大判例

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大阪高等裁判所 昭和43年(ネ)162号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕本件事故につき、次のような事実が認められる。

(1) 当日亡俊昭(昭和三二年二月二二日生)は遅くとも午前一〇時頃から姉悦子(昭和二九年一一月一九日生、当時七才)及び隣の二才になる女児(チエ子)と共に本件事故現場に近い露路で互に「蛇が出たあ」等と叫びながら出たり入つたりして夢中になつて遊んでいた。

(2) 訴外山本利一(左官職)は当日午前八時二〇分頃から本件四つ角北西角にある烏野宅(下駄小売商)の南面台所外側の壁塗り作業をしていたが(但し、その位置からは南北道路は殆んど見通せない)、午前一〇時半頃になりたまたま烏野家の娘雅子(当時一五才、中学生)が出て来たので、同女ととりとめない世間話をしていたところ、一台の藍色のトラックが南北路を南進して四つ角まで来て、ゆつくり左折して東西路を東進するのを見かけたので、同女に「この辺りは車が多いね」と話しかけた。一方、烏野雅子もさして気にとめず適当な受け答えをしていたが、やはり一台の濃い青色のトラックが東西路を東進して行くのを何気なく見かけた。しかし、両名はその頃附近の車両の通過情況を格別注意して見ていたわけではないから、右トラックの車両番号や車体の記名を看得しなかつたのはもちろん、その前後に他の車両の交通があつたかどうかについても特別に意識せず(山本利一が「他に一台も車は通らなかつた」と供述しているのは右の趣旨に解すべきである)、またすぐ近くで本件の如き死亡事故が発生した気配には全く気付かなかつた。

(3) 二人が前記トラックを見かけた後間もなく(但し、その時間間隔は不明で、数十分以内と思われる)前記仲野悦子が自宅に走つて帰り、義母仲野ミドリに「俊昭が道に倒れている」と言つた(悦子、俊昭は控訴人(昭和二年生)と先妻アサ子(昭和四年生)との間の子で、ミドリ(大正一一年生)は控訴人の後妻)。そこでミドリが外に出て見ると、俊昭は本件事故現場附近にうつ伏せに倒れていたので驚いて抱き起こし、直ちに近所の田中医院に連れて行くとともに、警察に連絡したが、俊昭は間もなく腹部轢過による肝臓破裂等の傷害により死亡した。

(4) 警察では仲野ミドリや烏野雅子らの話しを綜合して、俊昭は雅子らの見たトラックに轢かれたものであり、右トラックは近所に事務所や倉庫のある被控訴会社所有の本件自動車であると一応の判断をなし、直ちに捜査を開始した。

(5) ところで、被控訴人往西は、当日たまたま午前一〇時半から一一時頃の間に本件自動車にパネル等の木材約三屯を積載し、助手席に訴外垰洸を同乗させて運転し、本件南北路を時速約五粁でゆつくり南進し、四つ角を左折して東西路を東進した。同被控訴人は当時何回か本件自動車を運転して本件事故現場を通過することがあつたが、いつもはこのように左折をせず直進南下するのを常としていた。本件自動車の車体は濃紺色であつた。

(6) 後日、大阪府警察本部刑事部鑑識課の施行した鑑定によると、亡俊昭の着衣のタイヤ痕は全般的に印象不鮮明であるが、本件自動車のタイヤ(東洋ゴム株式会社製トラック用タイヤ七五〇―二〇/34×7)または同種同型のタイヤによる印象であるとの事実は認められる(但し、その後車輪の四つのタイヤのどれによるものであるかはもとより不明である)との結果が出た。しかし、本件自動車のタイヤには特段の人体接触の痕跡はなく、いわゆるリバノール検査によつても決め手はつかめなかつた。

以上の事実が認められる。

右事実によれば、要するに、当日午前一〇時半頃一台の青塗りトラックが本件事故現場を南進通過し、四つ角を左折東進して行つたのをたまたま前記烏野雅子、山本利一が目撃した事実、その後間もなく(その間隔は不明であるが、数十分以内と思われる)亡俊昭が本件事故現場に倒れているのが仲野悦子、続いて仲野ミドリによつて現認された事実及び、その頃(但し、前記の事件とのその正確な時差は不明)たまたま被控訴人往西が本件自動車を運転して前記と同じ経路を通過したが、同車の車体も濃紺であり、また亡俊昭の着衣のタイヤまたは同種のタイヤによるものと見て矛盾がない事実はこれを認めるに十分である。しかし、本件では他に信用の措ける直接の事故目撃者は皆無であり、また決定的な物的証拠も残されておらず(同一タイヤの車両が多数あることは顕著な事実である)、その他本件現場が車両の往来自由な公道である点に思いを至すと、右事実だけでは、結局のところ、本件自動車が事故発生車であるとの推断が、必らずしも背理でない(要するに確実なアリバイがない)と言い得るだけであつて、終局的に本件事故と本件自動車を結びつけるには未だ不十分と言うほかない。

以上の事実より進んで、恰かも本件自動車が事故車であるかのように供述する前掲証人仲野ミドリの証言や甲第四号証の二、九、第五号証の二、四、五の記載は、前掲甲第四号証の三、六、証人垰洸の証言に照らしにわかに措信し難い(殊に、控訴人本人の供述を記載した甲第四号証の二、四、五も、同女が当日事故後に自宅に走つて帰り義母ミドリに「俊昭が道に倒れている」と知らせただけで、何ら具体的な事故の模様を報告した形跡のない言動自体に照らすと、同女は必らずしも事故そのものを現認したわけでないと推認するのがむしろ道理であるにもかかわらず、「トラックの助手が窓から首を出して後を見た」とか(垰は右事実を否定している)、「運転手と助手が何か話をした後また動き出して左折して行つた」とかの記載も見られ、その供述が特定の部分につき極めて具体的であり、しかもその供述時期が後になるほど詳細である点も見受けられるほか、同女が当時僅か七才の幼女である点を考えると、到底これらの供述をそのまま措信することはできない)。

また、本件自動車が当日に限り南北路を直進南下せず、四つ角を左折東進した点についても、これを直ちにひき逃げを計つたものと推断するのは、被控訴人往西が終始これを否定し、「それは、たまたま南北路の進行方向道路上に自動車が駐車していたのでこれを避けるためにほかならない」旨弁疏している点や、後記のような亡俊昭の転倒位置を検討すると、その合理性が極めて薄い。すなわち、亡俊昭の正確な転倒位置や方向自体、司決警察職員の実況見分調書や医師の死体解剖所見による推定と仲野ミドリの供述とが喰い違い(前者では、四つ角北端から約八米北の地点で頭を東に向けて倒れていたことになり、後者では四つ角北端付近ないしは約二米北の地点で頭を西に向けて倒れていたと言う、なお控訴人の主張では、四つ角から北へ約1.5米の地点)、にわかにこれを確定し難いばかりか、いま仲野ミドリの供述に従うと(同女は、警察の実況見分には自分は実際には立会わなかつたから、その記載も警察が勝手に書いたものであると言う)、その位置関係から推して、自動車は亡俊昭を轢くより前に左折行動を開始していなければならない道理であり、事故発生と左折遁走の前後関係、因果関係(即ち、事故を起したがために、早く姿をくらます目的で急に予定外の左折をしたという関係)を肯認することは到底できない。

以上のほか、被控訴人往西、垰ともに終始本件事故を否認し、当時事故現場を通過したさいも何らのショックを受けなかつた旨述べていることが前掲関係証拠によつて認められる点等を彼此綜合すると、本件は結局亡俊昭の死亡事故を被控訴人往西の所為と断定するについて証明不十分というほかなく、他にこの点を肯認するに足る確証はない。(宮川種一郎 竹内貞次 畑郁夫)

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