大阪高等裁判所 昭和42年(行コ)25号 判決 1970年8月19日
控訴人 伊藤茂穂
右訴訟代理人弁護士 井関和彦
右訴訟復代理人弁護士 中田明男
同 松井清志
被控訴人 大阪府公安委員会
右代表者委員長 荻野益三郎
右訴訟代理人弁護士 道工隆三
同 中務嗣治郎
同 加地和
同 赤坂久雄
同 山村恒年
同 井上隆晴
同 田原睦夫
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の申立
一、控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が、昭和四〇年七月二三日、控訴人に対してなした控訴人の運転免許の効力を、同月二三日から同年八月九日まで停止するとの処分はこれを取消す。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、
二、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。
第二当事者の主張
当事者双方の主張は、次のとおり附加、補正するほか、すべて原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一、控訴人の本案前の抗弁に対する答弁並びに主張
(一) 被控訴人の本案前の抗弁は、本件運転免許の停止期間が被控訴人主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。
運転免許の停止処分は、被処分者の名誉、信用等の人格的利益を侵害する一種の制裁処分であって、かかる侵害の結果は停止期間満了後も残存するのであるから、停止処分後一年を経過してもなお訴の利益は失わない(東京地方裁判所昭和三二年一二月二〇日行集八巻一二号二三〇頁参照。)。
また運転免許停止処分の前歴は、処分後一年を経過することによって行政処分上の対象にはならなくなっても、将来発生すべき道交法違反事件の刑事処分等において、情状として斟酌される場合、これをもって単に免許停止処分のもたらす事実上の効果にすぎないとして無視することは許されず、しかも停止処分後一年を経過した場合は、すべて訴の利益を欠くに至るとすれば、現在の訴訟の実態に徴し、被処分者が訴提起後一年以内に判決ないし確定判決をうることは著しく困難であるから、被処分者は、停止処分に如何に重大なる瑕疵があるときでも、ほとんどの場合行政処分自体の効力を訴訟において争うことはできなくなり、国民の権利救済の途は事実上閉ざされることになるから、被控訴人主張の如き見解は採用できず、被控訴人の抗弁は失当である。
(二) 原判決が城北矢田線のセンターラインが車道の中央である旨認定したのは誤りである。右センターラインは、西側歩道の東端から一四・五メートル、東側歩道の西端から九・八メートルの地点にあって、明らかに中央ではない。
二、被控訴人の本案前の抗弁並びに主張
(一) 本件運転免許の停止期間は、昭和四〇年七月二三日から同年八月九日までであり、本件処分は、右停止期間の経過により昭和四〇年八月九日限りその効力を失ったものというべきであるから、それから既に四年余を経過した現在、控訴人にはもはや本件処分の取消によって回復すべき法律上の利益はなく、したがって本件訴はその利益を欠き不適法であるから却下されるべきである(東京地方裁判所昭和四四年一一月二七日判決、判例時報五八七号一九頁参照。)。
(二) 城北矢田線は、本件交差点の手前約二〇メートル附近から交差点に近づくにつれて、徐々に幅員が広くなり、本件交差点においては二二メートル前後の幅員となり、それにしたがってセンターラインもずれてはいるが、右部分を除いては、幅員一七メートルの車道と幅員四メートルの歩道から成り、センターラインが車道の中央にあることは、原判決のとおりである。
(三) 当審鑑定人池袋佐用儀の鑑定結果によれば、仮に本件自動車と本件歩行者が青信号で同時に発進したとしても、本件歩行者の方が、本件自動車が本件南側横断歩道(以下本件横断歩道という。)に達するより〇・六秒早くセンターラインに達していたはずであり、まして本件歩行者は東西の信号が赤信号の状態で横断を開始しているのであるから、本件自動車が、本件横断歩道に達する直前には、既に本件歩行者は右横断歩道の中央より東寄りの地点を歩行していたことが明らかである。
三、原判決事実摘示の補正
(一) 原判決二枚目表二行目の「七月一〇日」を「七月二三日」と、同じく「同日」を「同月一〇日」とそれぞれ訂正し、
(二) 同二枚目裏三行目から六行目までを「(一)請求原因第一項の事実は認める、同第二項の事実は否認する。」と補正し、同三枚目表六行目の「七一条三号」の次に「(当時施行の右法条を指称する。以下同じ。)」とそう入する。
第三証拠関係≪省略≫
理由
一、まず被控訴人主張の本案前の抗弁について判断する。
(一) 本件運転免許の停止期間が昭和四〇年七月二三日から同年八月九日までであることは当事者間に争いがなく、本訴が右停止期間後既に五年近くを経ていることは本件記録上明らかである。
(二) ところで、運転免許停止期間経過後に提起され、あるいは訴訟継続中に停止期間が経過した場合の運転免許停止処分取消訴訟の訴の利益については、異論もあり、被控訴人引用の判決のように、行政事件訴訟法第九条の「法律上の利益」を厳格に解し、運転免許停止処分後一年を経過した場合は、もはや法律の保護している利益はなくなったとして、右訴の利益を消極に解する見解もある。
しかしながら、本来行政処分取消の訴は、当該行政処分の違法性自体を訴訟物とし、その処分によって生じた違法状態を排除して国民の権利、利益の救済に資せんとするものであるから、いやしくも違法な行政処分が存在する以上は、できうる限り救済の途を広く解し、右違法処分によって生じ、または生ずべき実害の排除を期するのが相当と解されること、殊に本件の如き運転免許停止処分は、被処分者の名誉、信用等の人格的利益をも侵害する制裁処分であるばかりでなく、一旦右処分がなされると道交法の規定(第九〇条第五項、第九三条第二項、第一〇三条第七項、本件処分当時施行の道交法も同じ。)によって、その旨免許証に記載され、その後停止期間の満了等により右停止処分の効力は消滅しても、当該停止処分自体が取消されない限り、免許証の右記載を抹消しうる規定はないから、運転免許停止処分の前歴はそのまま存続し、右処分時から一年を経過した後においても、右前歴を理由として行政庁から不利益な取扱いを受けたり、あるいは就職に差支えをきたす等、有形、無形の不利益を被る虞れがあることは充分考えられるところであり、このような被処分者の違法処分による実害を排除するのも行政処分取消訴訟の機能の一つと解して妨げないこと、その上もし前記消極説のように処分後一年を経過した場合は、すべて訴の利益を欠くに至るものとすれば、現在における行政事件訴訟の審理期間から見て、行政庁側が控訴、上告まで争う限り、裁判によって運転免許停止処分の違法性を明らかにすることは、ほとんどの場合事実上不可能に均しい結果となること等の諸事情を総合勘案すれば、行政事件訴訟法第九条にいう「法律上の利益」は、必ずしもこれを「法律の保護している利益」のみに限る必要はなく「法律上の保護に値する利益」もまたこれを包含しているものと解するのを相当とし、そして被処分者の前示のような実害の排除も、当然右の「法律上の保護に値する利益」に該当するというべきであるから、本訴は、前記のように本件処分後既に五年近くを経過してはいるけれども、なお訴の利益を有しているものと解して妨げないものというべきである。
二、そこで、本案について判断するに、被控訴人が昭和四〇年七月二三日控訴人に対し、控訴人主張どおりの理由で、本件処分をなしたことは当事者間に争いがないから、次に右処分理由の如き道交法違反事実の有無について検討する。
(一) 控訴人が、昭和四〇年七月一〇日、本件自動車を運転し信号機により交通整理の行われている本件交差点を東から南へ左折進行したこと及びその際控訴人が本件横断歩道の直前で一時停止しなかったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫は、当日本件自動車を運転していた新阪神タクシー株式会社のタクシー運転者の控訴人が、昭和四〇年七月一〇日午前八時の出庫から翌一一日午前二時の入庫までの全乗客の発着時刻、出発地、降車地並びに乗車賃等の運行状況を乗降の都度逐一記載して、会社に提出した運転報告書であることが認められ、その記載内容は信用に値するものというべく、右書証に≪証拠省略≫を合せ考えれば、控訴人が前記のように本件交差点を左折した時刻は午後〇時五〇分頃であったものと認めるのが相当であ(る。)≪証拠判断省略≫
(二) よって次に、控訴人が本件交差点を左折進行した際、本件横断歩道により、道路の左側部分を横断中の歩行者があったか、どうかについて判断する。
1、≪証拠省略≫を総合すれば、原判決六枚目裏三行目から七枚目表一〇行目までと同裏一行目から一〇行目までの「 」内の各記載事実(但し、原判決六枚目裏一二行目の「引いてある。」の次に「もっとも、右道路は、本件交差点に近づくにつれ、徐々に幅員が広くなり、本件横断歩道の処では、右道路の西側歩道の東端から一四・五メートル、東側歩道の西端から九・八メートルの地点にセンターラインが引かれている。」をそう入し、同七枚目裏一行目の「前記歩道上に立って」を「吉田巡査は、右」と訂正する。)を認めることができるから、これを引用する。
2、控訴人は、本件処分理由の道交法違反の事実を否認し、≪証拠省略≫においても「控訴人が本件交差点を左折し、本件横断歩道にさしかかった時には、五、六〇才位の開衿シャツ姿の男の歩行者一名が右横断歩道を西から東へ横断していただけであるが、同人はまだ右横断道路の左側部分(城北矢田線のセンターラインから東側の部分、以下同じ。)には入っておらず、控訴人車とは約四メートル前後の距離があった。」旨供述している。
しかしながら、(1)他方≪証拠省略≫には「控訴人は、本件交差点を左折し、本件横断歩道にさしかかった時には、特に左前方を注視していたため、右横断歩道の歩行者の顔は見ていなかった」旨の供述部分があること。(2)≪証拠省略≫によれば、控訴人は、吉田巡査から、本件交差点における道交法第七一条第三号の一時停止の義務違反を理由に停車を命じられ、右違反事実を告げられたことが明らかであるが、その際もし控訴人が、前記供述のように、歩行者がまだ本件横断道路の左側部分に入っておらず、控訴人がこれを確認していたのであれば、控訴人は、当然まず吉田巡査のいうような違反事実はなく、歩行者はまだ横断道路の左側部分に入っていなかった旨をこそ主張して然るべきであったのに、右各証拠によれば、控訴人は、右趣旨の抗議はせず、専ら、歩行者は東西の交通信号が「止まれ(赤信号)」であるのにこれを無視して横断を開始したのであるから、吉田巡査は歩行者にこそ注意すべきであって、控訴人を検挙するのは不当である旨を主張して、吉田巡査に抗議したものであることが認められ、当審における控訴本人尋問の結果中右認定に抵触する部分はたやすく信用することはできないし、他に右認定を左右するに足る証拠はないこと。(3)当審鑑定人池袋佐用儀の鑑定結果によれば、仮に、本件自動車と歩行者が、同時にそれぞれ発進及び横断を開始したとしても、本件自動車が本件横断歩道にさしかかったときには、既に歩行者は右横断道路の左側部分に入っていたことになるが、控訴人の横断歩行者に関する前記供述は、右鑑定結果にも反すること。(4)これに反し、前記(二)の1において認定の如く、本件交差点では、本件横断歩道附近の違反が多いので、吉田巡査は見通しの良い本件横断歩道の南約三〇メートルの城北矢田線の東側歩道上から右横断歩道附近の交通状況を特に注意して見ていたこと、その証言内容も詳細かつ具体的なうえに、極く自然で不合理さを感じさせず、また当審における前記鑑定結果にも附合すること等を考えると、本件自動車が本件横断歩道にさしかかった際における横断歩行者の有無、その位置等に関する原審証人吉田寿夫の証言は、≪証拠省略≫中の吉田寿夫の指示説明部分とともに、前記の如き本件違反事実の発生時刻に関する誤りを考慮に入れても、なお十分信用に値すること等、以上(1)ないし(4)の諸事情を合せ考えれば、横断歩行者に関する控訴人の前記供述部分は極めて疑わしく、それは≪証拠省略≫中の控訴人の指示説明部分とともにたやすく信用することはできないし、他に前記引用にかかる認定事実を左右するに足る証拠はない。
3、そして、右認定事実によれば、本件自動車が本件交差点を左折進行し、本件横断歩道にさしかかった際、中年の婦人一名が、右横断歩道により、横断道路のセンターラインより左側の部分を、信号機の表示にしたがって、西から東へ横断中であったことは明らかというべく、したがって、控訴人は道交法第七一条第三号により、本件横断歩道の直前で一時停止し、かつ右歩行者の通行を妨げないようにすべきであったのに、控訴人が右横断歩道の直前で一時停止しなかったことは上記のとおり当事者間に争いがないから、控訴人の右行為は明らかに道交法第七一条第三号に違反するものといわなければならない。
もっとも、≪証拠省略≫によると、本件処分の理由である控訴人の道交法違反の事実については、昭和四五年三月一六日大阪簡易裁判所において無罪判決の言渡があったことが明らかであり、同判決が確定したことは被控訴人の認めて争わないところである。
しかしながら、そもそも刑事判決における事実認定は何ら民事裁判のそれを拘束するものでないことは断るまでもないところであるのみならず、≪証拠省略≫によれば、右無罪判決も、控訴人の道交法違反の事実は全く存在しないというものではなくして、右違反事実の存在は相当程度にこれを推認しうるが、いまだ刑事裁判に要求される合理的な疑を越える程度の確信の域にまでは達しないというにすぎないし、その証拠もそのすべてを本訴のそれと同じくするものではないから、いずれにしても右≪証拠省略≫は何ら右認定の妨げとなるものではない。
なお控訴人は、歩行者が信号機の表示にしたがわないで横断を開始したから、控訴人に右法条の違反はないかのようにも主張するが、右主張の失当なることは、原判決説示理由のとおりであるから、右説示理由(原判決一〇枚目表一二行目から同裏五行目まで。)を引用する。
三、そうすると、控訴人の右違反事実を理由としてなされた本件処分には、控訴人主張の如き瑕疵はなく(もっとも、右処分理由中の違反時刻と現実のそれとの間に約二時間の相違があることは前記認定のとおりであるが、この程度の認定の誤りは、本件違反事実の同一性を害するほどのものではないと解するのを相当とするから、このことは本件処分の適法性に何らの消長もきたすものではない。)、右違反事実の不存在を理由に、その取消を求める控訴人の本訴請求は失当といわなければならない。
四、よって、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条によってこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡垣久晃 裁判官 島崎三郎 上田次郎)