大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和40年(行コ)35号 判決 1967年6月06日

控訴人(被告) 国・長田税務署長

訴訟代理人 叶和夫 外七名

被控訴人(原告) 川合治良

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は、控訴人らの負担とする。

事実

控訴人らは、原判決中控訴人らの敗訴部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決の事実摘示(ただし、被控訴人の請求原因第四項とこれに対する控訴人国の答弁を除く。)と同一であるから、これを引用する。

一、被控訴人の主張。

(一)、本件興行の主催者について。

(1)、入場税法にいわゆる主催者とは、臨時に興行場等を設け、又は興行場等をその経営者若しくは所有者から借り受けて催物を主催する者をいい、入場税法による納税義務者とは、興行場等の経営者又は主催者をいうのである。被控訴人は、昭和三〇年一月二八日から同月三〇日まで神戸市長田区西新開地国際劇場で行われた宝塚新芸座公演(以下本件興行という。)の主催者ではない。本件興行の企画立案、出演交渉、劇場の借入れ、諸経費の支出、公署への届出、収入金の帰属、入場者の招致等すべて訴外森崎有康(以下森崎という。)が単独でしていたのである。被控訴人は、自己名義で本件興行の主催申告をしたことはなく、催物の全般の事務の総括、監督や指揮をしたり、催物に対し実質上の支配的影響力を有していない。

(2)、主催申告等について。

入場税に関する興行場等主催申告書(乙第二号証)、官給入場券交付申請書(乙第四、五号証)、入場券発行承認申請書(乙第六号証)、入場券検印押なつ申請書(乙第八号証)は、いずれも昭和三〇年一月一七日に提出され、このうち興行場等主催申告書には、申告者として「新芸座後援会長代森崎有康」と、その余の書類には、「代森崎有康」と記載されているが、この「代」と記載ある部分は、すべて後日書き入れられたものである。なお、乙第二号証の住所氏名と甲第一号証の住所氏名とを対照すると、乙第二号証には、「代」の一字が余分にあるほか同一であり、甲第一号証、乙第二、三号証に記載されている申告者の住所は、いずれも森崎の住所である。また、昭和三〇年一月二九日付官給入場券交付申請書(乙第一一号証)には、申請人として明らかに「森崎有康」と記載されている。以上により明らかなように、本件興行の主催者として申告したのは、新芸座後援会長森崎有康であつて、上記各事実から被控訴人が本件興行の主催者であると認定することはできない。控訴人らは、乙第一号証の委任状により本件興行につき、森崎は、被控訴人の代理人にすぎないと主張するが、乙第一号証は、その日付の昭和三〇年一月一七日に提出されたものではなく、後日形をととのえるために、森崎が被控訴人には税金上の迷惑をかけたりその他の責任を負わすことは絶対にないから押印してくれとたのみ、被控訴人も乙第一号証の文面が「国際劇場にて行ふ新芸座公演に関しての税務の責任者は左記の者に致しました。」として「責任者森崎有康」と記載してあつて、税務についての被控訴人の事務の代行ではなく、あくまで被控訴人に税法上の責任はなく、この書面は、森崎が税金上の責任を負うことを記載したものと思い被控訴人が押印し、森崎がこれを控訴人長田税務署長に提出したのである。従つて、右委任状により被控訴人が森崎に対し本件興行に関する代理権を与えたことにはならない。およそ代理人によつてある行為をする場合には、誰が本人であり、誰が誰の代理人として行為をするかを明らかにすることを要する。本件興行の主催申告について考えると、若し被控訴人を主催者とするのであれば、乙第二号証の申告書に被控訴人の住所氏名を記載するのが本筋であり、これを簡略にしても少くとも被控訴人の氏名を記載した上代理人の氏名が記載されなければならない。代理における顕名主義について、代理人であることを明らかに示さなくても、すべての事情から判断してその趣旨が明らかであればよいとの考え方をとるとしても、乙第一号証の委任状は、「宝塚新芸座後援会会長河合治良」の委任状であつて、被控訴人川合治良の委任状ではない。

(3)、人格のない社団等の納税義務について。

人格のない社団等の納税義務については、現行国税徴収法はもちろん、本件興行が行われた当時の国税徴収法にも規定されていた。国税徴収法は、国税全般につき適用されるから、控訴人らとしては、本件興行の主催申告に当つては、納税義務者を確定するため、申告者すなわち主催者が誰であるか(法人か、人格のない社団等か、個人か)を明らかにさせねばならない。しかるに、本件興行の主催申告書(乙第二号証)には、森崎の住所と「新芸座後援会長代森崎有康」と、催物終了申告書(乙第三号証)には館名又は名称欄に「新芸座後援会」、申告者欄には、森崎の住所と「代森崎有康」と、官給入場券交付申請書(乙第四号証)には、申請者として、「代森崎有康」と、官給入場券交付申請書(乙第五号証)、特別入場券発行承認申請書(乙第六号証)、入場券検印押なつ申請書(乙第八号証)には、それぞれ館名又は名称欄に「新芸座」、申請者として「代森崎有康」と、官給入場券交付申請書(乙第一一号証)には、館名又は名称欄に「新芸座」、申請者として「森崎有康」と記載され押印されている。右書面を検討すれば、森崎が人格のない社団である新芸座後援会を主催者として、その代理人として各種の申請をしたものといわなければならない。

(二)、本件入場税賦課処分の重大かつ明白な瑕疵について。

本件入場税賦課処分は、既に詳述したように、主催者を誤認してしたものであることは明白であり、しかも、本件処分当時の前記各資料によつても、この誤認が外形上、客観的に明白であるから、無効である。

二、控訴人らの主張。

(一)、本件興行の主催者は、被控訴人である。

入場税の納税義務者たる主催者とは、名義の如何を問わず実質上の所得者を納税義務者とする所得税法、法人税法等の納税義務者と異なり、自己の名義で主催申告をし、催物の全般の事務を統括、監督、指揮し、催物に対し実質上の支配的影響力を有する者をいうのである。この意味における主催者を決定するにつき、収支の帰属は一つの要素とはなるが、これのみにより主催者を定めることはできない。本件興行は、西神戸商店会の理事長たる被控訴人が右商店会を背景とした自己の信用により、自己の名義で主催申告し、開催に関する事務の全般を監督し、具体的な計画の遂行をその道に練達な森崎に全面的に委任する形で行われたのである。本件興行は、最初西神戸商店会なる任意組合が主催してはどうかとの話が出たが、同会の理事会では主催せぬこととなり、昭和三〇年一月になり八雲食堂で会合が開かれ、宝塚新芸座後援会を作り訴外野瀬が会長、訴外磯部が副会長となり、右後援会が本件興行を主催することとなつたが、被控訴人も右会合に出席した。その後神戸新聞社から右会長、副会長では政治的に利用される危険があるとの理由で右両名の辞退を求めたので、右両名は辞退した。本件興行を発案した森崎は、昭和三〇年一月一七日被控訴人に対し右後援会会長となることを求め、被控訴人は、これを承諾した。右後援会は、人的構成、経済的基礎等の実体を欠くものであるから、右会長の名称を使用することを認めた被控訴人の別名にすぎない。被控訴人は、本件興行が開催される以前に乙姫旅館で関係者が会合した際、宝塚新芸座及び国際劇場の関係者に主催者としての挨拶をしているし、控訴人長田税務署長に対し開催申告を提出する以前に森崎及び国際劇場の支配人らを伴つて税務署長に対し主催者としての挨拶をしている。森崎は、前記商店会の一室を借う受けて「映画通信」を発行し、右商店会の宣伝、広告を担当し、その対価として給料ともいうべき月額金三五、〇〇〇円を受領していた者である。従つて、森崎は、右商店会の事務員ではなかつたが、それに類似する立場にあり、被控訴人からみれば森崎は商店会の使用人と同視すべき人物であり、本件興行を主催するような資力も信用もなかつたのである。被控訴人主張の乙号各証、甲第一号証の記載は、不備、不明確であることのそしりを免れないが、当時入場税が国税に移管されて間もない際で取扱いに不慣れであつたことが原因であつて、これにより主催者が定まらないとか別人であるということにはならない。当時においても、右の表示だけで乙第一号証の委任状と相まつて、被控訴人が主催者であることが特定されていたのである。森崎は、被控訴人の委任により本件興行の企画をし、宝塚新芸座との出演交渉、劇場の借入れその他の法律行為ないし事実行為をしたのであつて、自己名義でしたのではなく、本件興行については、常に被控訴人の監督下にあつたのである。

(二)、仮に、本件興行の主催者が被控訴人でなく、森崎であつたとしても、本件課税処分は、無効ではない。行政処分たる課税処分が無効であるためには、処分要件の存在を肯定する処分庁の認定に重大、明白な瑕疵があることを要する。そして、右瑕疵が明白であるとは、処分の外形上、客観的に誤認が一見看取し得るものであるかどうかにより決すべきである。本件につきこれをみるに、控訴人長田税務署長は、終始被控訴人を本件興行の主催者と考え事務を処理したのである。すなわち、本件興行は、既に述べたような経過で開催されたもので、森崎が昭和三〇年一月一〇日ないし一四日の間に右控訴人方に来て担当係員に右開催の経緯と被控訴人が宝塚新芸座後援会名義で右興行を行うものであることを述べ、税務の手続の相談をしたので、担当係官は、乙第一号証の委任状と所定の書類(乙第二、第四ないし第六号証、第八号証等)の提出方を教示した。同月一七日新芸座後援会長名義で主催申告書(乙第二号証)が提出されたので、右担当係員は、主催者が実体のない右後援会ではなく、被控訴人であることが判然としていたので、これを受理し、乙第四ないし第六号証、第八号証等には名義が単に「代森崎有康」となつていたが、これだけで本人が誰であるか明らかであつたので、これを受理した。しかるに、主催者を明確にする書類ですでに森崎に指示していた委任状(乙第一号証)の提出が同時になされなかつたので、担当係官がその提出を促したところ、森崎は、同日中か翌日頃までに右委任状を提出した。右委任状に受付日付印のないのは、提出の際の手違によるものであり、その他の各書類に「代森崎有康」の「代」は、後日記入されたものではなく、提出当初から記入されていたものである。乙第一号証の委任状の被控訴人名下の印影は、被控訴人が自ら押印したものであり、押印時にはすでにその文面の記載がなされていた。右委任状は、税務の責任者を森崎にするというものであつて、これが税務に関する手続を森崎に委任するという趣旨であることは明らかである。本件興行が開催されるまでの経過、前記各書類等から控訴人長田税務署長が被控訴人を右興行の主催者と認定し、本件課税処分をしたことは相当であつて、右処分に重大かつ明白な瑕疵があるということはできない。

三、証拠の関係<省略>

理由

一、本件興行が昭和三〇年一月二八日から同月三〇日まで神戸市長田区西新開地国際劇場で行われたこと、控訴人長田税務署長が被控訴人に対し同年三月右興行についての入場税(以下本件入場税という。)金二七六、三四〇円を納期限同月末日と定めて賦課し、ついで同年一一月一〇日被控訴人が右入場税残額金二二六、三四〇円とその他の国税を滞納したとして、被控訴人所有の原判決添付目録記載の不動産(以下本件不動産という。)につき滞納処分による差押をなし、同月一四日神戸地方法務局兵庫出張所受付第一八、五一〇号で大蔵省のためその旨の登記がなされたことは、当事者間に争いがない。

二、入場税法によると、興行場等の経営者又は主催者は、興行場等への入場者から領収する入場料金について、入場税を納める義務があると定められているところ、被控訴人は、被控訴人個人が本件興行の主催者ではないと主張し、控訴人らは、被控訴人がその主催者であると主張するので、まず、この点につき判断する。

成立に争いのない甲第一号証、同第四号証、同第五号証の一、二、同第九号証、乙第一号証、同第七号証、同第一一号証、同第一四号証の一ないし三、同第一五号証、「代」の字を除き成立に争いがなく、原審及び当審証人森崎有康の証言(原審は第一、二回)により「代」の字も作成名義人森崎の記入したものと認められる乙第二ないし第六号証、同第八号証、原審証人磯部清一、同嵯峨山金二、同川合一江、当審証人山下秀行、同堤誠二の各証言、原審及び当審証人森崎有康(原審は第一、二回)、同小林登、原審証人佐伯正、同榎原忠、同平島新吉、同木村雄郷の各証言の一部(後記信用しない部分を除く。)、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  森崎は、本件興行の行われた当時以前から当時被控訴人が理事長であつた協同組合西神戸商店会の事務所の一部を借り受けて「映画通信」という新聞の発行、各種宣伝等を業としていた者で、右商店会の宣伝等をし、その対価として毎月金三五、〇〇〇円を得ていたが、右商店会の従業員でも事務員でもなかつた。被控訴人は、肩書住所で洋品雑貨商を営み、昭和二七年頃から昭和三六年頃まで右商店会の理事長の職にあつた者である。

(二)、森崎は、昭和二九年一〇月か一一月頃宝塚新芸座を招いて公演をすることを企画し、その頃二回か三回に右新芸座の専務理事堤誠二に会つて出張公演の契約の交渉をしたが、森崎個人名義では右出張公演契約をすることが困難であるので、西神戸商店会主催名義で開催する旨申し向け、本件興行の契約をした。その頃はまだ右商店会と右興行につき話会をしていなかつたので、森崎は、右商店会の理事長であつた被控訴人に右興行をしてはどうかと申し入れたので、被控訴人は、同年一二月頃右商店会の役員にはかつたところ、右商店会としては主催者として本件興行を開催することは、商店会の目的にそわないことを理由に開催せぬことと決定した。そこで、森崎は、宝塚新芸座後援会名義で本件興行をしようと考え、神戸新聞社にも後援を依頼し、当時兵庫県会議員であつた野瀬善三郎に右後援会長、神戸市会議員であつた磯部清一に同副会長になつてもらうことを依頼し、八雲食堂に森崎、野瀬善三郎、磯部清一、神戸新聞社の社員木村雄郷らが会合し話し合つた結果、野瀬善三郎は会長に、磯部清一は同副会長になることを承諾する意向を持つていたが、その頃地方選挙が迫つていたので、神戸新聞社が政治的に利用されることを嫌つて反対したため、右両名が右のように会長又は副会長となり、宝塚新芸座後援会を結成することの企ては実現しなかつた。被控訴人は、右会合には出席せず、右後援会のことは当時知らなかつた。

(三)、森崎は、前記のように前記後援会が結成されていなかつたが、宝塚新芸座との契約の期日も迫つたので、昭和三〇年一月一〇日過に所轄の長田税務署に右後援会名義で本件興行をするにつきその手続の指示を受けに行き、担当の係長小林登に右後援会が実体のないものであること(この点控訴人らの自認するところである。)を説明したところ、同人は、森崎名義で興行することに難色を示し、他の者の名義の方がよいと指示した。被控訴人は、本件興行前に森崎とともに右興行に関し右税務署に出頭したり、係官に自分が主催者として本件興行を開催するといつたことはない。森崎は、同月一七日控訴人長田税務署長に対し、申告者を「長田区駒ケ林四の二六二、新芸座後援会長森崎有康とした入場税に関する興行場等主催申告書(乙第二号証)、森崎名義の官給入場券交付申請書(乙第四号証と乙第五号証)、同特別入場券発行承認申請書(乙第六号証)、入場券検印押なつ申請書(乙第八号証)を提出し、同日受理されたが、その際担当係長小林登から森崎名義ではいけないから前記後援会長の委任状を提出するよう指示された。そこで、森崎は、同日夜被控訴人方に行き被控訴人に対し、「私が興行をするのであるが、入場税に関しては私に責任があるのであるから、あなたには何も責任がないので、これに印を押してもらいたい。」と依頼し、委任状と題し「国際劇場にて行ふ新芸座公演に関しての税務の責任者は左記の者に致しました責任者森崎有康」と記載し、氏名を「河合治良」と既に記載してあつた書面を示したので、被控訴人は、森崎の右言葉を信用し、被控訴人に税務その他の迷惑がかからぬものと信じ、右書面に押印した。被控訴人は、その際森崎から宝塚新芸座後援会の会長に就任するよう依頼されたり、これを承諾したことはなかつた。森崎は、その後右委任状と題する書面(乙第一号証)を控訴人長田税務署長に提出するとともに、既に提出してあつた前記書面の自己の氏名の前に「代」の字を付記した。

(四)、森崎は、前記のように宝塚新芸座との出演交渉、国際劇場の借入契約、控訴人長田税務署長に対する手続、前記入場券の売捌き等の一切の行為をし、被控訴人は、全然関与せず、本件興行の際には家族とともに入場券を買つて入つたほどである。本件興行については、資金を提供した者はなく、これに要した諸経費はすべて入場券の売上金により賄なわれ、右興行に関する収支はすべて森崎に集中され、被控訴人は、関与しなかつた。すなわち、森崎は、前売入場券の売上金から本件入場税の担保金五〇、〇〇〇円を納付したばかりでなく、出演者への支払、劇場の使用料等の支払をし、しかも、本件興行により発生すべき損益の分配方法について被控訴人その他の者との支払の約定はなく、その利益は森崎が自由に処分しうるものであり、被控訴人その他の者は、本件興行については森崎に対し何ら支配力はなく、指揮監督し得る地位にはなかつた。

(五)、森崎は、昭和三〇年三月一九日「代森崎有康」名義で催物終了申告書、課税標準額申告書及び入場券使用実績等申告書(乙第三号証)を控訴人長田税務署長に提出し、同控訴人は、これに基づき被控訴人に対し、本件入場税賦課処分をした(右賦課処分をしたことは、当事者間に争がない。)。

(六)、森崎は、本件興行に関し介入した暴力団に金員を要求され、身の危険を感じ、入場券の売上金残金を持つて一時行方をくらますこと等のことがあり、本件入場税を支払うことができなくなつたため、これを支払わなかつた。被控訴人は、前記賦課処分をうけたので、控訴人長田税務署長に対し口頭で異議を申し立てるとともに、自ら又は人を介し交渉した結果、森崎は、昭和三〇年三月二八日同控訴人に「代森崎有康」名義で、入場税残金二二六、三四〇円を同年四月末日を第一回として金一〇、〇〇〇円を毎月末に納入することを誓う旨の誓約書(甲第四号証)を差し入れたが、その履行をしなかつたために、本件滞納処分がなされるに至つた。

以上の認定に反する原審及び当審証人森崎有康(原審は第一、二回)、同小林登、原審証人佐伯正、同榎原忠、同平島新吉、同木村雄郷の各証言部分は、前掲の他の証拠と対比して採用しない(特に、原審及び当審証人小林登、当審証人佐伯正の証言中には、被控訴人が本件興行の主催申告をする前に長田税務署に出頭し、課長の佐伯正、係長の小林登に対し本件興行を主催する旨言明したとの証言があるが、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果中に、被控訴人は、西神戸商店会が昭和二九年四月頃宝塚少女歌劇団を呼び昭和館で観劇券の抽せん会を無料で催した際、他の役員二、三名とともに長田税務署に出頭して指示を受けたことがあるが、本件興行に関しては出頭したことがないとの陳述があるのとを対比して前記各証言部分は、採用できない。)。他に前記認定をくつがえすに足る証拠はない。

入場税の納税義務者たる主催者とは、臨時に興行場等を設け、又は興行場等をその経営者若しくは所有者から借り受けて催物を主催する者(入場税法第二条第二項)であつて、催物の全般の事務を統括、監督、指揮し、催物に対し実質上の支配力を有し、興行場等への入場者から入場料を領収する権限と責任とを有する者をいうのである。前記認定の事実から判断すると、本件興行の主催者は、森崎であつて、被控訴人ではないと認めるのを相当とする。

三、入場税の賦課処分は、入場税を納付する義務を有する者に対しなすべきことはいうまでもないことであつて、納税義務者でない者に対してなした場合には、違法であるといわなければならない。本件につきこれをみるに、前記認定のように被控訴人は、本件興行の主催者ではなく、従つて、入場料金を領収した者でもないから、控訴人長田税務署長が被控訴人に対してなした本件入場税の賦課処分は、入場税の納付義務者を誤認した瑕疵があるものといわなければならない。

四、そこで、右瑕疵が本件入場税の賦課処分を当然無効ならしめる重大かつ明白な瑕疵であるか否かにつき判断する。

(一)、控訴人らの主張によれば、控訴人長田税務署長が被控訴人を本件興行の主催者と認定し、本件入場税の賦課処分をするに致つた主要な資料は、(1)、被控訴人が本件興行の主催申告前に右税務署に森崎とともに出頭し、自己が宝塚新芸座後援会長名義で主催し、森崎に手続一切を代行させるといつたこと、(2)、森崎も同様にいい一切の手続をしたこと、(3)、森崎が実質上西神戸商店会の事務員と同視すべき者で被控訴人の指揮監督下にあつたこと、(4)、右控訴人の担当係官よりの指示により被控訴人の押印した乙第一号証が提出され、森崎から乙第二ないし第六号証、同第八号証が「代森崎有康」名義で同第一一号証が「森崎有康」名義で提出されていたこと等である。しかし、右(1)、(3)の事実が存在せず(2)の森崎の言動も事実に符合しないものであることは、既に認定したところにより明らかであるから、後記説明のような乙号各証と森崎の言動のみにより、実体のない前記後援会や被控訴人がその会長であつたかどうか、本件興行を主催する者であるか否かを調査せず(この調査は、電話で問い合せるとかその他一挙手一投足の労により足るものと認められる。)、被控訴人を本件興行の主催者と認定して本件入場税の賦課処分をしたことは、重大な過失があるものといわなければならない。

(二)、次に、主催者認定の重要な資料と思われる乙第一号証をみるに、乙第一号証に被控訴人が押印し、森崎の手を通じ提出されたことは、既に認定したとおりであり、前記認定の事情の下に被控訴人が押印したとはいえ、森崎の言葉のみを信じ不用意に押印したことについては、過失のそしりを免れない。しかし、乙第一号証には、前記のように委任状と題し、「国際劇場にて行ふ新芸座公演に関しての税務の責任者は左記の者に致しました責任者森崎有康」とし、「昭和三〇年一月一七日神戸市長田区二葉町四丁目一〇二宝塚新芸座後援会長河合治良」とし名下に押印があり、「長田税務署長小林真治殿」となつている。右住所は、被控訴人の住所と認めるに足る証拠はなく、被控訴人の氏名は、「川合治良」で「河合治良」でなく、被控訴人が住所氏名を記載をしたとすれば、このような誤記をする筈はなく、又乙第一号証の筆跡は全部同一と認められるから、森崎が全部書き、故意にか又は過失により氏を誤記し、被控訴人に押印のみを求め、既に認定の事情の下に被控訴人が内容をよく読まずに押印したものと認めるに充分である(被控訴人が住所、氏名を書いたとすれば、これを誤るようなことはありえない。)。又乙第一号証には委任状と題してはいるが、その内容は、税務の責任者を森崎有康とすることが表示されているのみであつて、この乙第一号証の記載だけで、被控訴人が本件興行の主催者となり、税務に関する件一切を森崎に委任する旨の委任状としてはその要件の具備が不完全であると認めざるを得ない。次に、その他の前記乙号証をみるに、乙第二号証には、日付が昭和三〇年一月一七日、申告者欄に「住所長田区駒ケ林四の二六二新芸座後援会長代森崎有康」と記載されているが、既に認定したところにより明らかなように「代」の字は右書面が受理された日以後に記載されたもので、当初提出された当時にはその記載がなかつたのである。その後に担当係官の指示により乙第一号証が提出され、乙第二号証及びこれと同時に提出された乙第四ないし第六号証、第八号証に「代」の字を追記しても、乙第二号証の申告者「新芸座後援会長代森崎有康」、乙第四ないし第六号証、第八号証の「代森崎有康」は、明らかに代理の題名主義に反し、右各書面の外形上、申告者本人が被控訴人「川合治良」で森崎が被控訴人の代理人であるとの表示と認めることはできない。たとえ、乙第一号証と乙第四ないし第六号証、第八号証を併せ考えても、記載の外形からすれば、「宝塚新芸座後援会会長河合治良」を「代森崎有康」として代理しているにすぎず、厳密にいえば、本件では「宝塚新芸座後援会会長河合治良」なる者は存在しない(被控訴人は、川合治良であり、右後援会長でもない)。

控訴人らは、その主張の前記(1)の事実と前記乙号証と相まつて本人の表示がなくても、「代森崎有康」により被控訴人が主催者で、森崎が代理人であることが明らかであり、控訴人長田税務署長は、当初から被控訴人を本件興行の主催者であると判断して一切を処理していたと主張するが、右(1)の事実の存在しないことが既に認定したとおりとすれば、右判断は、前提を欠くこととなるから、失当である。その他「代」の字を除き成立に争いのない乙第三号証には、館名又は名称欄に記載がなく、氏名欄に「代森崎有康」とのみ記載があり、本人と目すべき者の記載がなく、前掲の乙第七号証(観覧券)、同第一四号証の一ないし三(同)、同第一五号証(本件興行の広告)には、いずれも「主催宝塚新芸座後援会」とのみ記載されていることが明らかであり、前掲の乙第一一号証には、申請者の氏名として「森崎有康」とのみあつて「代」の字すらない。又原審及び当審証人小林登の証言により成立を認められる乙第九、一〇号証(いずれも入場税保全担保提供命令書)には、宛名として「神戸市長田区二葉町四丁目一〇二河合治良」と記載されており、被控訴人の住所と氏名とは異つた記載がなされているばかりでなく、右書面が被控訴人に送達されたことを認めるに足る証拠はない。右命令書に対応して作成交付されたと認められる前掲の甲第一号証(領収証書)には、控訴人長田税務署長名義で入場税担保金五〇、〇〇〇円を昭和三〇年一月二七日領収した旨記載され、納入者の氏名は「新芸座後援会長森崎有康」と記載されていることが認められる。上記のように本件興行に関し森崎が右控訴人に提出した前記各書面、同控訴人が作成又は森崎に交付したとみられる前記各書面とを詳細に検討してみると、外形的にも客観的にも被控訴人が本件興行の主催者で森崎がその代理人であると認めるに足る資料とならぬことが明白である。

(三)、入場税の課税は、興行場等の経営者又は主催者に対しなすことを要件とするから、右経営者又は主催者を誤認したときは、特段の事由のない限り重大な瑕疵があるというべきであり、本件においては、前記認定の事実関係からみれば、瑕疵の重大性を軽減するような特段の事由の存在を認めることはできず、かえつて、前記認定の事実からみて、同控訴人が被控訴人につき何らの調査もせず、上記資料により被控訴人に本件入場税の賦課処分をしたことは、重大な誤認であるとともに、処分当時においても外形上からも客観的にも明白な誤認であるというべきである。

(四)、そうすると、本件入場税の賦課処分には、重大かつ明白な瑕疵のあることが明らかであるから、当然無効であるといわなければならない。

五、前記認定のとおり、被控訴人に対する本件入場税の賦課処分は、当然無効であるから、この無効な賦課処分に基づく冒頭に認定の本件不動産に対する滞納処分による本件差押も右限度で法律上許されぬものである。もつとも、右差押処分の原因の滞納税金中には、被控訴人に対する所得税の滞納税金を含んでいたことは、当事者間に争いがないから、右差押は、この限度で適法ではあるが、被控訴人が既にこれを完納したことは、当事者間に争がないから、右滞納税金に関する限度で当初適法であつた本件差押処分も、右滞納税金の完納によりその原因を欠くこととなつたことが明らかである。そうすると、本件不動産に対する昭和三〇年一一月一〇日国税滞納処分による大蔵省名義の差押の登記は、本件入場税に関する分については、賦課処分の無効、その他の分については、差押の原因の消滅により、実体に即さないものであることが明らかであるから、控訴人国は、これを抹消する義務がある。

六、以上と同趣旨の原判決は、相当であつて、本件控訴は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、民事訴訟法第三八四条第一項第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡野幸之助 山田鷹夫 宮本勝美)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例