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大阪高等裁判所 昭和44年(う)1052号 判決 1971年8月06日

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、各被告人本人、被告人両名の弁護人能勢克男、同青木英五郎、同莇立明のそれぞれ作成にかかる各控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

弁護人能勢克男の控訴趣意(憲法違反、法令適用の誤)について。

一、おもうに、憲法二一条の表現の自由は絶対無制限なものではなく、公共の福祉の制限の下に立つこと、そして刑法一七五条において、猥褻文書図画などの頒布や販売などの行為を処罰する所以は性的秩序を守り最少限度の性道徳を公権力によつて維持することにあり、これを公共の福祉の内容と考えうることについては、判例上ほぼ確定した見解というべく(昭和三二年三月一三日大法廷判決、昭和四四年一〇月一五日大法廷判決)、当裁判所もこれを正当と考える。したがつて刑法一七五条の合憲性については疑いの余地がないというべきである。

二、原判決は、刑法一七五条にいわゆる「猥褻の文書」を、その内容が徒らに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する文書を指称するものと解すべきであるとし、そして文書の猥褻性の有無は、原則として、社会一般のいわゆる普通人を基準とし、かつ当該文書自体につき客観的に判断すべきものであつて、それが著者、出版者らの著述出版の主観的意図によつて直ちに影響されるものと解すべきでなく、またその文書のもつ客観的な諸価値(科学的、芸術的、思想的価値など)が、その故に、これと次元を異にする概念としての猥褻性を、必ずしも常に否定し去るわけにはいかず、したがつてかかる価値を有する文書でも猥褻の文書にあたるとされることは十分ありうることであるが、しかし問題部分のみを抽出し、これを部分的に考察して判断の対象とすべきではなく、その部分を文書全体の内容あるいは形式と関連づけ、その描写の作品中におかれている前後の状況などとあわせもたせ、これを全体的に考察すべきであるとしたうえ、本件「艶本研究国貞」特製本の本冊(当裁判所昭和四四年押第二七一号の1)と別冊参考資料(同押号の2)(以下本冊、別冊と指称し、あるいは合わせて本件文書と称する)を一個の文書と観念し、その内容を検討し、右別冊に収録されたもののうち、特にその中の一〇数ケ所について記述された露骨かつ詳細な性的行為などの描写は、本件文書全体に対してきわめて強い支配的効果を与えていることが認められ、要するに右文書は全体として考察すると前述した猥褻の文書にあたるというべきであると判断しているのであるが、刑法一七五条の解釈に関する右見解はすべて正当であり、また本件文書を検討するも、同条適用の判断過程やその結論について、何ら誤りはないと考えられる。所論は、原判決は、伝統的に踏襲されてきた右猥褻文書の定義を本件に機械的に適用しただけで、現在の性的道義観に応じた法の適用がなされていないと主張するが、現在の我が国における性的道義観の現状を考えるに、本件文書が江戸時代の艶本の飜刻であることを意識しても、なおその文書にある性交場面の露骨かつ詳細な描写を、いたずらに普通人の性欲を刺激し、正常な性的羞恥心を害し、かつ善良な性的道義観念に反するものとして、かかる文書の頒布や販売などの行為の取締りを強く要求しているものと解せられるので、右非難はあたらない。また所論は、本件文書は、その内容、価格あるいは販売方法に格別の配慮が払われたため、その購読層は相当年配者で世間や生活に対する思慮分別も既に定着し、その研究や蔵書自体を楽しむという者に限定され、しかも他に譲渡や貸し出しなどは予想されえないのであるから、その販売によつて生ずべき何らの具体的実害がない、換言すれば、本件文書には社会の善良なる性的道義観念を侵害すべき何物もないとみるべきである。また本件文書は、歴史的、文学的、心理的、文献的資料として、江戸末期の艶本類を研究し整理した成果であつて十分の学問的価値があり、そのうちの別冊は原典の全くの飜刻であつて、これらを出版した被告人らの主な意図は古典の保存ということにあり、断じて売らんかな主義や卑俗なる興味本位のものではない。そして表現の自由、学問の自由は憲法上も最も尊重されるべき国民の基本的な権利とされていることにかんがみても、右の点は本件文書の猥褻性の有無の判断にあたつて十分考慮されなければならないものであると主張する。しかしながら、文書の猥褻性の有無はその文書自体について客観的に判断すべきものであり、現実の購読層の状況あるいは著者や出版者としての著述、出版意図など当該文書外に存する事実関係は、文書の猥褻性の判断の基準外に置かれるべきものである。ただ、その文書の特殊な性格(例えば学術書、科学書、医学書という如き)、販売方法あるいは販売広告の方法如何により、その読者層がおのずから限定され、あるいは一定の読書環境が設定されるような場合には、その文書の読者に対する心理的影響を、その限定された読者層あるいは一定の読書環境における読者を基準として判定することが相当であると思われるので、この場合は、前述猥褻性判断の基準として示された「社会一般のいわゆる普通人を基準とし」とあるのを、その読者層におけるいわゆる平均人、あるいはその読書環境における普通人を基準とすると置き替えるわけであるが、このような場合においても、文書の猥褻性の有無はあくまでその文書自体について客観的に判断すべきものとするとの原則は修正されるものではない(この点は原判決の採用している相対的猥褻性概念の立場とはいささか見解を異にするが、他の控訴趣意に関し再び触れることとする)。また、芸術的、思想的その他学問的価値のある文書といえども、このような価値と文書の猥褻性とは十分両立しうると考えるべきであるから、文書のもつ芸術性、思想性などが文書の全体的考察により性的描写による性的刺激を減少緩和させて、刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させない限り、猥褻の文書として取締りの対象としなければならないものであり、したがつて間接的にではあるが、芸術、思想その他学問の発展が抑制されることになり、かつ右取締りは表現の自由、学問の自由に対するやむを得ない制約として是認されるものであるから、特にかかる価値の存する文書につき、その猥褻性の有無を判断するにあたつては、慎重な、いわば控え目な態度で臨まなければならないことはいうまでもないが、さりとて所論の如き、現実の購読層の状況からの実害の有無、本件文書を販売するにあたつての被告人らの著述や出版意図あるいは文書に存する学問的価値などを直接に猥褻性判断の基準に加えるべきであるとの右論旨にはたやすく賛成できない。

三、次に、前述した如き、本件文書の購読層の状況から、その販売によつて生ずべき具体的実害ないしは具体的危険が認められない、したがつて、たとえ本件文書が猥褻文書にあたるとしても、その文書の販売は刑法一七五条によつて処罰することはできないとの主張(これは後に述べる弁護人青木英五郎の控訴趣意第一の一において、理由不備の主張の前提とされているものと同様の主張と解せられる)について考えてみるのに、刑法一七五条において猥褻文書の販売などを処罰せんとし、しかもこれにより憲法二一条の表現の自由が制約を受けることも公共の福祉上やむを得ないものであるとする所以は、このような文書の販売などの行為を取締らなければ、たちまちにして猥褻文書などが巷にはん濫し、著しく性的秩序を乱されるおそれがあると考えられるからであつて、したがつて、右の如き行為がある以上、現実にその行為にもとずく性的秩序に対する具体的危険発生の事実がなくても、刑法一七五条にいう猥褻文書販売罪が成立するとするのが、同条の正当な解釈であると考えられる(ちなみに、同条は、販売目的があれば、猥褻文書などの「所持」でさえ処罰の対象とするものであり、本条の犯罪が具体的危険犯でないことは明らかである)。また、一般性秩序維持のための取締りの必要性と個人の精神活動の自由、芸術、科学における寄与、創造性の育成増進などの点で、本件文書に認められる学問的価値との比較衡量に関する所論は、要するに、右比較衡量の結果、本件文書のもつ価値が非常に大きく、したがつて諸般の事情を考慮しても、その販売等の行為に有益性が認められ、かつ、販売などの行為により失われた性秩序の面における損害を償つてもなお余りがあるという場合には、刑法三五条の正当な行為にあたるとして、あるいは可罰性が否定されるとして無罪とされるべきであるとの主張と理解されるのであるが、いまこの考え方を是として本件に対する適用を考えてみるのに、成程、本件文書の販売は、原判決が詳しくその著述あるいは出版の意図について説示しているように、要するに、江戸文学の研究にたずさわるものとして、あるいはその出版業者として、散逸に近い状態にあると思われる艶本の数々を、原本にできる限り忠実に再現して保存し、これを世に紹介しようとしたものであることが推認され、また本件文書自体も、それなりに価値あるものとして存在することがうかがわれるのであるが、しかしさらに考えてみると、被告人林美一の右研究の成果を世に紹介するには本冊の内容で十分であり、あえて読者の理解のためにと称して別冊を添付するなどの必要性は毫もないものと考えられ(真面目な読者層を想定する限り、かかる資料の押しつけはかえつて読者にとつては迷惑至極であると思われる)。また純粋に資料の散逸を防ぎ、後世までこれを保存したいとの著述意図から考えれば、本冊については別論として、別冊として一五頁程度の小冊子を本冊に添付する如き方法では一時的な興味の対象として比較的粗略に扱われ、長期間にわたる保存などは到底期待できるものではないと思われるうえ、古籍の飜刻とはいえ、猥褻文書の保存機能を一般購読者に期待すること自体、社会的相当性のある行為とは考えられない。しかも、本件文書全体として考察した猥褻性は前述の如くかなり強いものであることに徴すると、本件文書のもつ価値あるいはこれを販売することの社会に対する有益性は、性秩序の維持を犠牲にしてまで優先せしめられるべきものであるとは到底考えられない。したがつて原判決が本件文書の販売に刑法一七五条を適用し、被告人らを有罪としたのは正当であるといわなければならない。

四、そうすると、原判決には所論の如き憲法二一条あるいは刑法一七五条の解釈適用を誤つた違法はないというべきである。

弁護人青木英五郎の控訴趣意第一の一(理由不備)について。

猥褻文書の販売という行為がある以上、現実にその行為に基因する性的秩序に対する具体的危険発生の事実がなくても、刑法一七五条の猥褻文書販売罪が成立すると考えられることは、既に弁護人能勢克男の控訴趣意に対する判断(三項)において説示したとおりであり、したがつて原判決が右具体的危険性の存在について何らの認定をせず、被告人らの本件猥褻文書の販売行為に刑法一七五条を適用した点について、理由不備の違法があるとはいえない。

同第一の二(事実誤認)について。

原判決が、読者層もしくは読書環境の限定について説示したのは、本件につきいわゆる相対的猥褻性概念を適用することを考慮したからであるが、原判決の、文書の猥褻性の有無は、当該文書に社会的価値の認められる場合は、その文書自体によつて判断するだけでなく、販売の方法など、当該文書の置かれた背景如何をも考慮すべきであるとする見解自体ただちに是認しがたく、むしろ弁護人能勢克男の控訴趣意に対する判断(二項)において述べた如く、文書の特殊な性格、販売方法あるいは販売広告などの方法如何によりその読者層がおのずから限定され、あるいは一定の読書環境が設定されるようなことが考えられ、このような場合においては、その読者層の平均人あるいはその読書環境の普通人を基準とし、その者に対する心理的影響を考察して猥褻性の有無を判断すべきであると解するのが当裁判所の見解である。したがつて所論の読者層の限定の問題も、右見地から合目的的に検討されなくてはならないが、本件証拠によると、販売方法、販売広告の方法あるいは購読者の状況に関する原判決の認定はすべて肯認することができ、そうすると、所論指摘の如く、被告人らの意図として、高価な特製本を購入する程の読者であれば研究者ないし愛好者と認め、別冊の配付をそれに限定した点があつたとしてもその対象が不特定かつ多数人にあたらないといいえないことは勿論、いまだ前述猥褻性の判断基準の設定に影響があるほどの読者層あるいは読書環境の限定があつたともいいえない。したがつて、原判決には所論の如き事実誤認はないとともに、いわゆる相対的猥褻性概念の適用についても、本件はかかる考慮をすべき事案ではないとしてその適用を拒否しているので、原判決は結局においては正当に帰し、法令の適用においても誤はないというべきである。

同第一の三(可罰的違法性がない)について。

本件文書の猥褻性の程度、本件販売の規模その他諸般の状況からみて、本件は処罰に値せないほど違法性が軽微であるとは到底考えられず、さらに、本件文書の価値や販売行為の有益性を、刑法一七五条の猥褻文書販売罪の法益と比較衡量し、これをも可罰性の判断に考慮すべきであるとの立場をとるとしても、本件においては、弁護人能勢克男の控訴趣意に対する判断(三項)で述べた如く、後者の法益を犠牲にしてまでも、前者の価値ないし有益性を優先させるを相当とする合理的事由が見いだせないのである。したがつて本件行為につき、可罰的違法性がないとの主張は到底採用することができない。

同第二(事実誤認、法令適用の誤)について。

被告人坂本篤の原審公判(第二五回)における供述、証人原勇の原審証言、被告人坂本篤より原勇宛の封書(当裁判所昭和四四年押第二七一号の三二、封筒の内容は書かん箋五枚とガリ版刷り一枚)受注簿(同押号の一〇)を総合すると、被告人坂本篤が亀山巌および原勇に対し、本件猥褻図面を売り渡した行為は、原判決説示のとおり、同被告人が、不特定の者を対象として反覆継続する意思のもとになされた有償譲渡行為の一こまであると認めるのを相当とし、そうすると起訴されたのが僅か二名に対する有償譲渡行為であつて、しかもその二名とも、たまたま同被告人と旧知の者ないしは面識のある者であつたとしても、刑法一七五条にいう販売と解するに差支えない。したがつて原判決には所論の如き事実誤認あるいは法令の適用の誤はない。

弁護人莇立明の控訴趣意第一および被告人林美一の控訴趣意一(いずれも事実誤認)について。

本件証拠によれば、被告人坂本篤のもとで、被告人林美一から送られてきた「艶本研究国貞」(本冊)の原稿を校訂し終つたのが、大体昭和三五年九月末頃か同年一〇月初め頃であり、それから直ぐに印刷業鈴木文江堂に対し、一般市販用としていわゆる並製本の装ていで一、三〇〇冊製作の注文を発し、続いて被告人坂本篤において、紙質、装ていなどを上質あるいは特製とし、若干の挿入写眼(艶画)についても仕掛本の考案を採り入れた、いわゆる特製本の製作を企劃し、そのことで被告人林美一と打ち合せをしたさい、本冊の伏せ字部分や要約記述とした部分につき、原典により飜刻した参考資料を作り、これを別冊として右特製本のみに添付すること、右特製本は一般市販せず、出版社等に直接注文のあつた者にだけ販売することに両者の意見が一致し、被告人坂本篤において、右印刷所に右特製本三〇〇部を発注し、またその頃、被告人林美一から送付されてきた別冊参考資料の原稿にもとずき、同印刷所にこの分も約八〇〇部の印刷を発注し、かくて同年一〇月二〇日頃右並製本を、同月末頃か翌一一月初め頃右特製本の納品があり、右別冊参考資料については、同年一〇月頃印刷が終つて被告人坂本篤のもとに送付されてきたことが認められる。そうすると、被告人両名が右特製本や別冊参考資料の企劃を相談したさい、既に並製本が出版されていた旨の原判示は明らかに誤であるというべきであるが、被告人両名が共謀のうえ、右別冊参考資料を右特製本に添付し、これを「艶本研究国貞」特製本として販売しようと企て、本件犯行に及んだとの判示については何らの誤もないのであるから、右事実誤認は単に犯行の経緯に関するものに過ぎず、犯罪事実そのものの認定あるいはその法的評価には関係なく、また量刑事情としてみても、右事実誤認の影響するところは全くないと認められ、したがつて判決に影響を及ぼさないものというべきである。

弁護人莇立明の控訴趣意第二(憲法違反)について。

原判決に所論の如き誤の存しないことは、弁護人能勢克男の控訴趣意に対する当裁判所の判断として既に述べたとおりであるから、これを引用する。

被告人林美一の控訴趣意二について。

所論中、本件共謀を争う点については、証拠によると、既に述べたとおり、被告人坂本篤は、鈴木文江堂に対し、一般市販を目的として「艶本研究国貞」(並製本)一、三〇〇冊の印刷製本を注文した後、内容はこれと同様であるが、用紙を上質のものとし、装ていや若干の挿入写真に工夫をこらした、いわゆる特製本の製作を企劃し、そのことを被告人林美一に相談したさい、両名の間に、本冊の伏せ字や要約記述とした男女性交場面の描写部分につき、原典により飜刻した参考資料(いわゆる伏せ字表)を製作し、これを別冊として右特製本のみに添付し販売することを共謀し、これにもとずいて被告人林美一において右参考資料の原稿を作成して被告人坂本篤に送付し、同被告人において特製本の製作注文とともに、右参考資料の印刷の注文をし、かくて右参考資料を添付し、かくて「艶本研究国貞」特製本が出版販売されるに至つたことが認められ、そうすると、被告人林美一は単に著者であつて出版面の企劃や利潤に関係なく、殊に特製本の発案そのものは出版者としての被告人坂本篤の着想であつたとしても、被告人林美一においても、本件文書、すなわち右特製本の本冊および別冊参考資料を対象とする猥褻文書販売の行為につき共謀共同正犯の責任を免れえないこと勿論である。また、「艶本研究国貞」特製本本冊と別冊参考資料とは分離して猥褻性を判断すべきである、そして伏せ字表は戦前、我が国においても、古典の飜刻においてよく用いられた方法であり、かつ著者や出版者の良心のあらわれであるとの主張についても、別冊参考資料のもつ前示伏せ字表としての性格、あるいは本冊と別冊の外見上の関連性にかんがみ、両者を一個の文書として観念し、その全体について、これが猥褻性の有無の判断対象とすることは至極道理であり、伏せ字表を本冊の叙述と照合して読むことにより、容易に伏せ字を施す以前の文章に復元しうる本件事案において、その全体について判断し、しかも猥褻性の認められる以上、伏せ字表に関する所論の如き事情があつても、これを情状として考慮するのは格別、右文書(本冊および別冊)の販売につき刑法一七五条の責任を免れることはできないと解する。

同控訴趣意三および四ならびに被告人坂本篤の控訴趣意について。

各所論中、原判決における猥褻性の判断を争う点および本件においては具体的危険性がないから刑法一七五条にはあたらないとの点については、弁護人能勢克男の同旨の控訴趣意に対し当裁判所の示した判断と同じであり、また本件においては読者層が限定されているとの点(もつとも、論旨は読者層の限定があれば、不特定多数人に有償譲渡したことにならないと解しているようであるが、その誤りである点を含めて)および被告人坂本篤にかかる猥褻図画販売罪の訴因につき有償譲渡した相手方は僅か二人で不特定多数人といえないから、同罪は成立しないとの点については、弁護人青木英五郎の同旨の控訴趣意に対し、当裁判所の示した判断と同じであるから、いずれもこれらを引用する。

また、所論は、猥褻犯罪に対する海外(イタリーやイギリスなど)の法制などを援用し、同じく憲法で表現の自由が保障されている我が国においても同様な解釈をすべきであると主張するが、それらの国々と我が国とでは性的道義観念あるいはひろく性に対する感覚が同一でなく、そして猥褻犯罪の取締りが国民の性的道義観念に由来するものである以上、現時点において、必ずしも外国の法制や解釈態度を刑法の解釈にそのまま採用しなければならないものではない。右主張は理由がない。

以上のように、論旨はいずれも理由がないから、刑訴法三九六条、一八一条一項本文にのつとり、主文のとおり判決する。

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