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大阪高等裁判所 昭和42年(ネ)44号 判決 1969年6月12日

控訴人・被告 さくらタクシー株式会社

訴訟代理人 福岡福一

被控訴人・原告 清水昌一

訴訟代理人 松浦武 外一人

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする、との判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の陳述ならびに証拠の関係は、つぎの(一)ないし(三)のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(一)  控訴代理人は、

「本件事故は、衝突してきた相手車両の運転者において停止信号を無視し暴走進入したことが、その唯一最大の原因である。速度違反が注意義務違反となるかどうかは、速度違反と事故との間の因果関係の有無によつて判断されるべきである。ところが、控訴人車両の運転者猪川進が制限時速四〇キロメートルで運行していたとしても、その場合の停止距離は一七・九メートルであり、一方、同人が相手車両を認めたのは衝突地点の九・八メートル手前であるため、急停車しても間に合わなかつたのである。しかも、事故現場の暗さや見通しからすると、猪川のほうで相手車両を発見するのが遅れたとはいえない。この点につき、「常に」相手車両の方向を注視していたときは、時速四〇キロメートルでは、制動反応さえ早ければブレーキ操作だけでかろうじて事故を防ぎえたとの鑑定意見もあるが(当審鑑定人浅井利雄の鑑定の結果)、他の方向にも注意を払わなければならないから、「常に」一方だけを注視することはできず、発見が多少遅れてもやむをえない。しかも、右鑑定意見によれば、発見が〇・五秒でも遅れれば、事故を防ぐことはできないのである。のみならず、停止信号を無視して進入してくる車両のありうることまで予想すべき注意義務はないから、発見が遅れたとしても、これをもつて注意義務違反とすることはできない。およそ、車両の運転者は、互いに他の運転者が交通法規に従つて適切な行動に出るであろうことを信頼して運転すれば足りるものである。この原則、すなわち信頼の原則は、運転者に交通法規違反があつても、その違反が具体的な注意義務違反と結びつかない場合には、なお適用されるべきである。要するに、控訴人車両の運転者には、本件事故発生につき、注意義務の違反がない。」

と付加陳述した。

(二)  被控訴代理人は、控訴人の右主張に対し、

「本件衝突事故は、控訴人車両の運転者猪川進が前方注視を怠り相手車両の発見が遅れた過失と、制限時速四〇キロメートルをはるかに越えた六〇キロメートルで運転した交通規則違反という過失とによつて、発生したことが明らかである。すなわち、猪川が常に相手車両の方向に注視し、制限時速四〇キロメートルを守つていた場合には、事故現場のかなり手前で相手車両を発見することができ、急停車することによつて事故を防ぎえたものである。しかも、夜間のことであり、相手車両ヘッドライトの光芒によりその存在をもつと早く認識できたはずである。また、交差点のような場所では、信号のいかんにかかわらず、左右からの車に一応注意を払うべきであり、制限速度も、かような場所においてこそ、危険防止のため遵守しなければならない。ことに、猪川は赤信号の出ている交差点に接近してきたのであるから、交差点の手前でいつたん停止できる速度にまで減速して接近すべき注意義務があるというべきである。しかるに、猪川は、交差点の手前二六メートル付近で信号が青に変つたので、制限速度を超過したそのままの速度で北進し、交差点の直前で右側の他車を追い抜いている。このこと自体きわめて危険であるのみならず(したがつて、かような場合にはブレーキペダルに足を掛けておくなど臨機の措置がとれる用意をすべきである)、そのため、左方向の相手車両に注意を払うことができなかつたのである。また、猪川が以上の注意を守つても接触程度の事故は免れなかつたかもしれないが、その場合は、被控訴人の傷害が、本件の場合に比しきわめて軽徴であつたはずである。しかも、猪川がずつと前から四〇キロメートルの制限速度で運転してきたならば、もともと本件事故は起こらなかつたのであるから、猪川の速度違反と本件衝突との間の因果関係を否定することはできない。控訴人は、相手車両運転者の信号無視を強調するけれども、本件は信号の変つた瞬間のほんの数秒間の出来事であり、それも交通閑散な深夜のことであるから、この程度の信号無視はありがちなものということができる。このことを考えると、猪川としては、まつたく予見不可能なものとはいえず、このように結果に対する予見が可能である以上、信頼の原則は適用されない。ことに、猪川には、以上のような本件事故の原因たる注意義務違反がある以上、信頼の原則の適用がないことはいうまでもない。信頼の原則は、本来、刑事事件において、高速度交通機関の発達とその社会的意義の増大にかんがみ、過失責任の追求を適正な範囲に制限しようという目的から生まれたもので、刑事罰をもつて強制すべき注意義務の範囲を緩和したものにすぎず、そのまま民事事件に妥当するものではない。自動車損害賠償保障法の立法目的に従えば、民事事件においては、むしろ、信頼の原則の適用による注意義務の緩和とは異なつた原理が働くことを見のがしてはならない。」

と述べた。

(三)  証拠<省略>

理由

一  控訴人の運転手猪川進の運転する自動車が、昭和三八年七月二二日午前二時一〇分ごろ、大阪市東区平野町五丁目一番地先道路上において、原審相被告山口厚美の運転する自動車と衝突し、猪川の車に乗つていた被控訴人が受傷したこと、および、右猪川の運転する自動車は、控訴人がタクシー営業に供していたものであることは、いずれも、当事者間に争いがない。

そこで、自動車損害賠償保障法第三条ただし書の免責事由について判断するに、まず、成立に争いのない乙第二号証、第三号証、第五号証、第六号証、第八号証および第九号証、原審証人猪川進の証言ならびに当審鑑定人浅井利雄の鑑定の結果を総合すると、事故の起こつたところは南北に通じる国道二五号線御堂筋と東西に通じる平野町通との交差点で、そこでは信号機による交通整理が行なわれていたこと、猪川は、毎時六〇キロメートルの速度で御堂筋を北進中、右信号機が南北青となつていたので従前の速度のまま交差点にはいつたところ、東西が赤信号であるのに西方から山口の車が突入してきたこと、猪川は山口の車を左前方至近距離で発見したが、避譲措置をとるいとまもなく同車のため自車の左側部に衝突されたこと、および、御堂筋における制限速度が毎時四〇キロメートルであり、したがつて猪川の速度はこれを超過していたこと、等の事実を認めることができる。

二  猪川の注視義務違反の有無について

前段に認定した事実関係にもとづいて考えるに、猪川が斜め方向をも含めて前方の注視を怠らなかつたことが認められなければ、それだけで控訴人に責めを帰するに十分であるから、この点から検討をはじめる。

すでに認定したように、猪川は、山口の車を至近距離においてようやく発見したのであるところ、前掲各証拠によると、猪川は、右青信号の交差点にさしかかる直前で一応左右の道路を見たが、東西方向から進入する車を発見しなかつたので安心して交差点に進入したこと、もしその後も左方向を注視しつづけておれば、いま少し早く相手の車を発見することも不可能ではなかつたことが認められる。しかしながら、一般に、青信号の出ている交差点に進入する自動車の運転者としては、特段の事情のないかぎり、赤信号の出ている方向からこれを無視して突入してくる車両のありうることまで予想して左右を注視する注意義務はないものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四三年(あ)第四九〇号同年一二月二四日第三小法廷判決)。本件では、左方向は東西赤の信号が出ているのであるから、手前で左右方向を一応確認した猪川においては、その後もさらに左方向だけを注視しつづけなければならない注意義務はなかつたものということができる。ところで、前掲乙第二号証と乙第三号証とを対比してみると、猪川の車よりややおくれてその右側の通行帯を同じく北進していた自動車の運転者浦田耕作は、猪川よりも一瞬早く山口の車を発見していることが認められるけれども、この事実だけでは、猪川において、信号無視の山口の車にいま少し早く気がついてしかるべき特段の事情ありとすることはむずかしい。

右の点につき、被控訴人は、夜間のことであるから相手の車のヘッドライトの光芒によりその存在をもつと早く認識できた旨主張するけれども、右認定のように、浦田にしても猪川よりわずかに早く山口の車を発見したにすぎず、そのヘッドライトの光芒をそれ以前に見ていたという証拠はなく、そのほか本件の全証拠を調べてみても、ヘッドライトの光芒により猪川がもつと早く山口の車を察知できる情況にあつたとは認められない。また、被控訴人は、交差点では信号のいかんにかかわらず左右からの車に一応注意を払うべきであると主張するけれども、猪川が交差点の手前で一応東西方向を見たが進入車を発見しなかつたことは右に認定したとおりであり、その際注意すれば山口の車を発見できたことを認めるに足りる証拠はない。さらに、被控訴人は、本件は東西の信号が赤に変つた瞬間相手車両が進入したもので交通閑散な深夜にはよくあることであると主張するけれども、前記一に掲げた各証拠によると、猪川は交差点の手前数十メートル(少なくとも二五メートル以上)のところで北行信号が赤から青に変つたのを現認していることが認められ、したがつて、信号が変つた瞬間のこととはいえず、猪川の車が交差点にはいるときは東西の信号が赤に変つて相当の時を経過し東西方向からの進入車はすでになくなつているはずであるから、被控訴人の右主張は採用できない。

以上要するに、猪川が至近距離になつてようやく信号無視の相手車両を発見したこと自体には、なんら注意義務の違反はないというべきである。

三  猪川の速度違反と事故との因果関係の有無について

斜め方向をも含めて前方の注視義務違反が猪川に成立しないことは、右のとおりであるけれども、さきにも認定したように、猪川には制限速度超過という交通法規違反がある以上、適切な速度で運転していてもなお事故を回避できなかつたことの証明がつかないかぎり、控訴人はやはり責めを免れることができないわけである。そこで、このような証明があるかどうかにつき、検討を進める。

猪川が山口の車を発見したのは、前記認定のとおり至距近離に迫つてからであり、この段階では、制限速度を守つていてももはや事故を避けられないことは、前掲鑑定の結果に徴し明らかである。もつとも、極端に減速しておればあるいは事故発生に至らなかつたとの疑いもないではなく、被控訴人も、猪川が本件交差点に接近しつつある途中ではまだ赤信号が出ていたから、その手前でいつたん停止できるよう減速すべきであつた旨主張する。しかし、前記二の末尾で認定したように、猪川は交差点の手前数十メートルのところで北行信号が赤から青に変るのを現認しているのであるから、その地点までいつたん速度を落としてきたとしても青に変るのを見てふたたび加速することは少しもさしつかえなく、交差点で停止できるよう減速すべき義務はない。

被控訴人は、また、猪川が制限速度で運行しておれば、(1) 左方向からの相手車両をもつと手前で発見できたし、(2) 接触程度の軽い事故ですんでいたのみならず、(3) ずつと前から制限速度で来たならばはじめから本件事故など起こらなかつたと主張する。ところで、前記一所掲の各証拠を総合すると、左方向に格別注視しなくても相手車両を確実に発見できた、という情況ではなかつたことが認められ、そうすると、右(1) の主張は、左方向注視義務があつてはじめて取り上げるべき問題である。しかるに、本件の場合、左方向注視義務のないことは前に説示したとおりであるから、右(1) の主張は採用できない。また、被控訴人の(2) および(3) の主張は、結果から論ずればまさにそのとおりであるけれども、その論法をもつてすれば、いやしくも制限速度違反があるときは、ただそれだけの理由で当該の衝突事故につき過失を免れることができないという結果になる。しかしながら、速度を上げすぎたことが原因となつて衝突回避のための適切な措置をとりえなかつたというのであれば、速度違反と事故とが結びつくけれども、適切な回避措置をとれなかつた原因が速度違反以外の点にあるときは、速度違反と事故との間の因果関係を否定しなければならない。ところで、本件では、前記認定の各事実に徴して考えると、猪川が衝突を回避できなかつたのは、速度が早すぎたからではなく、もつぱら山口の車が赤信号にもかかわらず横合いから突入したからであることが認められる。けだし、制限速度を守つておればもつと早く発見できたではないかという点は、右に説示したように問題とすべきではないし、猪川が右山口の車を発見した時点では、制限速度で走つていても衝突を避けられなかつたことはすでに認定したとおりであるからである。したがつて、被控訴人の右(2) および(3) の主張も採用できず、要するに、猪川の制限速度違反と本件事故との間の因果関係は、否定するほかない。

なお、被控訴人は、猪川が制限超過のまま進行し交差点の手前で他車を追い抜くような危険な運転をするときは、用心してブレーキペダルに足を掛けておくべきであるのに、かえつて追抜きのため左方向への注意がおろそかになつたと主張する。しかしながら、右のような追抜きがそれ自体はたして危険な運転に属するかどうかがそもそも問題であるのみならず、前記鑑定の結果に徴すると、猪川が相手車両を発見した時点では、前からブレーキペダルに足を掛けていたとしても急停車は間に合わなかつたことが認められるし、またしばしば指摘したように、本件では左方向に対する注視の義務がないのであるから、被控訴人の右主張は、採用することができない。

四  信頼の原則の民事事件への適用等について

本件事故発生の経緯は以上のとおりで、猪川の車が山口の車に衝突されたのは、交差点で赤信号が出ているのにかかわらず西方から突つ込んできた山口の重大な過失に、全面的に起因するものといわなければならない。山口がいかに無謀な運転をしていたかについては、成立に争いのない甲第八号証および乙第七号証によれば、同人は事故当時飲酒運転をしていたことが認められ、この点からしても、そのあまりにも非常識な信号無視ないしは信号に気づかなかつたことが事故の原因であることを裏付けるに十分である。猪川にはかような車両のあることまで予想すべき注意義務はないし、また山口の車を発見したときは急停車しても間に合わなかつたのであるから、猪川には過失なし、とするほかはない。そして、前段までに検討を加えた争点のほかには、右の判断を左右すべき事情を認めるに足りる証拠もない。

このように、衝突の原因がもつぱら山口の過失に存し、猪川には過失がない以上、運転者猪川に対する控訴人の選任監督上の過失と事故との間の因果関係もないことになるから、控訴人が運行供用者としての注意を怠らなかつたことを論ずる余地はない。同様に自動車の構造上の欠陥または機能の障害がなかつたことを問題とする必要もない。つまり、これら免責事由を証明するまでもなく、控訴人は、本件事故についての賠償責任を免れることができるわけである。

右の結論は、自動車事故の被害者の保護を図ろうとする自動車損害賠償保障法の立法目的を考慮にいれても、これを動かすことができない。この点につき、被控訴人は、民事事件では信頼の原則を刑事事件どおりの形で適用することは妥当でない、と主張する。当裁判所の以上の判断、ことに、赤信号にもかかわらず交差点に突入してくる車両のあることまで予想すべき注意義務を否定した点は、まさに被控訴人主張の原則に従つたものである。ところで、信頼の原則が民事事件でも刑事事件におけるとまつたく同様に適用されるべきかどうかは、一つの問題ではあるけれども、その一般論は別として、本件のように信号機のある交差点を青信号に従つて進入する運転者については、信頼の原則を適用すべき最も典型的な場合であり、かような場合には、民事事件でも信頼の原則が適用されてしかるべきである。被害者の保護を強調するあまり、かかる場合にもなお信号無視の車両のあることまで予想すべき注意義務を肯定するのは、行過ぎである。被控訴人としては、控訴人とともに第一審被告であつた山口に対する勝訴の確定判決をもつて満足せざるをえない。

五  むすび

以上のとおり控訴人の抗弁は理由があるから、被控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきである。よつて、これと異なる原判決は不当であるから、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条に従い主文のとおり判決する。

(裁判長判事 井関照夫 判事 藪田康雄 判事 賀集唱)

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