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大阪高等裁判所 昭和42年(ネ)1608号 判決 1970年7月15日

控訴人 神戸銀行

理由

一、昭和三五年五月二四日控訴銀行吹田支店に対し、柿田武重、柿田栄子、柿田洋子、柿田宏太郎、柿田肇、柿田エミ、柿田武義の各名義で、預金額各三〇万円(合計金二一〇万円)、期間同日より一カ年、利率年六分の定期預金がされたことは当事者間に争いがない。

二、被控訴人は本件預金は被控訴人の預金であると主張するのに対し、控訴人は訴外新高製菓株式会社(以下訴外会社という)代表取締役社長森健太郎の個人預金であると主張するので、まずこの点から判断する。

《証拠》を綜合すると、

(一)  本件預金中柿田武重、柿田栄子、柿田洋子、柿田宏太郎、柿田肇名義のものは昭和三四年五月二日に、柿田エミ、柿田武義名義のものは同月九日に、右各名義をもつてなされた預金額、期間、利率いずれも本件預金と同一の定期預金の継続預金であること。右のほかに同年一二月七日にも控訴銀行吹田支店に対し、柿田武重、柿田健一、柿田義雄名義をもつて預金額各三〇万円、柿田昌子名義をもつて預金額一〇万円、期間、利率いずれも右同一の定期預金(これは本件外のもの)がなされたこと。

(二)  右各預金の出捐者は、被控訴人であり、預入れおよび継続手続をなしたものは前記森健太郎であること。すなわち、被控訴人は、肩書地で会社組織で菓子問屋を営んでいるものであるが、課税を免れるため自己所有の現金を隠し預金にしようと考え、かねて取引関係のあつた訴外会社(大阪府吹田市所在)の社員浦上彦に対し、大阪の銀行へ、預金者が被控訴人であることがはつきり分らないように適当の名義で、一口の預金額を三〇万円限度にして定期預金してほしい旨個人的に依頼して現金を託し、右浦上はさらに前記森健太郎にその旨話して預入れ手続を依頼し、森において昭和三四年五月二日と同月九日と同年一二月七日の三回にわたり、これを右依頼の趣旨に沿つて前記各名義で訴外会社の取引銀行である控訴銀行吹田支店に預入れ、五月二日と九日に預入れた分については期間満了後の昭和三五年五月二四日に継続手続をしたものであること。

(三)  森は右預入れ手続をなすにあたり、右各預金が被控訴人の預金であるとも、自己の預金であるとも明示せず、唯前記各名義をもつて前記金額、期間の定期預金にしてほしい、預金名義人の住所は銀行の方で適宜のところにしておいてくれといつたにすぎなかつたこと、そこで森と応待した同支店貸付係の井口郁においてそれではいずれも「吹田市千里丘」としておくといつて架空の場所を住所としたこと、前記名義人のうち柿田武重、柿田肇以外の氏名はいずれも森が考えてつけた架空のものであり、柿田武重は被控訴人の、柿田肇は被控訴人の長男の氏名であるが、森は右両名分についても実在の同人らを預金名義人とする意思をもつてその本名を使用したものではなく、従つてその住所は架空とし、不特定のものとしたこと、預金名義人の姓をいずれも柿田としたのは被控訴人の預金であることを示すための預金者側の内部的の一応の標識としたものにすぎないこと、印鑑届は前記浦上を通じて被控訴人より受取つた被控訴人の実印(松江市役所に届出のもの)を押捺した印鑑票を提出してなしたが、森はそれが誰の印鑑であるとも告げなかつたこと。

(四)  控訴銀行吹田支店は、森とはかねて取引関係にある訴外会社の社長として顔なじみであつたが、被控訴人は全く知らない人間であつたこと、そして同支店ではかねて森に対し社長個人の預金もしてほしい旨依頼していたところ(訴外会社としては定期預金をし、これを担保にして手形貸付、手形割引を受けていた)、同人自身が来行して預入れ手続をし、預金名義人の住所を架空にしたことや、会社内部の者に知れては具合の悪い金であるなどといつていたことなどから判断して、森が右依頼に応じ架空名義で同人個人の裏預金をなすものと考えていたこと。しかしその点について森に問い質したことも調査したこともなかつたこと。

(五)  森は同支店より発行を受けた預金証書はいずれもその都度前記浦上を通じて被控訴人に引渡し、常時被控訴人において所持し、また被控訴人において届出印章を浦上または森に預けたようなことも一度もなかつたこと。

(六)  ところで、昭和三四年一二月一七日頃訴外会社において砂糖買入れ資金として至急に一五〇万円を必要としたので、森は控訴銀行吹田支店にその融資方を申入れたが、訴外会社に対する貸付枠外であるとして担保を要求された。そこで森は一カ月位の間に返済できる金であるから前記柿田姓名義の定期預金(一一口合計金額三一〇万円)を一時担保として無断借用しようと考え、これを担保に供する旨申出でた。ところで、控訴銀行においては、定期預金を担保に貸付けする場合には、預金者の担保差入書を徴し、かつ預金証書に届出印鑑を押して提出せしめることになつていたので、森に対しその手続をとることを要求したが、森は預金証書も届出印章も共に所持せず、右要求に応ずることができなかつたので、東京の母親のところに預けてあつて早速間に合わないと嘘をいつた。すると、銀行側において「前記柿田姓名義の定期預金が森のものであることを認め、訴外会社において債務不履行の場合は右預金をもつて相殺されても異議がない」旨記載した念書(乙第三号証)を作成して署名捺印を求めたので、森はこれに自署捺印して差入れ、金一五〇万円を借受けたが、該借入金は約束どおり一カ月位の後に全部返済され、右念書による相殺予約は失効したが、念書は返還されないまま控訴銀行吹田支店に残されていた。

(七)  昭和三四年五月二日と同月九日に預入れられた前記柿田姓名義の定期預金七口(合計金額二一〇万円)は満期後に本件預金として継続せられたが、その手続も森がなし、前記浦上を通じて被控訴人から右七口の定期預金証書(裏面元利金受取欄に被控訴人の届出印鑑を押捺したもの)と新印鑑届(従前と同一の印鑑を押捺したもの)の交付を受け、これを控訴銀行吹田支店に提出して書替証書(本件預金証書)と利息を受取り、これを直ちに浦上を通じて被控訴人に引渡したこと、右書替え手続の際、森は同支店長から利息を元金に繰り入れるよう要望せられたが、利息は自分の母親にやる約束になつているとか、兄弟の結婚資金、学資にするとか嘘をいつて応じなかつたこと。

(八)  その後昭和三五年八月頃になり訴外会社の経理状態が悪化したので、控訴銀行吹田支店は同月二日前記念書に一方的に確定日附をとり、さらに同月一一日頃「本件預金を含む前記柿田姓名義の一一口の定期預金(合計金額三一〇万円)は全部森のもので、訴外会社が控訴銀行に対して現在および将来負担する債務を履行しないときは右預金をもつて相殺されても異議がない」旨記載した念書(乙第一号証)を作成して森にその承認を求めたので、森は右念書の末尾に「右相違なき事後日の為本書を差入れます」と記載して自署したが捺印はしなかつたこと、ところで、同月一五日頃訴外会社は不渡手形を出し、翌一六日頃支払停止をなし倒産するに至つたので、同支店は右念書に森の捺印を求めようとしたが、森は支払停止と同時に今井勝弁護士に訴外会社の整理を委任して社印と共に自己の個人印も同弁護士に預け、一時姿を隠していたので、同支店長代理坂西と貸付係井口の両名は前記浦上に案内せられて同弁護士方を訪ね、右念書に森の捺印を求めたが、同弁護士は、柿田姓名義の預金は被控訴人のもので森のものではないといつてこれを拒絶したこと、控訴銀行支店長は同月一九日付翌二〇日到達の書面をもつて森に対し、かねて差入れの念書に基づき森保証にかかる控訴銀行の訴外会社に対する手形貸付債権合計金四九〇万円と本件預金を含む前記柿田姓名義の定期預金債権とを対当額で相殺した旨通知したこと、その後間もなく被控訴人は訴外会社倒産の事実を知り、自己の定期預金がどうなつているか心配となつたので、同年九月四日頃控訴銀行吹田支店に照会の書面を発し、さらに同年九、一〇月頃右定期預金証書と届出印章を携えて上阪し、前記今井弁護士および森に同道せられて同支店に赴き右預金の払渡を求めたが、同支店長は右預金は森の預金であり、かつすでに訴外会社の債務と相殺済であると主張してこれを拒絶したこと。

(九)  控訴銀行吹田支店は、前記柿田姓名義の定期預金はすべて森個人の裏預金であるとしながら、預金台帳には預金者として前記架空の預金名義人の住所氏名のみを記載し、森が預金者であることの記載は何らしておらず、その預入れ当時の事情を知つていたのは同支店長と支店長代理の預入手続に関与した係行員井口郁のみであつたこと。

(一〇)  控訴銀行の定期預金証書には、裏面に「この預金の元利金を受取るとき又は証書の書替えを求めるときは、この証書の裏面領収欄に氏名を書入れかねて届出の印章を押して提出すること、右印影とかねて届出の印鑑とを照合して相違ないと認めて払渡し又は書替え手続をしたときは、どんな事故があつても銀行は一切責任を負わないこと、銀行の承認がなければ預金の譲渡又は質入れをすることができないこと」その他証書、印鑑紛失、改印の場合の手続等が記載せられ、本件預金も右約款に従つてなされたものであること。

以上の事実を認めることかでき、乙第一六号証(別件証人井口郁の証書)の記載および原審における同証人の供述中「森は以前から頼まれていた定期預金をするからといつて来行した。」となす部分は、右乙第一六号証中の「森はこれは自分の個人預金だとはいつていなかつた。」となす右井口の供述記載部分および前掲乙第九、一七号証、証人森健太郎の供述と対比して些か疑問で、井口証人の主観が多分に入つた供述と認めざるを得ない。また乙第一七号証、および前記井口郁、杉本政一の供述中「乙第三号の念書によつて担保せられた債務は前記一五〇万円のみでなく訴外会社の全債務で、右念書記載の約定の効力は一五〇万円弁済後も存続していたものである。」となす部分は、一五〇万円返済後控訴銀行が森に対し担保に供せられた定期預金証書の提出を求めず、また新証書に書替えられた際もこれを銀行に止めおかないで森に交付した事実および前掲乙第九、一一、一七号証、証人浦上彦、森健太郎の証言に照らしとうてい措信し難く、その他前掲各証拠中叙上の認定に反する部分はいずれも措信し難い。

架空名義の定期預金については、預金名義人をもつて預金者とすることができないから、預入れの際特定の者を預金者とする旨の明示または黙示の意思表示がなされた場合には一応その者をもつて預金債権者と認むべきであるか、そうでない場合には、預金者の氏名が秘匿されている点において実質的には無記名定期預金と異るところはないから、真実の預金者である出捐者(自己の預金となす意思で自らまたは代理人等を通じて預入れをなす者)をもつて預金債権者と認めるのが相当で、代理人等が本人のためにすることを示さなかつた場合においても、特別の事情のない限り預金契約の効力は本人につき生ずるものと解すべきである。けだし、本人か、代理人または使者であるかを確認することは困難で、一般に銀行は迅速、定型的処理を必要とする預金業務の性質上、預金に来行する者が本人であるか、或は代理人または使者であるかを確認しないで預金を受入れる建前をとつていることは公知の事実であるから、特殊の場合を除き、預入れ手続をした者をもつて直ちに預金債権者と認めることは実情に適しないからである。(銀行預金をもつて商行為と認むれば商法第五〇四条本文の規定の適用があるが、その規定の適用の有無を論ずるまでもない。)

いま、これを本件預金についてみるに、本件預金の出捐者で実際の預金者は被控訴人であり、訴外森健太郎は唯被控訴人のため委託の趣旨に沿つて架空名義で預入れ手続をしたものにすぎないところ、森は右預入れ手続をなすにあたり、被控訴人のためにするものであることを示さなかつたが、さりとて自己の預金であるともいわず、唯前認定の如き各名義で前認定の如き定期預金をしたい、名義人の住所は銀行の方で適宜に決めておいてくれと申入れたにすぎないから、森を預金者とする旨の明示の意思表示がなされたものと認め得ないのは勿論、前認定のような預入れ当時の状況から直ちに森が自己が預金者であることを示す行為をしたものと認めることも困難であるから、本件預金が森の預金であることの黙示の意思表示があつたものと認めることもできない。控訴銀行が前認定の預入れ当時の状況から森が個人の裏預金をなすものであると判断したとしても、何ら森に確めていない以上、控訴銀行側の一方的、主観的判断にすぎないものというべく、森も内心では銀行側がそのように誤解しているかも知れないと知りつつ、そのまま放置していたとしても、いまだもつて黙示の合意があつたものと認めるに足りない。また預入れ後約七カ月を経過して後森が訴外会社のため控訴銀行から一時の枠外融資を受けるに当り、本件預金を自己の預金として担保に供する旨約し、前示念書を差入れたとしても、預入れ後相当日時を経過し、しかも届出印鑑も預金証書も提出することなくしてなされた右森の行為をもつて本件預金債権者認定の資料とするのは相当でなく、右の点は専ら担保差入れの効力問題として別に判定せられるべきものであると考える。

また本件預金継続書替えの際、森に恰も本件預金につき支配力を有するかの如き言動があつたとしても、預入れ後一年以上経過後の事情を斟酌して本件預金債権者を決定することも相当でない(それが何人であるかは別として、本件預金債権者が書替えの前後を通じ同一人で、変動がないことは当事者間に争いがない)。

なお森が代表者である訴外会社と控訴銀行吹田支店との間に約定書に基づく継続的取引があり、同支店においては本件預金が訴外会社に対する貸付の担保となるものと期待していたものとしても、本件預金預入れにあたり、その旨の合意がなされたことも、また右取引約定書において予め森個人の預金が相殺の対象となる旨約定されていたことも共に認むべき証拠がないから、森自身が本件預金のため来行し、窓口でなく、かねて知合いの貸付係の者を通じて預入れ、かつ被控訴人のためにするものであることを示さなかつたとしても、直ちに森をもつて本件預金契約の当事者と認むべき特別の事情があるものとも解し難く、他に本件預金契約の効力が森との間に生じ、被控訴人に及ばないものと解すべき特段の事情の存在も認められない。

控訴人は本件預金は訴外会社に対する貸付の裏付となる期待の下に森から預入れを受けたものであり、この期待は保護せらるべきものである旨主張するけれども、単なる事実上の期待は預金契約関係の成否に消長をきたすものではない。

また控訴銀行は被控訴人が預金者本人であることを知らなかつたから、商法第五〇四条但書の法意により被控訴人との間の法律関係の成立を否定し得る旨主張するけれども、同条但書は本人のためにするものであることを知らなかつた商行為の相手方保護のため、代理人に履行を請求することにより本人との間に契約の効果が発生することを否定し得る趣旨を定めたものであるところ、本件の場合、被控訴人の代理人または使者である森に対し控訴銀行より契約の履行の請求をなす余地は全くないから、同条但書を類推適用する余地はなく、また右控訴人の見解は前示銀行預金業務の実態を無視するものでとうてい採用し得ない。

以上の理由により当裁判所は本件預金債権者は被控訴人であると認めるものであり、殊に被控訴人が預入れ手続をした森と共に控訴銀行吹田支店に出向き、届出印鑑と預金証書を呈示し、共々被控訴人に対する払戻を請求をした以上、控訴銀行において被控訴人が本件預金債権者でないとの理由でその払戻を拒否する正当の理由は全くないものと解すべきであるから、後記相殺の抗弁が認容されない限り、控訴銀行は被控訴人に対し本件預金を払戻すべき義務があるものといわなければならない。

三、そこで次に控訴人主張の相殺の抗弁について考えるに、訴外森が昭和三四年一二月一七日頃控訴銀行との間で本件預金を受働債権とする相殺予約をしたことは前認定のとおりであるが、同人が右予約をなすにつき被控訴人から代理権を与えられていたことを認むべき証拠はなく、また控訴銀行において森に右代理権ありと信じたとしても、正規の担保差入書も徴せず、預金証書の提出も受けていないから、右の如く信じるについて過失があつたものといわなければならず表見代理の成立も認め得ない。昭和三五年八月一一日頃乙第一号証の念書によつてなされた相殺予約についてもまた同様である。

しかのみならず、昭和三四年一二月一七日頃乙第三号証によつてなされた相殺予約は、被担保債務一五〇万円の弁済によつて失効したこと前認定のとおりであるから、いずれにしても控訴人が昭和三五年八月二〇日なした、相殺予約に基づく相殺の意思表示は無効であるといわなければならない。

四、そうすると、控訴人に対し本件定期預金合計二一〇万円とこれに対する預入れの日である昭和三四年五月二四日以降支払済まで年六分の割合による利息(期間後は損害金)の支払を求める被控訴人の請求は正当であるから、理由は異るけれどもこれと同旨の原判決は結局相当である。

よつて本件控訴および仮執行に基づく給付の返還請求は理由なしとしていずれも棄却

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