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大阪高等裁判所 昭和43年(う)1739号 判決 1969年8月07日

被告人 沖津広司

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三月に処する。

但し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、大阪高等検察庁検事片岡平太提出にかかる京都地方検察庁検事桃沢全司作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は、いわゆる「キセル乗車」による本件詐欺利得の公訴事実に対し、原判決は、被告人が「キセル乗車」の意図を秘し米子駅、上井駅間の乗車券を改札係員に呈示した欺罔行為は、入場し、乗車する機会を得るためにのみ指向されたものであつて、それを越えて「キセル乗車」の終局目的である上井駅、園部駅間の乗車の許諾処分に対して直接向けられたものではないから、その欺罔行為は詐欺利得罪にいう欺罔行為には該当しないとして詐欺利得罪の成立を否定した。しかし、本件における事実関係のもとにあつては、米子駅、上井駅間の乗車券の購入、改札係員に対する呈示は、京都駅まで乗車し、途中区間の運賃を免れようとする違法な目的に向けられた欺罔行為であつて、改札係員が被告人に対して京都駅まで乗車することを承諾するかしないか、その決定の資料となる部分に錯誤を生ぜしめるよう指向されており、その処分行為は利得に対して直接的であるから、詐欺利得罪にいう欺罔行為があつたというべきである。したがつて、本件被告人の行為は詐欺利得罪を構成することは明らかであつて、原判決は事実を誤認し、ひいては法令の解釈適用を誤つた違法があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

よって案ずるに、原判決が、いわゆる「キセル乗車」による本件詐欺利得の公訴事実に対し、犯罪の証明がないとして無罪の言渡をしたが、その理由の要旨は、「刑法二四六条二項の詐欺利得罪にいう欺罔行為は、被欺罔者が処分行為をするかしないか、その決定の資料となる部分に錯誤を生ぜしめるよう、それに指向されたものでなければならず、また、処分行為は、結果たる利得を直接生ぜしめるようなものでなければならない。すなわち、欺罔は処分行為に指向されることを要し、処分行為の結果に対する因果関係は直接的でなければならない。欺罔手段を講じて相手方をある行為に導いたとしても、その行為が結果に対し因果関係において間接的な場合は詐欺罪は成立しないものと解すべきである。被告人が正当に購入した米子駅、上井駅間の第一原券と園部駅、京都駅間の第二原券とを所持し、途中区間である上井駅、園部駅間の運賃を免れる目的で第一原券、第二原券を使用して途中区間を乗車した場合は、旅客及び荷物営業規則(以下単に規則という)一六七条一項六号によりその全券片が無効とせられるのであつて、(中略)このような結果は途中区間の乗車を開始したと認められる時以降においてはじめて生ずるものであつて、途中区間の乗車を開始しない限り、その全券片はいまだ無効となるものではない。したがって、被告人が第一原券を呈示する以上、乗車駅たる米子駅の改札係員はこれに入鋏のうえ入場せしめ所定の列車に乗車することを許容しなければならないものである。(中略)途中区間の乗車を開始する以前においては、全券片いずれも有効なものであるから、被告人の乗車駅たる米子駅における入場、乗車は鉄道営業法四二条一項一号にいう「有効な乗車券を所持しない」場合には該当せず、したがって改札係員は被告人に対し単に運賃前払を請求し得たに止まり、それからさらに進んで被告人の入場を阻止し、乗車を拒否する等、途中区間の無賃乗車による国鉄の損失を未然に防止するための具体的な措置はいまだこれをとることができない段階にあるものといわなければならない。かような関係にある以上、被告人が上井駅、園部駅間の乗車運賃を前記「キセル乗車」の方法により免れようとするものであるのに、その情を秘し、第一原券を呈示して改札係員に改札を求めた所為の客観的意味は、改札係員の運賃前払の請求を免れ、やすやすと入場し乗車する機会を得るために、それに対してのみ右の欺罔行為が指向されているとみるべきものであつて、それを越えて、「キセル乗車」の終局目的である途中区間乗車の許諾処分に対して直接向けられた欺罔行為であるとすべきものではない。また、これに対する改札係員の所為の客観的意味は、運賃前払の請求をすることなく入場、乗車を許容したというに止まり、途中区間の乗車まで許容した趣旨ではないのである。いわゆる「キセル乗車」の中心である途中区間乗車の許諾処分からすれば事はすべてその前にあり、間接的である。(中略)つまるところ、被告人が改札係員に対し右のような欺罔手段を講じ、その結果、運賃前払の請求を免れ、やすやすと入場し乗車する機会を得たとしても、その欺罔行為は詐欺利得罪にいう欺罔行為には該当しないものというべきである。右の事実関係からすれば、被告人の所為は鉄道営業法二九条にいう不正乗車罪に該当するとしても、刑法二四六条二項の詐欺利得罪を構成するものではない。そして、検察官が鉄道営業法二九条にいう不正乗車罪についての判断を求める意思はないのであるから、結局本件については犯罪の証明がないことに帰着する。」というのである。

本件の事実関係は、原審で取り調べたすべての証拠によると、被告人は、京都市南区吉祥院二木森町八九番地有限会社京阪陸送に勤務し、自動車陸送の業務に従事していたが、昭和四三年六月七日、松江市西津田三六七番地島根トヨペツト販売株式会社へトヨエース一台を陸送することとなり、同日午前一〇時頃一三〇〇円(米子、京都間の国鉄乗車料金にあたる。)を所持し、右自動車を運転して京都市内を出発したが、かねて同僚運転手から「キセル乗車」すなわち、鉄道の乗車駅から降車駅までの区間を継続乗車する意思であるにかかわらず、乗車駅および降車駅付近だけの乗車券を購入し、途中区間の運賃を支払わないで輸送させる不正乗車の方法により運賃を浮かした話を聞いており、自分も数回試みた経験があるので、自動車を陸送したのち国鉄を利用して京都駅まで帰る際にいわゆる「キセル乗車」の方法により途中区間の運賃の支払をしないで輸送させようと企て、同日午前一一時過頃、山陰本線園部駅に立ち寄り、あらかじめ園部駅、京都駅間の往復二等乗車券一枚(片道であると通用期間が一日と考えて)を二八〇円で購入したうえ、さらに自動車を運転して、同日午後四時頃、前記島根トヨペツト販売株式会社に納車したのち、国鉄を利用して一旦米子市内に行き、同日午後八時四九分米子駅発京都駅行普通第八二六列車に乗車するに際し、以前に同列車に乗車した際には上井駅付近で車内検札を受けたことがあつたので、上井駅までの乗車券を買つておけば無事に車内検札を受け「キセル乗車」が成功するだろうと考え、米子駅出札口で米子駅、上井駅間の片道二等普通乗車券一枚を二〇〇円で購入したうえ、同日午後八時四〇分頃、同駅改札係員岩下栄次郎に対し、真実は米子駅から京都駅まで乗車し、その間、上井駅、園部駅間の普通二等運賃八六〇円については、「キセル乗車」の方法によりその支払をしない意思であるにかかわらず、その意図を秘し、米子駅上井駅間の正当な乗客であるように装い、同区間の乗車券を呈示して同係員をその旨誤信させ、これに入鋏させて入場し、前記京都駅行普通列車に乗車し、上井駅の三つ四つ米子寄りの地点で車内検札を受け、翌朝京都駅に着くまでに京都駅、園部駅間の往復乗車券の復券を車外に捨て、八日午前五時二一分京都駅に到着下車し、国鉄山科駅まで帰る電車は相当時間待たなければならなかつたため、タクシーで帰ろうと思い、京都駅南口へ出るつもりで係員のいない東海道新幹線東口改札口の柵を押しあけて中にはいろうとしていたところ、被告人の行動に不審をいだいて尾行していた鉄道公安員に乗車券の呈示を求められ、同人に対し前記園部駅京都駅間の往券を示したが、入鋏がなかつたため職務質問され、逮捕されるに至つたことが認められる。

ところで、刑法二四六条二項の詐欺利得罪は、他人に対して虚偽の事実を告知し、もしくは真実の事実を隠ぺいするなどして欺罔することによりその他人を錯誤させ、その結果、特定の処分または意思表示(以下「処分行為」という。)をさせて、財産上の利益を得、または第三者をして得せしめた場合に成立するものであって、その利得は処分行為から直接に生ずるものでなくてはならないことはいうまでもないが、被欺罔者以外の者が右の処分行為をする場合であつても、被欺罔者が日本国有鉄道のような組織体の一職員であつて、被欺罔者のとつた処置により当然にその組織体の他の職員から有償的役務の提供を受け、これによつて欺罔行為をした者が財産上の利益を得、または第三者をして得させる場合にも成立するものと解すべきであり、また、乗車区間の一部について乗車券を所持していても、その乗車券を行使することが不正乗車による利益を取得するための手段としてなされるときには、権利の行使に仮託したものに過ぎず、とうてい正当な権利の行使とはいえないから、その乗車券を有する区間を包括し、乗車した全区間について詐欺罪が成立するといわなければならない。本件についてこれをみるに、被告人は当初から米子駅、京都駅間を乗車する意図であつたから、鉄道営業法一五条により、その旅行区間に応じた乗車券を購入して乗車すべきであるところ、前記認定のように、あらかじめ、購入しておいた園部駅、京都駅間の乗車券と、乗車の際に購入した米子駅、上井駅間の乗車券とを使用して米子駅から京都駅まで継続乗車しながら、途中区間の運賃の支払をしない意思であるにかかわらず、その意図を秘して米子駅改札係員に対し米子駅、上井駅間の乗車券を呈示したというのであるから、その乗車券の呈示は、被告人が改札係員に対し、乗車区間に応じて運賃を支払う正常な乗客であるように装い京都駅行列車に乗車して「キセル乗車」という不正乗車の目的を達するための手段としてなされたことが明らかである。したがつて、その呈示は、被告人が正常な乗客を装うためにした仮装行為であつて、とうてい正当な権利行使とはいわれない。そして、昭和三三年九月日本国有鉄道公示第三二五号旅客及び荷物営業規則(旅客編)一六七条一項一四号は、その他乗車券を不正乗車船の手段として使用したときは、その乗車券の全券片を無効として回収するものと規定し、右呈示にかかる乗車券がこれに該当するものと解せられるところ、米子駅改札係員がこれを回収する措置をとらなかったのは、被告人を正常な乗客と誤信したためであつて、以上の被告人の行為は、単純な事実の緘黙ではなく、改札係員に対する積極的な欺罔行為といわなければならない。また、右欺罔行為により改札係員をして正常な乗客と誤信させた結果、同係員が乗車券に入鋏して改札口を通過させ、京都駅行列車に乗車させ、国鉄の職員が被告人を京都駅まで輸送したことは、被告人に対し輸送の有償的役務を提供するという処分行為をしたものというべきであり、右の処分行為により被告人が輸送の利益を受け、不法の利得を得たことは明らかである。したがつて、被告人の改札係員に対する欺罔行為は、国鉄職員の右の処分行為に直接指向されたものというべきであり、また、右処分行為は被告人の利得と直接因果関係があるから、詐欺利得罪にいう欺罔行為および処分行為があつたといわなければならない。原判決は、旅客及び荷物営業規則一六七条一項六号は、区間の連続していない二枚以上の乗車券を使用してその各券面に表示された区間と区間との間を乗車したときに該当する場合は、その全券片を無効として回収する旨規定し、その結果、同規則二六四条一項により無札乗客として同条項所定の運賃および増運賃を支払わなければならないことになるが、このような結果は、途中区間の乗車を開始したと認められるとき以降において初めて生ずるものであつて、途中区間の乗車を開始するまでは有効な乗車券であるから、改札係員は被告人の入場および乗車を拒否することはできない、と判示しているけれども、前記のように、当初から不正乗車の手段として乗車券を使用したという事実が認められる以上、それはもはや正当な権利行使ではなく、前記規則一六七条一項一四号により、改札係員に乗車券を呈示して使用したときに無効となるものと解すべきであるから、右原判決の見解は採用しがたいところであり、さらに、原判決は、右見解を前提とし、欺罔行為は「キセル乗車」の終局目的である途中区間乗車の許諾処分に対して直接向けられたものでなく、単に入場し乗車する機会を得るためにのみ指向されており、また、入場し乗車する機会を得たとしても、このような処分行為は財産上の利益として評価し得るものではないと判示するが起訴状の公訴事実によれば、国鉄からの輸送の役務の提供をもって処分行為とする趣旨であることがうかがわれ、前記のとおり、欺罔行為は、その処分行為に指向されており、また、右処分行為は利得と直接因果関係があるから、右原判決の見解も採用しがたい。そうすると、被告人の本件行為は詐欺利得罪を構成するものというべきであつて、その成立を否定した原判決は、事実を誤認し、ひいては刑法二四六条二項の解釈適用を誤つた違法があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従いさらに自判することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は、京都市南区吉祥院二木森町八九番地有限会社京阪陸送に勤務し、自動車陸送の業務に従事していたものであるが、昭和四三年六月七日、松江市西津田三六七番地島根トヨペツト販売株式会社へ自動車(トヨエース)一台を陸送することとなり、同日午前一〇時頃一三〇〇円を所持し、右自動車を運転して京都市内を出発したが、その途中、自動車を陸送後、国鉄を利用して京都まで帰る際に、乗車駅、降車駅近くだけの乗車券を持ち、途中は乗車券なしで列車に乗るいわゆる「キセル乗車」の方法により京都駅に帰着しようと企て、同日午前一一時過頃山陰本線園部駅に立ち寄り、あらかじめ、園部駅、京都駅間の往復二等乗車券一枚(片道であると通用期間が一日と考えて)を二八〇円で購入したうえ、午後四時頃前記トヨペツト販売株式会社に前記自動車を納入したのち、一旦、米子市内に出て、同日午後八時四九分米子駅発京都行の普通第八二六列車に乗車しようとして、以前に同列車に乗車した際には上井駅付近で車内検札を受けたことがあつたので、車内検札に備え、米子駅出札口で米子駅、上井駅間の片道二等普通乗車券一枚を二〇〇円で購入し、同日午後八時四〇分頃、同駅改札係員岩下栄次郎に対し、真実は米子駅から京都駅まで乗車し、その間、上井駅、園部駅間の普通二等運賃八六〇円の支払を「キセル乗車」の方法により免れるものであり、その不正乗車の手段として使用するものであるのに、あたかも米子駅、上井駅間の乗客であるように装つて右乗車券を呈示して、同係員をして米子駅、上井駅間を乗車する正常な乗客であると誤信させ、同改札口を通過して乗車することを許諾させ、前記京都行普通列車に乗車して国鉄職員に輸送させ、翌八日午前五時二一分京都駅に到着下車し、もつて、国鉄職員に米子駅京都駅間の輸送の役務を提供させて財産上不法の利益を得たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の行為は刑法二四六条二項に該当するので、その所定刑期範囲内で被告人を懲役三月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、原審および当審の訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人にこれを負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

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