の如く、被告人が前方注視の義務を尽くしただけで本件衝突事故を避け得たかどうか重大な疑問がある。よつてこの点について考察を進めると、被告人の供述によれば、右前方を進行する軽三輪車との左右の間隔は約五〇糎で、前後の間隔は約一米程であつたというのである。(被告人及び鹿田勝己は検察官に対し、先行車との前後の間隔は五米位であつたと述べているが、被告人らは原審公判廷で右供述は真実を述べたものではないと強く訴えているので、間隔が五米位であつたという供述は措信しない。)ところで実況見分調書添付写真(記録五五丁五六丁裏)によると、被害者との衝突個所は自動車の中央よりやや左に寄つたところであると認められるから、被害者が右から出てきたとすれば、先行三輪車との左右の間隔五〇糎と被告人の車の幅の約二分の一強の距離(被告人の車の幅を約一米三〇として六五糎強)を被害者が左に進行した後に衝突したとみなければならない。そうすると被告人は被害者が先行軽三輪車の左端に現われたときから、ほんのわずかの時間にしろ被害者が右の距離を移動する間(すなわち被害者との間に先行三輪車の長さプラス一米プラス被告人の自動車の速度に被害者の動いた時間をかけた距離があつたことになる)これを見ることができた筈であり、被告人が約二米に接近するまで被害者に気付かなかつたというのは、一応前方注視を怠つていたとみてよいと思われるのであるが、そもそも、当時被害者がどれだけの速さで進行していたのかが不明であり、被告人が被害者を発見すると同時に急停車の措置をとつたとしても制動距離(被告人は時速三〇キロの速度で四、五米という)の関係から、衝突事故を防止し得たかどうかが不明なのである。すなわち当審及び原審に現われたすべての証拠を検討しても、前方注視を怠つたため本件事故が発生したとの心証を形成することができないのである。従つて、原判決が本件被害者の死亡の原因が被告人の前方注視義務を守らなかつた過失にあると認定したのは事実を誤認したものであるといわなければならない。しかしながら、事故現場は交通の激しい市街地であつて、左右に被告人の進行する道路と交差する横道が数本あり、附近に歩行者のための横断歩道が設けられていないため、歩行者は随時車馬の通行する合間を縫つて車道を横断しなければならない状況にあるので、かような箇所を進行する自動車の運転者は、道路を横断する歩行者のあることを当然予期しなければならず、前方を横断する歩行者があれば、これに衝突しないよう万全の措置をとつて進行する業務上の注意義務があるといわなければならない。本件について右注意義務の内容をさらに具体的に検討すると、先行軽三輪車との間に前示のようなわずか、一米の距離間隔を置いてしかも夜間で、前照燈を下げていたため前方の視界約一〇米という状態で時速三〇キロの速度をもつて進行することは弁護人所論のように右前方に死角を生じ、横断歩行者を発見すると同時に急制動をかけても制動距離の関係から衝突を免れない虞があり甚だ危険であるから、かような場合には先行三輪車の陰に横断歩行者がいれば、これを早期に発見することができるよう一旦減速して先行三輪車との間に相当な間隔(その距離を具体的にいえば、先行三輪車の通り過ぎた直後に道路を横断しようとして出て来た歩行者がいても、それを見て急停車をすれば衝突を防止し得る距離)を置いて進行するか又は前方の安全を確認した後道路の幅員を考慮に入れて先行三輪車と頭を並べて進行し、もつて死角を作らないよう自動車を運転すべきであつたといわなければならない。道路交通法七〇条が車輛等の運転者は、道路、交通及び当該車輛等の状況に応じ他人に危害を及ぼさないような速度と方法をもつて運転しなければならないと規定していることに徴し、自動車運転者に前説示のような注意義務を課しても、苛酷であるとは考えられない。被告人が前説示の如き注意義務を尽くしておれば、本件事故の発生を未然に防止し得たことが、きわめて明白であるから被告人はなお、業務上過失致死の責任を免れることはできないのである。従つて本件は被害者が死角からいきなり飛出したための事故で被告人には過失がないとの所論は到底採るを得ない。

ところで原判決には前示のような事実誤認があり、右の誤認は刑の量定にも影響を及ぼす重大な事実の誤認であり、判決に影響を及ぼすこと明らかであるから原判決は破棄を免れない。

よつて、弁護人の量刑不当の主張に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条に則つて原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は自動車運転者であるところ、昭和三八年一二月二〇日午後六時一〇分頃軽四輪自動車を運転し、京都市下京区五条通りを西進して新千本西入る附近にさしかかつた際被告人の右前方を走つていた軽三輪車との間に左右の間隔約五〇糎前後の間隔約一米を置いて時速三〇キロで追随していたのであるが、被告人の右前方は右自動車の陰になり見通しが不可能な状態にあつたところ、右道路附近は交通の頻繁な市街地で被告人の進行する道路に交差する南北の道路が何本もあり、しかも、歩行者のための横断歩道の設けもない箇所で歩行者は随時、車両の進行の合間を縫つて道路を横断しなければならない状況にあり、従つて自動車運転者たるものは、かかる道路を横断しようとする歩行者のあることを当然予期しなければならないから、先行三輪車の陰に横断歩行者がいれば、これを早期に発見することができるよう一旦減速して先行三輪車との間に相当な間隔(その距離を具体的にいえば、先行三輪車の通り過ぎた直後に道路を横断しようとして出て来た歩行者がいても、それを見て急停車すれば、衝突を防止し得る距離)を置いて進行するか、又は前方の安全を確認した後道路の幅員を考慮に入れて、先行三輪車と頭を並べて進行し、もつて死角を作らないよう自動車を運転すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、漫然、先行の三輪車に一米の間隔しか置かないで進行した過失により、右から左へ道路を横断しようとして先行三輪車の陰から出て来た坂本留吉(当七四年)を約二米の距離に接近して気付き、慌てて急停車の措置に出たが及ばず、車の前面を同人に衝突させて路上に転倒させ、脳底骨折の重傷を負わせ、因て翌年一月一日午後六時頃同市同区中堂寺庄ノ内町京都回生病院で死亡させたものである。

(証拠の標目)

一、被告人の司法警察職員及び検察官に対する各供述調書

一、原審第二回公判調書中の証人大槻章夫及び被告人の各供述記載

一、被告人の当公廷における供述

一、原審第三回公判調書中の証人鹿田克己の供述記載

一、実況見分調書二通

一、死亡診断書、及び死体見分調

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二条、三条一項一号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択して、被告人を罰金三〇、〇〇〇円に処し、右罰金を完納できないときは、同法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審及び当審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 畠山成伸 裁判官 松浦秀寿 裁判官 八木直道)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例