大阪高等裁判所 昭和41年(行コ)9号 判決 1970年7月30日
控訴人
大阪府知事
代理人
中井弥六
右補助参加人
安達新太郎
同
安達直祐
右両名代理人
田中肇
同
稲寺増太郎
右代理人
中井弥六
同
山村恒年
被控訴人
木村権右衛門
代理人
西村日吉麿
同
水島林
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の請求はこれを棄却する。
訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張ならびに証拠関係はつぎに加えるほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
(控訴人および補助参加人稲寺の主張)<省略>
(補助参加人安達新太郎及び同安達直祐の主張)
本件農地は、買収処分を経て昭和二三年七月二日補助参加人稲寺増太郎に売渡処分がなされ、昭和二五年一一月一七日同参加人に所有権移転登記がなされた後、昭和三五年一二月九日分筆されて(イ)大阪市生野区巽西足代町九九番地の一、畑二畝六歩と(ロ)同所九九番地の三、畑二畝二〇歩の二筆になり、同補助参加人において、昭和三六年三月二八日右(イ)の畑を補助参加人安達新太郎に、また同年三月二日(ロ)の畑を補助参加人安達直祐に各売渡し、前者については同年四月一四日、後者については同月一七日それぞれ所有権移転登記がなされた。補助参加人稲寺は売渡処分による所有権移転登記がなされた昭和二五年一一月一七日以降所有の意思を以て平穏公然に本件土地を占有使用し、かつ占有の始め善意であつて過失がなかつたことは、その占有の開始が売渡処分に基づくことから考察して明らかであるから、右登記の日から起算し一〇年を経過した昭和三五年一一月一六日を以て取得時効が完成したのであり、同人よりその後本件土地を買受けた補助参加人安達新太郎及び同安達直祐においてそれぞれ右取得時効の援用をする。さすれば、被控訴人は本訴の勝敗如何にかかわらず、本件土地の所有権を失い、これを回復することはできないのであるから、本訴は訴えの利益を欠くに至つたものである。
なお取得時効の中断事由たる裁判上の請求は、取得時効の援用をなしうる者に対してなすことを必要とし、行政庁に対する買収計画取消訴訟ないしは買収処分取消訴訟の提起を以て中断事由とすることはできない。また被控訴人は行政処分取消訴訟に併合して、占有者に対する所有権確認訴訟を提起することができるのであるから、被控訴人に取得時効中断の方法がないとすることは誤りである。
(被控訴人の主張)
一 補助参加人主張の取得時効は完成していない。
(イ) 補助参加人主張の如く本件農地が補助参加人稲寺増太郎に対し売渡処分がなされ、同人よりさらに補助参加人安達新太郎及び同安達直祐に売却されたことは認める。
しかし、一般に農地の買収処分あるいはその前提をなす買収計画の処分に対し取消を求める訴訟を提起するときは、それによつて買収農地の売渡処分により当該農地を占有している者の取得時効は中断されるものと解すべきである。したがつて本訴取消訴訟の係属している限り取得時効は中断中であるというべきである。けだし被買収者が売渡処分をした知事もしくは売渡処分を受けた者を相手方として、売渡処分無効確認あるいは所有権取得登記抹消請求の訴えを起すことはできないからである。売渡処分に先行する買収処分あるいは買収計画につき取消の判決が確定してから後時効中断の手段を講ずれば足りると解するのが妥当である。
(ロ) 本件農地の売渡処分を受けた補助参加人稲寺は、自己が後述の如く自創法所定の小作人でなく、したがつて買収農地の売渡を受ける資格を欠いていたことを知つていたものであり、かりにそうでなくても知らないことに過失があり、本件農地占有にあたり悪意・過失があるから民法一六二条二項の適用はなく、取得時効は完成していない。
二 <省略>
(証拠関係)<省略>
理由
一、本案前の主張について
補助参加人安達新太郎及び同安達直祐は、本件農地は同人らが取得時効によつて原始取得するに至つたのであるから、たとえ本訴買収計画取消訴訟において被控訴人が勝訴しても当該農地の所有権が被控訴人に復帰するわけでないから、被控訴人の本訴は訴えの利益を欠くと主張するので、まずこの点について検討する。
本件農地が本訴の買収計画を経て買収された後、補助参加人稲寺増太郎に売渡され、同人はこれを二筆に分筆した上補助参加人安達新太郎及び同安達直祐に売却したことは当事者間に争いがない。
そして買収計画が判決によつて取消されるときは、その効力は第三者にも及ぶのであり、また買収計画を不可欠の構成要素とする買収処分は失効し、したがつてまた売渡処分も無効となるのであるから、補助参加人稲寺は所有権を取得しなかつたことになるし、補助参加人安達新太郎及び安達直祐の所有権もまた否定される関係にある。したがつて、右の補助参加はいわゆる共同訴訟的補助参加に属し、補助参加人は必要的共同訴訟の当事者と同様の立場に立ち、自己のみが行使できる取得時効の援用権を行使し、これを以て取消訴訟の訴えの利益を否定することができるのはいうまでもない。
ところで、農地買収計画ないし買収処分取消訴訟の係属中において、当該農地の取得時効の完成を肯定するためには、被買収者たる旧所有者において、時効中断の法的手段をとりうることを前提としなければならないことは、時効制度の趣旨に照して明らかである。そしてその法的手段は任意の承認が期待できない通常の場合は裁判上の請求でおるが、買収計画ないし買収処分取消の判決が確定しない以上、被買収者が売渡を受けた農地占有者に対し農地の返還請求、所有権確認請求あるいは承認請求(民法一六六条二項但書参照)等の訴えを提起しても請求棄却の判決を免れず、時効中断の目的を達し得ない。さればといつて買収計画ないし買収処分取消判決の確定を条件とする返還請求といつた将来の給付の訴えを提起しても、その請求権の発生する私法上の基礎的関係を欠く点で不適法であり(基礎的関係は右の取消訴訟で判定すべき事項に属する。)排斥を免れないし(最判、昭和四四・一一・一三、判例時報五七九号六三頁参照)、将来の所有権確認請求その他の請求も許されないこというまでもない。もつとも行政訴訟では取消訴訟と右の如き返還請求訴訟とを関連請求として併合提起することを許しているが、右は、返還請求とその先決関係をなす処分取消請求につき共通の審理判定が行なわれ、両個の請求について同時に矛盾のない判決がなされうることを考慮して設けられたものであり、訴訟経済的な観点に立つ便宜的な制度に過ぎない。したがつて右併合訴訟の下では、取消判決をなしうることが明らかとなつたときは、その確定前でも、返還請求を認容する判決をなしうることを予定するものではあるけれども、そのことから右併合訴訟の提起によつて被買収農地について進行中の取得時効が中断されるとの結論を導き出すことはできない。けだし、右併合訴訟において取消判決をなすべきものとするときは、その確定をまたずに返還請求認容の判決をなしうるということと、右併合訴訟の提起が取得時効中断事由に該当するかどうかということとは別個の問題であるからである。取消訴訟と返還請求訴訟とは被告を異にする別個の訴訟であり、取得時効の中断に役立つのは後者の訴訟であつて、しかも右訴訟においてなされる返還請求認容の判決も、最終の口頭弁論期日を基準にして考察するときは、その実質はやはり取消判決の確定を条件とした将来の給付の判決であることには変りはなく、この点、形成、給付を内容とする一つの実体上の権利について訴訟上の行使を必要とされる場合(たとえば詐害行為取消と返還請求、否認権行使による返還請求)と自ら異なるものがあるのであつて、取消請求と返還請求とを含めた併合訴訟を以て中断事由たる裁判上の請求とみることはできない。両者の請求の併合訴訟が許されているのは、両請求についての判決が通常同時に確定するからであろうが、訴訟法上は右のような同時確定の保障はない。とくに両個の請求について普通の共同訴訟の形態をとる関係上、返還請求認容の判決が確定しているのに取消判決が未確定の場合は勿論、上告の結果敗訴になることも絶無ではない。そして敗訴の判決が確定すれば、返還請求認容の判決は効力を生じないことになるし、また取消判決が返還認容の判決に遅れて確定するときは、その時から時効中断の効力を生ずるものというべきである。けだし、右返還請求の実質が取消判決の確定を条件とする将来の給付請求である限り、たとえ右請求を認容する判決が確定しても、取消判決の確定を伴わない限り、取得時効の対象物件に対する継続的な占有状態を否定して権利関係を確定するとか、権利関係を明確化させる機能は殆んどもつていないのであつて、この返還請求だけでは、時効中断事由たる裁判上の請求に値しないものというべく、この返還請求に、別訴における取消判決の確定という外来的な要素が加わり、将来の請求から現在の請求に変化するに至つて始めて中断事由にふさわしい右の機能を生じ、裁判上の請求たる適格をもつに至るのであるから、その前段階における返還請求の訴え提起の時に遡つて時効中断の効力を生ずるものとなすに由なきことは、訴えの変更による時効中断の効力が変更申立書提出の時から効力を生ずるものとされているのと趣旨を同じくする。そしてまたこの理論を以てすれば、取消判決と返還請求認容の判決とが同時に確定した場合も、その結論を異にしないことはいうまでもない。
以上のような次第であつて、被買収農地の取得時効中断事由たる裁判上の請求は、第三者即ち被買収農地の占有者に対しても効力の及ぶ、買収計画ないし買収処分取消判決の確定を伴つて始めて中断の効力を生ずるのであるから、右処分取消訴訟係属中に取得時効完成を理由に訴えの利益を否定することは、即ち被買収者から有効な時効中断の法的手段を奪うことになつて不合理である。むしろ買収計画ないし買収処分の取消訴訟については極めて短期の出訴期間が定められ、取得時効期間経過後の出訴などは全く考えられないこと、被買収地の返還請求権は取消判決が確定しない以上発生しないことから、被買収者にとつては先ず取消判決を得ることが肝要であり、返還請求はそれから後でも事足ると考えるのが通常であつて、取消訴訟に返還請求の訴えを併合提起しなくても、権利の上に眠るものとはいえないこと等の諸点を併せ考慮するとき、被買収地についての取得時効の進行は、中断事由たる裁判上の請求が無条件に可能かつ容易となつたとき、即ち右取消の判決が確定したときから始めて進行するものと解するのが相当である。
この点は、被買収者がいつでも占有者に対し返還請求その他私法上の請求のできる買収処分無効の場合と異るところであつて、買収計画ないし買収処分取消の場合は、たとえ取消訴訟に併合して返還請求の訴えを提起しなくても、権利の上に眠る者とはいえず、取得時効の進行しないこと前記のとおりであるから、取得時効の完成を理由に、本件訴訟の訴えの利益を否定する補助参加人らの主張は採用できない。
二、よつて本案について判断する。
被控訴人の所有であつた本件土地について、被控訴人主張のとおり自創法三条一項一号に基づいて買収計画が定められ、異議、訴願の手続を経て訴願棄却の裁決があつたことは控訴人の明らかに争わないところであり、また本件土地が農地であることは当事者間に争いのないところである。被控訴人が右買収計画の瑕疵として主張するところは、本件土地が小作地でなかつたこと及び本件土地が自創法五条五号所定の買収除外地であつたとの二点であり、その他の買収計画に必要な実体上あるいは形式上の要件を備えていたものであることは明らかに争わないところであるから、以下被控訴人主張の右瑕疵の有無について判断する。
三、本件土地は小作地であつたか。
<証拠略>によると、本件土地は補助参加人稲寺増太郎の父稲寺庄太郎が明治時代に被控訴人から賃借し、本件買収計画樹立の昭和二三年当時は稲寺増太郎が親の代からの賃借関係を引継ぎ、本件土地を耕作していたものであり、いわゆる小作地であつたことが認められる。
もつとも<以下若干の証拠判断=省略>そのほか本件に現われた全証拠によるも、いまだ前記認定を覆し本件土地が被控訴人主張の耕作請負地であつた事実を認定するのに十分でない。
四、本件土地は、自創法五条五号該当地であつたか。
(1) 被控訴人は本件土地は右の買収除外地であつたと主張するがこれを認めるに足る証拠がない。
(2) <証拠略>を綜合すると、買収計画当時における本件土地の立地条件ならびに附近宅地の状況は概ね原判決添付図面のとおりであり、さらにこれを細説すると、本件土地の南側は府道大阪八尾線(難波、足代線又は勝山線とも称する)に面し、西側は北方に通ずる4.5米の道路に面する角地であつて附近の状況はつぎのとおりである。
(イ) 本件土地の北側は西側の道路に沿つてその両側に家屋が六軒位建ち並び、その道路が前記府道の北側約一〇〇米のところでこれに平行して東西に通ずる道路(なお現在はその中間にも東西に通ずる道路があるが、本件買収計画当時この道路が存在していたかどうか明らかでない。)と交叉し、さらに北に進む両側も宅地になつていた。なお、右交叉点を東西に通ずる道路の北方一帯は、大阪市の接続町村をなし、本件買収後に、自創法五条四号の買収除外指定地域となつた。
(ロ) 東側も西側も田畑が前記府道に沿つて続き、府道とその北方平行に走る前記道路との間は人家がまばらであり、同所より最も近距離の人家は東北方五〇米位の所に存する少数の人家と西方二〇〇米足らずの地点にある弥栄電線株式会社工場である。
(ハ) 南方は府道を隔てて西足代部落約一五〇戸があるが、その殆んどは農家であつてその周辺一帯は広大な田畑である。
(ニ) 前記府道は戦前から存在していたが、終戦近い頃からその拡張が企てられ、そのため本件土地も七畝五歩から四畝二六歩に削減されたのであるが、昭和三一、二年頃には幅員六米が舗装され、更にその後幅員二五米(車道部分の幅員二〇米は舗装)に拡張された。
(ホ) 要するに、本件土地はその北方巽町の人家集団地域の末端にあつて、人家まばらな町はずれに属し、その東西両側一帯は農地であり、南方は前記府道を越えて四方に広がる広大な農地に面していたといえる。
(3) 土地区画整理地であつたか。
被控訴人は本件土地ならびにその周辺地域について宅地化のための土地区画整理が行なわれたかのように主張し、原審ならびに当審証人西村伊三郎はほぼ右主張に添うような証言をしているが、後記証拠に照して信用し難く、他にこれを認めるに足る証拠はない。むしろ<証拠略>によると、昭和二年頃、加美、巽、長瀬三箇村耕地整理組合が設けられ、その整理事業は昭和一三、四年頃に至つて完成したのであるが、右組合は大正一三年頃の大旱魃が直接のきつかけとなり、本件土地を含む右三箇村の広大な耕地を対象としてその用水、排水の便をはかり、乾田、湿田の改良に重点をおき、併せて耕地区画の整正、農業道路の敷設等、農業生産の向上を目的としたものであつて、市街地ないし宅地の造成あるいはその利用の増進を目的とするものでなかつたこと、そして右整理事業完成後は加美、巽、長瀬普通水利組合がそのあとを引継ぎ、昭和二一年五月一日からこれが土地改良区に組織変更され、農業生産の向上に貢献して来たことが認められるから被控訴人の右主張は採用できない。
(4) 本件土地附近の宅地化はいつ始まつたか。
<証拠略>を綜合すると、本件土地附近が宅地化され始めたのは大体昭和三〇年から昭和三四年にかけてであつて、昭和三〇年に本件土地附近が大阪市生野区に編入され、その後昭和三一・二年頃前記府道の拡張舗装が進み、バスの通行により交通の便がよくなるに伴い、徐々に人家が建ち始め、昭和三四年以降からは会社情勢の変化とともに急速に宅地化が進み、府道の拡張整備、平野川分水路による排水の改善は更にこれを助長し、昭和四〇年頃には、原審検証の結果によつて明らかなような市街地の様相を呈するに至つたものであることが認められる。
(5) 本件買収計画当時の本件土地の状況は前記(2)で認定したとおりであつて、その周辺は大体農地で囲まれていたといつても過言でない。当時の立地条件その他四囲の環境から前記のような宅地化を予想することは困難である。右のような急速な宅地化にはむしろ予測できない社会情勢の急激な変化が与つて力あつたといえる。それにしても昭和二三年の買収計画当時から一〇年近い歳月を要しているのであるから本件買収計画当時において本件土地が「近く使用目的変更を相当とする農地」であり、自創法五条五号該当地であつたとすることはできない。
五、そうであれば、本件土地を自創法五条五号所定の買収除外地とせずに、不在地主の小作地であることを理由にしてなされた本件買収計画ならびに訴願棄却の裁決に何ら瑕疵はないものといわなければならない(なお大阪府農地委員会に対する本訴が控訴人に受け継がれたものであることは、法律上明らかである。)。
したがつて、控訴人に対し買収計画ならびに訴願棄却の裁決の取消を求める被控訴人の本訴請求は失当として棄却すべく、これと異る原判決は取消を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。(金田宇佐夫 西山要 中川臣朗)