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大阪高等裁判所 昭和40年(ネ)1866号 判決 1970年1月28日

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。訴訟費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張、証拠の提出援用認否は、

控訴代理人において、

一、大橋章子は現時点において「強度の精神病にかかり、回復の見込がないとき」には該当しないこと当審証人奥西孫市の証言に徴して明らかである。

二、章子のかかつた精神病は早期において入院等の上適当の医療を受けしめるときは社会生活に支障なき程度に治癒することは近代精神病学者の訓えるところであるが、被控訴人は何ら手を尽さないのみならず、章子が茨木病院に入院中一度も見舞に来たこともなければ、入院料の支払もなさず、全然医療に協力しなかつた。ただ控訴人の代理人から療養費の請求をしたのに対して、章子が発病してから実に七年経過後の昭和四〇年四月五日に至り被控訴人の代理人が甲第四号証のとおり過去の療養費の分割支払を約したに止まる。しかし、被控訴人は吹田市内に六一・八八平方米の宅地を所有し、地上に立派な邸宅を新築居住し、相当の経済力を有するものであつて、右程度のことをしただけでは到底早期治療を要する精神分裂病者に対し分相応の誠意を披瀝したものということはできない。しかのみならず、章子の精神異常を誘発したのは実に被控訴人の行為に基づくものであるから、最高裁判所の判例(昭和三三年七月五日)の趣旨に徴しても、章子が不治の精神病にかかつたというだけでは直ちに被控訴人から離婚の請求をなすことは許されないものというべきである。

三、被控訴人主張の予備的請求原因事実は否認する。

章子が被控訴人の浮気が原因となつて精神分裂病を誘発せられたため異常な言動があつたとしても、被控訴人は章子に対し医療を受けさせて速かに治療させようと努力することなく、却つて病気の章子に対して暴行を加えて昭和三二年一二月末被控訴人家を追出したものである。すなわち章子は被控訴人の後妻となり継子を養育していたが、被控訴人は章子と結婚後間もなく新聞販売店の事務員(松田エイ子)を情婦として営業所に囲つて夜帰宅せぬことが多く、また同年八月頃章子が妊娠五ケ月にもなつた後無理矢理堕胎させたので章子が身体の調子が悪るいと被控訴人に訴えたところ、被控訴人は殴る蹴るの暴行を章子に加えて虐待し、遂に昭和三三年四月頃から精神病を誘発したものである。被控訴人が松田エイ子を情婦としたのは被控訴人が章子との離婚を決意したと自供する昭和三一年一〇月頃であると推測され、その後の被控訴人の章子に対する行動はどうして章子にいやがらせをして被控訴人方を追出すかということに集中されたものである。以上のように夫が妻をさし措いて他に情婦を持ち、それがもとで妻との婚姻関係の継続が困難になり、さらに妻の精神病まで誘発させたと推認すべき事情がある場合、夫の側から民法七七〇条一項五号によつて離婚を請求することは許されないものと解すべきである(昭和二七年二月一九日最高裁判所判決参照)。

と述べ、

被控訴代理人において、

一、章子の精神病は現在でも回復の見込のない強度のものである。民法七七〇条一項四号の「強度の」というのは同法七五二条にいわゆる協力義務が十分に果されない程度の精神障害を意味し、精神的死亡に達していることを要しないのであつて、その意味では精神分裂症の末期的症状から現在多少の軽快が見られるとしても、未だその程度は「強度のもの」であることは明らかである。当審証人奥西孫市の証言によつても、到底夫婦共同関係の本質的義務である協力義務を通常以下の程度にも果しうる状態ではないといわなければならない。

また回復の見込についても、同証人は、「最近の精神医薬の発達により思いがけなく好転した」との趣旨の証言をしているが、自主的に主婦としての生活ができる程度に回復する可能性は「絶対ないとはいえない」という位の見とおししか述べていないのであつて、その回復の程度も夫婦協力義務を十分に尽せるか否かのことについては明確でない。従つて発病後すでに五年を経過してなお右の程度の軽快しかない章子の場合、正常な協力義務を十分に果しうるまでに回復する見込はないものというべきである。

二、控訴人は、被控訴人が相当の資力を有しながら章子の医療について分相応の誠意を披瀝していないと主張して、被控訴人の離婚請求権を否定するが、被控訴人は読売新聞販売株式会社千里丘出張所の責任者として現在月給六三、三三三円(税込)を得ているが、長男秀夫、長女和子、次女昭子をかかえて生活に余裕なく、長男は父に預け養育を依頼している状況である。また控訴人主張の吹田市内の宅地建物は、従来被控訴人が賃借居住していた新聞販売店々舗に従業員を住込ませる必要が生じたので、知人より借金し、小規模の建売住宅を一五五万円で買受けたものであつて、控訴人の誇張するような邸宅ではない。被控訴人は毎月一万円宛右借金を返済しているが、未だ残金が一二〇万円以上あり、これが完済するまでは建物の所有権は留保されているのである。これに対し章子の離婚後の保護義務者である控訴人は従来より田地を約一町歩所有していたが、昭和三七年夏大阪府営住宅用地として一反二畝歩を売却したほか、大阪市近郊の宅地需要の急増による土地価格高騰の利益を受け、優に億を数える資産家であつて、章子の療養費の捻出に困難を来たすような経済力ではない。しかも、本件事案の経過に徴しても、控訴人の主張は信義に反するものであるといわなければならない。すなわち、本訴提起前の離婚調停の段階において、控訴人は章子の父の立場で、被控訴人に対し離婚の条件として金二五万円の支払を要求し、ほゞその線で調停がまとまりかゝつたが突然章子の精神異常による入院のため被控訴人はやむなく右調停の申立を取下げたのであつた。しかるに控訴人はこのいきさつを全く考慮に入れようとしないのである。次に控訴人は、その代理人渡辺弁護士を通じて被控訴人との間に療養費等の負担についての和解契約を締結し、右契約履行後は章子に関し一切の財産上の請求をしないことを約したにも拘らず、突如右和解成立後の原審弁論においてこれに不満を唱え、当審においてはもつぱら章子の療養費負担の帰属についての主張を繰返えすのである。しかも控訴人は右和解に基づく分割金をその後も異議なく受領しているのである。さらにこれに止まらず、当審においても、昭和四二年九月一四日、同年一〇月三日の各和解期日に裁判長関与のもとに控訴人およびその訴訟代理人との間に話合をした結果、(一)被控訴人は同年一〇月末日までに金五万円、同年一一月から向う五年間毎月一万円宛の金員を章子の療養費として控訴人に支払うこと、(二)被控訴人の負う右債務についてその父大橋正雄が保証人として履行を担保すること、(三)控訴人、被控訴人、右訴外人との間に右条項の公正証書を作成すること、(四)控訴人は被控訴人に対して前項のほか一切の財産上の請求をなさないこと、(五)控訴人は本件控訴を取下げることとする合意が当事者間に成立し、公正証書作成の期日も同年一〇月一二日と定められ、被控訴人は必要書類を整えて期日を待つていたところ、控訴人は右期日前に突如右合意を一方的に破棄してしまつたのである。以上のとおり被控訴人としてはできる限りの病者の今後の療養に対する誠意を示しても控訴人には通用しないものと考えるほかないのである。

三、仮に章子の精神分裂病が回復の見込がないとまでは認められないとしても、結婚後現在に至る期間の諸般のいきさつからして、明らかに被控訴人との婚姻生活は破綻が生じており、今後も右精神病の章子と円満に婚姻を継続することは到底期待し得ないから、被控訴人は予備的に民法七七〇条一項五号による離婚を請求する。

被控訴人が当初章子に対して離婚の意思を固めるに至つたのは昭和三二年八月頃のことであり、その原因は章子が被控訴人の新聞販売店営業に全く協力しないばかりか、先妻との間の子供や章子との間に出生した長女の監護に欠けるところが顕著で、このまま婚姻生活を維持することは営業および家庭の破壊につながる事態となつたからであり、すでに右時点において夫婦間の精神的連帯は破綻に瀕していたのであつた。そこで被控訴人は昭和三二年一二月一日大阪家庭裁判所に離婚調停を申立て、ほゞ協議離婚の線がまとまりかけた際章子が精神分裂病にかかつていることが判明したゝめ、調停が成立しなかつたのである。このように被控訴人が章子に対して離婚を請求せざるを得ないのは、もともと精神病を理由とするものでなく、日常の生活における章子の異常な言動による具体的な家庭破壊を理由としていたのである。その後の経過はすでに陳述したとおりであり、被控訴人章子との夫婦共同体が破壊してからすでに一〇年余の歳月を経て、もはや円満な婚姻生活を継続しうる見込が全くない事態となつている。

と述べた。

証拠(省略)

理由

一、文書の趣旨、方法により公務員が職務上作成したものと認められ、真正に成立したものと認める甲第一、二号証、証人赤沢敬之の証言(当審)により成立を認める甲第六号証、当審証人井出勝男、同大橋正雄、原審、当審証人吉川八重子(当審の分は第一、二回)の各証言、当審における控訴人、被控訴人各本人尋問の結果(被控訴人の当審における分は第一、二、三回)に弁論の全趣旨を綜合すると、

被控訴人と大橋(旧姓吉田)章子は、昭和二九年一二月一日訴外井出勝男の媒酌により結婚の式を挙げ、翌三〇年五月二一日婚姻の届出をして夫婦となり、同年一〇月一五日両名間に長女和子をまうけたこと、両名とも再婚で(被控訴人は、昭和二八年四月に先妻と死別、その間に昭和二四年一二月生れの長男秀夫があり、章子は被控訴人と結婚する一年半程前に訴外大川某と結婚したが未入籍のまま短期間で離婚)、結婚後約二年間は高槻市大字原の被控訴人の父大橋正雄のもとで同居し、被控訴人は吹田市千里丘で新聞販売店を経営していたので、そこへ通つていたが、昭和三二年一月一〇日頃先妻の子を被控訴人の父に預けて章子および長女和子とともに千里丘へ転居したこと、被控訴人らの夫婦仲は章子の性格が多少変つていたことや、章子が先妻の子に対し思いやりがなく、また実子に対する養育方法にも行届かない点があつたことや、被控訴人の帰宅が屡々遅くなり時々に泊つてくることもあつたりしたことなどが原因で、昭和三一年の半頃から次第に悪化し、被控訴人は章子に愛想をつかし離婚したいと考えるようになつたが、千里丘へ転居し生活の一新を計つたものの、章子が人嫌いで近所の人とも附合わず、店の従業員とも打ちとけず、また店の仕事に無関心で全くこれに協力しないという有様だつたので、被控訴人の離婚の気持は一層強くなり、章子に対し度々分れ話を持出し、実家へ帰えしたこともあつたが、章子の父である控訴人において受けつけず、直ぐ又追い返えして来たのでやむなくずるずる同棲を続けたが、ついに堪えられなくなつて昭和三二年一二月二一日大阪家庭裁判所へ離婚の調停を申立てるとともにその頃章子を実家へ帰えし(章子は直ぐには実家へ帰えらず一時行方不明であつたが、その信仰する京都の不動さんにいることが分つて翌三三年一月下旬控訴人方へ引取られた)、爾来別居状態に入つたこと、右調停は主として被控訴人の義兄松下弁護士と控訴人とが出頭して一〇回程行われ、被控訴人側から慰藉料名義で二五万円を出すことによつて離婚する話がほぼ纒り、調停成立に至らうとした矢先、昭和三三年四月八日章子が精神病にかかり茨木病院に入院したので、被控訴人はやむなく調停の申立を取下げたこと、なお章子は昭和三九年一月九日確定の審判により、大阪家庭裁判所で、心神喪失の常況に在る者として禁治産の宣告を受け、控訴人がその後見人に選任せられたことを認めることができ、

前記証人吉川八重子、井出勝男の証言および控訴本人尋問の結果中夫婦仲悪化の原因が被控訴人の浮気その他被控訴人側の責に帰せらるべき事由のみにあつたとなす部分その他前認定に反する部分は、前記証人大橋正雄の証言および被控訴本人尋問の結果に照らし採用し難い。

二、そこでまず被控訴人主張の主たる離婚原因(民法七七〇条一項四号該当事由)の有無について判断する。

前掲甲第二号証、同第六号証、原審、当審証人奥西孫市の証言によつて成立を認める甲第三号証、乙第九号証の一、二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第一号証、同第三号証、甲第一〇号証の一、二、右奥西証人、前記各証人の証言および当事者各本人尋問の結果(ただし証人吉川八重子の証言、控訴本人尋問の結果中左記認定に反する部分を除く)を綜合すると、章子は、被控訴人と結婚直後から日常生活において多少異常の行動があり(例へば必要もないのにぬれ雑巾で玄関の壁を拭いたり、釘の入つた灰を田圃へ撒いたり、未だ火のついた消炭や煉炭火鉢の灰を塵箱へ捨てて家人や近所の人を騒がせたりするようなことを平然と行つた)、また性格的にも非社交的、自閉的、自己中心的で、頑固な面があり、人との附合いを嫌い、近所の人と朝夕の挨拶すらろくろくしないばかりか、店の新聞配達従業員とも全く融合せず、その面倒を見ることを嫌い、夫の営業にも無関心で、家事以外のことは自分に関係がないと云つて店の仕事は殆んど手伝わず、まるで他人の事のように考えている風であり、また自己の所有物を絶対視し、被控訴人が章子の持物である整理ダンスの上に一寸煙草をおいても人の所有物の上に物をおいては困ると云つて取除けさせるという有様で、常人とは変つたところがあつたが、昭和三三年一月実家へ帰へつてから精神状態の異常が顕著となり、終日黙つて閉ぢ籠り、時々妄想的独語を発して変な素振りをするようになり、同年四月初頃からは妄想に基づいて鎌で硝子を割つたり、火鉢を投げたり、実姉を殺して了うと云つて出刃庖丁を持つて追かけ廻わしたりするようになつたので、同月八日茨木病院に入院せしめられた。医師は一応心因性精神病と診断したが、言葉に了解困難な点があり、空笑、頑固、拒絶的で、十分な病識を欠き、分裂病特有の冷たい、ひねくれた、頑固なニユアンスを有し、分裂病的色彩が濃厚であつた。しかし、同年五月二八日まで同病院に入院、治療を受けた結果比較的速かに可成りの疏通性が見られるようになつたので退院し、その後同年八月二九日まで同病院へ通院治療を受け、その他京都市北区雲ケ畑の岩尾山金光寺他一ケ所で治療を受けたほかは、実家でぶらぶら暮らし、時に農業の手伝いなどをすることもあつたが回復の兆しはなく、却つて段々症状が亢進して精神病院へ入院せしめるほかない状態となつたので、昭和三八年四月九日実父、実姉に附添われ、汚染した服装、蓬髪の姿で再び茨木病院に入院せしめられ、爾来今日に至るまで六年有余の間同病院に入院している。右入院時には著明な感情鈍麻がうかがわれ、入院後も無為、不感的(周囲の状況に無頓著)で、病識欠如し、基だしく頑固で諸種の治療を受けたが好転せず、同年一二月当時の状態では精神分裂病の末期状態に近い陳旧状態にあり、是非善悪を弁別する能力なく、またこの判断に従つて行動する能力なき状態にあるものと認められ、同月二四日心神喪失の常況にあるものとして禁治産の宣告がなされた。その後引続き入院治療の結果昭和四〇年三月頃には入院当時に比し可成り好転し、紙袋貼りをしたり、身の廻りのことも少しはできるようになり、行動も幾分早くなり冗談も少しは云うようになつたが、依然不感症で、融通がきかず、固いところがあつて人に命ぜられて単純な仕事はすることができても機転をきかして新しい事態に即応して行くことは困難な状態であつた。しかし、その後昭和四一年三月頃から可成り頑固さも減り、動きも柔かくなり、昭和四三年二月末当時の状態では、入院当時の希望の持てなかつた病状も可成り回復し、従来内にこもつて外のことに無関心であつた傾向が外の方へ相当関心が向いてくるようになり軽快(分裂病の欠陥寛解という状態)したが、なお感情鈍麻、挙動遅鈍、少し頑固な点が残り、他人の指示に従つて行動することはできても自分から積極的に判断して行動することはできない状態で、主治医の意見では退院までにはなお日時を要する見込であり、仮に退院しても生活方法のいかんにより再度入院の可能性が多分にあり、将来家庭の主婦として生活できる程度に回復できる可能性については絶対ないとは云えないがこれを予測することはできないというにあること、本件口頭弁論終結時(昭和四四年七月三一日)においてもなお同病院に入院中であること、

以上の事実を認めることができ、前記証人吉川八重子の証言および控訴本人尋問の結果中叙上の認定に反する部分は措信し難く、その余の控訴人の全立証をもつてするも右認定を左右するに足りない。

以上認定の事実によれば、章子のかかつている精神病はその性質上強度の精神病というべく、一時より可成り軽快しているとは云え、果して完全に回復するかどうか、また回復するとしてもその時期はいつになるか予測し難く、仮に近い将来一応退院できるとしても、通常の社会人として復帰し、一家の主婦としての任務に堪えられる程度にまで回復するかどうか、その見込は極めて乏しいものと認めざるを得ないから、章子は現在なお民法七七〇条一項四号にいわゆる強度の精神病にかかり、回復の見込がないものにあたると認めるのが相当である。

三、ところで控訴人は、章子の精神病は被控訴人が誘発したものであり、かつ早期に適切な医療方法を講ぜず、発病後も医療に協力せず、全く放任状態という不誠意極まる態度であるから、章子の精神病を理由に被控訴人から離婚の請求をなすことは許されない旨主張するので考えるに、前記証人吉川八重子の証言および控訴本人の供述中には、被控訴人が新聞販売店の女従業員を情婦として囲つたとか、章子に無理に妊娠中絶を強い、五ケ月の胎児を堕胎せしめ、そのため章子が健康を害うや殴る蹴るの暴行を加えて虐待し無理に追出したとなす部分があり、これらのことが章子の発病の原因となつたものであると同人らは主張するけれども、前記被控訴本人尋問の結果によれば、被控訴人が情婦を囲つた事実はなく、現在同棲している松田エイ子なる女性は、被控訴人と章子とが別居後日常生活上の不便と営業上の必要からやむを得ず内縁関係を結んだものであること、章子は昭和三二年八月頃妊娠中絶をしたが、これは被控訴人と章子とが相談の上将来のことを考えて章子の自由意思でなしたもので、被控訴人が強制して堕胎せしめたものではないこと、その後被控訴人が章子を殴つたことは数回あつたが、章子にも落度があつてその時々腹立ちまぎれにやつたことで追出さんがための虐待と目すべきようなものではなかつたことを認めることができ、夫婦仲が悪化し実家へ帰えされたことや、その他被控訴人の章子に対する言動が章子の発病に全く影響がなかつたとは断言できないが、被控訴人の有責的行為により章子の精神病が誘発されたと認むべき証拠はない。また控訴人は、被控訴人が章子に対する早期治療を怠り、入院後も治療費を支出せず、全く医療に協力しなかつたとしてその不誠意を非難するけれども、同棲中は章子に多少異常の言動があつたとしても未だ精神病の疑いがあるとして医師の診察、治療を受けしめる必要があると認められる程度にまで病状が表面化していたものとは認め難いから、同棲中に被控訴人が右措置をとらなかつたことを非難するのは無理であり、また別居後は前認定のとおり調停によつて慰藉料を支払う線で離婚話が進められ、控訴人側もこれに応じていたが成立の寸前で章子の発病入院のため中断したもので、その後正式に離婚こそ成立していないが、事実上離婚と同様の状態となつて推移していたものであるから、別居後被控訴人が医療に協力しなかつたからと云つて、直ちに正常な結婚状態が続いている場合と同様に考え、被控訴人の不誠意を問責するのはいかがなものと考えられる。また医療費の支出についても、前掲控訴人、被控訴人各本人尋問の結果によれば、章子の実家である控訴人方は被控訴人が支出しなければ章子の療養費に事欠くような資産状態であるとは到底認められず、一方被控訴人には十分な療養費を支出できる程に生活に余裕があつたものとは認め難い上に(控訴人は被控訴人の資力証明として乙第二、四、五号証、検乙第一号証の一、二、第二、三号証を提出し、控訴本人の供述を援用するけれども、甲第七、八、九号証、被控訴本人の供述と対比し、被控訴人が控訴人の主張するような資力を有するものとは認められず、唯近年になり業績の向上により以前に比し収益も多くなつたことが認められるにすぎない。)、前示のように章子の身柄は控訴人の方で引取り、金銭的解決による離婚の方向に一応進んでいたものであるから、被控訴人が直ちに療養費の支出に応じなかつたとしても甚だしく不誠意であるとは非難し難く、さらに本訴提起後ではあるが、双方代理人の間で、章子の過去の病気療養費の負担について示談交渉が行われ、昭和四〇年四月五日被控訴人において、章子が発病した昭和三三年四月六日以降の入院料、治療費および雑費として金三〇万円を分割払で支払う示談が成立し、即日一五万円の支払いがなされ、残額も昭和四一年一月末日までの間に約定どおり全部分割で支払われ、控訴人においても異議なくこれを受領したほか、本訴が当審に係属してから後も裁判所が試みた和解において、被控訴人は将来の療養費として自己の資力で可能な範囲の支払をなす意思があることを表明していることが、前掲乙第一号証、弁論の全趣旨により成立を認める甲第四号証、被控訴本人の供述(当審第一回)により成立を認める甲第五号証の一ないし七、原審、当審における被控訴本人の供述および弁論の全趣旨によつて認められるのであつて、被控訴人は章子の療養費の負担についても一応分相応の誠意を披瀝しているものと考えられる。弁論の全趣旨により成立を認める乙第一〇、一一号、原審、当審における控訴本人の供述によれば、章子は発病後の昭和三三年六月一三日被控訴人を相手方として大阪家庭裁判所に夫婦協力扶助の調停を申立てたが、調停が不調に終り、昭和三四年三月一七日審判に移行し、その後同事件は殆んど進行しないまま現在に至つていることが認められるけれども、前認定の被控訴人と章子との別居後における双方間の交渉経過に徴すると、右事件の進行しない責任を被控訴人の不誠意に基づくものと一概に云うことはできない。その他本件に現われた一切の事情を斟酌考量しても、前示章子の病状にかかわらず、被控訴人と章子との婚姻を継続せしめるのを相当と認めるに足らないから、被控訴人の民法七七〇条一項四号事由に基く離婚の請求は正当として認容すべきものと認める。

四、次に、被控訴人と章子との間の長女和子の親権者は、被控訴人が引続き同女を監護、養育している点(この点は弁論の全趣旨により明らかである。)、と前示章子の状態から見て、被控訴人と指定するのが相当である。

五、よつて以上と同旨の原判決は相当で、本件控訴は理由がないから棄却すべきものとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

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