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大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)427号 判決 1967年5月30日

第四二七号事件被控訴人・第五三六号事件控訴人 第一審原告 水田亀寿

第四二七号事件控訴人・第五三六号事件被控訴人 第一審被告 久美浜町

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

第四二七号事件の控訴費用は第一審被告の負担とし、第五三六号事件の控訴費用は第一審原告の負担とする。

事実

第四二七号事件について、一審被告は、「原判決中一審被告の敗訴部分を取り消す、一審原告の請求を棄却する、訴訟費用は一、二審とも一審原告の負担とする」との判決を、一審原告は、「一審被告の控訴を棄却する、控訴費用は一審被告の負担とする」との判決を求め、第五三六号事件について、一審原告は、「原判決を左のとおり変更する、一審被告は一審原告に対し、金四三万八、七〇〇円およびこれに対する昭和四〇年三月七日から完済まで年五分の金員を支払え、訴訟費用は一、二審とも一審被告の負担とする」との判決を、一審被告は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述および証拠関係は、次に記載する外原判決摘示のとおりであるからこれを引用する。

一、一審被告の陳述

(一)  開票管理者および選挙管理委員会は、いずれも公権力の行使にあたる公務員に該当しない。

(1)  国家賠償法一条所定の、「公権力の行使にあたる公務員とは、当該公務員の職務の本質が、支配権に基づく作用、すなわち権力作用たることを必要とする。換言すれば、当該行政行為が、支配者たる国家権力の行使者対被支配者たる人民間の関係において、命令服従の原理に従つて行なわれ、当該行政行為が国民の権利義務に対し、直接拘束力をもつものであることを要する。

(2)  ところが、選挙管理委員会は、委員四名をもつて構成する合議制の行政機関であつて、「選挙に関する事務及びこれに関係のある事務を管理する(地自法一八六条)」ものであり、開票管理者は、「当該選挙の選挙権を有する者の中から市町村選挙管理委員会の選任した者をもつて、これに充て、開票に関する事務を担任する(公選法六一条)」ものである。

(3)  従つて合議制の行政機関たる選挙管理委員会をもつて、国家賠償法一条の公務員ということはできないばかりでなく、選挙に関する事務を管理したり、開票に関する事務を担任したりするにすぎない者をもつて、公権力の行使にあたる公務員とすることもできない。

(二)  仮にそうでないとしても、訴外石田精一および町選挙管理委員会の行為には、国家賠償法一条の「故意又は過失」という要件を欠くものである。

開票管理者たる石田精一が「田中正夫」票の投票の効力を決定したこと、および町選挙管理委員会が一審原告の異議申出について審査判断したことは、いずれも法律上の価値判断であつて、同人の有する識見信念によつてその判断を行なつた以上、結果がどうあろうとも、これによつて故意または過失の問題を生ずる余地はないのである。

(三)  仮にそうでないとしても、昭和三八年一〇月二四日以降一審原告の蒙つた損害については、一審被告に責任がない。

なぜかといえば、久美浜町選挙管理委員会が行なつた異議却下の決定に対し、一審原告はこれを不服として昭和三八年三月二七日京都府選挙管理委員会に審査申立てをし、同年一〇月二三日棄却の裁決があつたから、それ以後の損害は府選挙管理委員会の責任に帰すべきものである。

二、証拠関係<省略>

理由

一審原告および訴外田中吉左衛門が、昭和三八年二月八日に行なわれた久美浜町議会議員選挙に立候補し、同訴外人が二〇一票で当選者と決定され、一審原告は一九三票で次点者として落選したこと、右選挙における開票管理者である石田精一は、「田中正夫」なる疑問票一四票を、田中吉左衛門の得票と決定したこと、一審原告は選挙会のした当選人の決定を不服として町選挙管理委員会に対し当選の効力に関する異議の申出をしたところ、町選挙管理委員会は昭和三八年三月一六日前記決定を維持し右申出を棄却したので、府選挙管理委員会に審査の申立てをしたがこれも同年一〇月二三日棄却せられたこと、一審原告が府選挙管理委員会を被告として、大阪高等裁判所に当選に関する訴訟を提起したところ、田中正夫と記載した投票一四票は公職選挙法六八条七号に該当する無効票と判断され、一審原告勝訴の判決があり、一審被告から上告したが同三九年一二月一八日原判決の見解を支持する上告棄却の判決があつたこと、これにより、訴外田中吉左衛門の当選無効が確定し、同四〇年一月四日一審原告が当選人と定められたこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがない。そして弁論の全趣旨によれば本件選挙における開票管理者の職務は、選挙会の区域及び開票区の区域がいずれも久美浜町全域であるので公職選挙法七九条第二項の規定により、本件選挙の選挙長である町選挙管理委員会委員長石田精一が行なつたものであることが明らかである。ところで公職選挙法六七条によれば、投票の効力は、開票立会人の意見を聴き、開票管理者が決定しなければならないものであり、同法二〇六条によれば、地方公共団体の議会の議員及びその選挙において、その当選の効力に関し不服がある選挙人又は公職の候補者からの異議申出に対しては文書で当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会がこれを決定するのであるが、右のように開票管理者(本件では開票管理者としての職務を行なう選挙長)が、選挙において投票の効力を決定し、また選挙管理委員長及び各委員が委員会の構成員として、当選の効力に関する異議の申出に対し決定をすることは、国家賠償法一条にいわゆる公権力の行使にあたることはいうまでもない。けだし、国会議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明した意思によつて公明かつ適正に行なわれることを確保せんとする公職選挙法による選挙に関する事務を担当する者は、国または地方公共団体がその有する優越的地位において行なう行政にあたる者であり、一連の選挙という公法上の法律関係の形成変更消滅の作用を有する国の権力作用に関与しその一部を構成する者であるところ、国家賠償法一条にいう公権力の行使とは、国または公共団体の事務のうち、純然たる私経済的活動は別として、その統治権に基づく優越的地位において行なわれる公務をひろく意味するものであつて、法律関係の形成変更消滅の作用を除外することを至当とする理由も必要も全然存在せず、一審被告のいうように、当該行為の拘束力が国民の権利義務に直接及ぶところの警察権、刑罰権、課税権など命令的、強制的な事務に限るものと解すべき根拠は全くないからである。一審被告はまた、選挙管理委員会は合議制の機関であつて公務員ではないというが、一審原告の主張の真意は、選挙管理委員会が公務員であるというのではなく、その構成員たる各選挙管理委員の職務の行使を問題としているものとみることができるから、一審被告の非難はあたらない。

そこで違法性及び故意過失の有無について考察するに、成立に争いのない甲第一ないし四号証、同第七ないし一三号証、乙第三号証、当審証人藤本憲男の証言によつて成立を認める乙第七ないし一一号証、原審証人中村真澄、同石田精一、当審証人藤本憲男の各証言によると、次のような事実を認めることができる。

(イ)  訴外田中吉左衛門は大正五年生れで合併前の久美浜町(いわゆる旧久美浜町)向原部落に住み、旧名を田中正夫といい、農業の傍ら竹籠の製造を業とし、昭和一五年青年団長、同二二年部落竹器組合の専務理事、同二三、四年同部落自治会長、同二六年農地委員にそれぞれ就任し、また同年町議会議員に当選していること、昭和二九年七月六日、先代の死亡により祖父以来の吉左衛門を襲名して改名し、右改名後昭和三〇年の町議会議員選挙に当選し、同三四年の同選挙に落選したこと、右両度の選挙は小選挙区制のものであつて、他に田中姓の候補者はいなかつたこと、

(ロ)  いわゆる旧久美浜町内、特に田中吉左衛門の居住地である向原部落においては、同人を指すのに現在でも旧名正夫で呼が者がないわけではないが、京都府選挙管理委員会事務局員が調査したところでは、正夫の名を知つている者(二名)はいずれも襲名により吉左衛門と改名したものであることを知つていたこと、居住地の郵便局でも、郵便物は余り来ないが電報は田中吉左衛門宛てで来ると答えていること、

(ハ)訴外田中正雄は旧久美浜町壱分部落に住み、農業の外材木商を営んでいたもので、昭和三四年の同町議会議員選挙に当選し、本件選挙にも当選したものであつて、その居住部落のみならず他の部落にも相当知られた存在であるが、居住部落における区長、評議員の選挙の際、同人を「田中正夫」として投票する者がかなりあり、同人宛ての郵便にも「田中正夫」と記載されたものが相当多数あるのであつて、同人が誤つて「田中正夫」と呼ばれる事例が決して珍しくないこと、

(ニ)  本件選挙は旧久美浜町を一区とする大選挙区制により行なわれた最初のもので、議員定員二六名に対し立候補者二九名があり、そのうち田中姓の者が田中吉左衛門、田中正雄、田中清の三名いたこと、そこで田中吉左衛門は選挙運動をするに当つても、自己の氏名を他の二名と特に区別して選挙民に周知させることに留意し、ポスターには「田中吉」の三字を特に大書した外、「投票日には清き一票を田中吉とお願い申し上げます」と記載していたこと、ところが投票日の前々日である二月六日になつて突然町選挙管理委員会に対し、異動届と称し、自己の現氏名に旧名「田中正夫」を併記したい旨申し出たこと、これに対し田中正雄から異議があり、選挙管理委員会事務局からも、通称、屋号、旧名等は開票管理者が事前に承知しておき、投票の効力を決定するに際して斟酌すべきもので、このことは右のような届出の有無によつて影響ないものであることを説得した結果、翌七日これを撤回したこと、田中吉左衛門に前名があつたことはこのときまで、石田精一を除く他の選挙管理委員全員が知らなかつたこと、

(ホ)  開票の結果、一応疑問票として「タナカマサオ」「たなかまさを」「田中正男」「田中正夫」の各票が取り上げられたが、そのうち「田中正夫」以外の分については開票立会人の意見は田中正雄の得票とすることに一致し、開票管理者もそのように決定したこと、「田中正夫」票については、最初一〇名の立会人のうち九名までが田中正雄の得票とすべきものとする意見で、残り一名である田中吉左衛門届出の立会人のみが両者の按分とすべきものとの意見であつたこと、ところで開票管理者である石田精一は、再度立会人の意見を求め、田中吉左衛門の旧名が正夫であり同人が現在でも右旧名で呼ばれている事例がある旨、および前記異動届の提出、取下げのいきさつ等を説明したところ、立会人の意見は田中正雄の得票とすべきものとする者六名、両者に按分すべきものとする者四名となつたこと、そして開票管理者である石田精一は自己一人の見解に基づいて右投票を田中吉左衛門の得票と決定したこと、

以上のとおり認めることができる。そして以上認定の事実と正雄と正夫とは呼称が全く同一で表記するときには相互に誤記されやすい名であること、および投票の際投票者が改名後八年にもなろうという候補者の表示としてことさらに旧名を使用するのは異例に属し、殊に候補者中に田中吉左衛門の旧名とまぎらわしい候補者が存する上、吉左衛門自身もその選挙運動において、田中吉と記載するよう呼びかけていた本件選挙事情のもとにおいては、普段は同人の旧名を知り、旧名で呼ぶ選挙人であつたとしても、投票上は現在名を使用するのが常識であること、以上の見やすい道理を併せ考えれば、「田中正夫」なる投票は候補者田中吉左衛門の旧名を記載したものとみる余地を抹殺し去るわけにはいかないが、候補者田中正雄の名の誤記とみることもでき、どちらかといえば後者の可能性が強いといわなければならないのである。そうだとすれば開票管理者の職務を行なう選挙長および町選挙管理委員会は、これを公選法六八条七号の「候補者の何人を記載したかを確認し難いもの」として無効票の取扱いをすべきもので、これを田中吉左衛門の得票と決定した判断は違法なものと断ぜざるをえない。そしてこのことはすでに別件の判決においても正当に確定されていることは前記のとおりである。

ところで右投票を田中吉左衛門の得票とすべきものか、田中正雄の得票とすべきものか、あるいは無効票の取扱いをすべきものであるかということは、一審被告のいうように法律上の判断を含むものである。かように公権力の行使にあたる当該公務員は、その具体的事務を処理するにあたり、法律上の判断が要求され、その判断いかんによつて処理の帰すうを異にする場合において、その判断が微妙であつて、どれが正しい結論であるかということがなにびとにとつても一応明白な場合といえないときには、たとえその判断に誤りがあつても過失あるものということはできない。しかし本件において、前記投票を田中吉左衛門の得票とすべきでないということは、前記認定の事実によると、なにびとにとつても一応明白なことであるといわなければならない。

このことは前認定のように、最初立会人一〇名のうち田中吉左衛門届出の立会人を除き九名までが、田中正雄の得票とすべきものとする意見であり、田中吉左衛門届出の立会人でさえ按分とすべきであるとの意見であつたことによつても知られるのである。もつともその後再度開票立会人の意見を聴いたときには、右割合いに変更があつたことは事実であるが、それでも田中吉左衛門の得票とすべきものとの意見は出なかつたのである。しかも成立に争いのない甲第二および第七号証によると、右のように開票立会人の意見が変つたのは、そのときすでに田中正雄は二七〇票以上を得て当選確実となつており、かつ立会人中には田中正雄および一審原告の関係者は加わつていなかつたこと、時刻はすでに午前一時を過ぎ、当日は大雪で寒くもあり、九名の立会人の関係候補者はいずれも当選確実となつていたので、早くすませて帰ろうという空気になつていたこと、立会人中九名は一旦田中正雄の得票とすべきものとの意見を述べているのに、開票管理者がこれに納得せず再度意見を聴いているのであるから、立会人らがその意見を固執していては、開票管理者の意に副わず、なかなか片付かないだろうという気持になつて疑問票決定箋に捺印したことが認められる。

そうだとすると、開票管理者の職務を行なう選挙長石田精一および同人を委員長とする町選挙管理委員会の前記過誤は、具体の場合に関しては判断の微妙な事項についての過誤ということはできないのであるから、開票管理者の職務を行なう選挙長石田精一、選挙管理委員会委員長石田精一その他の各委員としては、通常の注意を怠らなければこれを避けることができたものというべきであつて、結局過失あるものといわなければならない。この点に関し一審被告は、石田精一が同人の有する識見信念によつて、開票管理者として、また町選挙管理委員会(の構成員)としてその判断を行なつた以上、結果がどうであろうとも、これによつて故意または過失の問題を生ずる余地はないと主張する。なるほど刑事事件(または民事事件)において、関係検察官、裁判官が各自の識見信念に従つてその判断を行なつたと認められる以上、右判断の結果が仮に誤つていても国家賠償法一条第一項にいわゆる故意または過失があるとはいえないことは、最高裁判所のつとに判示するところである(昭和二八年一一月一〇日三小判決、民集七巻一一号一一七七頁以下)。しかしながら、右事案は、高等裁判所が正当な判断を示すまで、第一審第二審とも誤つた判断を抱き、これについては検察官ばかりでなく被告人も弁護人も異議をはさまず、同じ見解であつたとみられる場合である。一は行政、すなわち法の下におけるその執行であり法の事実的実現であり、一は司法(検察は本来的意味では司法の範疇に属しない)すなわち法の適用ないし適用の保障とその観念的実現であり、ひとしく判断作用を含む場合であつても、判断の基本理念と基本姿勢、判断の過程と手続を全く異にする。この点はしばらく措くとしても、前記判例の事例は判断の当否はすでにみたように一応明白である本件とは異なり、その判断に至ることが甚だしく容易でない場合であり、前提要件も前提事情も異なるのであるから、判断を含むからといつて彼此援用するには親しまないものといわなければならない。石田精一は原審で証人として出廷し、前記当選無効訴訟における上告審判決にもかかわらず、なお自己の判断の正当なることを強調し、自己の取つた措置は選挙管理委員長としての過去一〇年の経験と信念に基づく誤りのないものであると証言するが、田中正夫は田中吉左衛門の旧名であるという以外それを首肯するに足る合理的理由も説明も全然ないのである。本件の全資料を通じて、石田精一の右見解に同調するのは、一審原告の審査申立を棄却した京都府選挙管理委員会の裁決であるが、成立に争いのない乙第一二号証に明らかなように、同裁決は、田中吉左衛門の旧名が田中正夫であることのみからの判断であつて、候補者田中正雄の存在することを全く忘れ、これに一べつをも加えていないいわば片手落ちの裁決理由である以上、事案を公職選挙法の精神に照らし、公明適正に審査判定したものとは認められない欠陥の存するものと断ぜざるをえないから、府選挙管理委員会の裁決が同一見解を示しているからといつて、前記結論の正当性をいささかも減ずるものでないことを附言する。

以上のとおりであるから、開票管理者の職務を行なう選挙長たる石田精一および町選挙管理委員長たる石田精一その他の同委員らは、一審被告の公権力の行使にあたる公務員としてその職務を行なうにつき、過失によつて違法に一審原告が昭和四〇年一月四日当選人と決定されるまで町議会議員としての地位の取得を妨げ、損害を加えたものということができ、一審被告は国家賠償法一条によりその損害を賠償しなければならない。

もつとも町選挙管理委員会の異議申出棄却の決定に対し、一審原告がこれを不服として京都府選挙管理委員会に審査の申立てをし、昭和三八年一〇月二三日棄却の裁判があつたことは当事者間に争いがない。そして一審被告は、右以後の一審原告の損害は府選挙管理委員会の責任に帰すべきものであると主張する。しかしながら右のような事実があつても、一審被告の責任に加えて京都府選挙管理委員会の責任が生ずるかどうかが問題となるだけであつて、一審被告がこれによつて免責されると解すべき根拠は全くないのであるから、この点に関する一審被告の主張も採用することはできない。

そこで進んで損害額について判断する。前認定のとおり一審原告は本来当選していたものであり、町議会議員たる地位を取得すべき状態にあつたのであるが、右地位の取得を妨げられたのである。従つてその間議員として得べかりし報酬を失つたものであつて、前記異議申出棄却の時以後におけるその額が、金一三万八、七〇〇円であることは、当事者間に争いがない。次に慰藉料について考えるに、一審原告が町議会議員として政治的活動をすることができなかつたこと前認定のとおりであつて、その回復に二年の歳月と多大の費用、労力を要し、その間の心労の程は察するに余りある。しかし一審原告の精神的打撃の一部は、同人がその地位を回復したことにより緩和されているものと推察すべきものであり、得べかりし報酬を損害賠償として回復し、要した費用の一部は訴訟費用として回収することができることを考えると、その苦痛に対する慰藉料は金一〇万円をもつて相当とする。

以上の次第で、一審原告の本訴請求は、右合計金二三万八、七〇〇円と、これに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四〇年三月七日から完済まで、民法所定年五分の損害金の支払いを求める限度において正当であり、その余は失当である。したがつてこれと結論を同じくする原判決は相当であつて、本件控訴はいずれも理由がない。よつてこれを棄却し、控訴費用の負担について民訴法八九条、九五条を適用し、主支のとおり判決する。

(裁判官 平峯隆 中島一郎 阪井いく朗)

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