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大阪高等裁判所 昭和41年(行コ)30号 判決 1968年4月26日

大阪市阿倍野区阪南町西一丁目二七番地の一

控訴人

酒井武夫

みぎ訴訟代理人弁護士

布井要太郎

市同区同町中二丁目四七番地

被控訴人

阿倍野税務署長

井上清藤

みぎ指定代理人大蔵事務官

坂上竜二

片岡英明

検事 北谷健一

法務事務官 奥田五男

みぎ当事者の贈与税同加算税賦課処分取消請求控訴事件につき当裁判所は左のとおり判決する。

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が昭和三八年一二月五日付で控訴人に対してした贈与税賦課決定ならびに無申告加算税の賦課決定をいずれも取り消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴人指定代理人は本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人の負担とする旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述および証拠関係は、控訴代理人において当審証人松本千代子、同青木源治郎、森田亀喜知の各証言と、当審における控訴本人尋問の結果を援用すると述べた外は、いずれも原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

理由

一、被控訴人が昭和三八年一二月五日控訴人に対し、昭和三五年度の贈与税額を金四六万円とする決定ならびに無申告加算税額を金一一万五、〇〇〇円とする譲渡決定をし、同日控訴人に通知したことおよび控訴人が被控訴人に対し、同年同月一六日みぎ各決定について異議の申立て(後に国税通則法八〇条により審査請求とみなされた)をしたところ、訴外大阪国税局長は、昭和三九年一〇月二二日付でみぎ決定の一部を取り消し、贈与税額を一八万二、一三〇円、無申告加算税額を金四万五、五〇〇円とする旨の裁決をしたことは当事者間に争いはない。

二、控訴人はみぎ各決定(ただし各金額は裁決により減額されたものによる)はその原因である贈与が存在しないから違法であると主張するに対し、被控訴人は控訴人の父訴外酒井平太郎(以下単に平太郎という)が数十年前から原判決別紙目録記載第二の建物(以下単に松崎町の建物という)を訴外松本鶴喜知から賃借居住していたところ、昭和三五年春ころみぎ松本は松崎町の建物を訴外大和新産業株式会社(以下単に訴外会社という)に売却したので、賃借人平太郎において、松崎町の建物から立退費用または対価として昭和三五年七月一七日訴外会社より価額金一〇五万五、一七〇円相当の原判決別紙目録記載第一の土地建物(以下本件物件という)を受領し、同日これを控訴人に贈与したのであるから、本件課税賦課決定の原因は存在する旨主張し、これに対し控訴人においては、昭和三五年七月一七日当時の松崎町の建物の賃借人は控訴人であり従ってこれを立退費用またはその対価として受領した者も控訴人である旨抗争するので以下この争点について判断する。

三、松崎町の建物の賃貸人が訴外松本鶴喜知であったこと、同訴外人が昭和三五年春これを訴外会社に売却したこと、訴外会社はみぎ建物の賃借人のため同年七月一七日本件物件(時価一〇五万七、一七〇円相当)を訴外鍬苅克己から取消し、これを賃借人に譲渡したこと、本件物件は中間者を省略して直接控訴人に所有権移転登記がなされたこと、以上の事実は当事者間に争いがないから、唯一の争点は、その当時松崎町の建物の賃借人従って訴外会社より本件建物を譲り受けた者が平太郎であるか控訴人であるかにある。

四、よって按ずるに、成立に争いのない甲第三号証、当審証人森田亀喜知の証言により同人作成の文書として成立の認められる甲第四号証の一、原審証人青木源治郎の証言により署名部分の成立が認められるから真正に成立したものと推定される甲第四号証の二、および原、当審証人松本千代子、同青木源治郎、同森田亀喜知、原審証人竹中光二の各証言ならびに原、当審における控訴本人尋問の結果を総合すると、

(一)  控訴人の父平太郎(昭和三七年一〇月没)は、訴外松本鶴喜知から昭和二年頃松崎町の建物を賃借し久保田鉄工所に勤務していたが、昭和一三年退職したものであるが、財産の大部分を預金としていたため戦後のインフレの結果生活能力を失い以後は控訴人の扶養の下に生活していたものであること、

(二)  控訴人はみぎ平太郎と共に松崎町の建物に居住していたもので、昭和一九年頃には結婚して岸の里に分れたが昭和二〇年三月の空襲で焼け出されて再び松崎町の建物に帰り、また昭和二三年頃曾根崎に店を持ちそちらへ移ったが、月月平太郎に一万円位宛を扶養料として与え戦後は松崎町の家賃も控訴人が支払って来た。そして控訴人は昭和三四年七月三一日曾根崎の店は他人に貸して再び松崎町の建物に戻り昭和三五年八月一日本件建物に移るまで松崎町の建物に居住したこと、

(三)  その間も控訴人はしばしば松崎町の建物に帰来していたものであって、昭和二四年四月ころそれまでみぎ建物の賃借人名義は平太郎となっていたのを、家主松本鶴喜知に対し、控訴人名義に切り替えることを申し出で、家賃を大幅に値上の上承諾をえてみぎ名義を切り替え、それまで平太郎の代理として支払っていた家賃を爾後は自己の家賃として支払ったこと、

(四)  昭和三五年四月ころは、もはや平太郎は老衰で寝たきりであり、家主松本からの松崎町の建物の明渡しの交渉を受けた控訴人においては、移転先家屋の提供を求めたところ不動産会社を通じて本件家屋提供の申出があったものであり、その間の交渉万端はもとより控訴人がこれに当ったものであること、

(五)  甲第四号証の一の証明書は、控訴人よりの求めにより昭和三八年一一月一六日控訴人が本件贈与税を税務署が課税することを知り、その下書きは控訴人の方で作成して、松本鶴喜知(昭和三七年五月没)の妻貞子の証明を求めようとしたものであるが、同女は病気のためその妹千代子は森田亀喜知にこのような証明をしてよいものかどうか相談を持ちかけた。よって亀喜知は、慎重に、借家台帳家賃通帳などを探すよう命じたが、何分松本は戦災で焼出され何一つ持ち出すことが出来なかったもので、証拠書類としては何も残っていなかったが、病中の貞子にも聞き、同女や千代子のおぼろげな記憶ながら控訴人の申出で事項に間違いのないことを確めた上、亀喜知において控訴人の下書きに基づきこれを証明書として書き与えたもので、その間控訴人と貞子らとの間に通謀の上虚偽の文書を作成するなどの事蹟は一切なかったこと、

以上の通り認定することができる。

五、(一) 原、当審証人松本千代子の証言により真正に成立したものと認められる乙第三、四号証によれば、前記松崎町の建物の賃借人名義変更についてこれを証するに足るなんらの証拠書類もなかった事実はこれを認めることが出来るけれども、賃借人名義を平太郎より控訴人に切り替えるについてその契約は必ずしも書面をもってすることではなく、甲第四号証の一の証明書作成の経過が前認定のとおりである限り、乙第三、四号証によってはいまだ前認定を覆えすに足りない。

(二) 成立に争いのない乙第二号証によれば、控訴人は本件家屋へ昭和三九年三月一七日大阪市東区瓦町五丁目三三番地から転居した旨住民登録されていることが認められるが、原、当審における控訴本人尋問の結果と成立に争いのない甲第五号証の一ないし三によれば、これは控訴人がその娘美和子を東区瓦町を通学区域とする愛日小学校へ通学させるために作為したにすぎぬもので、東区瓦町五丁目三三番地に控訴人が真実居住したものではないことが認められるのであるから前認定に反する資料とはし難い。

他に前認定を覆えすに足りる証拠はない。

六、以上認定事実によると、昭和三五年七月当時の松崎町の建物の賃借人従ってその賃借家屋よりの移転費用ないし対価として本件物件の譲渡を受けた者は正しく控訴人であって平太郎ではないから、平太郎が一旦その譲渡を受けこれを控訴人に贈与した事実はその証明がないことに帰し、控訴人に対し他の課税処分をするのは格別、本件物件について贈与税を課することはその課税原因を欠く点において違法であることを免れない。

よって控訴人の本訴請求は理由があるにもかかわらず、これを排斥した原判決は失当であって、本件控訴は理由があるから当裁判所は原判決を取り消し、本件各課税処分を取り消し、訴訟費用について民訴法三八六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長判事 宅間達彦 判事 長瀬清澄 判事 古崎慶長)

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