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大阪高等裁判所 昭和42年(う)1675号 判決 1969年4月09日

主文

原判決中、被告人尾上、同宮下の建造物侵入、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反(共同器物損壊)の部分を破棄する。

被告人尾上、同宮下を各罰金五〇〇〇円に処する。

被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、金一〇〇〇円を一日に換算した期間その被告人らを労役場に留置する。

訴訟費用は、別紙訴訟費用負担一覧表記載のとおり被告人らの負担とする。

検察官のその余の控訴並びに被告人松村の控訴はこれを棄却する。

理由

検察官の控訴趣意は、検察官卜部節夫作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人石川元也、上田稔、阿形旨通、赤沢敬之共同作成の答弁書記載のとおりであり、被告人らの控訴趣意は、右弁護人四名共同作成の控訴趣意書並びに被告人松村作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、いずれもこれらを引用する。

検察官の控訴趣意第一点(被告人尾上の威力業務妨害を無罪にした点)について。

論旨は、原判決の法令の解釈適用の誤を主張し、所論の要旨は、「原判決の判断は、行為の違法性の程度に強弱の差を認め、刑法上の違法性は特に強度のものでなければならないとする、いわゆる可罰的違法論に立脚するものと解せられるが、被告人尾上らが、エンジンキイ、検査証等を持ち去り隠匿した行為が、刑法二三四条の『威力を用い』たものとして威力業務妨害罪の構成要件を充足するものであることは明らかであり、原判決が、いわゆる可罰的違法論に拠り、被告人らの本件行為を、刑罰をもって臨まなければならない程の威力を用いたものと認めることができないとして、威力業務妨害罪を構成しないとしたことは、実定法の解釈として到底肯認し得ないところであり、仮りに可罰的違法論を執るとしても、被告人らの所為により会社に与えた損害は処罰価値を欠く程軽微とはいえず、また、被告人尾上らの本件エンジンキイ、検査証等の引き揚げ行為は、その手段において社会的相当性あるものとして許容される限度を超えるものであり、いずれにしても誤りであることは明らかである。」というのである。

よって案ずるに、原判決が、「被告人尾上が他数名と共謀して昭和三五年六月一七日午前二時頃、大阪市城東区茨田浜町八五二番地所在平和タクシー株式会社城東営業所において、同営業所に勤務する非組合員運転手大津収ほか七名の就業を阻止する目的をもって、入庫中の同営業所および同会社徳庵営業所所属営業用自動車五台の各車内より、自動車運転に必要なエンジン鍵、自動車検査証、自動車損害賠償責任保険証明書、タクシーメーター検査済証を取り出し、同会社の意思に反して、右会社内平和タクシー労働組合事務所に持ち去って隠匿し、爾後の両事務所における業務の遂行を必然的に不能ならしめ、もって威力を用いて同会社の旅客自動車運送業務を妨害した。」との公訴事実に対し、本件行為が行われた際の争議に対する会社側の態度、本件行為の目的の正当であること、態様は平穏裡に行われていて、会社側に与えた影響も少ないこと等を考慮して、所論中に記載の理由により、威力業務妨害罪を構成しない、としたことは認められる。

原判決は、その事由として、なお、「本件行為を可罰的違法性があると評価できるかどうかを考察するに当り、本件被告人尾上らの行為は労働争議の手段としてなされたものであることを重視しなければならない、その違法性を判断するに当っては、労使双方の流動する対立拮抗関係をし細に検討し、本件行為の目的、手段の態様を争議行為の場を通じて具体的に考察する必要がある、(イ)、本件行為の行われた際の会社側の態度についてみると、昭和三五年六月一七日のスト突入の重要な契機となったものは、会社側の組合に対する団交拒否にあったのであり、その事情を示すと、同月一五日組合は、会社側の、正常運転に立戻れば団体交渉に応ずるとの申立を受け、一旦争議態勢を解いたが、同日及び一六日の両日は、社長後藤峯吉が、入浴中、就寝中あるいは不在との理由で、同日の午後に至っては、組合側に数台の休車があるので正常運転とは認められないとの理由で、会社側から団体交渉を拒否する旨が通告された事実が認められる。会社と組合との労働協約によると、本件で組合が要求している事項に対し何らの定めがなされていないし、平和条項もないから、組合がストライキその他の争議行為を行っていることを理由に、団体交渉に応じないことは許されないものであり、右のような理由で会社側が団体交渉を拒否し続けることは、到底正当な理由による団体交渉の拒否ということはできず、会社側の右のような措置は、組合に対する不当労働行為(労働組合法七条二号)であり、組合の団結権、団体交渉権に対する重大な侵害であるということができる。従って組合が会社に対し、ある程度強力な争議手段に訴えたとしても、これを是認しなければならない。(ロ)、本件争議の目的は、労働条件の改善を要求し、これを貫徹するために行われたものであり、その目的が正当なものであり、その手段についてみると、キイ、検査証などは、運転手が帰庫した際、収受した料金と共に一括して営業所の納金口に差入れておくたてまえとされていたのであるが、実際は習慣的に車輛の物入れに、入れ放しで翌日の交替運転手がこれをひきついでいたというのが実情であったところ、被告人尾上らはキイ、検査証等を運転手から直接任意の引渡を受け、あるいは黙示の承諾があったとみられる状況のもとに直接車輛から引き揚げて行ったもので、平穏裡に行われたこと。(ハ)、本件以前の同年五月下旬から本件長期ストライキに突入する間に行われた数回の時限ストライキにおいても、組合によって本件城東営業所からキイ、検査証等が引き揚げられており、非組合員もこれに協力してきたもので、いわばかような行為は慣習的に行われていたと認められること。(ニ)、本件スト突入に際して組合は会社の保有車輛四八輛のうち四七輛のキイ、検査証を引き揚げているにかかわらず、検察官はそのうち城東営業所の五台分のキイ、検査証の引き揚げについてのみ威力業務妨害罪が成立するとして起訴しており、その理由は、この五台の自動車の運転手八名が非組合員であることによると思われるが、本件当時ストライキに突入した組合員数は約一一〇名であり、城東営業所の右八名のみが運転業務を継続したとしても、会社業務全体に寄与し得る程度は、殆んどとるに足らないものと思われるばかりでなく、もともと右非組合員たる運転手のうち大津収、溝端繁允、高畑誠一の三名は労使間のユニオンショップ協定がなお効力を保有していた同年三月末日現在において、試採用者として組合員たるを除かれる二ヶ月をすでに経過しており、本来ならば、組合員となって本件争議に参加していた筈のものであったこと。(ホ)、会社はキイ、検査証等を引き揚げられることなく城東営業所に残された一台の車輛については、非組合員によってこれを運行する意思を放棄してしまっていたこと。」等を挙げているのである。

而して、記録を精査するに、原判決挙示の証拠により、右の事実関係は、すべてこれを認めることができるのである。

ところで、刑法二三四条の威力業務妨害罪を構成する威力とは、人の自由意思を制圧するにたる勢力を指称し、同条にいう「威力を用い」とは一定の行為の必然的結果として人の意思を制圧するような勢力を用いれば足り、必ずしもそれが直接人に対してなされることを要しないもの、と解すべきであるところ、タクシーの運転業務に必要欠くべからざるエンジンキイ、車体検査証等を会社側の管理支配を排除して組合側の実力支配下に置くことは、必然的に会社の業務遂行の意思を制圧するものであるから、仮りに、ことが会社側の知らざる間に運ばれ、または平穏裡に行われたとするも威力業務妨害罪の成立する余地の存する場合もあるものといわなければならない。しかしながら、人の意思を制圧するにたる勢力といえど、その目的、態様、その他諸般の事情を考慮して、不法に人の意思を制圧するに足りると認められる程度のものであって、はじめて威力業務妨害罪における威力と認めるに価するものであることも、いうまでもないところである。ことに、労働争議の過程におけるものについては、それが暴行、脅迫をともなう場合はかくべつ、その行為を切り離して、これを形式的、固定的、画一的に評価すべきでなく、労働法の精神、労働争議の実態にかんがみ、その目的、態様、実害、法益の権衡等、諸般の事情を考慮し慎重に判断しなければならない。原判決が「その違法性を判断するに当っては、労使双方の流動する対立拮抗関係をし細に検討し、本件行為の目的、手段の態様を争議行為の場を通じて具体的に考察する必要がある」としているのは、正当であるといわねばならない。

これを本件にみるに、被告人尾上は昭和三五年当時平和タクシー株式会社の従業員であって、かつ、同会社の従業員の大部分(全従業員約一五〇名中約一一〇名、係長以上の管理職員、一部の非管理職員及び入社後二ヶ月未満の試採用者を除く)によって結成されていた平和タクシー労働組合(日本労働組合総評議会所属大阪旅客自動車労働組合連合会加盟)の組合員であり、同組合の執行委員の地位にあったものであり、平和タクシー株式会社は大阪市浪速区反物町一三二九番地所在の本社営業所のほか大阪府内に三営業所と四八輛の営業用自動車(タクシー)を所有し、監督官庁の認可によりこのうち四〇輛が右本社営業所、二輛が南営業所(但し、入庫場所は本社営業所)、三輛が城東営業所、三輛が徳庵営業所(但し、入庫場所は右営業所)に配置されていた。

ところで右大阪旅客自動車労働組合連合会は昭和三五年春、傘下の各組合を通じて共通の統一要求を打ち出し、これに従って平和タクシー労働組合も同年三月下旬、会社に対し勤務体系の変更及び賃金の引き上げの要求を提出し、同年四月二三日頃から会社と団体交渉を行ってきたが、会社側は容易に右要求を容れようとしないのみか、その頃会社の組合員で運転手の野近弘治がタクシー料金の一部を会社に納入せず不正に収受したことを理由に同人を解雇するという挙に出た。これに対し組合は不正収受の事実はないとの見解のもとに、前記要求のほか同人の解雇撤回の要求を加えて団体交渉を行ったが、同年五月一八日に至り、会社は組合の要求を殆んど拒否し、かくて組合は同月二四日から四八時間ストライキに突入するに至った。そして一時は会社から修正回答がなされ、組合側からも修正案が出されたこともあったが、結局妥結するに至らず、引き続き四八時間ストライキが断続的に繰返えされた。同年六月になってからは団体交渉も中断され、組合は遵法闘争と称して交通法規を厳守するほか、車輛にビラを貼って運行する戦術をとる一方、会社側に対して団体交渉再開を申入れていたが、会社側は組合が右のような闘争を中止しない限り、団体交渉に応じられないとしてこれを拒否していた。そこで組合はこれを受け入れ、同月一五日右闘争態勢を解いて団体交渉の再開を待ったが、同日は社長後藤峯吉の都合が悪いとのことで団体交渉は開かれず、翌一六日も組合の再開要求に対しては会社は何ら回答しなかったが、同日午後に至って突然組合に対し、数台の休車があるから組合側はまだ正常運転に戻っていないとの理由で団体交渉再開を拒否する旨の通告をしてきた。ここにおいて組合は同日設置された闘争委員会において、翌一七日午前二時三〇分を期して全面ストライキに突入すること、本社構内への各出入口にピケットラインを張ること、本社に入庫中の各車輛からエンジンキイ、自動車検査証等を引き揚げて組合事務所で保管すること、本社構内の建物にビラを貼ること、などのほか、城東営業所には人員の不足からピケットラインを張るかわりに、同営業所の入庫車輛からエンジンキイ等を引き揚げて組合に保管する方針を決定した。この決定にもとずき、被告人尾上は組合員宇治田善孝、野近弘治ほか数名と共に同一七日午前二時頃城東営業所に赴いた。そして同所において折から入庫して洗車中の運転手近藤勇に対し、右宇治田が「ストに入ったからキイ、検査証がほしい」旨告げ、右近藤も今までのように四八時間ストライキ程度だろうと考えて、気軽にこれに応じてエンジンキイ、検査証等を右宇治田に手渡し、一方被告人尾上らは同所仮眠室において仮眠中の運転手大津収、山本武、溝端繁允らに対し、「この前話したようにストライキに入ったから協力してほしい、だからキイ、検査証等を組合で預らしてほしい、不審な点があったら明日組合に来てくれ」と告げたが、これに対し右運転手らは明確な拒否の態度を示さなかったので、被告人尾上らは同所車庫に入庫中の四台の車輛中からエンジンキイ、自動車検査証などを集めてまわり、結局同営業所から五台の車輛の各、エンジンキイ、自動車検査証、自動車損害賠償責任保険証明書、タクシーメーター検査済票を持ち出して組合事務所に帰り、同事務所で一括保管した。なお当時城東営業所に配属されていた一〇名の運転手のうち組合員であったものは平野潔ただ一人で、その他の前記運転手らは、いずれも試採用者で、従って非組合員(但し、うち一名は運転停止中)であったもの、というのである。

本件エンジンキイ、検査証等の取り上げ行為の態様が右のごときものであること、会社側の不当労働行為に対し組合がある程度強力な争議手段に訴えるにつき、やむをえない事情の存すること、等原判決挙示の前記(イ)ないし(ホ)の事情を総合すると、かかる情況のもとに行われた被告人の本件行為は、いまだ違法に刑法二三四条にいう威力を用いて人の業務を妨害したというに足りず、それゆえ被告人の行為につき犯罪を構成しないとして、無罪の言渡をすべきものとした、原判決は結局において正当である。

なお、検察官は、会社側の不当労働行為のごときは単なる量刑事情にすぎないとか、時限ストライキにおけるキイ等の引き揚げと本件のごとき長期ストライキにおけるそれとを同一に評価してその慣習化を認めること自体に疑問があるとか、仮りにその慣習化を容認するにせよかかる行為が社会的相当性あるものとして許容せらるべき余地がないとか、右(イ)ないし(ホ)の点について逐一反論しており、そのうちには部分的に首肯しうる点がないとはいえないが、諸般の事情を総合判定したことによる右結論を左右するに足りない。論旨は理由がない。

弁護人の控訴趣意第一点(被告人尾上、同宮下の建造物侵入)について。

論旨は、原判決の事実誤認、法令の適用の誤を主張し、所論は要するに、本件立入りの目的たるビラ貼り行為は労働組合の正当な活動であり、立入りの態様も平穏であった、仮りに会社側の意思に反していたとしても、会社側の意思をもって組合活動の正当性の判断基準とすることは不当である、原判決がビラ貼り行為について器物損壊罪は成立しないとしながら、建造物侵入罪を認めたのは矛盾している、というのである。

よって記録を精査するに、原判決認定の事実はその挙示にかかる証拠により優にこれを認めることができ、原判決には所論のような事実誤認や法令の適用の誤もない。本件のようなビラ貼り行為が正当な労働組合活動の範囲を逸脱し、器物損壊罪の成立することは、後記、検察官の控訴趣意第二点に対する判断に示すとおりであるから、かかる違法な目的のために、会社の意思に反し本社営業事務所に立入る以上、建造物侵入罪の成立することは明らかである。論旨は理由がない。

弁護人の控訴趣意第二点並びに被告人松村の控訴趣意(被告人松村の傷害)について。

弁護人の論旨は、原判決の事実誤認、法令の適用の誤を主張し、所論は要するに、上田光男が果して原判決認定の暴行を受けたことは、きわめて疑問であるにかかわらず信用度の薄い同人の検察官調書を大きな拠りどころとして有罪の認定をした原判決は、事実誤認を免れない、仮りに原判決認定のとおりとしても、最低の抗議として許さるべきであり、抗議が許される以上、この程度のものをもって身体に対する損傷とは社会常識上もいいえない、従って原判決はこの点において法令の適用を誤ったもの、というのであり、被告人の論旨も、結局、弁護人の右論旨の外に出るものではない。

よって記録を精査して案ずるに、原判決認定の事実は、その挙示にかかる各証拠(木元三義の調書の日付の一九日とあるは九日の誤記と認める)により優にこれを認めることができ、原判決には何ら事実誤認はなく、上田光男一人に対して多数の組合員がスクラムを組んで同人を取り囲み、同人を会社構外に押し出して原判決のごとき傷害を与えるがごとき実力行使に出でたことは抗議の方法として許容される程度を超えているものであって、いわんや組合の正当な団体行動といいえないことは、原判決説示のとおりであり、その傷害の程度も、加療約五日間を要する左前膊擦過傷というのであって、社会生活上一般に看過せらるる程度のきわめて軽微な損傷とまでは到底認めがたい。従ってこれに傷害罪を適用した原判決は正当であり、法令の適用の誤もない。論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意第三点(被告人神谷、同荒木、同鄭の共同暴行並びに傷害を無罪とした点)について。

論旨は、原判決が被告人らの行為を正当防衛と認定したのは法令の解釈、適用を誤ったものであると主張する。所論は詳細、多岐にわたるが、要するに、一、本件における組合側のとった争議手段、すなわち、会社の営業車輛を組合の実力支配下に置いて、その搬出を困難ならしめ、会社の乗務を阻害するがごときは、争議行為の正当性を超えるもので違法であり、従って会社側の車輛搬出行為により争議の効果が減殺されたからといって、被告人らには正当に防衛すべき権利が元々何もなかったので、原判決が被告人らの行為を第一組合の団結権、争議権ひいてはピケット権の防衛行為としたのは不当である。二、会社側職制が企図したのは車輛搬出行為のみであって、被告人ら組合員に対する実力の行使は、多少の行き過ぎはたしかにあったが、車輛の搬出は会社の営業権にもとずく権利行為であり、従って組合のこれに対する対抗手段は平和的説得の限度に止まるべきであった。三、被告人ら組合員が共同して、車輛を搬出しようとしている会社側職制に水や消火液を浴せかけ、鉄柵を押し合い、互につかみ合い、投げとばす等の乱闘行為をしたことは、到底已むをえざる相当な行為とはいえない。というのである。

よって記録を精査して案ずるに、原判決が証拠にもとずき、正当に認定し、検察官も強いて争っていない、事実関係は、次のとおりである。

(イ)、本件当時(昭和三六年一月一七日)第一組合は本社営業所を拠点としてなおストライキを継続しており、同営業所には同組合員が依然としてピケットを張っていた。そして本件当日は被告人神谷喜介、同荒木利治、同鄭亨模のほか第一組合員の弓削金蔵、松田純一、松浦精一、柳楽忠昭、尾崎繁春、金川公夫、長倉智、米田正司及び総評事務局員の北橋正一の一二名が本社営業所事務所二階仮眠室に寝泊りしていた。一方会社側は、これに対抗して、城東営業所において未認可のまま、すでに十数台の営業車輛を使用して営業を続けており、同営業所の配置車輛数増加の申請中であったのであるが、この申請に対する認可にそなえて一台でも多くの車輛を本社営業所から右城東営業所に移動させたいという強い意向を持っていた。そしてこの目的のため本件以前においても数回にわたり合計一〇台以上の車輛を本社営業所から引き出したこともあったが、いずれも日中あるいは夕刻のことであったため第一組合員の強い抵抗に遇い充分な台数の車輛を引き出せなかったことから、今回は組合員の警戒の手薄な夜間を狙って車輛引き出しを図ることになった。

かくして昭和三六年一月一七日夕刻会社側職制の一部が、かねてからの右目的のため組合の警備人員の少ない同日夜を期して車輛引き出しを決行することを計画し、同社職制の福村敬二郎が中心となって各人の分担役割を決め、なお組合員の抵抗がある場合を予想して、これに対抗するため同会社管理職員全員及び一部非組合員のほか同会社近所の糸井自動車株式会社の社長及び従業員の応援をも求めて、たとえ一台であっても引き出す決意を固めた。そして同日午後一一時頃、会社側管理職員の後藤まつ、宮崎敏郎、上田光男、上田重臣、橋詰美代作、西岡重義、古妻敏光、井ノ下利一、福村敬二郎、後藤光夫、後藤栄一、佐々木秀三、宮崎定弘、糸井自動車株式会社の糸井千一、糸井俊之、糸井某、木村栄治、塚谷文雄、奥平某ら約二〇名が車輛引き出しに用いる自家用車二輛、ワイヤーロープ及び長さ約一メートルの鉄棒などを用意して、ひそかに同会社屋外車庫に南接する個人タクシーガレージに待機した。なお右のうちにはタオルなどで顔を隠している者もいた。

(ロ)、ついで右福村敬二郎が施錠されている前記ガレージと屋外車庫の境界の移動式鉄柵の錠を破壊して鉄柵を押し開け、ここを通って会社側職制らが入構すると共に、前記井ノ下の運転する自家用車(トヨペットスーパー)がひそかに屋内車庫に入り、組合事務所等にいた前記組合員に気付かれないうちに同所から先ず一台の営業用車輛(トヨペットコロナ)にロープをかけてこれを右ガレージに引き出すことに成功し、次いで前記古妻の運転する自家用車(トヨペットコロナ)が屋内車庫に入って二台目の営業用車輛(トヨペットクラウン)にロープをかけて引き出そうとした。ところが右牽引車の牽引力が弱くエンジンを一杯に始動して右クラウンの引き出しを試みたが、なおこれを動かすことができず、ついに右牽引車のコロナが故障するに至った。一方、その頃前記組合員らは前記仮眠所や一階営業事務所北側の仮設食堂などにたむろしていたが、右コロナのエンジンの騒音や、会社の車輛引き出しを発見した当日の不寝番の尾崎繁春がその頃吹いた警笛によって、はじめてこの異状事態の発生に気付き一斉に屋外車庫に飛び出したが、多人数の会社側の中には前記のように組合員の知らない糸井自動車株式会社の従業員が混っていたり、鉄棒を持った者やタオルで覆面をしていた者もいたので、組合員の中には会社が暴力団を雇って車を引き出しに来たと感じてひるむ者もいた。しかしまもなく一部組合員は会社側に対し口々に「実力で持ち出すようなことはやめろ」「とにかく話し合おう」「夜中にゴソゴソ泥棒みたいなことをするな」「車を出したいんだったら昼間堂々と正門からやって来い」などと抗議し、一部組合員は牽引されつつあった前記クラウン車を持ち出されまいと押し返し始めた。ここに至って会社側は右クラウン車を搬出することを諦らめ、故障した右牽引用のコロナ車をガレージの方に押し出そうとした。その間被告人鄭ら四人の組合員が先まわりして前記出入口となった鉄柵を閉めようとしたものの、会社側の前記宮崎敏郎、上田光男、西岡重義、古妻敏光ら数名がこれに対抗して鉄柵を押し返したため、結局鉄柵は再び開けられたので、同被告人らはその場から逃げ出した。一方他の会社側の者は前記故障した牽引車コロナを押し出しにかかり、被告人荒木らも、会社側が出て行けば好都合とばかりこれに加って右コロナを前記ガレージの方に押し出し、結局同車は押し出されこれと共に会社側職制も全員が屋内車庫から一旦右ガレージに出たので、組合員は再び右鉄柵を閉めた。その際一部組合員は再び会社側が屋内車庫に入って来るのを防ぐため、営業事務所北東角の水道から洗車用ホースで鉄柵越しにガレージの方に向けて放水したり、同事務所外側の防火用品置場から消火器を取り出して消火液を放出したりしていた。しかし、会社側は同ガレージの中程に後退していたので直接には水や消火液をかぶることはなかった。かくして組合員と会社側は右鉄柵を境界にして対峙するに至った。

(ハ)、ところで前記のように会社側職制らが一旦ガレージに引き揚げた後鉄柵の内側にいた組合員七、八名は、まもなくスクラムを組んで、会社側の者が再び入って来るのをけんせいする目的で気勢をあげ、前記尾崎らは鉄柵越しに放水していたが、会社側の者が再び入って来る気配もなかったので引き揚げようとした時、突然前記ガレージの南側入口から前記糸井俊之の運転する約七トン積みのセメントタンク車が後進して入って来、前記宮崎敏郎の誘導でそのまま前記鉄柵に突進し、組合員が急いでスクラムを組みなおして入門を阻止しようとしたのにかかわらず、そのままの勢いで前記高さ約一メートル四〇センチの鉄柵を突き倒して屋内車庫に入ろうとしたので、組合員はそのままでは轢かれる危険を感じ狼狽してとっさにスクラムを振りほどき、四方に逃げ散ったが、右セメント車は速度を落すことなく、右鉄柵を押し倒し、それを乗り越えて入り屋内車庫の中央部で停車した。それと共に前記会社側職制ら全員も再び屋内車庫に入って来て、車輛引き出しにかかり、先ず引き出しに失敗した前記クラウン車と右セメント車とにワイヤーロープをかけようとしたので、これを制止するため、被告人神谷、前記尾崎、弓削、松田、柳楽ら組合員五、六名が、右セメント車とクラウン車との間でスクラムを組み、一方被告人荒木は前記鉄柵から逃げてすぐ営業事務所北東角の水道栓につながれていた洗車用ホースの筒先を持って二分間ほど会社側の者に手当り次第に放水して会社側職制を退去させようとしたが、きき目がなかったので、まもなくやめて、右スクラムに加った。ところが一四、五人の会社側の者が東方から組合員のスクラムに打ってかかり、劣勢なスクラムはたちまち崩されて、西側に将棋倒しとなり、その際被告人神谷は付近の水道栓に腰を打ちつけ、被告人荒木は倒れて来た人の下敷になり、またその際右柳楽や松田は前記宮崎敏郎から顔面や右手を殴打され、尾崎は上田光男から背部を突かれて倒された。次いで被告人神谷は事務所に飛び込んで消火器を持ち出し前記クラウンを持ち出そうとしている前記西岡や古妻に消火液を浴せかけて古妻から追いかけられ、被告人荒木はバケツに水を入れて右西岡や福村、上田光男に水を浴せかけたので右上田から追いかけられて事務所に逃げ込むという場面もあり、他の組合員の松浦や尾崎らも会社側の者にバケツで水をかけたり、消火液をかけたりして引き出しを阻止しようとしたが、結局その間前記クラウン車にはロープがかけられセメント車がこれを牽引してガレージに引き出した。ところが右セメント車は再び屋外車庫に突進して来て、屋内車庫に半ば格納されていたクラウン車を引き出しにかかった。そこで再び前記尾崎らが前記宮崎らに対しバケツで水をかけ、同人がバケツを尾崎に投げ返したり、組合員金川がバケツを上田光男に投げつけて同人の右手に命中させるなどしたが、その都度優勢な会社側に追い散らされ、その頃から被告人神谷、同荒木ら数名の組合員らは抵抗を諦めて付近で傍観するに至り、結局会社側はワイヤーロープをセメントタンク車と右クラウン車にかけた。しかしその時被告人鄭が右ロープをはずして逃げたため再び会社側によって別のロープがかけられたが、組合員松田が右セメント車のエンジンキイを抜き取って付近の植込みの中に投げ捨てたため、同人とセメントタンク車の運転手糸井俊之とが口論しているところへ被告人鄭が「なんやね」と言って割り込むと右糸井が被告人鄭に対し「お前は黙っとれ」と言ってどちらともなく互に相手の胸倉を掴んで押し合った。しかしまもなく上田光男がエンジンキイを発見したので両人とも直ちに互に手を離し、右糸井はセメント車に乗り込んで発車しようとした。ところが右松田は「死んでも出さん」といって被牽引車クラウンの前部フェンダーの下にもぐり込んだので、これを見た前記宮崎敏郎と上田光男とが暴れる同人を引きずり出し、結局クラウン車もガレージに引き出され、これと共に会社側の者全員も右ガレージに引揚げたが、その際前記西岡らは組合員に対し「毎晩来てやるぜ」と言い残して出て行った。

(ニ)、右のような騒動の結果、会社側の福村敬二郎は加療約五日間左下腿擦過創、右肩胛部挫傷、古妻敏光は加療約一〇日間の左膝部挫傷、上田光男は加療約一〇日間の左第五指関節捻挫等、西岡重義は加療約七日間の右急性中耳炎、佐々木秀三は加療約七日間の右下腿挫傷及び剥皮創、左前膊挫傷、後藤栄一は加療約五日間の左前胸部挫傷、右下腿挫傷、組合側の被告人荒木は加療約一四日間の左前胸部挫傷、同神谷は加療約一〇日間の左結膜異物、腰部挫傷、同鄭は加療約七日間の左腰部挫傷、弓削金蔵は加療約一四日間の右拇指挫創、左手背擦過創、松田純一は加療約一〇日間の右肩胛部挫傷、左前膊手背第一指挫創及び血腫、左足背挫傷、柳楽忠昭は加療約一〇日間の両側手背部擦過剥、腰部挫傷、米田正司は加療約七日間の両眼結膜異物、腰部挫傷、右大腿挫傷、尾崎繁春は加療約七日間の右肘部挫傷、左大腿挫傷、金川公夫は加療約三日間の右側腹部挫傷の各傷害を負い、この件につき会社側、組合側はいずれも相手方を告訴したが、会社側は全員不起訴処分となり、組合側の本件被告人三名のみが起訴された。

そこで右の事実関係と記録にあらわれた諸事情に照らし、検察官の所論を検討することとする。

所論は、会社の営業車輛を組合の実力支配においたことをもって元々防衛すべき権利がなかった旨主張する。なるほど、相当長期間にわたって会社の営業車輛を組合の実力支配下においたことは、争議行為の手段としては行き過ぎの感を免れないけれども、他方、会社側は本件争議中の昭和三五年一一月には、本社営業所から六台の車輛を持ち出して、これを城東営業所に移し第二組合をして法律違反(道路運送法一八条違反)をあえてしながらこれを運行させていたのであって、このような会社側の違法な態度と原判決が詳細に摘示している会社側の、従来の数々の不当労働行為の疑のきわめて強い行動とを併せ考えると、組合側の執った措置を一方的に非難するのは当らない。また、所論は本件車輛の搬出行為は会社の営業権にもとずく権利行為である旨主張する。会社はもとより、争議中といえども繰業の自由を失うものではないが、原判決指摘のとおり、法に違反してまで前記営業所における営業を拡大し第一組合のストライキの効果の減殺を図ろうとするのは、第一組合の団結権、争議権に対する侵害でないとはいえない。いわんや前記(ハ)以降の会社側のとった手段は、相手の生命、身体の危険をも意に介さない誠に乱暴きわまりない強力な実力行使であり、自救行為としてもその範囲を著るしく逸脱し、組合員の生命、身体のみならず組合の団体行動権そのものに対する急迫侵害であり、かかる段階においては、すでに平和的説得の余地など考えられないので、これに対し、平和的説得の限度に止まるべきであったとの所論は意味をなさないものと考える。所論はなお、被告人ら組合員の前記行動を已むをえざる相当な行為といえないと主張するが、会社側の前記のような、巨大なセメントタンク車による危険きわまりない攻撃に対し、被告人らは洗車用ホースあるいはバケツによる放水、消火液の放出という、消極的手段で、もっぱら防禦につとめていたものであって、防禦の手段として相当性の程度を超えていたものとは認めがたいのである。

以上の次第であって、「被告人らの本件行為は、全体として、第一組合の団結権、争議権ひいてはピケット権を防衛するため、やむをえなかった、相当の行為と認むべきであり、従って本件各所為は正当防衛として違法性を阻却する」とした原判決の判断は、正当であると是認せざるをえない。論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意第二点(被告人尾上、同宮下の共同器物損壊を無罪とした点)について。

論旨は、原判決の法令の解釈適用の誤を主張し、所論は要するに、原判決は、被告人尾上、同宮下らが平和タクシー本社営業事務所の事務室及び廊下の窓ガラスに約六一枚の、事務室内の事務机九脚、回転椅子一脚、金庫一個、掛時計一個、応接室の長椅子二脚に合計約二三枚の新聞紙ビラをそれぞれ貼付した事実を認めながら、右はいまだに器物損壊罪に該らないとしたのは、器物損壊罪の解釈を誤ったものである、というのである。

よって案ずるに、本件公訴事実は「被告人尾上、同宮下は、ほか数名の組合員らと共に昭和三五年六月一七日午前一一時頃から同日午後一時頃までの間、前記平和タクシー株式会社本社営業事務所において、交々事務室北西隅および南西隅出入口ガラス戸の腰板を蹴破り、事務室および廊下のガラス窓約一〇〇枚、事務室内事務机一一脚、回転椅子一脚、金庫一個、掛時計一個、応接室内長椅子二脚に洗車ブラシをもって糊をぬりつけ、その上に新聞紙製のビラ約二〇〇枚を貼り、事務机上のガラス板一枚を床に払い落して割る等、これら物件を破壊または著るしく汚損してその効用を減少、滅却させ、もって数人共同して同会社所有の右建具、什器類を毀棄したものである。」というのであって、原判決は公訴事実のうち二ヶ所の腰板並びにガラス板一枚の損壊の点は、いずれも被告人らの責任に帰すべき犯罪の証明がないとし、ビラ貼りの点は実況見分調書の写真により識別しうる、所論の右枚数を認定しつつ、いまだ器物損壊罪に該らない、としたものである。

先ず、什器類についてのビラ貼り状況を検討すると、≪証拠省略≫によると、原判決認定のとおり、古妻敏光営業課長の事務机の左側面及び上面に一枚、後藤栄一常務の事務机の正面、左袖抽出の部分、正面抽斗の部分に各一枚、上田光男労務課長の事務机の上面に二枚、岡山某、藪野某の各事務机の上面に各一枚、宮崎敏郎営業部長の事務机の上面に一枚、納金台として使用されている事務机三個の上面に各一枚、回転椅子一個の背もたれの部分に一枚、金庫の正面及び側面に合計四枚、掛時計一個の表面に一枚、右事務室に隣接する応接室の長椅子二脚の座る面に各二枚の、新聞紙に墨書したビラが貼られていることが認められる。これらのビラ貼りについては、各什器の性質、ビラの数のきわめてすくないこと等に照らすと、いまだその効用を著るしく害したとまではいえず、器物損壊罪の成立しないものとするのが相当であり、原判決の判断は首肯しうるものと考える。

次に、ガラス窓についてのビラ貼り状況につき記録中の関係証拠並びに当審における検証の結果を綜合して検討すると、≪証拠省略≫によれば、添付写真にて識別しうる限度においても、右事務室及び廊下の窓ガラスに、原判決指摘のとおり約六一枚の、新聞紙一頁大の墨書したビラが貼られていることが認められる。そして貼られている状況はきわめて乱雑であり、一枚のビラをもって一枚の窓ガラスのほぼ全面をおおいつくしている感がある。墨書の文字を検すると、これまた乱暴な書体で、「犬と社長通用門」「吸血ババ後藤お松」「社長生かすも殺すもなまず舌三寸」「ナマズ釣ってもオカズナラヌ見れば見るほど胸が悪」等主として社長後藤峯吉、同人妻まつ、その他会社職制の個人的誹謗にわたるものが殆んどであり、その他は「国会解散会社解産」「首切賛成賃上反対社長」などの文局が散見せられる程度で、中には卑猥を思わせる文言も認められるのである。

右事務所は実用を主とした比較的簡素なもので、その美的価値を云々するに価しないものであるが、元来窓ガラスは採光を主眼とするものであるところ、ビラの貼られた状況が右のごとくガラスの殆んど全面をおおっている以上、窓ガラスとしての効用を著るしく滅却していることはいうまでもない。そして器物損壊罪における損壊とは、器物を物質的に毀損する場合のみならず、本件のごとく、器物としての本来の効用を著るしく滅却する場合も含むものと解すべきであるから、本件は器物損壊罪が成立するものと認めるのが相当である。

弁護人は、本件ビラ貼りは組合としての団結の示威を示し、自分等の要求を理解してもらうため、行った行為にして、労働争議におけるビラ貼りは団結権、団体行動権の行使そのもので、当然の権利として認められるべきものである、というが、なるほど、本件のビラ貼り行為、またその文言も窮極的には、被告人らの要求を貫徹するためのものであることは理解しうるところであるが、本件ビラ貼り行為の態様、ビラの文言等に徴すると、労働争議の手段として相当でなく、違法性を阻却するものとはいえない。

なお、原判決が、本件について、右ビラはその表現がやや穏当でないが、会社側職制の個人的誹謗にわたるようなものでない、とか、比較的整然としている、とか、なお外部からの採光は十分可能である、など説示しているが、当裁判所の到底首肯しえないところである。

また、弁護人は、昭和三九年一一月二四日の最高裁判所判決(いわゆる小郡駅事件)を援用するが、同事件と本件とはビラの枚数においてやや類似しているほかは、ビラの大きさ、形状、内容等、事案の性質を異にしていることが明らかであるから、本件には適切ではない。

以上の次第で、この点の論旨は理由があり、この部分の原判決は破棄を免れない。

よって刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により、原判決中被告人尾上、同宮下の共同器物損壊罪の部分と、これと牽連犯の関係にある同被告人らの建造物侵入罪の部分とを合わせ破棄し、同法四〇〇条但書により更に次のとおり裁判し、検察官のその余の控訴並びに被告人らの各控訴は同法三九六条により、いずれもこれを棄却することとするが、被告人尾上、同宮下の建造物侵入の点は共同器物損壊罪と牽連犯の関係にあって、合わせ破棄自判したので、同被告人らの建造物侵入の点についての控訴に対しては特に主文においてこれを棄却する旨の言渡をしない。

(罪となるべき事実)

被告人尾上、同宮下は、原判示第一において認定したとおり、大阪市浪速区反物町一三二九番地所在、平和タクシー株式会社本社構内営業事務所内に侵入した後、浜道正一ら数名と共に、引続き同日(昭和三五年六月一七日)午後一時頃までの間、右同所で、同事務室の北、東の窓ガラス、廊下外側の北、東、南の窓ガラス並びに事務室北出入口、廊下外側の北、東の各出入口の扉のガラス合計約六一枚に、こもごも洗車ブラシで洗濯糊をぬりつけて、「犬と社長通用門」等同社社長後藤峯吉らを誹謗する等の文言を墨書した一頁大の新聞紙を貼りつけ、窓ガラスや扉のガラスとしての効用を著るしく害し、もって共同して器物を損壊したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人らの判示行為中建造物侵入の点は各刑法一三〇条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、共同器物損壊の点は昭和三九年法律第一一四号による改正前の暴力行為等処罰ニ関スル法律一条一項、(刑法二六一条)に各該当するところ、右は刑法五四条一項後段の牽連犯であるので同法一〇条により重い後者の刑(いずれも罰金刑選択)に従い、換刑処分につき同法一八条、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を適用する。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 児島謙二 裁判官 今中五逸 木本繁)

<以下省略>

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