大阪高等裁判所 昭和42年(う)1524号 判決 1968年1月30日
被告人 吉岡求
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一月及び罰金一万円に処する。
右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
但し、この裁判確定の日より二年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人金子光一、同本井吉雄連名作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官上西一二作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意第一点について
論旨は要するに原判示(一)の事実につき、被告人は原判示各交差点に進入するに際し、一時停止をしなかつたのは原判示公安委員会の一時停止すべき場所と指定した道路標識に気づかなかつたためであるから、過失犯として道路交通法一一九条二項に問擬せられるべきであつて、故意犯と認めた原判決には事実の誤認があるというのである。
よつて、案ずるに、被告人が原判示冒頭記載の如く昭和四二年二月二八日午前五時過頃飲酒のうえ普通乗用自動車を運転し、原判示東山ドライブウエー料金徴収所前三差路に差しかかり、同所に待機中のパトカーを見て飲酒運転(所論はこれを原判決が酩酊運転と判示したのも事実誤認であると主張するが、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認ではない。)をとがめられることを恐れて引返そうとしたため、時刻からみてもその態度を怪しいと不審を抱いたパトカーの警察官から停車を命ぜられたのに、これに従わないで逃げようとして追跡を受け、約一五分間にわたり京都市内を暴走し原判示五条通り烏丸交差点附近で漸く停車したこと、その間において被告人はいずれも交通整理の行われていない原判示(一)の1ないし4の各交差点に入るに際し、一時停止をしなかつたこと、被告人が入ろうとした右各交差点の手前の道路にはいずれも京都府公安委員会が一時停止すべき場所と指定した道路標識が設置されていたことは証拠上明らかである。そこで、被告人が右各交差点に入るに際し、右公安委員会が指定した場所で一時停止しなかつたのが、故意によるものか、過失によるものかについて検討すると、所論が指摘するように、被告人は検察事務官に対する昭和四二年六月五日附の供述調書において右各交差点に入るに際し、前記公安委員会の設置した一時停止の道路標識には全く気づかず、逃げるのに夢中で目に入らなかつた趣旨の供述をしていることが認められる。そして被告人が前記の如く東山ドライブウエー料金徴収所附近で警察官からの自動車検問を避けて逃走したのは被告人が当審公判廷においても供述するように、被告人は多数の道路交通法違反の前科を有するとはいえ、酒酔い運転によつて処罰されたことはなかつたところ、本件当時飲酒運転をしており、これが発覚すると厳しく処罰されるのではないかと思い、殊に行政処分としても運転免許取消といつた自己の職業に差しつかえる強い処分を受けることになるのを怖れた結果であると認められるが、前記の如く追跡を受けて逃げるのに夢中であつたため、道路標識に気づかなかつたという被告人の弁疎は当時の状況に照らし、充分に肯けるものであつて、過去に自動車を運転して右各交差点附近を通つたことはないと弁疎している当審における被告人の供述も、排斥し難い。従つて、右の点を考慮すると、被告人が原審第一回公判における冒頭の被告事件に対する陳述として、原判示(一)の事実と同一の故意による指定場所における一時停止違反の公訴事実を含めた本件各公訴事実につき事実はいずれもそのとおり間違いありませんと供述していることが明らかであるが、弁護人の関与もなかつた原審公判における右供述をもつて、直ちに、被告人が前記各交差点に入るに際し公安委員会によつて一時停止すべき場所と指定した道路標識の存在を認識していたものと認めるのは困難であり、右のように認めるべき証拠は他に存在しないのである。もつとも、原判決が罪証に供した被告人の検察事務官に対する同月一七日附供述調書によれば、被告人は交差点で一時停止するのは常識であつたが、当時パトカーの追跡を逃がれるために全く停止しなかつたものであつて、各交差点での「止まれ」の道路標識に気づいていたとしても、なお判つていたとしても、一時停止しておれば捕つて了い逃げる目的がなくなつて了うから、当然止まりはしなかつたと思います旨供述しており、右供述は被告人が捜査官から尋ねられて率直に自己の気持を述べたものとみられ、又被告人がパトカーから追跡を受けて逃げる途中において原判示(二)記載の如く他の交差点における止まれの赤色信号を無視したり、原判示(三)記載の如く毎時約八六粁の高速で進行した事実も認められるのであるが、右のような被告人の供述と逃走状況からみて答弁書が主張するように被告人が交通信号や道路標識等の交通規制をすべて無視して守ろうとせず、当初から違反を犯して逃走しようという包括的な確定犯意を有するものとの見解をとつて本件違反につき故意を認めるのは証拠上無理である。(被告人の司法警察員に対する供述調書によると、被告人は逃走中原判示(一)1の古川通りと仁王門通りとの交差点を一時停止せずに左折した後右仁王門通りから東大路通りに左折して南進し、これと三条通りとの交差点で赤色止まれの信号に従つて停車した事実も認められるのである。)そもそも、道路交通法四三条にいう公安委員会が行う一時停止の指定は同法九条、同法施行令七条の規定に照らし、その処分の内容を標示する道路標識の設置によつてなされなければ法的効力を生じないと解される(道路交通取締法に関する昭和三七年四月二〇日最高裁判決参照)ことから、当該交差点の指定場所が道路標識の設置によつて一時停止を命ぜられた場所であることは同法四三条、一一九条一項二号違反の罪の構成要件の内容をなす事実であるとみるべきであり、同条二項には右罪の過失犯も規定されているのであるから、右罪の故意犯を認めるには右のような道路標識を現認することまでは必ずしも必要でないとしても、少くともその存在を認識して一時停止すべく指定された場所であることを知つていなければならないと解せられるところ、本件においては被告人が右のような認識を未必的に有したものとみられる証拠もないのであつて、すべての交差点について一時停止の規制がなされているわけではないから答弁書が主張するように京都市の如き大都市の市街地の交差点においては一時停止の交通規制(徐行について道路交通法四二条による規制があることは別問題である)が存することは社会通念上顕著のことであるとは必ずしもいうことができないし、もしこれを自動車運転者である被告人として当然認識すべきであるというのならば正に過失責任を問うことになるのである。してみると、被告人を原判示(一)記載の如く同法四三条、一一九条一項二号違反の故意犯の罪を認定するには証明が充分でない。されば右故意犯の罪を認定して右法令を適用した原判決には事実誤認又は法令の解釈適用の誤りがあるというべきであり、この誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これと原判示(二)(三)の罪とは刑法四五条の併合罪として一個の刑を言い渡した原判決は他の控訴趣意に対する判断をまつまでもなく全部破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて量刑不当の主張に対する判断を省略し刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、更に判決することとし、原判決が適法に確定した(二)(三)の各事実のほかに当審において追加された予備的訴因に基き原判示(一)の事実に代え、次の事実を認定する。
罪となるべき事実
被告人は法定の除外事由がないのに、昭和四二年二月二八日午前五時二〇分頃、京都府公安委員会が道路標識によつて、一時停止すべき場所と指定した。
1、京都市左京区古川通り、仁王門通り交差点
2、同市同区仁王門通り、川端通り交差点
3、同市中京区木屋町通り、三条通り交差点
4、同市下京区木屋町通り、五条通り交差点
の各附近道路において、普通乗用車を運転して、右各交差点に入るに際し、前方の道路標識の表示に注意して運転すべき義務を怠つて進行した過失により、一時停止すべき場所であることに気づかないで一時停止をしなかつたものである。
二 証拠
原判決挙示の証拠(但し、被告人の当公廷における供述とあるのは原審公判廷における供述記載と訂正)のほか、被告人の当公判廷における供述
原審が適法に確定した事実及び当審が認定した右事実に法令を適用すると、当審が認定した事実は各道路交通法四三条、九条二項、一一九条一項二号、二項、同法施行令七条に、原判示(二)の事実は同法四条二項、一一九条一項一号、同法施行令二条一項、原判示(三)の事実は同法六八条、二二条二項、九条二項、一一八条一項三号、同法施行令七条に該当するところ、原判示確定裁判にかかる罪と本件各罪とは刑法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条により未だ裁判を経ない本件各罪につき処断することとし、原判示(二)(三)の各罪の所定刑中各懲役刑を選択したうえ、以上につき刑法四五条前段、そのうち懲役刑については同法四七条本文、一〇条により重き原判示(二)の罪の刑により併合罪の加重をした刑期、罰金刑にかかる分については同法四八条二項により各罪について定めた罰金の合算額以下の各範囲内で量刑し懲役及び罰金の併科につき同法四八条一項を適用し、右罰金不完納の場合につき刑法一八条懲役刑の刑執行猶予につき刑法二五条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 畠山成伸 八木直道 神保修蔵)