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大阪高等裁判所 昭和42年(う)388号 判決 1967年8月19日

被告人 下野勝由

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人木島寿治作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点(事実誤認ないし法令適用の誤の主張)について

論旨は、本件事故はもっぱら被害車輛の無謀な追越しに起因するものであつて、被告人の過失に基くものではない、というのである。

よつて案ずるに、原判決挙示の各証拠によると、被告人は、昭和四一年三月一三日午後九時三〇分頃、普通貨物自動車(車幅一・六八メートル)を運転して、小野市喜多町一八三五番地の五先付行近国道一七五号線(有効幅員七メートル、コンクリート鋪装道路)の中央線の西側北行車線(中央線から道路西端まで約三・五メートル)の中央線寄り(車体右側端と中央線との間隔約六〇~七〇センチメートル、車体左側端と道路西端との間隔約一・一~一・二メートルのところ)を時速約六〇キロメートルで北進中、前方約四八メートルの右道路東側南行車線(中央線から道路東端まで約三・五メートル)を連続して対面進行して来る自動車二台位を認めたが、そのままの状態で進行したところ、前方約一八メートルのところに、二台目の対向車である香月俊雄運転の軽四輪自動車が直近の対向車の後方から右先行車を追越そうとする態勢で、右道路東側部分から西側部分(北行車線)に進出して来たのを認めたので、危険を感じて直ちにハンドルを左に切ると同時に急ブレーキをかけたが間に合わず、同車右側前部に自車右側前部を衝突させ、因つて香月俊雄並びに同車に同乗していた西村みつ子及び同岡田秀子に対しいずれも原判示の各傷害を負わせた結果、それぞれ原判示の頃、原判示場所で死亡するに至らせたことが認められる。

しかして、右認定の事実によれば、被告人は約四八メートル前方の南行車線に対向車二台位を認めたのであるが、原判決は、このような場合自動車運転者としては、右対向車の動向を注視し、その動向に応じて直ちに停車避譲の措置をとり得るよう予め適宜減速徐行し、且つ道路左側端寄りを進行する等、自車と対向車との接触衝突による危害の発生を未然に防止するに足る適当の措置を講ずべき業務上の注意義務があるのに拘わらず、被告人はこれを怠つて漫然同一速度で該道路中央線寄りを進行したため、前方約一八メートルの該道路左側部分(対向車にとつては右側部分)に直近の対向車の後方から二台目の対向車である香月俊雄運転の軽四輪自動車が進出したのを認めるや危険を感じてハンドルを左に切るとともに急ブレーキをかけたが及ばず、同車右側前部に自車右側前部を衝突させた旨判示している。なるほど、被告人が約四八メートル前方に対向車二台位を発見したとき、直ちに減速徐行をし、且つ道路左側端寄りを進行する等、自車と対向車との接触衝突による危害の発生を未然に防止するに足る適当の措置を講じていたならば、本件事故が発生していなかつたであろうことは原判決のいうとおりである。しかしながら、中央線によって対向車線が区分されている国道において、制限速度を遵守して正常に左側車線内を進行している場合には、対向車があつたとしても、自動車運転者としては、特別な事情のないかぎり、対向車が交通法規を守り、自車との衝突その他の事故を起さないよう適切な行動に出ることを信頼して運転すれば足りるのであつて、対向車が至近距離から突如無理な追越しをはかり、中央線を突破して進出してくることまでも予想して、減速除行をし、且つ、道路左側端寄りを進行する等、自車と対向車との接触衝突による危害の発生を未然に防止するに足る特別の措置を講ずべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である。しかして、本件についてこれをみるに、前記認定の事実によると、被告人の車は、本件国道の中央線より左側(西側)部分を、中央線寄りであるとはいえ、車体右側端と中央線との間に約六〇~七〇センチメートルの間隔(車体左側端と道路西端との間隔約一・一~一・二メートル)をおいて、時速約六〇キロメートルで北進していたものであるところ、司法警察員作成の実況見分調書二通及び当審における検証調書によると、本件事故現場付近は公安委員会による特別の速度制限はなく、また本件衝突地点より約四〇メートル南方に西側より本件国道にほぼ直角に丁字型に交差する道路があり、さらに、右交差点から本件衝突地点までの国道西側沿いに人家が三軒建ち並んでいることが認められるのであつて、右認定の各事実によると被告人は道路交通法施行令一一条一号によつて定められた最高速度を遵守していることが認められるし、右認定のような状況の場所を自動車で北進する場合、該国道左側(西側)端寄りを進行することは、左側の人家または道路から出て来る人車に衝突する危険があることも考えられるのであるから、被告人としては正常に北行車線を進行していたものというほかなく(道路交通法一八条一項但書)しかも原判決挙示の各証拠によると、被告人が約四八メートル前方の南行車線に対向車二台位を認めたときには、被害者香月俊雄運転の自動車が北行車線に進出して来る気配は未だなかつたし、その他特別の事情を認めることができないのであるから、この段階では、被告人において、自動車を減速または除行させ、且つ、一層道路左側(西側)端寄りを進行させる等、自車と対向車との接触衝突防止のために特別の措置を講ずべき業務上の注意義務はないといわざるをえない。

次に、前記認定のごとく、被告人は前方約一八メートルの本件国道東側部分(南行車線)から、二台目の対向車である香月俊雄運転の自動車が、先行車を追越そうとして、西側部分(北行車線)に進出してきたのを認めるや、直ちにハンドルを左に切ると同時に急ブレーキをかけたが間に合わず、同車右側前部に自車右側前部を衝突させたのであるが、ハンドル及びブレーキの操作がより適切であつたならば、右衝突を避けることが可能であつたか否か、すなわち、被告人に衝突回避の措置に適切さを欠いた過失があつたか否かについて考える。

右香月俊雄運転の自動車の速度については、これを認めるべき直接の証拠は存在しない。しかしながら、前記認定のごとく同車は先行車を追越すために、国道西側部分(北行車線)に進出したのであるから、相当加速していたであろうと思われるし、記録を精査しても、右先行車が減速または除行していたことをうかがうに足る証拠はないのであるから、香月の運転する車は、少なくとも毎時六〇キロメートル位又はそれ以上の速度は出ていたとみるのが相当である。そして、被告人の運転する車は前記認定のごとく時速約六〇キロメートルで進行していたのであるから、両車の間隔は毎時約一二〇キロメートル、毎分約二キロメートル、毎秒約三三メートルの速さで縮まってゆくことになる。従つて、香月の運転する車が国道西側部分に進出を開始してから被告人の車と衝突するに至るまで、すなわち、両車の間隔が一八メートルから零になるまでに要する時間は約〇・五四秒に過ぎない。ところで、通常人間が自動車を運転しているときに、障碍物を発見してから、ハンドル及びブレーキの操作を開始するまでにはある一定の時間を要し、右操作を開始してからハンドル及びブレーキがきき始めるまでにまた一定の時間を要するのであるが、(右各時間の合計を空走時間という)右空走時間を考慮すると、自動車運転の業務に従事する通常人が、香月の運転する車が国道西側部分に進出を開始したのを認めてから、いかに早く左にハンドルを切るとともに、強くブレーキを踏んだとしても、同車との衝突を避けることは不可能であつたと推認される。従つて、被告人の車と香月の運転する車とが衝突しているからといつて、被告人がハンドル及びブレーキの操作に適切さを欠いた過失があつたとすることはできない。

また、被告人が約四八メートル前方に対向車二台位を認めてから、その動向に対する注視を怠り、そのため、二台目の対向車である香月俊雄運転の車が国道西側部分に進出したのを発見するのが遅れて、前方一八メートルに至つて始めてこれを発見したと認めうる証拠はない。

その他、記録を精査しても、本件事故が被告人の過失によつて発生したことを認めることができず、本件公訴事実はこの点において犯罪の証明が十分でないというほかはない。しかるに、原判決は被告人に前記のように業務上の注意義務があることを前提として、被告人に過失ありとして有罪の言渡をしているのであつて、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈適用の誤り及び事実の誤認があるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、控訴趣意第二点(量刑不当の主張)に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により本件公訴事実(原判決が判示した事実)につきさらに判決をすることとし、同法四〇四条、三三六条により、主文のとおり無罪の言渡をする。

(裁判官 奥戸新三 中田勝三 佐古田英郎)

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