大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)934号 判決 1969年11月17日
控訴人
加藤三恵子
ほか二名
代理人
吉田正文
被控訴人
中井輝猷
ほか二名
代理人
山本寅之助
芝康司
復代理人
森本輝男
吉田隆規
被控訴人
遺言者加藤秀嶺遺言執行者
東栄
主文
一、原判決を左のとおり変更する。
(1) 訴外亡加藤秀嶺が昭和三七年五月二九日自筆証書によつてなした遺言中、第一、五および六項、ならびに加除変更部分(別級目録記載の部分)の無効であることを確認する。
(2) 被控訴人らのその余の請求を棄却する。
二、訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分し、その一を控訴人ら、その余を被控訴人らの負担とする。
事実《省略》
理由
一訴外加藤秀嶺が昭和三七年八月二三日死亡したが、その生前の同年五月二九日自筆証書(甲第一号証の一)による本件遺言をし、その遺言書中の一部につき遺言者以外の者が加除変更したこと、本件遺言書が同年九月二一日大阪家庭裁判所において検認されたこと、および当事者双方の身分関係が控訴人ら主張のとおりであることは、いずれも当事者間に争いがない。
二、そこで、本件自筆証書遺言の方式違背の有無およびその効果について判断する。
(1) まず、<証拠>によれば、訴外加藤秀嶺が昭和三七年五月二九日本件遺言書中の第六、七および九項の加除変更部分を除き遺言文、日付および氏名を自書して押印し九項目から成る遺言書を作成したうえ、右遺言書を所持して弁護士山本寅之助方へ相談に行き、同弁護士より遺言の内容は別として文意上の疑義や不明瞭な若干の箇所を指摘されてその箇所の訂正を依頼し、同弁護士が右秀嶺の面前で右遺言書第六、七および九項中の各一部を加除変更(ただし第七、九項は加入のみ)するに至つたこと、右加除変更は内容をあらたにする全然別個の遺言というよりむしろ従前の文意を明確にするものであること、右加除変更についてその場所に押印がなく、ただ欄外にその旨の付記押印があるが、遺言者の署名がないこと、および本件遺言書は右加除変更部を除き遺言者が四通作成した同一内容の遺言書中の一通で、同弁護士が保管していたものにつき検認をうけるに至つたものであることが認められ、右認定を妨げるに足る証拠はない。
以上の事実によれば、本件遺言は遺言者が加除変更部分を除く遺言文を自書し、かつ遺言書に日付および氏名を自書しこれに押印して作成した遺言書によるものであるが、その遺言書中の一部に加除変更があるからその限りで自筆証書遺言における全文自書の要件を欠き、またその加除変更は遺言者以外の他人によつてなされ、かつ遺言者の署名を欠くから、加除変更の要件を欠くものというべきである。したがつて、明白な誤記による訂正の限度を超える加除変更部分の意思表示は、民法九六八条二項により無効である。もつとも、右加除変更部分は本件遺言中の僅少部分に止まり付随的補足的地位を占めるにすぎず、その部分を除外しても遺言の主要な趣旨は表現されているばかりでなく、右加除変更が遺言者の意思に従つてなされたものであるから、右加除変更だけによつては、本件遺言全部を無効とすることはできず、他に特段の事情のない限り加除変更がない場合としてなお効力をもつものと解すべきである。
(2) ところで、控訴人は本件遺言には受遺者的立場にある被控訴人中井輝猷、訴外乾順正および山本寅之助の三名が立ち会つているから本件遺言は無効である旨主張し、前掲証拠によれば、なるほど右三名が本件遺言書に立会人として関与し署名押印していること、および被控訴人中井輝猷は本件遺言書第一、六項において訴外宝国寺の後任住職および同寺の財産管理人に指名されていることが認められる。けれども、右事項は後記のように法定の遺言事項には含まれないと解すべきである。そして、同被控訴人ら立会人が右遺言において遺贈をうけたことについては、控訴人らの立証はもちろん本件の全証拠によるもこれを認めるに足る証拠はない。また、右立会のために遺言書の方式が当然に違法となるものでもない。したがつて、被控訴人らの立会禁止を前提とする控訴人らの右主張は、失当といわねばならない。
三、次に、本件遺言は法定遺言事項の範囲内の行為であるかどうかについて判断する。遺言者が遺言をもつてすることのできる法律行為は、法律上限定されており、その法定遺言事項以外の事項については、たとえ遺言しても法律上遺言としての効力を生せず、宗教法人たる寺院の後継住職の指定や遺言者の個人財産に属さない寺院財産の処分管理に関する事項は、通常その寺院の権限に属し、当然には遺言者個人の権限に属さないのみならず、法定遺言事項のいずれにも該当しないから、法律上遺言としての効力を生じない。そして、遺言書中に右のような法定遺言事項以外の事項が含まれていても、法定遺言事項たる遺産処分(民法九六四条参照)に関する遺言が、他より分離独立して遺言者の最終意思を看取するに足る表示行為として、把握することができるような場合には、その法定遺言事項たる部分は独立して遺言としての効力を生ずるものと解すべきである。
本件において、<証拠>および弁論の全趣旨を合わせ考えれば、本件遺言第一項は訴外宗教法人宝国寺の後継住職の指定、第二項は遺言者の衣類家具等財産の処分、第三項は遺言者の死亡による葬儀の執行、第四項は遺言者の墓標建立および納骨、第五、六項は同寺の寺院財産の処分管理、第七ないし九項は遺言者の遺産処分に関する遺言であること、右各項は分離独立しても遺言者の意思を確実に伝達できる文章で構成されていること、および同寺の後継住職の選定や寺院財産の処分管理は宗教法人宝国寺規則等の法規によつて執行するものとされていることが認められ、右認定を妨げる証拠はない。したがつて、本件遺言第一、五および六項は、法定遺言事項ではなく、遺言者の権限に属さない事項についてなしたものであるから、法律上遺言としての効力を生じないものというべきである。
四よつて、右の趣旨と異なり控訴人らの本件確認の請求を全部棄却した原判決は、一部失当に帰するから、原判決を主文第一項のとおり変更し、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、九二条および九三条を適用して、主文のとおり判決する。(亀井左取 松浦豊久 村上博已)