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大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)979号 判決 1971年5月20日

控訴人(被申請人) 松下電器産業株式会社

被控訴人(申請人) 原昌男

主文

原判決を取消す。

被控訴人の本件仮処分申請を却下する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(一)  控訴人 主文同旨。

(二)  被控訴人「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」

第二、双方の主張および疎明の関係は、被控訴人において従来の主張を別紙のとおり補充し、双方とも次の疎明関係を追加したほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。(なお控訴人も、本件転勤命令発令の経緯、発令の手続、その緊急性、被控訴人の組合活動との関係、その他について、詳細な準備書面を提出しているが、当裁判所の後記判断と同趣旨であるため、摘示しない。)

(疎明)省略

理由

一、控訴人が家庭用電器製品の製造、販売を営業目的とし、肩書地に本社を、また全国各地に製品種目に応じた事業部と各種製品の販売を担当する営業所を設けて現に総数三〇、〇〇〇名を超える従業員を雇傭していること、被控訴人が昭和二六年九月一日入社した従業員であり、昭和三八年七月以降河内市菱江一番地所在の照明器具事業部営業課に所属し、開発係の業務を担当していたところ、控訴人が昭和三九年六月五日被控訴人に対し同事業部長寺脇金二を通じ口頭で、札幌市所在の北海道営業所へ転勤を命じる旨の意思表示(本件転勤命令)をなしたことはいずれも当事者間に争いがない。

二、被控訴人は、本件転勤命令は、従前組合の中心的指導者であつた被控訴人が近く行われる組合照明器具支部役員選挙に立候補する直前これを妨げ、さらに被控訴人の組合活動の場を奪うとともに被控訴人の組合員に対する影響力を除去する意図の下に、転勤の場合あらかじめ内示をする慣行にも反してなされたもので、被控訴人に対する不利益取扱であると同時に組合運営に対する支配介入行為にあたる不当労働行為であると主張する。

当裁判所が本件仮処分申請を失当と解する最も主要の理由は、後に判示するとおり、右転勤発令の当時、被控訴人自身が前記組合照明器具支部の役員選挙に立候補の意思をいまだ十分に持つていたと認定できないため、本件は控訴人が被控訴人の立候補を妨げた事案といえない点にある。以下各争点毎に順次判断すると、次のとおりである。

三、成立に争いのない甲第九号証の四、第一〇号証の二、第一二号証の二、三、第一三ないし第二一号証の各二、乙第三、四号証、第一三号証に、原審証人五百森恵、桑野泰次郎、寺脇金二、片山義郎、斉藤秀吉、当審証人田口正明、板垣内将泰、脇豊の各証言に原審および当審における被控訴本人の供述を総合すれば次のとおりの一応の認定(争のない事実を含む)および判断をすることができる。

(1)  被控訴人は、昭和三一年八月から三二年七月まで組合第五事業支部(京都支部)支部長、組合中央委員を、同年八月から組合専従役員に就任(休職)して昭和三五年七月まで組合中央執行委員、電機労連中央委員を、同年八月から昭和三八年七月まで組合本部書記長、電機労連中央委員をそれぞれ歴任し(以上の事実は当事者間に争いがない)、その間、会社の傍系企業である三洋電器における労働組合の結成、臨時工の本工への登用等の組合運動の指導に実績を納めた。そして、昭和三五年七月の組合年次大会で被控訴人らが主要役員に選出されて後、組合の活動は次第に活溌化して、長期のストライキや、坐込み等の実力行使も用いるなど、闘争的傾向を強めて来たが、やがてこれに同調し得ない一般組合員からの批判も次第に強くなり、遂に昭和三八年七月の大会では、被控訴人を含む従前の役員は組合員多数の支持を得るに至らずして落選し、被控訴人も原職場である照明器具事業部に復職し、その後被控訴人の組合活動に目立つたものはなく、組合内部でも被控訴人に同調する勢力が大であるとは認められなかつた。

昭和三九年六月組合照明器具支部の役員選挙が行なわれることとなり、その立候補受付が同月六日開始される旨同月一日頃掲示された。被控訴人は右に認定したとおり、永年にわたり、右労組本部の書記長あるいは電機労連中央委員その他の重要な地位を歴任して華々しい活動をして来ただけに、落選後、控訴会社の四〇近い支部の内でも最下位にある小さい支部に戻つた翌年同支部の役員に立候補するか否かは、当時の組合内部においても極めて微妙な問題であつたが、当裁判所は、同月五日夕刻被控訴人が寺脇照明器具事業部長より本件転勤の旨告知を受け、これに対し不服を述べた際には立候補の意思を持つていたと判断することはできない。その理由は若しすでにその決意があつたとすれば、被控訴人は当然同部長にその旨を申し出て、選挙終了まで発令の延期を強硬に求めている筈である。ところが原審および当審における被控訴人本人の詳細な供述、その他すべての疎明を精査するも、かような申出のあつたことは全く見受けられないのであつて、時機的には、本件仮処分申請書中に始めて立候補に関する記載がなされたものである。このような点から見ると、右組合支部の支部長であつた当審証人脇豊の証言中、同人が同年五月中二度にわたり、被控訴人の立候補の意向を打診したが、被控訴人はその態度を明らかにしなかつたため、その意思がないものと考えたとの部分は採用に値するものと見られる。

(2)  控訴人は昭和三七年七、八月頃、家庭電器業界の販売競争の熾烈化に伴い販売第一線を担当する各営業所の人員を、充実強化する方針を立て、本社人事部より各事業部に対し、右要員推せん方を再三要請していた。これに加え昭和三九年初め頃から北海道営業所においては、その傘下の販売会社のうち特に北見ナシヨナル製品販売株式会社の業況は極めて悪化し、取敢えず経理専門の主任友部旭を同年四月二一日、同社の常務取締役に出向させ、続いて五月二一日、旭川地区担当の主任服部正業を販売促進員として派遣したが、その結果同社においては経営の責任者たる社長の健康状態が思わしくなく、営業部門の中核となるべき人物の欠如するところから、強力な営業要員の同社への出向の必要を痛感し、右出向要員に充てる含みをもつて本社に対し早急に有能な人材を転出させる様強い要請をしていた。一方被控訴人の所属していた照明器具事業部の管理者らにおいては、さきの本社よりの営業所要員の供出について難色を示していたが、昭和三九年初頃から少くとも二名の主任級の者を転出させる様要請され、できればこれを回避したいと考えつつも、本社が指名して来た場合には拒否し得ない情勢となつた。

(3)  右北海道営業所への派遣要員は、場合によつては北見ナシヨナルへ出向して同社を建て直すという重責を負わされるとともに、遠隔地であるだけに、一層その地域での重要なポストである。また、被控訴人は昭和二六年九月入社してから本社経理課に勤務し、後昭和三二年八月組合専従になるまで経理事務に従事していて計数関係の経験もあり、前記組合役員としての経歴からみて統率力があり、優れた説得力も持つ(これは桑野人事一部長が、被控訴人が復職後本社に来て新製品の説明をしている際現認した。)ことなどから、右北海道営業所の要請に充分応え得る人物である(被控訴人本人も原審において、以上の諸点につき経験がなくともやれる仕事であり、自分で判断しなければならぬ場面もあると述べている)。そこで控訴人は広汎な人事異動の中に被控訴人をも組み入れることを考え、昭和三九年六月四日北海道営業所長五百森恵より重ねて要員派遣を要請したのに対して、桑野人事一部長から、右の理由で被控訴人を北海道営業所への派遣要員として推せんし、同所長もこれを応諾して、ここに会社は本件異動を決定するに至つた。

(4)  控訴人はかくして決定された本件異動を直ちに本人に伝えるべく、六月四日のうちに、桑野人事一部長は寺脇照明器具事業部長に電話したところ、偶々寺脇部長が同日名古屋へ出張し不在であつたため、翌五日午後電話で寺脇部長に本件異動命令を、本人に伝達する様指示し、そこで寺脇部長は同日午後四時頃被控訴人に対し右転勤命令を口頭で伝え、また六月六日同事業部片山総務課長より同月五日付の転勤辞令を交付し、その際同月一五日までに北海道営業所へ赴任するよう指示したが、これに対し被控訴人より一身上の都合で赴任時期を延ばして貰い度い旨希望申出があつたため、同総務課長において本社を通じ北海道営業所と交渉の結果、赴任時期が変更され、被控訴人は同月二二日北海道営業所に着任し、同月二五日本件仮処分申請をする一方、約一ケ月の研修を受けた上、同年七月二一日北見ナシヨナルの営業部長として出向を命ぜられて赴任し、同年一一月二一日同会社の常務取締役となり、その後昭和四一年六月二三日本件第一審判決を受けるまで通算満二年間北海道において、その職責に応じた勤務を続けていた。

原審ならびに当審における被控訴本人の供述中以上の認定および判断に反する部分は前掲各疎明に照らし採用しがたく、他に右認定を左右するに足る疎明はない。

以上のとおり、認定および判断されるので、本件は控訴人が被控訴人の立候補の意思を知つて、これを阻止したのではなく、単に組合活動の経歴を有する者に対する転勤発令の事案として、処理すべきものであるが、この場合の問題点についての当裁判所の考え方を要約すると次のとおりである。

控訴会社のごとく多数の従業員を擁し、国内国外の各地に事業所を有する大会社においては、適時に広範囲にわたる人事交流のための配置転換を行なう必要のあることはもちろんであり、この場合僻地特に寒冷地に転任することを好まない傾向から、人選難に陥る事例も往々見られるところである。それにも拘わらず、かような人選に際し、いわゆる組合活動の意欲ないし実績を持つ者については、その一事を以て必らずこれを選衡の対象から除外しなければならないと解することは、他の従業員と比較して、余りに人事の公平を失するものである。したがつて労組法第七条一号あるいは三号の適用についても個々の人選毎に、当該企業内の組合活動全体との関連におけるその者の位置その他一切の事情に加えて、企業側は、その者をいかなる地位につけようとしたか、これについての本人の適性の有無等をも考えあわせて決定すべきである。この見地から考えると、控訴人が被控訴人をあてようとしたポストは、いわゆる栄転にあたるか否かは全く別問題として、遠隔地ではあるが、それだけに一層一つの地域での責任者としての地位であつて、決して誰彼の区別なく容易に人選できる地位ではない。いわんや、仮りに控訴人側においても、被控訴人が自身で主張するような、組合活動以外に会社にとつて何のとりえもない危険人物であると考えていたとすれば、これを信頼して責任者としての任務を託することはない筈である。現に本人は、赴任後直ちに本件仮処分申請をしながらも、原判決の言渡まで約二年の長きにわたり、その責任を果して来たことも先きに認定したとおりであり、適性の点がこれらの状況からも裏づけられているのであつて、組合活動歴を有する者はもはや、通常の勤務に適しないと考えるべきではなく、その実例は世上数多く見られることである。

次に、原審証人桑野泰次郎、寺脇金二の証言によつても、従業員の転勤について、必らずしも、いわゆる内示の慣行があるとはいえないことが認められる。また控訴人が転勤の発令を急いだことも、以上に列挙したような諸般の情況の下においては、ただちに本件の結論に影響を及ぼすほどに、被控訴人に有利な判断をするに足る根拠となるものといえない。

かような次第であるから、控訴人が差当り組合における重要な地位から離れている被控訴人に本件転勤を命じたことは、別紙に掲げた被控訴人の詳細な主張をすべての疎明と対照して精査考察しても、労組法第七条一号所定の組合活動に関連した不利益取扱に当るものと解することはできない。

次に同条第三号の適用を考えてみても、以上に認定した事実関係特に本件転勤発令の当時の組合全体の情勢から見た場合、被控訴人のおかれていた位置を考えると、それが組合の自主性あるいは団結権の侵害となるとは到底謂えないので、いわゆる支配介入にも当らないものと解する。

四、被控訴人は本件転勤命令は、本人の意思を無視し従来の慣行を踏みにじつた不当違法な処分であるから当然無効であるとも主張するが、以上に判断したところから見て、そのような瑕疵にあたるとは認め難く、人事権の濫用とももちろん認められない。

五、されば、被控訴人の主張は、いずれの点においても失当で、従つて本件仮処分命令申請は理由がないので却下すべきものである。よつて、これと異る原判決を取消し主文のとおり判決する。

(裁判官 沢井種雄 賀集唱 潮久郎)

(別紙)

被控訴人の主張

第一、本件転勤命令発令の経緯について。

(一) 六年間にわたる組合専従から復職したばかりの被控訴人を、営業所営業要員に選んだ理由に蓋然性がない。にもかかわらず転勤せしめたのは、控訴人に明白な不当労働行為意図があつたからである。

(1) 被控訴人に営業経験はなかった。

被控訴人は過去昭和二八年五月から三二年八月の間、営業事務に携わつたのみで、いわゆる商売としての営業経験はない。

(2) 労働協約の建前上、被控訴人を直ちに転勤させることはできない。

協約第七七条七号が専従休職より復職さすべき職場を「原職」としているのは、不利な職場に復帰せしめるのを防ぐ趣旨である。被控訴人についても、この協約の建前からすれば、原職復帰後、一般に従業員が一つの仕事についている期間、即ち少くとも一年間以上、常識的には二、三年間は原職に留めない限り「原職に復帰せしめた」こととならず、右協約違反である。されば、控訴人が約一〇ケ月にして被控訴人を転勤させるのは、不当労働行為意図の表れに他ならない。

(3) 照明器具事業部には、営業所要員は、被控訴人以外にこそ多数いた。

以上の理由により、照明器具事業部から仮に二名の営業所要員の転出が必要であつたとしても、そのうちの一名に被控訴人をあてる理由はなかつたというべきであり、この点だけでも不当労働行為意図をうかがわせるに充分である。

(二) 発令に到る過程について。

(1) 控訴人は、昭和三九年三月頃被控訴人を具体的に指名して転出を求めた旨主張するが、事実に反する。被控訴人に対する本件転勤命令告知に際し、寺脇部長よりその点につき何らの言及のなかつたことが、右事実のないことの明白な証憑である。

(2) 控訴人の「昭和三九年六月四日に北海道営業所長五百森恵が本社に出張して来て桑野人事一部長と面会して本件転勤を決定した」旨の主張も、五百森証言と喰い違い事実に反する。

(3) 控訴人は「本件転勤を六月四日に決定し、照明器具事業部に伝えようとしたが、寺脇不在のため伝え得ず、よつて六月五日となつた」と主張するが、客観的疎明を伴つたものでなく、にわかに信じ得ないし、敢えて六月五日付としなければならなかつたかに、重大な疑問を残す。本件において控訴人がこの点の疑問すなわち「六月一五日付でも六月二二日付でもよかつたではないか、それなのになぜ六月五日としたのか」の疑問に釈明しない限り、他の疑点とともに不当労働行為意図に対する疑は晴れないというべきである。

第二、転勤発令の手続について。

(一) 会社には従来「事前に内示する慣行」に止らず現実に事前に本人に意向打診し、でき得れば本人の心からの了解と納得のうえで異動させるのを常とする慣行が存在していた。

この点控訴人の原審答弁書、昭和四一年一一月一日付準備書面の記述および、「可能な限り心掛けていた」という主張自体においてこれを自認しているものであり、「語るにおちる」とはまさにこのことをいう。

(二) 控訴人は、会社の如き大企業では、従業員の納得がなければ転勤させ得ないとなると会社に回復できない痛手をもたらすと主張するが、大企業になればなるほど組織的に運営され、社内の仕事は細分化され、一人の従業員の分担する仕事の範囲は相対的にせまく、全体に与える影響は少く、転勤の緊急性は少くなるというべきである。

(三) 実際のところ会社では辞令はほとんどの場合先日付小切手をもらうような形で手交されているのである。そしてその先日付はほぼ赴任日と合致する。その理由は辞令上の日付以後の給与を転勤先の事業場から支給するため、赴任日とほぼ一致せしめる必要が生ずる(そうでなければ、各事業場独立採算制とも矛盾してくる)。だから控訴人の「転勤を決定した日がそのまま発令日になることが多い」との主張は著しく事実に相違する。

したがつて本件のように六月六日に、五日付(即ち後日付)の辞令書が手交され、八日になつて一五日赴任が申渡され、さらに本人の要求によつて二〇日着任に変更されるなどということは全く前代未聞の異例さである。六月五日時点で控訴人が被控訴人を六月一五日赴任で転勤せしめたかつたのであれば、その時点で六月一五日付の辞令を手交すればよく、そうすれば、被控訴人は六月一四日までは照明器具事業部に在籍し、翌六日には立候補届出ができたであろう。そして投票は六月二五日であつたから、その結果が出るまで赴任を延期し、若し当選してもなお会社が被控訴人を転勤せしめたい意向であつたならば、組合との確認事項に基づきその措置を決めたであろうし、落選すれば被控訴人はその後直ちに赴任したであろう。

第三、本件転勤命令の緊急性について。

(一) たしかに、その頃北見ナシヨナルの業績が悪く、会社から誰かが出向して建直さねばならなかつたことはあるが、既に控訴人主張のとおり、友部は常務として数ケ月やつており、営業のベテラン服部がこれを助けていたのであり、緊急に出向しなければならない必要性はなかつた。

現に被控訴人に対する本件転勤命令は、北海道営業所でのSP要員ということであつたのに、赴任してみるとSPとは全然異る経理助成課勤務を命ぜられ、のち一ケ月して北見ナシヨナルへ出向を命ぜられたのである。

(二) しかも、北見ナシヨナル出向後の次の事情を見れば、緊急性の不存在はますますはつきりする。

被控訴人は、八月一日北見ナシヨナルへ営業部長として赴任したが、社長の義弟橋本薫が同じく営業部長の地位にあつて、後二ケ月余りも二人の営業部長が置かれた。その間被控訴人はこれという仕事もなかつた。

右橋本薫は北見ナシヨナルの子会社北見シグナス商事の経営が行詰り、その再建のため同社の小売部を独立の販売店となしたので、その店主に納り一〇月二〇日付で北見ナシヨナルを退職して、二人部長問題に片が付いたのである。そして右橋本薫の退職後、被控訴人は名実ともに営業部長となつたが、翌四〇年になつてやつと環境に適応し、仕事に慣れ、販売会社常務としてやつて行ける見透しがついたので、会社は同年一月二一日付で友部旭を北見ナシヨナルの常務取締役から解任し、被控訴人をかわつてこれに就任させたのである。

この様に被控訴人の出向(本件転勤)は緊急の必要どころか、中年の一人の幹部社員を押し出しによる退職に追いやり、転勤発令後実に七ケ月目にして漸く所期の目的を達したのであつて、何ら緊急の必要性は存しなかつたというべきである。

(三) 控訴人は、前記被控訴人が北海道営業所へ赴任してから、北見ナシヨナルへ出向を命ぜられるまでの約一ケ月間を教育訓練の期間だと主張するが、北海道営業所には、被控訴人が転勤した当時、販売会社に適する主任クラス以上の者が三四名在籍していた。これだけの人員がいる中で、特別な研修を経なければ出向させることができなく、しかも同営業所の責任者一同が一面識もない人間を、それほど緊急にせまられている販売会社への出向に遠く大阪の一事業部から選ばねばならないのか理解に苦しむ。

控訴人の主張によれば、被控訴人の北見ナシヨナルへの出向が急を要したというのであるから、会社内部においては六月五日以前に被控訴人を出向させることが決定されたということでなくてはならない。そしてそれが真に緊急の必要があれば、慣行に反した発令も止むを得なかつたであろう。しかし、会社が被控訴人を北見ナシヨナルへ出向させるべく決定したのは実に六月五日以降のことであり、更に北海道営業所への転勤後、同営業所において、被控訴人をいかなる業務につかせることがよいかを日にちをかけて検討した結果、北見ナシヨナルへの出向を決定したのであつて、六月五日には北見ナシヨナルへ出向させる目的をもつて急拠転勤させたのではないことは明らかである。

(四) しかも、被控訴人は北見ナシヨナルへの出向要員として必ずしも適任ではない。すなわち、被控訴人は照明器具事業部在任中も、北見ナシヨナル在勤中も、成績標準以上の昇給および賞与を得たことがない。また六年間もいわゆる我が社意識を排する労働運動のもつとも先鋭な第一線に立つて活動して来た者が、販売活動を唯一の任務とする会社の勤務に最適であるといい得ないことは多言を要しない。要するに被控訴人を北海道へ転勤させたのは、本人が再び組合役員にならぬよう、そして在阪の多くの組合員への影響を絶ち切るべくしたものであるというべきである。

第四、本件転勤命令と被控訴人の組合活動との関係について。

(一) 被控訴人の組合役員立候補の意思について

疏乙第九および第一一号証と当審証人脇豊の証言の一部を総合すれば、会社が支部選挙の施行期日および被控訴人の立候補意思を知つていたことが認められる。これを綜合すれば被控訴人が脇に対して「支部の執行委員についても立候補しない」などといつたのではなく、「本部と支部三役中央委員には出ない、だが、支部の執行委員には出る」と表明したことが明かである。

(二) 組合役員の異動について

控訴人は組合役員の異動についての確認事項は「慎重に配慮する」という程度のものであると主張するが、事実は運用面では協約本文と同一に扱われ、組合役員は右確認事項のため、その任期中はほとんど転勤はなされていない。従つて仮に被控訴人が本件転勤を命ぜられることなく立候補し当選していた(その可能性は大であつた)ならば、組合役員任期中であるその後一年間は会社は被控訴人を転勤させることはできなく、被控訴人が落選するまで転勤させられることはなかつた筈である。控訴人はこのことをよく知つたればこそ、この機会が将来のことを考えると残された最後の機会であるので、きわめて無理をして転勤させたのである。

第五、会社の労働組合に対する態度について。

控訴人のいう「会社が終始一貫して労働組合を尊重する態度を貫いて来た」というところの実態は、労政研究等に表われている様に、組合の運営に対するお節介、世話焼による不当労働行為に他ならない。その結果、現在の組合は、本件不当労働行為を自ら争うことをせず、被控訴人が独力でする争訟にまかせているのみならず、これを不当労働行為であると認定した第一審判決を批判するにまで至つて、会社側に追随する態度を示しているのであり、今後も控訴人は、かかる組合を尊重するであろう。

第六、保全の必要性について。

(一) 被控訴人が本件転勤により、組合員資格を失わないことは控訴人主張のとおりであるが、組合員資格を有することと、組合活動をなし得ることは同意義ではない。なかんずく組合役員に就任し得ることとは同意義でない。被控訴人所属の北海道支部のある札幌市と北見とは遠く距り、そのうえ争議時において出向社員は争議参加除外者とする協定があり、被控訴人がいかに優秀な組合活動家であつても、組合活動参加は不可能である。

(二) 本件第一審判決後においても、控訴人は一向にこれに従うことをせず、控訴中を理由に、被控訴人の再三に亘る判決遵守の要求を拒否している。そこで被控訴人は自ら判決内容を実行すべく、昭和四一年八月二三日以降照明器具事業部事務所に出勤しているが、会社側がこれを認めず、机もくれないので、毎日自分で用意したタイムカードを打刻し、事務所の一角の応接セツトに席を占め、読書などをして時間を過している。そして給与面でも北海道営業所より自宅宛送金を受けているが、北見ナシヨナル出向当時の諸手当はなくなつており、社宅を支給せず、家賃補助、交通費を支給せず、会社のリクリエーシヨン参加を拒否し、北海道よりの帰任旅費、家財運賃の支給なく、四一年下期一時金については八月二二日以降は欠勤扱いとしてするなど不当な取扱いをしている。

そして、被控訴人が右原職に復帰した後、本人は極めて活発な組合活動を行い、本件訴訟自体も非常にやりやすくなつているし、他の不当労働行為と斗う者との連帯連合も行われている。本人は二回に亘つて役員選挙にも立候補している。被控訴人の立候補は組合内にさまざまな論議を呼び、組合員に考える機会を作り、現実の労働組合活動に大きく貢献している。

本件仮処分の必要性が現実によつて裏付けられているというべきである。

(三) 控訴人は「被控訴人が右立候補の結果ほとんど無得票に近かつた」という。たしかにその事実はある。しかし、被控訴人ら左派が昭和三八年の年次大会で敗れたのは僅少の票差であつた。そうして敗北した被控訴人ら左派に対し会社は本件を始め幾多の不当な取扱をしたため数年後の今日その様な結果を招来したもので、控訴人はたくみにその目的を達したのであり、その達したことをもつて保全の必要性なしとすることは盗人猛々しいというべきである。前述の如く裁判所の不当労働行為認定にたいしても批判する様な組合で多数をもつて選任されたとしても果して労働組合の役員として選任されたことになるであろうか。そこで選任されなかつたことが真に労働者を代表していると言い切ることができるとさえ言えよう。労働運動は今日の松下労組の如き腐敗と混迷がそういつまでも続くものではなく、本当の波が打ち寄せてくる日も近い。

第七、結語

本件不当配転はいかなる性格の事件といえようか。その事の性質は不愉快極りないといえ、内容的には単純至極という他はない。何となれば遠島は昔からの支配階級の反逆者に対する刑罰ないし処分の一般的な手段であり、自明のものに過ぎないからである。近年においては、使用者がその従業員を転勤させることができることを利用し、組合活動家を遠く配転するというのは、労働組合を弱めるためのもつともポピユラーな手段である。疎甲第四六号証に示される如く、昭和四三ないし四五年六月までに全国の労働委員会において配転が不当労働行為と認定されたものが一一件の多きを数えている。本件もその典型的な一例にすぎない。

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