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大阪高等裁判所 昭和41年(う)329号 判決 1966年7月22日

被告人 井上直三

主文

原判決を破棄する。

本件を大津地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐賀小里作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

右控訴趣意に対する検察官の答弁の要旨は、本件控訴を棄却する、との判決を求める。その理由は、(一)本件の場合、事故現場は国道とそれに丁字型に交わる巾員三・八米の田舎道のことであるが、そのことにより追い抜きに際し徐行義務なしとするわけにゆかない。また、三叉路であり、雪模様で見透しが悪く頭巾をかぶつた被害者の右折という予見の可能性がなかつたということはできない。(二)控訴趣意書三六丁の裏に被告人は交差点の手前五〇米の地点、被害者の一〇米後方で警笛を吹鳴したというが、被告人が警笛を吹鳴したことは、とりもなおさず、危険を感じたからと思われる。ところが、被害者が振り返るとか、特異な反応を示さなかつたことは、警笛が聞えなかつたということである。従つてそのような場合には次の注意義務すなわち徐行義務が必要となつてくるのである。警笛を吹鳴さえすればそのまま直進してよいという結論については疑問に思うところである、というのである。

控訴趣意第一点について

よつて、記録を調査すると、本件公訴事実は「被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和三九年二月二八日午後五時二〇分ころ、普通貨物自動車を運転し、国道八号線を木之本方面より長浜方面に向い吹雪中を時速約四〇粁で南進し、前方を進行する北川新次の運転する第二種原動機付自転車に追従接近しつつ伊香郡高月町大字東物部三〇九番地の一地先の同国道と右方に通ずる道路との交差点の手前にさしかかつたのであるが、同所は交差点であるので前車が右折するおそれがあり、かつ吹雪のため視界も十分でなかつたから、特に前車の動静に注視し、前車が右折するか直進するかを見届け安全を確認してから進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらずこれを怠り、前車が交差点の手前から方向指示器により右折合図をなすとともに、右手を水平に挙げて右折する旨の合図をして右折せんとしていたことを看過し、前車はそのまま国道左側を直進するものと軽信し、前車を右側から追い越そうとして漫然同一速度で前車に接近した過失により前車と約二、三米に接近して漸く方向指示器による前車の右折合図に気付き危険を感じ、把手を右に切るとともに急制動をかけたが及ばず、自車左側面部を前車右側面部に接触させて前車をその場に転倒させ、よつて前記北川新次をして頭蓋内出血などのため翌二九日午後一時二五分ごろ同郡木之本町大字木之本所在伊香病院において死亡させたものである」というのであり、これに対して原判決が認定した事実は、「被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和三九年二月二八日午後五時半ころ普通貨物自動車を運転し国道八号線を木之本方面より長浜方面に向い時速約四〇粁で南進し、前方を同一方面に進む北川新次の運転する第二種原動機付自転車に漸次接近しつつ伊香郡高月町大字物部三〇九番地の一地先の同国道と直角に交わつて西方に通ずるT字形交差点の手前にさしかかつたが、当時吹雪中で右北川は頭巾を深くかぶつていたため、後方から接近する自動車のエンジンの音も聞えにくい状態であつたし、後をふりむきにくい状態であつたから自動車運転者としては、右北川が右交差点において後続する車はないものと簡単に考えて右折を開始することがあるかも知れないことを予想し、前者が右交差点で右折しないことがはつきりするまでは同交差点附近で追い抜きをせず、いつでも急停車できる程度の間隔を常に保つて進行し、事故の発生を未然に防ぐべき業務上の注意義務があるのにかかわらずこれを怠り、前車は右折することなく直進を続けるものと即断して、従来のままの速度で前車を追い抜こうとした過失により、それまで道路左端を走つていた前車が交差点直前で徐行し始めると同時に右折方向指示のランプを点滅させ交差点内に入ると同時に右折しかけたのに気づき、急制動をかけると共にハンドルを右に切つたが及ばず、自車左フエンダミラーの辺りを前車の右ハンドルの辺りに接触させ、更に自車の後部荷台の左前部を前者後部の物入れ部の辺りに追突せしめて、前車をその場に転倒させ、よつて右北川新次を頭蓋内出血により翌二九日午後一時二〇分ころ、伊香郡木之本町伊香病院において死亡するに至らしめたものである」というのであることは所論のとおりである。しかして、右公訴事実と原判示事実とを比較すると、その日時、場所、被害者、被告人の行為及びその結果の大要、並びに構成要件は同一である。ところが、公訴事実によれば、被告人は前車が交差点の手前から方向指示器により右折合図をなすとともに右手を水平に挙げて右折する旨の合図をして右折せんとしていたことを看過し、前車と約二、三米に接近して漸く方向指示器による前車の右折合図に気付いたとし、被告人が、前車が右折せんとしていたことを看過したのは前方注視の義務を怠つた点にあるとされているのである。これに反し、原判決は、前車が交差点の手前から右手を水平に挙げて右折する旨の合図をしたとの事実を証拠不十分として否定するとともに、前車が交差点直前で徐行し始めると同時に右折方向指示のランプを点滅させ交差点内に入ると同時に右折しかけたと判示しているのであつて、そこでは被告人が前方注視義務を怠つたために、前車が右折の合図をして右折せんとしていたことを看過したとの事実は否定されているといわなければならない。同時に原判決は、当時吹雪中で被害者が頭巾を深くかぶつていたため、後方から接近する自動車のエンジンの音も聞えにくい状態であつたし、後をふりむきにくい状態であつたから、自動車運転者としては、被害者が右交差点において後続する車はないものと簡単に考えて右折をすることがあるかも知れないことを予想し、前車が右交差点で右折しないことがはつきりするまでは同交差点附近で追い抜きをせず、いつでも急停車できる程度の間隔を常に保つて進行すべき義務があるのに、被告人はこれを怠り、前者は右折することなく直進を続けるものと即断して、従来のままの速度で前車を追い抜こうとしたと判示し、被告人の過失は被害者の特種な状態及び現場の状況からして、追い抜きをしてはならないのに、追い抜こうとした点にあるとしているのである。このように原判決が起訴状に訴因として明示された態様の過失を認めず、それに包摂されない別の態様の過失を認定するには、訴因の追加変更の手続を経たうえ、これに対し被告人に防禦の機会を与えなければならないものと解するのが相当である。しかるに原審でこの訴因の追加変更の手続を経た形跡は記録上認められないし、被告人は起訴状の訴因につき、終始、被害者が交差点の手前から右手を水平にあげたこと及び右折方向指示器を点滅させていたことを否認し、その前方注視義務を怠つたことを争うだけであつて、前方注視義務を怠らないとして被告人の過失が認められない場合においても、なお原判決が認定した状況のもとにおいて被害者を追抜いてはいけないのに、これを追い抜こうとした点に過失があるという原判示見解の生じ得る場合を予期し、これに対する防禦方法を講じたことはこれを認めえないところであるから、原審が訴因の追加変更の手続を経ることなく起訴状の訴因とは全く別個の予期しない態様の過失を認定したのは違法である。もつとも、前記のごとく、原判決が認定した事実は、本件訴因との間に、被害者の行動及び被告人の過失の態様において実質的な差異があるのみで、その日時、場所、被害者、被告人の行為及びその結果の大要並びに構成要件は同一であるから、原判決は審判の請求をうけない事件について審判したという違法はない。しかしながら、原審の訴訟手続には前記のごとき法令違反があつて、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は到底破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

よつて、その余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、当審よりは第一審において審理を尽させ事実関係及び法律的価値判断を明確にさせるほうが妥当であると思われるので、同法四〇〇条本文に従い、本件を原裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 笠松義資 中田勝三 佐古田英郎)

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