大阪高等裁判所 昭和42年(ネ)1151号 判決 1970年9月30日
主文
一審原告および一審被告双方の控訴をいずれも棄却する。
当審における訴訟費用中、昭和四二年(ネ)第一、一五一号事件に関し生じた分は一審原告の負担とし、同年(ネ)第一、一五二号事件に関し生じた分は一審被告の負担とする。
事実
一審原告訴訟代理人は、昭和四二年(ネ)第一、一五一号事件の控訴の趣旨として「原判決中一審原告敗訴の部分を取消す。一審被告は一審原告に対し、別紙目録第二記載の土地について、京都地方法務局昭和三九年三月二三日受付第八、五〇五号、同年二月二六日付有償譲渡を原因として一審被告を取得者とする所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審を通じ一審被告の負担とする。」との判決を、昭和四二年(ネ)第一、一五二号事件の控訴の趣旨に対する答弁として「本件控訴を棄却する。控訴費用は一審被告の負担とする。」旨の判決を求め、一審被告訴訟代理人は、昭和四二年(ネ)第一、一五一号事件の控訴の趣旨に対する答弁として「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を、昭和四二年(ネ)第一、一五二号事件の控訴の趣旨として「原判決中一審被告敗訴の部分を取消す。一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも一審原告の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上・法律上の主張、証拠の提出・援用・認否は、左に記載するほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。
(当審における一審原告の陳述)
一、本件土地(別紙目録第一、第二土地とも)は、本件調停成立時においても一審原告の境内地であつた。
(一)一審被告は法律にいわゆる「境内地」の解釈を展開しているが、一審原告はそれを争う。宗教法人法(以下法と略称)第三条には、「『境内地』とは第二号から第七号に掲げるような宗教法人の同条に規定する目的のために必要な当該宗教法人に固有の土地をいう。」とあつて、五号には庭園山林その他尊厳又は風致を保持するために用いられる土地、六号には歴史古記等によつて密接な縁故がある土地を含むとしている。
雙林寺は、千二百年の昔、廷暦二四年天台宗祖伝教大師創建にかかる東山屈指の巨刹であり、寺運隆盛時は、北は三条街道、南は松原街道、西は大和街道に亘る広大な地域に一七ケ寺の寺院を擁し賑盛を極めていた。また鳥羽天皇皇女綾雲尼公、上御門天皇皇子静仁法親王等住職であつたこともあり、西行法師も建久二年来りて〓華院住職となつてここでその生を終えるなど、本件土地を含めた一帯は、右盛時の雙林寺を偲ばせる遺跡であつて、まさに法三条五六号に該る。
(二)原判決の本件第二土地部分について、これに一審被告が工作物設置等をしたことおよび土地の分筆登記をしたことによつて、一審被告の境内地となり、一審原告の境内地でなくなつたという判断はとうてい首肯できない。
一審原告(当時の代表役員岩崎勇道)が昭和三四年四月八日本件土地を第一、第二土地に分筆登記をしたことは、何ら一審原告自身第二土地が一審被告の境内地に編入せられたことを承認したものではない。すなわち、一審原告は一審被告の土塀構築などの不当な処置を不満として、己に昭和三〇年一月本件土地返還の訴訟を起こして係争中であり(甲第八号証)、将来当事者間に和解の機運に恵まれれば、一審被告に更めて賃貸借する範囲を予め定めるためにしたものである。
そもそも、土地の地目を変更することは、いずれの場合においてもその所有者の意思によつて決定せられ、所有者以外の何人もかような権限はない。所有者不知の間に土地の性格が一変して、これに伴う法律効果が不当に醸成せられることは法律的、常識的に極めて不当である。
昭和二七年四月八日付公正証書による契約は、売買でなく、使用貸借である。しかるに一審被告がした本件第二土地の利用の仕方、その模様替は、右使用貸借契約の内容を超えるものである。すなわち、一審被告は昭和二九年一月一六日高さ約二・五米の瓦葺土塀を新築したが、その費用は二四五万円にのぼり、半永久的な堅固な工作物であり、貸借契約終了時にその収去に著しい困難を生じ、使用貸借に基づく土地利用の限度を超えるものである。これは、一審被告が本件土地を一審原告から買取つたつもりで所有者として利用したものであり、このことは一審被告の主張からも明かである。しかしてすでに昭和二八年一二月二二日本件土地の返還を求めて調停を申立てていた一審原告は、右一審被告の土塀構築によつて、その所有者たる地位がおびやかされるに至つたので、昭和三〇年一月二五日本件土地明渡請求訴訟を提起し、昭和三六年に職権で調停に付されたという係争状態が続いている間、一審被告はさらに本件第二土地内に多額の費用を投じて信徒の墓碑を建立するなど所有者として振舞い、一方的な模様替を進めて、被控訴人境内地としての既成事実を作出した。
本件土地は、明治年間一審原告寺の境内地に編入されて以来その庭先であり、さきに述べたとおり法第三条五、六号にあたる土地であり、さらに境内建物の災害を防止するために用いられる土地(第七号)でもある。そして調停当時は勿論、現在においても前記土塀を除去したならば、直ちに境内地の役割を回復する状態にある。
かように一審被告の土塀の構築に始まる一連の模様替は本件土地が一審被告の所有に係ることを前提としてなされたものであり、これを外形的にそのまま受け入れて、調停成立時本件第二土地部分が一審被告の境内地であり、一審原告の境内地でないとすることは不当である。
二、本件土地が一審原告の境内地でないとしても、これに法二四条を機械的に適用し、境内地でない不動産については、法二三条の規定に反した行為は無効とならないと解することは相当でない。凡そ法文の解釈は、その時代々々の社会事象に即応する弾力性あるものでなければならず、今日の激動する社会では、地価は日々高謄を続けており、境内地である不動産とそうでない不動産との間に、機械的に区別を設けることは現代的解釈とはいえない。すなわち、寺院または神社の本堂本社は極めて手狭まで貧弱でも、別に広大な土地建物を所有する場合がある。この場合前記法二四条の機械的解釈に従うならば、貧弱な本堂、本社を処分するには、法二三条の手続を要し、これを経ないときは無効となるに反し、他の広大な不動産(それらは美術館、図書館、宝物館、高額な別荘、数十数百に及ぶ借家であることがあり得る。)を処分する場合は、これらの手続を要しないで有効に処分できるという甚だしい不当な結果を招くこととなるからである。
三、一審原告寺の寺院規則第二〇条は、境内地である土地と、境内地でない土地とを区別せず、不動産を処分しまたは担保に供するときは、法類総代、組寺総代の同意を得て、天台宗の代表役員の承認をうけた後、その行為を少なくとも一月前に信者その他の利害関係人にその行為の要旨を示してその旨公告しなければならない、としている。
よつて、調停成立当時の一審原告代表役員森山イトが、規則二〇条に違反してなした行為は当然無効である。右規則二〇条は法二三条以上に厳格であるが、法二三条は宗教法人の財産処分についての一般的最低限度の制限であり、それ以下にルーズな処分を許すことはできないが、それ以上に厳格に制約することは、宗教法人の財産保護の上でも好ましいのであつて、この場合規則違反の行為は無効である。
本件の調停譲渡について責任役員会の決定がないこと、天台宗の承認、法類総代、組寺総代の同意のないことは明らかであり、公告についても仮にあつたとしてもそのことを調停委員の奥博良が一審原告側の者に注意したのは昭和三九年一月二二日の期日であるから、調停成立の同年二月五日までには二週間しかなく、法および規則に定める一ケ月前の公告があつたということはできない。
四、一審被告は、調停における本件土地の譲渡についての天台宗の許可、総代の同意、公告などにつき、それらが懈怠せられている点について十分その事実を知り尽していたところであり、重大な過失どころか、悪意を以て調停を成立せしめたものである。すなわち、調停の経過において、この譲渡について絶対反対の意思を表示している責任役員を調停期日に出頭することを締め出し、無知な婦人住職に圧力を加えて、とにも角にも調書を作成するに至つたのである。
五、本件調停譲渡は公序良俗に反し無効である。本件調停成立当時本件土地の時価は、坪一〇万円を下らぬものであつた。されば、総坪数五一一坪、総額金五〇〇〇万円以上の不動産を、金二〇〇万円で譲渡せしめたのは、本願寺という天下の大財閥が檀家らしい檀家をもたず、その女住職は、茶道の教師をして食うや食わずの生活を続ける貧乏寺の窮迫に乗じ、調停を成立せしめたものであつて、実に許されない無暴のものといわねばならない。
(当審における一審被告の陳述)
一、法第三条は、境内地の定義を下し、「境内地」とは第二号から第七号までに掲げるような宗教法人の同条に規定する目的のために必要な当該宗教法人に固有の土地をいう、と規定している。
右法第三条にいわゆる当該宗教法人に固有の土地という意味は、同第二号から第七号までに掲げられた土地が、法令上はじめて寺院の境内地の範囲を明確にした宗教団体法施行令第一五条各号の土地と実質的になんら変更がない点より見れば、右施行令第一五条にいう「寺院ノ用ニ供スル土地」と同一意味であつて、別の表現を用いたにすぎない。
右のごとく、寺院の境内地であるためには、寺院の用に供することを客観的条件とするほか、主観的要件として、寺院が自らいかなる範囲の土地をもつて境内地とするかを決定することが必要である。本件土地は宗教法人令(以下令と略称する)第一一条に定める寺院財産処分の手続を経、適法に公正証書による契約によつて、真宗大谷派大谷別院(以下大谷別院と略称)、従つてその権利義務を承継した一審被告の自由使用に委ねられたのであり、しかもその使用期間には制限がなく、一審原告は、一方的に解約することはできないこととなつていた。されば、一審原告は右契約によつて大谷別院に本件土地の自由使用を委ねた時点において、本件土地をその境内地の範囲から除外したものであり、一審原告の境内地としての主観的要件を欠くに至つたものである。
また、客観的側面より見ても、本件調停成立当時、本件第二の土地を一審原告が寺院の用に供せず、一審被告が一審原告の承諾(公正証書による契約)にもとづき適法に一審被告の境内地に模様替えをしていたものであり、本件第一の土地についても、一審原告がこれを寺院の用に供していなかつたこと、および一時暫定的に寺院の用に供しなかつたものでないことは、明らかである。
すなわち、本件土地全部は、本件調停成立当時、一審原告の境内地に属せず、法第二四条の規制外にあつたのである。
ニ、一審原告は、昭和二九年一月二九日、法による設立の登記をしたものであつて、本件公正証書による契約が成立した昭和二七年四月八日当時は令による宗教法人として同令の適用を受けていたものである(法附則第三、四項)。当時の一審原告主管者岩崎勇道は右契約の締結につき、令第一一条に定める寺院財産処分の手続、すなわち、総代の同意を得、且つ所属宗派天台宗の主管者の承認を経てこれをなしていることは甲第五号証(公正証書)の前文その他の証拠で明らかである。
このように本件公正証書による契約が、令第一一条に定める寺院財産手続を経て有効に成立した以上、これによつて当事者がこの契約によつていかなる目的を達成しようとしていたかは明らかであり、契約の全内容をこの目的に適合するよう解釈すべきである。とくに公正証書第一三条の定めに拘らず、右契約当時、本件土地所有権の譲渡について法律上の障碍はなく、関係官庁の許可をも必要としなかつたのであつてこのことは一審原告も認めるところであり、右一三条の規定を設けることによつて当事者の企図したところが何であるかを合理的に判断すべきである。そうすれば、右契約が本件土地の売買または停止条件付所有権移転契約、または売買の片務予約であることは明白となる。
三、法二四条但書の善意の相手方については、過失の―たとえ重大な過失であつても過失である限りその―有無を問わないものである。すなわち、旧宗教団体法(第一〇条第五項)、ついで令(第一一条第三項)は所定の手続を経ないで寺院財産の処分行為がなされたばあいにあつて、取引の相手方が保護されるためには、その善意・無過失を要件としたが、法にいたつて無過失は削除された。この改正は、取引の安全のために、寺院財産取引の相手方保護の要件をとくに緩和したものであつて、善意の相手方については、過失の有無を問わない点に重要な意味があるのである。
従つて、本件調停は、当時の原告代表役員森山イトから法所定手続を履践した旨の報告に基いて成立したものであり、一審被告は法二四条但書の善意の相手方であるから、その過失の有無は問わるべきではない。
仮りに重大な過失があつたときは、一審原告においてその無効を主張し得るとしても、一審被告の調停代理人山下知賀夫に重大な過失はなかつた。すなわち、右森山イトが法所定手続を履践した旨報告した昭和三九年二月五日の調停期日には一審原告の代理人弁護士杉島勇も出頭していて、同弁護士が右森山イトの報告内容を否定した形跡は全くない。弁護士として法令および法律事務に精通していなければならないのは、ひとり山下知賀夫に限らず、杉島勇もまた同様であり、さらに同弁護士は一審原告のために、調停事件を処理するについて万全の配慮をなすべき職務上の責務を負うていたのであり、かような立場にある杉島勇が、右森山イトの報告内容を否定せず、且つ他に法所定手続が履践されなかつたことを疑うべき特段の事情はなかつたのであるから、山下知賀夫ぎ法所定手続が履践されたと信じたのは当然であり、さらに進んで確認の措置をとることを要求するのは無理を強いるものである。同人に過失はなく、かりに過失があつたとしても重大な過失でないことは明らかである。
四、本件調停が公序良俗に反するとの一審原告の主張は失当である。ことに一審被告が貧乏寺の窮迫に乗じて本件調停を成立させたということは否認する。本件調停は手続開始以来成立まで二年有余の日時を要し、一審原告としてもその間十分の考慮時間を有し、しかも代理人として弁護士を依頼し、これと協議し、その協議にもとづいて本件調停を成立させたのであであつて、一審被告の主張は全然あたらないものである。
(当審における証拠関係)(省略)
理由
当裁判所も、一審原告の本件第二土地に関する請求は失当であるが、同第一土地についての請求は理由があると判断するものであつて、その理由は左に付加するほか、原判決理由と同一であるからこれを引用する。
(本件第二土地に関する請求についての追加判断)
一、一審原告は本件第二土地に一審被告が加えた模様替は、本件公正証書による合意の内容を超えるものであると主張するが、成立に争いのない甲第五号証および原審証人森山喜三郎同上野智信の証言によつて真正に成立したと認められる同第六号証によれば、本件土地の使用方法は、良俗に反しない限り大谷別院の自由とされ、一審原告はこれに制限を加え又は指図をすることができず(公正証書七条、契約書二条八)、且つ大谷別院の用に供するため、一審原告は地上の建物および工作物を遅滞なく収去する(公正証書九条、契約書二条ホ)ことまで約されていたことが認められるから、前記引用の原判決理由に説示してある程度の模様替をしたとしても何らその合意の趣旨に反するものではない。なお、その模様替が右認定の程度を超えるものであるとは認められない。
そうして、右の本件公正証書による合意に右認定のような条項が付されてその土地の引渡しがなされ、且つ前記引用の原判決理由記載のとおりに分筆手続もなされた事実に徴すれば、一審原告は、右合意によつて、少くとも本件第二土地については、一審被告の使用方法がこれにより一審原告の境内地としての利用方法を廃する結果となるとしても、これを是認する意思であつたことが推認される。従つて、本件第二土地部分が原判示のように一審被告において自己の境内地となしたため、反射的に一審原告の境内地でなくなつた結果を来たしたとしても、これを無権限者による改廃と同一視することはできないから、本件調停成立当時の現況に副つて、これを一審原告の非境内地と判断するを妨げない。
甲第一〇号証の一、二の記載は、一審原告の内部的処理を記載したものであるから、右現況による判断を妨げる資料とはならない。
二、一審原告は、本件土地が一審原告にとつては、法三条五ないし七号にも該当するというが、その様な土地であつても、前記のとおり、既に当該寺院自身が自己の境内地たることを廃する意思をもつて処分し、その結果客観的に境内地でなくなつた以上、もはや法二四条の適用については、これを境内地とするにあたらないものである。そして、前記引用の原判決理由記載のように本件公正証書による合意は全体として、予め、信徒総代三名の同意を得、かつ所属宗派天台宗主管者の承認を受けているのであるから、右境内地改廃の効果を伴うことあるべき前記条項についても右同意・承認があつたというべきであり、もはや一審原告は、その結果の現状変更に異議を唱えることはできず、そこが元来法三条五、六、七号の土地である故をもつて依然自己の境内地たることを主張し得ないものというべきである。
この点の一審原告の主張は理由がない。
三、次に一審原告は、法二四条を機械的に適用してはならない旨縷々主張する。たしかに、経済的には、境内地以外の不動産が、かえつて、その宗教法人の存立の基盤をなしている場合があるとは考えられるが、それにも拘らず同条はそれら処分についての法二三条の法定手続を欠くときは、代表役員等の責任が問われることは考えられてもこれを無効とされるのは、宗教法人が単なる法人としての存立ではなく、宗教団体としての存立上、宗教活動のうえから欠くことのできない境内建物および境内地の処分に限ることを明定したものと解され、これを境内地でない不動産について類推適用することはできない。一審原告のこの点の主張は法律の明文に反し採用できない。
四、次に一審原告は、本件調停は公序良俗に反すると主張する。しかし、前顕甲第五、六号証、成立に争いのない甲第七号証の一、二に原審証人大谷栄潤、同奥博良の証言と弁論の全趣旨を総合すれば、本件調停は、本件公正証書による合意の内容について、一審被告がこれを代金六〇万円とした売買であり、既に本件土地の所有権が一審被告に移転していると主張するのに対し、一審原告がこれを使用貸借であつて、金六〇万円を返還すれば土地の引渡を求め得べきものであると主張して紛争となり、その解釈として、改めて一審原告が一審被告に本件土地を代金二〇〇万円で売却するということで当事者間に紛争解決の合意をみたものであることが認められる(他にこれに反する証拠はない)ところ、右公正証書第一三条の文言などからすれば、一審被告の主張にも全く根拠がない訳でもなく(しかし一審被告主張のように、同条項を根拠として積極的に売買であるとするには、根拠に乏しい)、従つて、その紛争解決の手段として、改めて売買をするという場合においては、一審原告においてもその売買代金の点では相当譲歩し、前の合意の際の金六〇万円という金額との対比をも念頭に置いてこれが決せられることは極めて自然であり従つてその代金額が時価を下廻ることがあつたとしても、これをもつて直ちに一審被告が一審原告の窮迫に乗じて不当な廉価で取得したものというを得ない。のみならず、原審検証(第一、二回)の結果明らかなように、本件土地部分は、結局一審原・被告いずれかの境内地としてしか取引の対象となし得ない土地であつて、一審原告が甲第一三号証の一ないし八で立証しようとする様な一般時価並の高額な価格を生ずるとはたやすく首肯し難く、金二〇〇万円という価格自体、前記調停成立の経緯に鑑みるとき必ずしも不当なものとも思われない。よつて一審原告のこの点の主張は進んで本件土地の時価の鑑定をなさしめるまでもなく、失当として排斥せざるを得ない。
(本件第一土地に関する請求についての追加判断)
一、審被告は、本件調停は本件公正証書による合意を基本とし、ただその履行条件について譲歩されただけであるから、調停合意につき更めて法所定手続を履践する必要がないと主張するが、本件公正証書による合意が当然に一審被告のいう様な内容の契約であつたとは認められないことは既に前記引用の原判決理由および前記本件第二土地に関する請求についての追加判断の四項に説示のとおりであり、しかも、同項説示のとおり、本件調停においては、その点が解決さるべき紛争の目的となつていて、何ら本件調停が本件公正証書による合意内容の履行条件についての合意のためになされるものであることにつき当事者間に意見の一致をみていた訳ではないのである。かかる場合、その紛争の解決として改めて本件土地の譲渡をすることとするにおいては、一審原告としては新規の契約を締結すると等しい立場にあるから、法二三条所定手続は欠き得ないものというべきである。そのことは、一審被告が、本件調停の手続中に一審原告に対し、本件公正証書により有する片務予約の完結として本件土地の買受の申込をした事実があつたとしても、右申込の効果自体が争われていたのであるから同様である。
二、一審被告は、法二四条の相手方が善意なる限り重過失があつても、これに無効を対抗し得ないと主張するが、宗教法人の境内建物および境内地売買について法所定手続を履践しなければならないこと、それを欠くときは無効なることは法二三条、二四条に明定せられているところである。そうだとすれば、取引の相手方においても、通常その手続の欠缺の有無につき注意を払うべきことが予想され、法が善意の相手方とのみ規定していても、それは、通常の注意を払つてもなお且つ法所定手続の欠缺を知り得なかつた善意の相手方を予定しているものと解され、重過失ある相手方まで保護する趣旨ではないと解すべきである。たしかに一審被告指摘のとおり、法二四条但書には旧宗教団体法ならびに令における無過失の文言が欠けているけれども、そうだからといつて、法が重過失ある相手方までを保護することとしたものとは到底解せられない。
三、山下知賀夫が一審原告の法所定手続の履践の有無につき確めたとする証拠はない。当審証人奥博良、原審(第一回)および当審証人堀江俊順の証言中、調停期日に山下知賀夫が公告してあるのを見て来た旨話していたとの部分は伝聞であるから真に公告がしてあつたか、また山下がそれを見て来たかどうかの点では直ちに採り難く、かえつて当審証人森山イトの証言に照らし、それらの事実があつたとは認められない。
また、原審証人堀江俊順(第一回)の証言中には、森山イトから証明書を徴した趣旨の供述があるが、右は同証人の当審供述に照らしても措信し難い。
原審ならびに当審証人奥博良の証言によれば、本件調停成立の日の前の期日である昭和三九年一月二二日の期日に出頭した森山イトに対し法所定手続の履践につき充分注意し、次の期日である同年二月五日にその手続を了した旨の報告を受けており、これを疑う余地はなかつたというのであるが、前記山下知賀夫としては、右森山イトの報告のみによることなく、公告の写などこれを証する資料の提出を求めるなど、なお確認の手続が残されていた以上、その手段に出でなかつた点、同人において未だこれが確認の措置を採つたというを得ない。
そうして他に山下知賀夫が、法所定手続の履践されていることを確認したとの事実を認めるに足る証拠のない以上、同人にその点の重過失があつたといわざるを得ない。相手方(一審原告)にも弁護士が代理人として関与していたことは、何ら同人の注意義務を軽減するものではない。
以上の次第であるから、一審原告の本件第一土地に関する請求を認容し、同第二土地に関する請求を棄却した原判決は相当であつて本件両控訴はいずれも理由がない。よつて民事訴訟法第三八四条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(別紙)
目録
第一 京都市東山区高台寺北門前通下河原東入鷲尾町五二七番地の一
一、境内地 三畝一三歩
第二 同町五二七番地の二
一、境内地 一反三畝一八歩