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大阪高等裁判所 昭和42年(ウ)302号 判決 1968年5月23日

申請人 西野弥恵子

<ほか四名>

右申請人等訴訟代理人弁護士 上田稔

被申請人大阪市右代表者市長 中馬馨

右被申請人訴訟代理人弁護士 林藤之輔

同 石井通洋

主文

申請人等の本件仮処分申請をいずれも却下する。

申請費用は申請人等の負担とする。

事実

申請人等訴訟代理人は「被申請人は申請人等に対し申請人等が被申請人に対し提起した本案判決確定に至る迄毎月末日限り各金五〇、〇〇〇円を仮りに支払え。申請費用は被申請人の負担とする。」との判決を求め、その申請の理由として、

一、被申請人は大阪市内において路面電車を運行させて旅客運送事業を営んでいるが、昭和三九年一二月一七日午後六時四〇分頃、南津守停留場と宝橋停留場間の大阪市西成区津守町東六丁目二一番地先において、その運行する電車第一七二〇号と申請外藤井寺運送株式会社運行のタンクローリー大一き七一七三号とを衝突させ、申請人西野弥恵子の夫西野登一、同大木すみ子の夫大木逸平、同田中マサエの夫田中市三郎、同石坂ハマの夫石坂三次、同中田俊治の妻中田栄子の五名を即死又は翌日病院において死亡させた。

二、(一)右事故は申請外藤井寺運送株式会社運行のタンクローリー運転手佐武功と被申請人運行の電車運転手神谷茂の過失が競合して発生したものであり、そのうち神谷の過失として挙げられるものは、(1)前方注視を怠ったこと、(2)制動操作をしなかったか或は操作をするのが遅れたこと、(3)警音器の吹鳴を怠ったこと、(4)乗客に対する警告を怠ったこと等である。

そして被申請人と死亡した前記五名との間には商法第五九〇条の旅客運送契約が存したのであるから、被申請人は死亡事故について申請人等に対し損害賠償の責に任ずべきであり、然らずとしても民法第七〇九条により損害賠償責任がある。

(二)(1) 仮りに被申請人主張の如くタンクローリーが北行軌道内に進出した地点で神谷が非常制動措置をとり尚衝突が避け得られないとしても、神谷がいち早くタンクローリーが先行車の追越をはかるのを発見し非常制動操作をなしたならば、電車の速度の減少と相俟って被害を少くすることができた筈であり、神谷は前方注視及び適切な非常制動操作を怠ったと云うべきである。

(2) 仮りに警笛の到達距離が被申請人主張の通りであっても、自動車の非常制動距離は時速五〇粁について一四米以下とされているのであるから、二五米乃至三〇米手前で警笛を聞いた佐武が急制動をかけ、加えてハンドル操作をすれば、市電は急速に速度を落しつつあったのであるから、衝突は避けられたと考えられる(タンクローリー側の制動操作とハンドル操作の併用はタンクローリーにとっては危険であるが、電車にとっては危険ではない。)。仮りに警笛を吹鳴して衝突が避け得られないとしても、警笛を聞き直ちに佐武が急制動操作をするときは、本件事故のような激しい衝突による破壊は避けることができ人命をそこなうに至らなかったものと考えられる。

孰れにしても神谷の警笛吹鳴の義務を怠ったことは否定することはできない。

(3) 本件道路は交通量の多い地点であり、大阪市内の市電の平均時速は一〇粁であるのに時速三〇粁の速度で走行していたこと自体神谷の過失と云うべきである。

(4) 神谷運転手が衝突の危険を知ったときから衝突迄六秒乃至七秒あったのであるから、乗客に対し危険を告げ、乗客をして車輛後部に退避するとか身を伏せる等危険防止の措置をとらしめるべき危険告知の義務があるのに神谷は之を怠った。

(三)(1) 仮りに被申請人主張のように衝突が避けられない至近距離に接近する迄警笛が聞えないとすれば、本来警笛は緊急事態に対処することができてこそその役割を果し得べきものであるのに、右程度の警笛しか設置していないことになり、それは構造上瑕疵があると云うべく、被申請人に施設上の過失がある。

(2) 又当時の新型市電には電気制動機についても逆ノッチ以外に別に制動機を備え、空気制動機についてはブレーキシューが車輪の両側にあり、制動効果の高い構造を採用していたが、交通量の多い本件事故現場附近の運転系統に新型電車を使用していないのは被申請人の過失である。

三、被申請人は申請人等の損害賠償請求に応じないので、申請人等は大阪地方裁判所に損害賠償請求の訴を提起し、同四一年五月三一日被申請人の損害賠償義務を認める旨の判決があった(≪認容額省略≫)。しかるに右判決に対し被申請人は控訴を提起し、右判決の仮執行免脱宣言に基いて約二、一〇〇万円を供託して仮執行の免脱を得たため、申請人等は被申請人より金員を入手できなかった。他方共同被告である藤井寺運送株式会社に対し仮執行宣言に基いて強制執行をしたが、僅か二一、三〇〇円の金員しか得ることができなかった。

ところで申請人西野、大木、田中、石坂は孰れも本件事故で死亡した夫の収入により生活し子女の養育を行ってきたが、本件事故以来見るべき収入とてなく、事故直後保険金一〇〇万円が支払われたものの、事故以来二年以上を経過しそれも涸渇しようとしている。申請人西野の二女、同大木の長女、同田中の長女はいずれも同四一年高等学校を卒業し就職したが、その給料も微々たるものであり、申請人西野の家族五人、同大木の家族三人、同田中の家族四人を養うに足りるものでなく、而も申請人大木は病身である。又申請人中田は本件事故が動機となり精神病が再発し入院中のため収入なく、長男幸治の養育も意に任せない。

四、仍て本案判決確定に至る迄日常緊急な生活の救済のため、毎月末限り各五〇、〇〇〇円を仮りに支払うことを求める。と述べ(た。)

疎明≪省略≫

被申請人訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、

一、被申請人は申請人等の主張する被保全権利たる損害賠償請求権の存在を否認する。本件事故は被申請人にとって不可抗力による事故と云うべきであり、市電運転手神谷には何等過失はない。

二、市電運転手神谷茂には前方注視義務、非常制動操作上の義務に違反はない。

(1)  申請外藤井寺運送株式会社のタンクローリー運転手佐武功は、その前方約四・四米の地点を南行市電軌道敷と約〇・九米の間隔をとり先行していた乗用車を追越すべく、時速約六〇粁に加速し追越をはかったが、ワイパーの故障のため前方の視界が極めて不良であったため北行する市電に気付かず、而も先行車との距離間隔を不必要に大きくとって右に出たため北行市電の前方約五〇乃至六〇米の地点で北行市電軌道上に迄進出しながら先行車に注意を奪われ、市電との距離が約二〇乃至二五米に接近するに及んで北行市電を認め、慌ててハンドルを左に切り避けようとしたが及ばず市電に激突した。他方神谷運転手の運転する市電は時速三〇粁で進行を続けたところ、タンクローリーが八〇米前方で南行軌道敷内に進入しはじめたが、右時点においては市電とタンクローリーに先行する乗用車との間隔は約四米あり、之に対しタンクローリーの車幅は二・三八米であるから、タンクローリーは市電との接触危険範囲に入ることなしに、安全に先行車を追越すことが可能な状態であった。ところで本件事故現場附近においては、衝突事故発生に至ることなく対向市電の軌道敷に対向する自動車が進出し、先行車を追越して軌道敷外に離脱することが頻繁に行われており、このような地域において、市電運転手が対向車輛が反対軌道上に進入して来る都度直ちに減速徐行しなければならないとすれば、市電の運行は殆んど不可能となるし、本来他の車輛の通行が禁止せられている軌道そのものに対して他種車輛の市電に対する優先通行権を認めることにも等しいことになり、それは到底承認し難いところである。一般的に常時対向車輛が市電との接触危険範囲内に進入して来る可能性が存在していると云い得るような今日の交通事情の下では、対向車輛の具体的な動向に対応して必要と認められる危険防止の措置をとることを以て足りると云うべきである。

(2)  本件の場合八〇米前方でタンクローリーが南行市電軌道敷内に進入を開始した時点においては、タンクローリーが接触危険範囲に入ることなく安全に先行車を追越すことが十分に可能な状態にあったことは前記の通りであり、接触危険範囲内に進入して来ることは予測し得るものではなかったが、仮りに接触危険範囲内に進入して来る可能性があると予測せられるとしても、具体的な危険の有無は軌道敷内に進入後の該車の動向により之を判断し、且之に対応して危険防止のために必要な措置をとれば足るのであり、神谷は前方八〇米の地点で対向軌道敷内に進入して来たタンクローリーを認め、その動向に充分な注意を払っており、該車が前方六〇米の地点で市電前方軌道上に進出しかけて避譲する気配がないので、咄嗟に非常制動操作を行ったのであるから、同人には何等前方注視義務、非常制動操作上の義務の懈怠はない。

三、神谷は非常制動操作をする際警笛を吹鳴しているが、仮りに警笛を吹鳴しなかったとしても、それは何等同人の過失となるものではない。

(1)  神谷が前方六〇米の地点にあるタンクローリーに対し非常制動と警笛吹鳴の操作を行った場合、両車の速度、市電の制動空走時間、佐武のハンドル操作所要時間等の数値によって衝突が避けられるための両車の車間距離を計算してみると約三五米乃至四二米を必要とし、少くとも右の地点でタンクローリーはハンドルを左に切り避譲しなければならないことになる(タンクローリーが制動操作のみにより衝突を回避することは両車の制動距離の関係で不可能であるし、制動操作とハンドル操作を併用するときはスリップを誘発する危険が大であり、衝突回避の方法としては考えられない。)。しかるにタンクローリー運転手に市電の警笛が確認できる距離はタンクローリーの運転席の遮蔽状況、室内騒音等の影響により右避譲措置に必要な距離を下廻っている。

(2)  而も右警笛の音量は道路運送車輛法に基く車輛保安基準に合致し、右の如き結果は主としてタンクローリー側の条件により生ずるものであり市電の構造上の欠陥ではない。

従って警笛の効果は前記程度に止るから、警笛を吹鳴したからとて衝突を回避し得たものとすることはできない。

(3)  尚警笛の吹鳴が衝突回避に有効でなかったとしても、警笛の吹鳴により多少とも早く佐武が避譲措置をとったならば、衝突の程度は軽く乗客の被害の程度は異っていたとの反論はあるであろうが、衝突の条件としては両車輛の構造、強度、衝突時の相対位置、相対速度その他の諸条件が考えられ、之等条件の値の全てを決定することは不可能であり、両車の損壊の程度の大小をその値を以て比較推定することは理論的に不可能に近く、乗客の被害の大小に至っては之を論ずることは不可能である。

四、一般的に市電運転手は乗客に対し危険報知の義務があるとしても、本件の場合、神谷がタンクローリーが前方六〇米の地点で接触危険範囲内に進入したと判断して非常制動措置をとった時点から衝突迄の時間は、タンクローリーの速度が時速五〇乃至六〇粁として二・九秒乃至二・六秒であり、この時間には非常制動操作を行うための所要時間、非常制動がかかったかどうか確認するための所要時間、乗客に危険を報知する動作をするための反射時間が含まれているのであって、この短時間内に乗客に危険を報知することは不可能を強いることになるし、一方乗客がそれを聴取し事態を理解するに必要な時間、身の安全を守るための反射時間及び行動時間を考慮するならば、その危険報知による効果は期待することができない。従って本件の場合にはかかる義務違反は認められない。

五、本件事故発生地点での市電の平均走行速度は二六粁であるが、この平均速度には発車後及び停車前の減速度が含まれ、本件事故現場附近では時速三〇粁前後になるものであり、而も本件事故が発生した三宝線、就中芦原橋以南の区間は全市的に平均速度の最も大きい地点で、之に反し事故発生率は最も小でありかかる安全区間における三〇粁の速度は過大と云うことができず、神谷に速度違反の過失はない。

六、本件市電には新型制動装置は設備されていないが、現在の交通事情の下で本件市電の制動装置の構造が危険を防止するに足りないものであることを前提としない限り、被申請人の施設の構造上の過失とはならないところ、このような前提をなす事実は認められないから、被申請人に制動装置の構造上の過失があるとすることはできない。と述べ(た。)

疎明≪省略≫

理由

一、申請人等主張事故により申請人等主張の被害が生じたことは当事者間に争がなく、公営の電車の利用関係は当事者間の契約関係であり、公営軌道事業は地方公営企業法第一七条、第二一条により独立の経済単位として独立採算制を採用しているから、少くとも収支相償うことを目的とせざるを得ず、その限りで営利の目的を持つものと云うことができ、その旅客運送行為は商法第五〇二条第四号の運送に関する行為に該当し、特別の定めある場合を除いて、商行為に関する規定の適用があるものと解せられる。従って被申請人は商法第五九〇条により自己又は使用人の旅客運送人として遵守すべき善良な管理者の注意義務を怠らなかったことを疎明しない限り、旅客運送のため旅客の生命について生じた損害については勿論契約上の責任を負担するものと云わねばならない。

二、仍て被申請人及び使用人たる市電運転手神谷の過失の有無について判断する。

(一)  本件事故当時の外的条件、タンクローリーの進行竝びに衝突状況

(1)  本件事故現場は南北に走る大阪市電野田桜川住吉線大阪市電軌道併用道路で全巾員二五・四米、その中央部約六・一米の部分がアスファルト舗装されて市電軌道敷となり(北行、南行の各内側軌道間の間隔は一・四米)、その両側約四・〇米はコンクリート舗装の車道となっている直線平坦の道路である。現場附近は工場街で道路の照明は三〇米間隔に存する市電サイドポールに街路灯(一〇〇燭光)が存するのみで夜間明るいとは云えない場所である。本件事故当日は小雨が降ったり止んだりする天候で事故当時は降り止んでいたが、自動車等の前面ガラスには雨滴が附着しており、路面は濡れスリップし易い状態であった。尚右地点は大阪府公安委員会により自動車の軌道敷内通行を認める旨の指定はなされていないし、制限速度は時速四〇粁と定められている。以上の事故現場の状況、外的条件は≪証拠省略≫により疎明される。

(2)  申請外藤井寺運送株式会社所有タンクローリーの運転手佐武功は、右タンクローリーの右側(運転手席側)ウインドクリーナーのワイパーが破損し、雨中泥水がウインドガラスに飛散していたため、前方の見透しが悪かったにも拘らず、そのまま前記道路を南進し、宝橋停留場先でタンクローリーに先行し南行車道右側を歩道より約一・九米の間隔において進行する乗用車に、間隔を一〇米に保って等速度の時速四〇粁で追随した。本件事故現場手前で佐武は先行する乗用車を追越すべく時速五〇粁として先ず乗用車との間隔をちぢめた上ハンドルを右に切り南行軌道に入ったが、運転席の前方、左右のウインドに泥水がかかり前方、左右とも見透しが悪いので先行車との間隔を大きくとり追越をはかったため、自車が北行軌道敷に進出し、而も先行車に注意を奪われて神谷の運転する対向市電に気付かず、自車のボンネットが乗用車より先に出たのでハンドルを左に切り乗用車の前に入ろうと考え、前方を見た途端、真前に黒い物体(対向市電)を発見、そのまま瞬間的にタンクローリーの右フェンダーが市電の右前角に、次で右前輪が市電右側面下部に接触し、更に荷台及び荷台枠の右前角が市電右前と激突し、荷台が市電側面に喰い込み、市電右側第一、第二柱を切断し、第三柱を押しまげ、市電右前側部を破砕させた。以上の事実は≪証拠省略≫により疎明される。

(二)  前方注視義務竝びに制動操作上の義務違反について。

市電運転手神谷は時速三〇粁で市電を運転し本件事故現場手前にさしかかった際、対向車道を南進する一群の自動車の列中より一台の自動車が、先行車を追越すべく、突然南行軌道敷を越え北行軌道敷内に進入して来るのを、前照灯の光芒により前方五〇乃至六〇米に認め(右の段階では車体迄識別することはできない。)、危険を感じ直ちに空気制動及び電気制動を操作し、非常制動の措置をとったが、市電は右制動により滑走を続けるうち前記の如く衝突に及んだことは、≪証拠省略≫により一応認められる。

尤も≪証拠省略≫によれば、本件衝突直前迄市電乗客は制動によるショックを自覚していないことが窺われるが、≪証拠省略≫によれば、電気、空気両制動を併用して急停車した場合、制動効果により停止する際には空気制動によるショックは認められるが、作動中には必ずしも激しいショックを伴うものではないし、又該車輛の動輪にはフラット摩耗が生じていたことから、空気、電気両制動が併用されていたものと一応認められ、≪証拠省略≫によっても神谷が制動措置をとらなかったとすることはできない。尚神谷がタンクローリーの北行軌道敷進出を認めたとする五〇乃至六〇米の距離については、それは神谷の直観によるものであるが、タンクローリーが先行車との間隔を五米に短縮してからハンドルを右に切って追越にかかり北行軌道敷に進出したとすると、之に要する時間は後記の如く二秒を越えないものと認められ(この時点で神谷は非常制動措置をしている。)、両車の速度差は一秒間二・七七米であるから、先行車との五米の縦間隔はこの間更に縮められることになり、≪証拠省略≫を参酌すれば、縦間隔は二米程度に止るものと一応認められる。そして先行車の車長が三・九一米であるから縦間隔を六米としても両車が頭を並べるには二・一秒を要し、この間タンクローリーは二八・八米進行し、市電は約二〇米走行することになる。従って神谷が北行軌道敷内にタンクローリーが進出したのを前方約六〇米に認めたとすれば、両車が頭を並べたときの市電とタンクローリーの間隔は約一一米であり、前記の通りタンクローリーのボンネットが先行車よりやや前に出たところで市電と瞬間的に衝突したことは自動車の秒速一三・七七米を考慮するときは概ね真相に合致し、北行軌道敷にタンクローリーの進出するのを認めた時の市電とタンクローリーの距離は六〇米前後、感覚による誤差を考慮しても七〇米は出なかったものと考えられる。

ところで申請人等は神谷はタンクローリーが追越にかかるべく南行軌道上に進出した際逸早く之を発見し徐行乃至非常制動操作をなすべき注意義務があると主張するが、神谷はタンクローリーが北行軌道敷迄進出し追越にかかるに先立って、先ず南行軌道上に進出するのを認めたとする疎明はない。しかしながら、本件にあってはタンクローリーが先行車との間隔を一〇米以上にとりハンドルを僅かに右にとり加速しつつ徐々に移行間隔をとって追越をはかったものでなく(このような追越の方法をとるときは通常の場合追越車は対向電車を容易に発見することが可能であるし、又対向電車としても追越車の動向に注意し、その車種、速度等を考慮して危険回避のため臨機の措置をとる時間的余裕があったと考えられる。)、先ず先行車との間隔一〇米を五〇粁に加速することにより短縮し(≪証拠省略≫によれば先行車との間隔を四・四米とした如くされている)、しかる後ハンドルを右に切って追越をはかっている結果、追越に際しての両車の横間隔二米、タンクローリーの車幅二・三米を考慮し≪証拠省略≫を参照するときは、ハンドルを切り北行軌道敷に進出するに要する時間は二秒程度に止り、而もそれは光芒の移行によりはじめて認められるに過ぎない。およそ軌道併用道路にあっては、車道を走行する自動車が追越をはかるため軌道上に進出するに際し、前方に対向軌道車を認めたときは追越を中止し、避譲するなど、先ず自動車側において対向する軌道車との接触、衝突を回避するよう努めるべき義務があり、このことを前提として軌道車側においては、対向自動車が尚も軌道車の接触危険範囲内に進入する危険があると予想される特段の事情が認められる場合に、はじめて徐行乃至非常制動措置をとる義務を生ずるものと解するのが相当であるが、本件の場合前記時間的経過に鑑みてもかかる特段の事情は認められず、タンクローリーが南行軌道敷内に進入するに際し、市電が徐行乃至非常制動措置をとらなかったとしても、神谷に前方注視、制動操作上の過失があると云うことはできない。

(三)  警笛吹鳴義務違反について。

(1)  神谷が非常制動操作をすると同時に警笛を吹鳴したとする疎明はない。≪証拠判断省略≫

(2)  警笛音の確認距離について。

≪証拠省略≫によれば、大阪市電の警笛は二米前方で一〇〇乃至一一〇ホンに調整されていて、右音量の警笛が窓を閉めた状態でアクセルを踏み時速五〇粁で走行する自動車内で確認できる距離については、聴覚による実験の結果によれば、距離二五米では略判然と聞え、三〇米では聞えにくいことが示されている。他方一一〇ホンの警笛は三〇米前方で八〇ホン(デシベル値にすれば八八デシベル)に減衰し、時速五〇粁でアクセルを踏み走行する自動車の車内騒音は約九八デシベル、窓を閉めた状態の車室内での警笛の遮音度は平均二〇ホン(約二〇デシベル)であるから、警笛が右条件の車内に伝わるとすれば約六八デシベルとなる。そして警笛と車内騒音との関係と比較的に相互に類似性を有する七六七サイクルの音叉を叩いて街頭騒音により音叉の音が聞きとれるか否かの実験値と対比すると、三〇米の距離では警笛音は聞こえない可能性が強いものと推定される。してみれば神谷が非常制動操作をすると共に警笛を吹鳴し続けたとしても、それは両車が約二五米に接近しない限り佐武には聞えないものと一応認めて差支えない。

(3)  警笛確認による自動車の衝突回避の可能性

神谷が(a)前方六〇米の距離で非常制動操作をなし、タンクローリーが時速五〇粁で進行を続けた場合、警笛確認に至る両車の相対距離が二五米になるのは、非常制動を操作してから約一・六秒後(この間タンクローリーは二二・二米、市電は≪証拠省略≫によれば約一三米進む。)、(b)仮りに非常制動操作をしたときの両車の距離を最大限七〇米とするとき、両車の相対距離が二五米になるのは約二秒後(この間タンクローリーは約二七・七米、市電は約一六・四米走行する。)となる。右時点において佐武が衝突を回避するためにとり得る方法について検討すると、

(イ) 急ブレーキ操作により衝突を回避しようとする場合、

≪証拠省略≫によれば晴天時におけるタンクローリーと同等性能の自動車の急ブレーキ操作による停止距離は約二八米であり、市電は更に(a)の場合には約一二・七米、(b)の場合には約九・七米滑走することになる。之等両車の空走距離は孰れも危険感知を予告してなされた実験数値(自動車について云えば空走時分〇・七七秒、空走距離一〇・七一米)であって、実際上においてはその反射時分は更に時間的に延長されるものと考えるべきであり、事故当時路面が濡れていたことによる摩擦系数の低下から空走距離も更に延長されることになるから、激突は避けられなかったものと認められる。

(ロ) ハンドル操作を行うと共に制動操作を行う場合、

≪証拠省略≫によれば、高速度で自動車のハンドル操作を行う場合には前輪の路面に対する追従性がその車のコーナーリング特性に大きい影響を与えるが、五〇粁の速度でブレーキを踏むと全制動力の半分以上が前輪にかかるため、前輪の追従性が悪くなる結果、転向が不完全となる上、更にスリップによりハンドルがとられることが予想され、タンクローリーの動きを予測することは困難で、衝突を回避することができるか否かを実験的に解析することは不可能と認められる。しかしながら、かかる措置をとることにより車の進行方向が不安定になる上更にスリップによりハンドルをとられる危険性があることは、佐武においてこのような操作を行う時点でのタンクローリーと先行乗用車との位置関係は、前記の両車の縦間隔、進行距離関係からすれば、タンクローリーが先行車より稍先行しているか或は殆ど頭を並べて並進している関係位置にあるものと推定され、更に≪証拠省略≫によれば先行乗用車にライトバンが並進していたことが窺われるし、後続車もあったことであるから、之等車輛との新な衝突を生ぜしめる危険性が大であったものと認められる。そして警笛による警告と雖も、相手方をして第三者の法益を侵害する虞がある行動をとらしめること迄要求するものではないから、このような危険が予想される方法は衝突回避の手段として採用することはできない。

(4)  ハンドル操作により衝突を回避しようとする場合、

≪証拠省略≫によれば、タンクローリーの右前輪が軌道敷の中心より一五糎北行軌道寄りを走っている場合、両車の衝突を避けるための最小進路移行幅は約三六糎と考えられるところ、先行乗用車とタンクローリーの横間隔が二米であるから、之との接触を生じない範囲で安全性を見込み、その進路移行幅を走行するに要する距離を実験によって求めると、警笛確認時より空走時分を考慮して、警笛確認距離を上廻る約三七米であることが一応認められる。この数値は実験者に実験方法を予告して得られた数値であり、且左方、後方の安全を確認してから、ハンドルを操作する場合の空走時分(約〇・五秒)を除外して得られたものであって、実際の場合更にタンクローリーの前方、左方に泥水が飛散し視界が困難となっている状況下で運転手の心理的動揺を考慮するときは、この距離は更に延長されるものと考えられるし、又適当な進路を求めて進行することは困難で、衝突の態様は異るが市電との激突は避けられず、又並進車との衝突の危険すら存するものと云わねばならない。

孰れにせよ、神谷が警笛を吹鳴しても佐武が之を聞き安全に衝突を回避する方法をとることは一応不可能と認められ、神谷の警笛不吹鳴と衝突との間には因果関係がないと云わねばならない。

(四)  神谷の速度違反について。

≪証拠省略≫によれば、南津守、宝橋間(北行)の昭和三七年一〇月一八日調査の一六時より一七時迄の市電の平均時速は二七粁、之を交通量の増大した本件事故当時に補正するときは時速平均二六粁となるが、南津守を発車して宝橋に至る間通常の運転条件により運転するときは、本件事故現場附近での時速三〇粁は営業速度として右平均速度に相応するものである。のみならず本件事故現場路線である三宝線は南北に一貫しており東西に交叉する大きな道路が殆どない路線であるため、諸車の流れが整然としており、事故発生率は営業粁当り全市平均の五五%、走行一〇粁当り全市平均六七%で、運転速度に比し事故発生率は少い路線であって、時速三〇粁は過大な速度であるとは認め難い。

(五)  神谷の乗客に対する警告義務違反について。

神谷が非常制動操作をしてから衝突に至る時間は≪証拠省略≫とタンクローリーの時速から考えると三秒に満たない短時間であることが一応認められ、この短時間内で乗客に対し危険の迫っていることを報知し得たとしても、乗客が之に対応して適当な措置をとる余裕はなかったものと考えられ、かかる義務が存するとしても乗客の死傷との因果関係は認め難い。

(六)  警笛、制動装置上の瑕疵について。

≪証拠省略≫によれば、大阪市電の警笛音量基準は前方二米で一〇〇乃至一一〇ホンに整備されるよう大阪市交通局電車整備心得に規定され、右は軌道運転規則により運輸大臣に届出をなしたものであり、それは東京都電や京都、神戸市電より音量は大であることが疎明される。右の音量では窓を閉じ、加速した室内騒音のある自動車内と云う特殊条件下での到達距離が二五米に過ぎないからと云って一般的に危険を報知する音量として不充分のものと云うことはできない。

また新型制動装置を有する市電が若干存すると云っても≪証拠省略≫によると、それは乗客に対する乗心地を考慮したものに過ぎず、制動効果として差異はないことが認められ、現在の交通事情下で市電の制動装置が制動効果上問題視されていることはないから、制動装置として瑕疵があったとは認められない。

三、してみれば本件においては神谷及び被申請人には過失のないことが疎明されたものというべきであるから、その余の点を判断する迄もなく被保全権利について疎明がないものとして本件仮処分申請は却下すべく、訴訟費用負担については民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 岩口守夫 裁判官 松浦豊久 青木敏行)

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