大阪高等裁判所 昭和43年(う)1525号 判決 1970年9月25日
主文
原判決中
被告人吉川政雄及び同和久保雄に関する有罪部分ならびに
右各被告人に関する無罪部分のうち、被告人吉川政雄に対する昭和三六年一月三一日付起訴事実第一の(一)の(1)、(2)の被告人和久保雄から(イ)昭和三五年一〇月上旬現金一〇万円(ロ)同年同月二七日頃現金一〇万円をそれぞれ供与を受けた事実ならびに被告人和久保雄に対する昭和三六年一月三一日付起訴記載の公訴事実第一の(四)、(五)の被告人吉川政雄に対し昭和三五年一〇月上旬現金一〇万円、(ロ)同年同月二七日頃現金一〇万円をそれぞれ供与した事実に関する部分
をそれぞれ破棄する。
被告人吉川政雄を徴役六月、被告人和久保雄を懲役八月に処する。
但し本裁判確定の日からいずれも二年間右各刑の執行を猶予する。
被告人吉川政雄より金三五万円を追徴する。
原審における訴訟費用中証人森長之に支給した分の全部及び証人清水清吉に支給した分(但し昭和三九年三月一九日支給の分)の二分の一を被告人和久保雄の負担とする。
検察官のその余の無罪の部分に関する本件控訴ならびに被告人岡本勇治、同阪井重雄の本件各控訴はいずれもこれを棄却する。
理由
<前略>
一各控訴趣意に対する判断に先立ち、職権を以て調査するに原判決は、被告人吉川政雄、同和久保雄に対する本件各公訴事実に対し、その一部を有罪、一部を無罪の言渡しをしているところ、検察官の右被告人両名に対する本件控訴申立書によれば、特に部分を限らないで、控訴の申立をしているものと認められるので本件各控訴は、刑事訴訟法三五七条後段により、原判決の全部すなわち、有罪、無罪の判決全部に対し、申立てられたものとみなすべきものである。ところで、検察官の本件控訴趣意書には、各有罪の部分については、それぞれ量刑不当の控訴理由が述べられているけれども、各無罪の部分については、そのうち、被告人和久が同吉川に対し(一)昭和三五年一〇月上旬頃現金一〇万円、(二)同年同月二七日頃現金一〇万円をそれぞれ供与し、被告人吉川が同和久より、右各現金の供与を受けた事実についてのみ事実誤認である旨の控訴理由が記載されてあるだけ(もつとも量刑不当を主張する控訴趣意中に、右各被告人の吉岡真佐夫に対する現金供与のうち無罪の言渡のあつた事前買収部分について、その事実誤認を主張するものの如き記載があるけれどもそれが記載された箇所及びその主張全体の趣旨からみて、右は単なる量刑の事情として記載されたもので特に事実誤認を主張する趣旨とは解せられない)で、その他の無罪の部分については控訴理由が全く記載されていないのみならず、、記録を精査しても、控訴趣意書差出期間内にその不備を補充した形跡も認められないから、無罪の言渡のあつた部分のうち、右被告人間における(一)昭和三五年一〇月上旬頃(二)同年同月二七日頃の現金授受の点を除くその余の部分に関する本件控訴は刑事訴訟法三七六条一項、三八六条一項一号、刑事訴訟規則二四〇条により棄却すべきものである。
二検察官の控訴趣意第一について
所論は、要するに、原判決は、被告人和久保雄及び同吉川政雄に対する各公訴事実中(一)昭和三五年一〇月上旬頃及び(二)同年同月二七日頃、右被告人らの間に授受された各現金一〇万円はその授受が候補者永江一夫の立候補届出前でかつ政党員である右被告人らの間において行なわれたものであるほか、その所属政党である民社党結党直後、未だ、その下部の組織化が十分できていない段階に総選挙が行なわれたため、いわゆる「政治活動」と「所属の候補者の当選を目的」とする「選挙運動」が並行的混然と行なわれなければならない背景的特殊事情のあつたことを理由に右金員は、むしろ政治活動に関するものであることの疑いが強く、また、被告人らは、民社党結党後選挙告示の直前まで兵庫県下の党下部組織確立のための政治活動を活溌に行なつたこと等を挙げ、これらを前提に、被告人らが、捜査官に対してした公訴事実に関する自供は、被告人和久は当時胃潰瘍で弱つており、被告人吉川もその病状を心配していたもので、そのため相当の社会的地位にある被告人らが拘束を免れたいために捜査官に迎合して供述しないとは限らないと考えられる反面、被告人らの公判廷における供述は必ずしも虚偽とは考えられず、右の自供だけでは有罪を確信するに至らないとしていずれも無罪の言渡しをしたけれども、右は政治活動と選挙運動との区別の基準を誤り、かつ、証拠の取捨選択を誤つた結果事実を誤認したものであるというのである。
よつて調査するに、原判決は、被告人和久及び同吉川に対する本件各公訴事実中、検察官所論の金員を含めて、右両被告人の間に四回にわたり授受された現金合計四〇万円が「選挙運動」に関するものであるか、あるいは「政治活動」に関するものであるかを判断するに当つて、両者の性質ないし区別の基準について詳細に論じ、事実認定にあたつての基本的見解を示したのち、結局検察官所論のような理由により、候補者永江一夫の立候者届出前に授受されたとされる(一)昭和三五年一〇月上旬頃(二)同年同月二七日頃の各一〇万円については、その授受の日時について明確な判断を示さない儘、無罪の言渡をし、右の立候補届出後に授受されたとされる(四)同年一一月二日頃及び(五)同年同月中旬頃の各一〇万円についてのみ有罪の言渡をしているのである。
(一) 政治活動と選挙運動との関係について
思うに公職選挙法二二一条一項一号あるいは四号のいわゆる買収罪は、特定の選挙につき、特定の候補者の当選を得、若しくは得しめ、又は得しめない目的をもつて、選挙人又は選挙運動者に金銭、物品その他の財産上の利益を供与し、その情を知つて供与を受けることによつて成立するものであるから、もし授受された金銭等が選挙運動に関するものではなく、純然たる政治活動に関するものであるときは右の罪は成立しないことはいうまでもないところである。ところで選挙運動あるいは政治活動という用語は一般にも広く用いられており、かつ公職選挙法においても各所で用いられている法律用語(ことに同法一二九条以下、及び二〇一条の五以下)であるが同法にはこれらに関する定義規定はない。しかし、一般に政治活動とは、抽象的には、政治上の主義、施策を推進し、支持し、もしくはこれに反対し、又は公職の候補者を推薦し、支持もしくはこれに反対することを目的として行なう直接、間接の一切の行為を指し、広く特定候補者の推薦支持等選挙運動にわたる活動をも含んでいるものであるが公職選挙法二〇一条の五以下にいうところの政治活動には右の選挙運動にわたる行為は含まないものと解せられ、また選挙運動とは、特定の選挙の施行が予測され、あるいは確定的となつた場合、特定の人がその選挙に立候補することが確定しているときは固より、その立候補を予測せられるときにおいても、その人に当選を得しめるため、投票を得、若しくは得しめる目的をもつて、直接又は間接に行なう必要かつ、有利な一切の行為をいうものとされているのであるが、議院内閣制を採用している現行憲法は、当然政党政治を予想しているものであり、政党は、共通の政治的意見を持つ者が結合した永続的団体であつて、政治権力を獲得することによつて、その政見や政策を実現しようとするものであるから、選挙により多数議員を獲得することを第一目標とし、そのため選挙に際しては、政治活動を展開して所属候補者のため選挙運動をすることは政党活動の基底というべく、したがつて、選挙運動期間中であつても、これらの活動を可能な限り認める法制がとられているのである。このため政治活動と選挙運動とは究極において、候補者の当選を目当とするものであることにおいては異なるところはないから、元来両者の限界を明確に区別することは困難である。ことに政党が新たに結成された直後、未だその下部組織が確立されていない段階で総選挙が行なわれる場合には右の区別は一層不明確となることは原判決の説示するとおりである。そして、原審証人永江一夫、同松浦浩一、同堺豊喜らも異口同音に「組織をつくらなければ選挙をやつても何もならない」とか「組織づくりということが選挙に強くなるという前提になる」とかあるいは「政党の組織治動というのは日常の活動を通じて次の選挙に勝をおさめるということに結びつけている」旨証言するところであつて、その限りにおいては右各証言は正しいものといえるであろう。しかし、これを判断する基準として金銭の授受の行なわれた時期の考慮せられるべきはもちろんであるけれども、これとその行為者の如何が最も重要であるとして(所属候補者の)立候補届出後の選挙運動の許される段階で行なわれる金銭の授受については特別の事情のない限り、選挙運動に関するものと認め得るものであり、また右届出前であつても、それに近接してなされる本来の政党員でない者の間におけるものは候補者に当選を得しめる目的のもとに行なわれる選挙運動とみるべきものとする原判決の見解は、にわかに賛成することはできない。元来、公職選挙法一二九条において、選挙運動の期間を定め、立候補届出前の一切の選挙運動を禁止している所以は、各候補者の選挙運動開始の時期を一定することによつて、可能な限り、各候補者の条件を公平、平等ならしめるとともに、常時選挙運動によつて生ずる弊害を防止しようとするにあつて、選挙運動期間中の政治活動が規制されていることも考慮しても原判決のいうように立候補届出前であるか否かによつて政治活動か選挙運動かを画一的に截然と区別することは選挙の実態を把握しないものであつて妥当ではない。すなわち、現在における選挙の実態は、任期満了による選挙の場合にはいうに及ばず、それ以前の解散に因る選挙にあつても、これを見越しての組織的な事前運動がその都度、大規模に展開されることは公知の事実であり、もちろんそれには正規の選挙運動期間が極めて短かいことにも因るところがあると思われるけれども、さきに説示したように立候補届出前の選挙運動を禁止しているに拘らず、依然これが横行していることも否定することのできない事実である、又行為者が政党員であるか否かを基準とすることにも問題がある。なるほど行為者が政党員である場合、その所属政党の宣伝、政策の説明、普及、下部組織の確立等党勢拡張のための政治活動に力めることは、もちろんであるけれども、それだけに止まるものではなく、それと同時に強力な選挙運動を行なうことも十分考えられるのである。たがつて、立候補届出前に、政党員によつて行なわれる行為を原則的に政治活動に関するものと評価することは、たととえそれが新党結成後間もない時期に総選挙が行なわれた特殊事情を考慮に入れても(否このような場合にこそ却つて強力な選挙運動が行なわれるとさえ考えられるのである。)当を得ない。要は名目に捉われることなく、行為の行なわれた時期、方法、対象等についてその実態を観祭し、個々の具体的事例ごとにそれが政治活動に関するものであるか、あるいは選挙運動に関するものであるかを実質に即して決するほかはないものと解するのが相当である。そしてもし当該行為が政治活動であると同時に、特定の選挙につき、特定の候補者に対する投票依頼の趣旨をもつと認められるときには、その行為は選挙運動と認められることになるのである。したがつて、原判決が、政治活動と選挙運動とを区別する基準を行為の時期と行為者に求め、(もつとも被告人和久と原審相被告人倉本利寿、同前田平一との間の金銭の授受については一部例外を認めている)、これを前提に被告人和久と同吉川との間に授受された本件各金銭の性質を判断したことは当を得ないものというべきである。
(二) 被告人和久と同吉川との間に金銭が授受された時期及びその趣旨について
(1) 被告人和久と同吉川との間において、現金一〇万円ずつ合計四〇万円が授受されたことについては、各被告人ともこれを認めて争わないところであるが、原判決は前記見解のもとに本件選挙の告示ならびに立候補届出(いずれも昭和三五年一〇月三〇日)(以下単に告示と略称する)以後である昭和三五年一一月二日頃と同月中旬の各一〇万円についてはこれを選挙運動に関するものとしてそれぞれ有罪の言渡しをしているけれども、告示以前のものとされている分については、さきにもふれたとおりその授受の日の判断を示さない儘無罪の言渡しをしているのである。
(2) そこで先づ右金員の授受の日について考えてみるに被告人和久の検察官に対する昭和三五年一二月一二日付供述調書、被告人吉川の検察官に対する同月二九日付及び三〇日付各供述調書のほか同被告人の原審公判廷(第二六回公判)における供述、ことに和久から「西神戸辺から相当纏つた票を出してくれ」と頼まれたことがあり、また「車を使わんならんからようけはり込から頼む」といわれたこともある、さらに和久から受取つた四〇万円のうち岡本勇治らに渡した以外の金の使途は金額の合わないところがあるが大体検事に述べたとおり間違いない旨の証人としての供述、当審公判廷(第八回公判)における岡本勇治、阪井重雄らに渡した金員は和久から貰つた金である旨の供述、当審において検察官より提出された領収通の存在、就中これら証拠により認めら証一二れる四〇万円の使途がすべて昭和三五年一〇月以降となつている事実を彼此すると、被告人和久と同吉川との間に総合おいて現金四〇万円が授受されたのは、(イ)昭和三五年一〇月はじめ頃、(ロ)同年同月二七、八日頃、(ハ)選挙告示のあつた二、三日後の同年一一月頃、(ニ)同年同月中旬頃の四回であつたことが認められる。もつとも被告人和久、同吉川は原審及び当審各公判廷において右金員の授受されたのはいずれも選挙告示より以前である旨弁解するけれども右弁解は捜査段階においては全くなされておらず、原審公判廷においてはじめてこれがなされるに至つたものであり、またその内容も被告人和久は昭和三五年六月頃あるいは七月頃から毎月一〇万円宛といい、一方被告人吉川は同年五、六月頃、七、八月頃、九月頃の三回であるといつたり、あるいは四、五月頃、六月頃、七、八月頃、八、九月頃のはじめ頃の四回であるというものであつて、いずれも極めてあいまいであるのみならずその根拠に乏しく、前掲各証拠と比べてみて、たやすく信用することができないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。してみると、原判決も選挙告示前に授受された分について有罪の言渡しをしているのは右金員の授受の日に関する被告人らの公判廷における弁解を信用しなかつたものと考えられこの点に関する限り、原判決の判断は正当といわなければならない。
(3) 次に右各金員の趣旨につき考えてみるに、記録を精査し、関係証拠とともに被告人和久の検察官に対する昭和三五年一二月一二日付及び一三日付各供述調書、司法警察員に対する同月一〇日付供述調書被告人吉川の検察官に対する同年一二月二二日付、二九日付、三〇日付各供述調書のほか右金員が告示に近接し、あるいは告示後間もなく、しかも、短期間に相次いで授受されている事実を考え合せると、右各金員は告示前の二〇万円を含めてすべて永江一夫に当選を得しめる目的をもつて農村地区である西神戸方面における投票取纏めのための選挙運動の費用または資金とする趣旨で授受されたものであることが認められる。すなわち、民主社会党(以下単に民社党と称する)は社会党から分裂して昭和三五年一月二四日結成されたものであるが、被告人和久は右分裂以前社会党兵庫県支部連合会の役員を勤めており、また民社党の結成に当つては右社会党の県支部を脱党のうえ、民社党兵庫県支部連合会(以下党県連と称する)の結成をはじめ同県下における同党の下部組織の確立とその党勢拡張に尽力し、かつ、同年六月五日党県連が結成されたのちは健康上の理由から書記長に就任することを辞したものの総務部長となり、事実上同県連の党務を総括し、また、それ以前の数次の衆議院議員選挙の際には、兵庫県第一区より立候補した社会党の永江一夫らの出納責任者、選挙事務長等を担当して選挙に関する知識、経験も極めて豊富であり、民社党結成当初よりすでに年内に衆議院解散、総選挙の行なわれることは予想されていたところであつたばかりかその際には兵庫県第一区よりは同党より右永江一夫が立候補することは既定の事実とされ、そのため同人より従前どおり出納責任者となることを強く要請されたけれども、後記のとおり選挙情勢を分析した結果選挙戦術について自ら含むところもあり、旁々健康上の理由もあつてこれを断る一方、事実上の総括者として行動することの同人の諒解を得たこと、そして同人の立候補が確定し、かつ、党神戸支部協議会に永江のための選挙対策委員会が設置されるに伴い、自らがその委員長となり、他の委員とともに、同人のための選挙用の看板、ポスター等の注文、演説会場の予約、応援弁士の詮衡等事前準備を行なう一方選挙直前まで選挙区内である神戸市内の選挙人に対して働きかけるため、永江の出席を求めて、時局懇談会を市内各所で約六〇回開催したほか、各種労働団体にも働きかけて永江の支持、推薦を依頼する等の運動を活溌に行ない、永江を通じて党本部より配布される資金の出納、管理にも当り、同人の立候補準備、選挙運動を通じ事実上の総括者として活躍していたこと、ところで民社党は社会党から分裂したものでもともと組織政党であり、その限りにおいて、労働団体等組織に働きかけることの重要であることはいうまでもないところであるが、被告人和久は、永江より出納責任者となることを求られた当時より新政党としての民社党に対する支持層の分布や、前回の総選挙における永江の得票数等の点から選挙情勢を分析した結果、苦戦は予想されていたところとはいえ、同人を当選させるためには従来から保守党の地盤といわれた、いわゆる新市域の垂水、兵庫両区の農村地域に対する運動を強化して、当落の鍵を握るといわれる得票を同地域で獲得するほかなく、そのためには、いわゆる買収による以外には方法がないとの考えを抱くに至つたこと、そこで被告人和久は、当時右地域のうち垂水区の農村方面については同地域を地盤として、過去四期連続して兵庫県議会議員に当選の実績を有し、かつ、党県連農漁村対策部長の地位にあつた被告人吉川を通じまた兵庫区については原審相被告人倉本利寿を通じ右各方面における永江の地固めのための買収を計画し、これに基づいて被告人吉川には予てからこのことを依頼するとともに同地域で前記情勢判断による当落の鍵を握ると思われる得票として少くとも二、〇〇〇票を要望し、被告人吉川もこれを承諾したものの被告人和久に対して屡々「農村では金がかかるので難しい」旨話していたこと、このように選挙戦術として、新市域における農村地区に対する永江の勢力浸透に全力を傾注する方針をとつたところから、その趣旨で(1)昭和三五年一〇月はじめ頃県連事務所で一万円札一〇枚を封筒に入れた一〇万円を、(2)同年同月二七日頃党県連事務所の裏にある帝国信栄株式会社の二階の事務所の前廊下の人影のないところで前同様の現金一〇万円を渡したほか原判示第四の(二)の(1)(4)及び同第一の(二)の(1)(2)とおり、(3)選挙告示後の同年一一月二日頃右帝国信栄株式会社前路上で同様一〇万円を(4)同年同月中旬前記党県連事務所の永江の選挙事務所で同様一〇万円をそれぞれ渡し、被告人吉川も右趣旨を知りながらこれらを受取つたこと、右金員の授受に当つては、被告人和久からは後日精算すべき要請は全くなく、被告人吉川の自由処分に一任し、いわゆる渡し切りの金として授受されており、現に同被告人も後に判断するとおり、その一部を被告人岡本勇治、同阪井重雄らに供与したほか、その大部分を自己の用途に使用し、しかもその精算の報告も全くなされていないこと、一方前記倉本利寿にも、原判示第四の(一)及び第五の(一)のとおり被告人吉川に対すると同趣旨で現金五万円を供与したこと等の事実が認められるのである。そして右の各事実、ことに、右各金員は被告人和久が本件選挙についての選挙情勢を分析した結果永江の当選をはかる目的意思のもとに授受されるに至つたもので、それがいずれも告示の日を中心に、これに接して、しかも相次で被供与者の自由処分に一任したうえ授受され、その金員の性格に異なるところはないと考えられるほか、その使途もいわゆる政治活動とは無関係であること等に徴すると、被告人和久が前認定のように党県連結成前後を通じその結成及び結成後もその中心幹部として兵庫県下ことに神戸市における党下部組織の確立とその党勢拡充等いわゆる政治活動に尽力していたこと、被告人吉川が県連結成に当つてはその準備委員に名を連ね、結成後に農漁村対策部長となり、形式的ながら県連西神戸支部結成のため多少の尽力をしたこと右各金員が右のように党県連の総務部長と、同農漁村対策部長というほんらい民社党の組織づくり及び党勢拡張等の政治活動に従事すべき、同党幹部の間に授受されたものであることを考慮しても純然たるほんらいの政治活動のためのみの資金であるとは考えられず、むしろ、総選挙において永江一夫の当選を得しめるため、すなわち選挙運動に関する資金とみるのが相当である。被告人和久及び同吉川の原審及び当審における各供述等によつても右認定を左右すべきものとは考えられず、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。してみると原判決が一連の金銭の授受行為について告示の前後によつて、それが政治活動に関するものであるか選挙運動に関するものであるかを載然と区別し、その前に授受された分について、政治活動に関するものである疑いが強いとして無罪の言渡をしたのは事実を誤認したものといわざるを得ない。
(三) 被告人和久及び同吉川の検察官に対する各自供の信用性について
(1) 原判決は、右被告人らの捜査官に対する公訴事実にそう自供、ことに、金員授受の趣旨に関する部分は、被告人らに拘束、追及に耐えられない身体的、心理的な特段の事情があつたとし、そのため被告人らは拘束を免れることを願うの余り取調官に迎合してなされた疑いが強いとして右自供の信用性を否定していることは検察官所論のとおりである。
(2) 原判決が被告人らの自供の信用性を欠くとしたのは政治活動と選挙運動との区別の基準についての見解の相違にもその理由を求めているものの如くであるが、むしろ、被告人らが自らの釈放の一日も早からんことを願うの余り捜査官に迎合して自供したこと、すなわち自白者の内部的な心理過程にその要因のあることを重視しているものと考えられる。しかし、自供の信用性を判断するに当つては右の心理過程も重要な要因であることはいうまでもないけれども、それとともにその自供の内容の合理性の有無もまたその要因をなすものと解せられるのである。ところで原判決のいう政治活動と選挙運動との区別に関する一般的見解には必ずしも賛成し難いものがあることはさきに判断したところであるからもし原判決が示した見解に基づいて自供の信用性を判断したとすればその判断はすでに前提において誤りであるものといわざるを得ない。
(3) そこで被告人らの各自供の内容を検討してみるに、本件の最も重要な争点とされている被告人らの本件の授受金員の趣旨、目的に関してはこれが授受されるに至つた経緯、動機、その時期その当時の特殊な背景的事情のほか供与を受けた被告人吉川の右金員の使途、同被告人の政治活動ならびに選挙運動の程度に関して捜査官に対してした各供述は他の関係証拠に照らしいずれも客観的事実に合致し、その合理性が認められるのに反し、これらの点に関する被告人らの原審ならびに当審の各公判廷の弁解は背景的事情はともかく、授受の時期についてはさきに判断したように極めてあいまいでその根拠に乏しいものがあるばかりでなく、その趣旨、目的についても、あまりにも抽象的で具体性に欠け、ことに被告人和久は具体的事情を考慮せず、政治活動と選挙運動とは告示の前後によつて区別すべきであると強調しながら、捜査官の取調べを受けた当時は金銭の授受が告示の前に行なわれたかはさほど重要とは考えなかつた旨選挙に関する知識経験の豊かな者の供述としてはあまりにも矛盾した納得し難い弁解をし、さきに示した選挙の実態とはほど遠いものがあつて、真実性に乏しく、阪神労働信用組合に預金していたという政治活動の資金を告示の翌日全額引出した理由にも納得し難い点があり、さらに被告人吉川は民社党西神戸支部を結成するために尽力したといいながら、同支部長には同被告人の県議選における後援者というだけで、政党員でもなく、また政治活動の経験もない、被告人岡本勇治を充てて支部を結成したかたちをとつたというだけで他の役員も決められておらず、政党の下部組織としての実態はなく、固より何らの政治活動も行なわれていないことは他の関係証拠により明らかであること等、むしろ、被告人らの公判廷の供述には合理性に欠けるものが多く信用性に乏しく捜査官に対する自供にこそ合理性があり、信用性が認められるのである。
(4) 次に被告人らの自供は捜査官に迎合してなされたものであるか否かについて検討するに、記録によると、被告人和久は原判示第四の(三)の柳宗雄及び清水清吉に対する現金及び清酒供与により昭和三五年一二月五日逮捕されたのち同月七日勾留されて捜査官の取調を受け、同月二六日釈放されたもの、また被告人吉川は同年一一月一〇日頃被告人和久より現金一〇万円の供与を受けた容疑(原判示第一の(三)の(2)の事実と思われる。)により同年一二月一一日逮捕されたのち同月一三日勾留されて捜査官の取調を受け同月三〇日釈放されたことが認められる。したがつて右各被告人に対する捜査官の取調はすべてその身柄拘束中に行なわれたことが認められるが、各被告人とも曾てこのような経験は全くなく、またそれぞれ相当の社会的地位を有するものであることは原判決のいうとおりであり、ことに被告人和久が当時胃潰瘍のため相当衰弱していたことは同被告人の原審公判廷の供述のほか原審証人森長之の証言によりこれを認めることができる。そして被告人吉川は原審公判廷において証人あるいは被告人として「警察では自分が認めないと和久が死んでしまうといわれ、和久の調書が前に置いてあつたので自分もちよつとあけてみて、結局和久の調書のとおり認めた」とか「早く認めんと和久も帰れんといわれ、自分も早く出たい一心から認めた」旨供述し、当審公判廷においても同趣旨の供述をしている。また被告人和久は、原審公判廷のほか当審公判廷においても被告人あるいは証人として「当時胃潰瘍のため身体が極度に衰弱していたうえ、取調に当つた森警部補が和久さんが倒れるか、自白して貰うか二つに一つだという発言をし、その取調も特高的な取調であつた」「総選挙で民社党が惨敗した精神的ショックもある等心身ともに衰弱していたため警察官に迎合して自供した」旨供述しているものである。しかしながら右被告人らが原判決がいうように取調に当つた捜査官に迎合して虚偽の自白をしたとは考えられない。すなわち、
(イ) 被告人吉川は被告人和久の(自供)調書が前に置いてあつてその調書のとおり認めたというのであるが、なるほど被告人和久は被告人吉川より以前に逮捕、勾留されて、取調べを受けており、本件金員授受のうち昭和三五年一一月一〇日頃の分については被告人吉川が逮捕される以前に自供していた(被告人和久の司法警察員に対する一二月一〇日付供述調書)けれども、その余の授受の点については同年一二月二〇日にはじめてこれを自供している(同被告人の司法警察員に対する一二月一〇日付供述調書)のである。ところが被告人吉川は一一月一〇日頃授受された一〇万円についてはその趣旨はともかく、その余の一〇万円宛三回授受の点については被告人和久が自供する以前の一二月一五日、一六日の両日にすでにこれを自供している(被告人吉川の司法警察員に対する一二月一五日付、一六日付各供述調書)のである。そうだとすると、被告人吉川がすべてを自供した一二月一六日当時には一一月一〇日頃授受したとする一〇万円に関する自供調書はともかく、それ以外の授受については未だ被告人和久の自供調書が作成されていなかつたことが明らかであるから被告人吉川の自供の動機に関する前記弁解は固より信用する限りではない。また被告人和久から供与を受けた金員の使途についての検察官指摘の供述の内容自体に徴しても同被告人の当時の心理過程が如実に表現されており、被告人でなければ供述し得ないものであり、取調官に迎合してなされたものとは考えられない。のみならず当時被告人吉川が被告人和久の病状を案じていたことは事実であろうけれども、そのことの故に取調官に迎合してまで虚偽の(しかも自己に不利益な)自供をしなければならない事情があつたとは認められない。
(ロ) 被告人和久は主として当時の身体的事情を理由に取調官に迎合して虚偽の自供をしたというのであり、原判決もこれを重視してその自供の信用性に疑いがあるとするもののようである。しかし、そのために、捜査官から自供を強要された事実はなく、自己の供述どおりに調書が作成され決して捜査官が勝手に調書を作成したものでないことは同被告人の原審公判廷(第三六回公判)における証言により明らかなところであり、同被告人を取調べた司法警察員森長之も原審公判廷(第五二回公判)において、同被告人の病状を考慮して、医師の診断を求め、拘束に堪えられない病状でないことを確認したうえで拘束の手続をとり、また取調に当つてはその病状のことはもちろんであるが同被告人を個人的にも熟知し、かつ尊敬していたこともあつて、その都度必ず、同被告人にその可否を質したのちその諒解を得て取調べる等その健康には特に意を用い、被疑者扱いをしたことはなく、またそのような雰囲気ではなかつたし、同被告人の取調について、弁護人から特に注文ないし抗議を受けた事実もない旨証言しているのである。このように同被告人の健康状態、社会的地位について十分な配慮をして取調べをしていたことが認められ同被告人が取調官に迎合して、敢て虚偽の(しかも自己に不利益な)供述をせざるを得ないほどの苦痛を伴つていたとは思われない。もつとも、弁護人である原審証人奥村孝は、当時右被告人に面会した際、その取調に当つていた森警部補から「和久さんが倒れるか、認めるか、そういう段階だ」というふうなことを聞いた旨証言しているけれども、それはただ捜査の進捗状況を端的に説明したに過ぎず、決して同被告人の病状を無視して、自白を強要している趣旨の発言とは解せられないから右の発言があることを以て前記認定が左右されるものではない。
それのみならず、同被告人の捜査官に対する供述内容ことに同被告人でなければ供述し得ないと思われることを供述しているほか、検察官指摘のように一部供述を拒否している部分さえあることに徴し、それが捜査官に迎合して供述したものとは認められない。
(5) 被告人和久、同吉川の捜査官に対する自供をするに至つた動機の点においても特別その信用性に疑いを抱かせるような事情は認められない。しかるに原判決は右被告人らの自供のうち、検察官所論の昭和三五年一〇月上旬頃及び同月二七日頃の各一〇万円の授受の点についてはその趣旨、目的の点及び自供の動機の点においてその信用性を疑わせるものがあり、原審公判廷における弁解にむしろ信用性があるとして無罪の言渡しをしながらその余の同年一一月二日頃及び同月中旬頃の各一〇万円の授受の点についてはこれとは逆に、各被告人の公判廷の弁解を排斥し、捜査官に対する自供を採つて以つて有罪の言渡をしたのは、各被告人の一連の自供についてその一部は信用性ありとし、他は信用性なしとするものでことに告示前に授受された金員についての自供は信用性なしとし、告示後のそれについての自供には信用性があるとしてこれを採用したものであつて、それ自体矛盾というのほかなく、右は採証を誤り、事実を誤認したものといわざるを得ない。検察官の論旨は理由がある。<以下省略>
よつて主文のとおり判決する。(岡田退一 瓦谷末雄 藪田康雄は病気のため署名押印することができない。)