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大阪高等裁判所 昭和41年(行コ)117号 判決 1968年1月31日

控訴人 厚生大臣

代理人 上杉晴一郎 外一名

被控訴人 西村サタ子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は被告の負担とする。

事  実<省略>

理由

一、当裁判所も原告の請求を正当と考えるものであつて、その理由は、以下に記載する外、原判決に記載のとおりである。

(一)  (証拠省略)を綜合すると、次の事実を認めることができ、この認定をくつがえすに足る証拠がない。

1、西村富士馬は、明治三五年九月二日生れで、兵役として、大正一一年一二月一日から同一四年一一月三〇日まで現役(実役は同一二年一月一〇日から同一三年一一月三〇日まで)に服し、下士適任証書を付与された歩兵上等兵として、同一四年一二月一日ないし昭和五年三月三一日(以下昭和を省略する。)の間は予備役に服し、更に同年四月一日から後備役に服していた者であるところ、一三年六月一六日三六才の年令で応召して歩兵第一七〇聯隊第八中隊に編入された。

2、その後同人は、同年七月五日大阪港を出発、同月一〇日大連上陸、同月一二日から八月一五日まで錦県に駐屯、八月一日任歩兵伍長、八月一五日から九月二三日まで張鼓峯事件の為間島省龍井に駐屯、九月二三日第二一軍戦斗席列に入るため同所出発、大連港を経て一〇月一二日白耶士湾上陸同地付近の戦斗に参加、同月一二日から同月二八日まで追撃戦斗に参加、同月二九日から一一月三日に亘り師団の広州市付近への集結掩護のため鶴辺付近に於て警備勤務、同日以降広州市の内外の警備勤務、一四年三月二〇日任歩兵軍曹、五月三日発病入院し、七月七日台南陸軍病院に於て死亡し、歩兵曹長に任ぜられた。

3、同人は、右発病の直前である一三年一一月頃には西山部隊本部経理室で経理事務を担当し、同年一二月八日炊事係も兼務するようになつたが、その頃経理検査があつたため非常に多忙で、徹夜することが数日間続くようなこともあつた。

(二)  そこで、(証拠省略)を合せて考えると、台南陸軍病院長は、西村富士馬の死亡当時に、その病気を肝臓硬変症兼両側湿性胸膜炎と診断していたことが認められる。そして右事実により、同病院長は同人の主たる死因は肝臓硬変症であつて公務に起因しないものと判断したため、公務疾病の場合に調製を要する事実証明書が作成されなかつたことが推認されるのである。

(三)  ところで、(イ)肝臓硬変症の発病原因は、アルコール飲料の長期間の常習的摂取による場合が最も多く、ビールスによる肝炎の漫性化した場合、蛋白質、ビタミンの不足が長期継続した場合もあつて一元的ではなく、明らかなものではないが、発病から死亡までの期間は三年ないし六年のことが多いこと、(ロ)西村富士馬は、応召前に飲酒癖がなく、健康で真面目な生活態度であつたが、応召から死亡までの期間は約一年間であつたこと、(ハ)台南陸軍病院から留守家族宛の一四年六月(日不詳)の電報には「富士馬胸膜炎兼腹膜炎にて病重し」の趣旨の記載がなされていたことは、原判決認定のとおりである。

更に、(証拠省略)によると、肝臓硬変症の診断には非常に専門的な検査を要するものであるが、当時陸軍病院ではそのための十分な設備を欠いていたこと、当時の内地部隊の六万余名の患者中肝臓硬変症の患者は一名だけであつたというようにこれは軍隊内には珍しい病気であつて、その診療経験を有する軍医がほとんどいなかつたこと、結核性疾患として湿性胸膜炎と腹膜炎とが併発する場合が多いのに反し、結核性疾患ではない肝臓硬変症は胸膜炎と併発する例がほとんどなく、しかも腹膜炎と肝臓硬変症とは非常に症状の類似した病気であることをそれぞれ認めることができるのである。

以上の事実、西村富士馬の入院期間はこの種疾病診断のため必要とされる症状観察及び病理試験のために十分とはいえない二箇月間に過ぎなく、しかも同人はこの間に第一〇四師団第一野戦病院、台南陸軍病院高雄分院、同本院と転々移送されていた事実、及び、一般に内科部門では相当数の誤診が存在したという公知の事実を合せて考えると、同人が肝臓硬変症を患つていたということは非常に疑わしく、同人の死亡時の病気が前記病院長診断のように肝臓硬変症であつたものと断定することができない。(証拠省略)の右に反する部分は右診断の病名に誤りがなかつたことを前提とするものであるから、これを以て病名認定の資料とすることができなく、他に同人が肝臓硬変症を患つていたことを認めるに足る資料がない。

(四)  前記認定のとおり、西村富士馬は後備役に服していた三六才(現役の陸軍下士官は二十一、二才ないし二十五、六才)にもなつて応召し、その直後に戦時輸送により関東州、満洲、南支と気候風土の異なる外地を転々と移動させられ、長年に亘つた応召前の職業である外人商業会議所における貿易通信文の翻訳とは全く性質を異にする、歩兵下士官としての外地における戦斗参加及び警備勤務に続いて、経理室兼炊事係勤務で軍の経理検査を受けることになり、数日間も徹夜を続けなければならないような激務に就いていたものである。この事実に、前記のとおり兼症として両側湿性胸膜炎の診断がなされていた事実を合せて考えると、同人は応召後の戦時輸送による外地の転々たる移動、南支上陸直後の戦斗参加及び警備勤務に続いての年令不相応な激務による一箇年間に亘る極度の緊張と過労の連続のため、遂に両側湿性胸膜炎にかかり、これが原因となつて死亡したものと推認されるのである。

以上のような環境の下において疾病にかかつた場合には、これが明らかに公務との関連性を有しないものでない限り、その疾病は、公務遂行に起因し従つて公務上疾病にかかつたものと推認さるべきである。

同人のような応召中の下士官は隊内居住を強制せられていて、発病のときも軍隊外の医療施設の診療を受ける自由がなく、このような応召軍人の遺家族として、同人の応召後の生活状態についても発病後の病状についても確実な情報を入手することができず、死後も遺体を引き取ることすら許されていなかつた原告の立場を考慮するときは、同人の正確な死因が立証されていないとしても、動員召集により同人を前記のように自由が制限された立場においた国との関係である本件では前記の程度を以て同人の死亡が公務疾病によることの立証を尽したものと解すべきである。よつて、反対事実を肯定するに足る証拠のない本件では、同人の死亡は公務遂行と相当因果関係にある疾病によるものといわなければならない。

二、しからば、原告の遺族年金受給申請を却下した処分を違法として取消した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 乾久治 前田覚郎 新居康志)

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