大阪高等裁判所 昭和43年(ラ)197号 決定 1968年12月24日
抗告人 水谷ハルエ(仮名)
相手方 広岡正(仮名) 外一名
事件本人 広岡正幸(仮名)
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
本件抗告の趣旨は「原審判を取り消す。事件本人を抗告人に引渡すこと。事件本人の親権を抗告人に引渡すこと。事件本人の監護教育権を抗告人に引渡すこと。以上のことが実現するまでの間、事件本人の情操を傷つけない程度であれば、抗告人は事件本人との親子交渉権、接見の自由は確保されるものであることを確認する。」との裁判を求めるものであり、抗告理由の要旨は次の二点であるからこれにつき順次判断する。
抗告理由第一点(法律問題)の要旨は次の(1)ないし(3)に分れる。
(1) 原審判は相手方正が抗告人と離婚後相手方雅子と婚姻し、雅子と事件本人が養子縁組をした結果、相手方両名が事件本人に対し共同して親権を行使するに至つた以上、民法八一九条六項による親権者変更の申立は許されないとしたのは誤まりである。新憲法下における親権は親の子に対する本能的愛情を基礎として子の利益のために存在するものであるから、離婚後の親権者の再婚という大きな事情変更のあつた場合には当然前記法条を適用すべきである。然るに原審判が右再婚と養子縁組の結果相手方両名の共同親権が行使されることとなつた以上、右法条を適用すべきでないとしたのは、子の利益を考えない誤まりの解釈である。
(2) 仮りにそうでないとしても、子の監護権は財産管理権を含む親権全般と異なり、親の子に対する自然的愛情を基礎とするだけに親権の所在と別個に考えられなければならない。
(3) 親権を有しない親が愛情の自然の発露として子に会うことを制限することは許されないのであつて、当然面会権を有すると解すべきであり、特に本件においては、離婚に際しこの権利を有することを文書によつて明らかにしているのである。しかもこの権利は相手方正の協力なくしては実現が至難であるから、裁判所は当然この権利を認容する審判をすべきである。
右抗告理由第一点についての当裁判所の判断は次のとおりである。
新憲法の下における親子法は子の幸福を度外視して考えるべきでないこと多言を要しないところであるとともに、本件のごとく、親権を有する者が再婚し、新しい配偶者が養子縁組により共同親権を行使するに至つた場合にも、若しこの再婚自体が子の幸福のため好ましいものでない場合には、先きの離婚により親権者でなくなつた親は、子の幸福のため右の共同親権を行使する両名を相手方として前記法条に基づいて親権者変更の申立をすることを許されるものと解すべきである。したがつて、原審判が右の再婚の場合には、従来親権者でなかつた親は右法条による親権者変更の申立権を失うと解したのは誤まりであり、右(1)の主張は理由があるから、この主張の容れられないことを前提とする(2)の主張は判断の要がない。
ただし抗告人が右(3)において主張する面会権なるものは法律上の権利に該当するものと解することはできず、もちろん家事審判法九条の審判事項にも掲げられていないので、関係者間の話し合い或は家事調停において、できる限り感情を交えず子の幸福を主眼として決定されるべきであり、家事審判の手続において判断を受ける事項ではないから、抗告人の(3)の主張は採用できない。
進んで事実関係についての抗告理由第二点は極めて多岐にわたつているが、その要点は次の(1)ないし(4)に分れる。
(1) 原審における十倉調査官補の調査は表面的且つ主観的であつて、相手方の家庭が経済的に恵まれていることを強調しすぎている。しかし近年非行に走る少年は中流家庭の出身者が多い、しかも相手方正が抗告人との婚姻中に、バーの女給であつた相手方雅子と情交関係を結び、家庭を破壊したこと、及び相手方の家庭では両名間の子のほか、雅子の連れ子まで事件本人と同居する複雑な環境にあるので、事件本人が差別待遇を受けるおそれが多分にあり、思春期を迎える事件本人の人格形成上最も重要な時期にあるだけに相手方両名に託することはできない。また本件に先立つ昭和四二年(家)第五九〇八号親権者変更事件における千葉調査官の調査も亦複雑な家族構成が事件本人の人格形成に及ぼす影響を無視している。
(2) 抗告人は相手方両名の背信行為のため一生を減茶苦茶にされたが、漸く精神的に立ち直り、経済的自活の道も開かれており、事件本人を引取つた場合自己の再婚の道が狭くなることも何ら意に介していない。
(3) 事件本人の担任教師福永秀夫は同人が抗告人と事件本人との面会を避けることを要望したのも、社会的地位を有する相手方正の強い要求によることを抗告人に打明けた。また事件本人との面接のため精神的動揺を生むとすれば、相手方両名の異常な妨害を避けて人目を忍ぶ形で行なわれるのが原因であり、相手方両名とも真実事件本人のためを思う行動をとつていない。
(4) 抗告人との離婚ということ自体が相手方正の身勝手な主張に基づくものであつたが、抗告人としても事件本人との面接が覚書によつて認められたからこそ、涙を呑んで堪え忍んだのである。それにも拘わらず、事件本人との面接が認められないとすれば、裁判所をも信用することはできない。
以上に掲げた(1)ないし(4)の諸点を骨子とする極めて詳細な抗告理由と当審における抗告人本人の書面及び口頭の審尋の結果と本件記録及び取寄にかかる大阪家庭裁判所(家)五九〇八号親権者変更調停事件記録を精査した上、次のとおり判断する。
離婚後の子の親権者の指定変更事件は家庭裁判所において最も処理の困難な問題を含むものであり、特に本件においては相手方の家族構成が抗告人の主張するとおり極めて複雑である上、離婚に至るまでの抗告人主張の経緯も無視できず、更に右審尋の結果によつても、抗告人が自己の住居を相手方の住居の附近に移し、事件本人の学校及び友人関係に変動を生ぜしめることなくして、同人の監護教育に当りたいとの熱意にも並々ならぬものがあり、しかもこのことが経済的にも必らずしも不可能とも思えないだけに解決の困難を思わせるものがある。またこの点の判断について未成年者本人の意思を無視することはもとより許されないことであるが、その真意を確かめる方法自体に問題があるとともに、同人の希望どおり決定しさえすればよいというものでないことももちろんであつて、所詮は本人をめぐる諸般の状況を勘案して、子の幸福をはかるほかはない。
以上の見地の下に本件を見ると、原審における千葉、十倉両調査官の調査方法およびその結果には抗告人が主張するようなかしがあると認めるに足りない。また抗告人本人は前記審尋において、相手方の家庭内の状況と事件本人の日常生活について極めて詳細に陳述するのであるが、久しく相手方及び事件本人と直接の接触を持つていない抗告人が右のごとく詳細に知り得た根拠をただしたに対して何らの答えがなかつたので、抗告人の陳述を直ちに真実と認めることはできない。また監護教育に当る相手方両名と抗告人との間において、この問題を巡つて新しい摩擦を起すことがまた事件本人に対し悪循環を生ずることも考慮しなければならない。
以上のとおり考えてみると、当裁判所は抗告人及び同代理人の極めて良心的な熱意に拘らず、今差当つて事件本人の親権若しくは監護権を抗告人に移すことを相当と考えることができない。したがつて、原審は法律論においては誤まつているが、抗告人の申立を却下した点においては結局相当と見るべきである。
よつて本件抗告を理由がないものと認め、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 沢井種雄 裁判官 知識融治 裁判官 田坂友男)