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大阪高等裁判所 昭和44年(う)1199号 判決 1970年8月21日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は原審及び当審とも全部被告人の負担とする。

理由

<前略>

控訴趣意中、事実誤認、法令適用の誤の主張について

所論は要するに、原判決は、本件事故当時の具体的状況ことに、被告人の自動車の速度、被告人が被害者を発見したときの彼我の距離、その際における被害者の佇立位置、その動静、現場の道路、交通の状況号についての認定に誤りがあり、その誤つた認定事実を前提に、かつ、被害者が満六才の児童であつたことを重視して、本件事故について被告人に過失の刑責を認めたけれども本件は、被害者が道路を横断する等の危険な行動をすることは全く予見不可能な状況にあつたのであるから被告人に原判示のような注意義務はない。また本件はいわゆる信頼の原則の適用せらるべき事案であつて、被告人には右事故について過失の刑責はないから被告人は無罪であるというにある。

よつて、記録を精査し、原判決挙示の各証拠及び当審における事実調べの結果を総合すると、被告人は昭和四二年九月一三日午後二時五分頃、普通乗用自動車を運転して、原判示国道一七一号線の東行車道を東進中高槻市若葉町の交差点の手前にさしかかつた際同交差点の対面信号が黄色の表示を示していたため、同所の横断歩道の手前で一たん停車し、一般の通行人と、下校中の学童数名が右横断歩道を左から右に渡り、かつ、対面信号が青色に変るのを待つて、発進し、右東行車道の中央より稍々右寄りの箇所を時速約三〇キロメートルで東進し、徐々に加速進行し、約三〇メートル進行した頃、約二〇メートル左前方の車道に接して歩道上に設けられた幅員約九〇センチメートルのグリーンベルトの樹木の蔭に、ランドセルを背負い、黄色い帽子をかぶつた下校途上の被害者金暎世(当時六才)が一歩踏み出せば直ちに車道に降りられるほどの右端に立つており、被告人の自動車の接近にも気付かぬ様子で対向の西行車道の方を見ているのを発見したが、被告人は、同被害者が自己の進路前方を横断するようなことはあるまいと考えて、警音器を吹鳴して警告を与えるようなこともせずまた特別その動静を注視することなく、その儘加速進行し、時速約三八キロメートルに加速された頃、被害者が道路を右側に横断しようとして右斜めに走り出して来ているのをその左方直前にはじめて発見し、危険を感じ急遽ハンドルを稍々右に切つて衝突を避けようとしたが及ばず被害者に自車左前部を接触させ、約七メートル左前方に跳ね飛ばし、因つて同日午後七時四五分大阪医大病院で腰部打撲に基づく骨盤骨折に因り死亡するに至らしめたことが認められる。

所論は、被告人の発進直後の速度は約四〇キロメートルであり、被害者を発見してから時速約二〇キロメートルに減速したというけれども、これを認めるに足りる証拠はなく、却つて本件の場合、被告人が交差点手前で一たん停車して、発進直後のことであること、被害者を発見した際被告人自らその時の自車の速度を速度計により確認しているばかりでなく、事故後被告人は本件の取調べに当つた警察官と共に自車のセカンドの場合の速度を実地に検査し、事故当時の速度が前記認定のとおりであつたことを再確認していること等に徴すると右の所論はとうてい採用できない。次に所論は、被告人が、被害者を発見した際における彼我の距離は約19.8メートルであつた旨主張するけれども、司法巡査の実況見分調書、原審の検証調書、ならびに当審の検証調書を総合すると被告人が前記交差点手前で停車していた地点から、被害者の佇立していたと認められる地点までの距離は、約五五メートル余あることが認められるところ、被告人は事故直後の司法巡査による実況見分の際には約19.8メートル手前で被害者を発見したと説明、指示しており、一方、原審公判廷(第四回公判)においては、発進後約三〇メートル進行した頃被害者を発見したというのであり、さすれば約二五メートル手前で発見したことになるのであるが、これを裏づけるが如く、検察官に対しては現場においてその地点を指示して実測した結果に基づいて約24.1メートル手前であると述べ、しかも二、三メートルの誤差があると思うし、実況見分の際には19.8メートル手前となつている点からみて約二〇メートル手前であつたことは間違いないと述べているのであつて、これらの指示説明、供述を彼此考え合せると、被告人が被害者を発見したのはその約二〇メートル(それも以下ではなく以上とみるべきであろう)手前であつたものと認めるのが相当であるからこれに反する所論は採用できない。次に所論は、被害者を発見した際直ちに警笛を吹鳴したといい、被告人も当審公判廷において、所論にそう供述しているけれども、他の関係証拠ことに被告人の司法巡査に対する昭和四二年九月一四日付供述調書中の供述内容、ならびに右の主張、弁解は、原審において全くなされておらず、当審においてはじめて、これがなされたものであること等に徴し、たやすく信用し難いから右の所論も採用することができない。次に所論は、被害者の佇立していた位置について、グリーンベルトの中程であつて、右端ではないと主張するけれども、被告人は原審において本件事故後間もなく自ら撮影したグリーンベルトの写真に被害者が立つていた位置であるとして、グリーンベルトの側端(車道寄り)に赤い棒線を太く記入して提出し(第四回公判)、さらに、検察官に対する供述調書に添付の写真①を示して被害者の立つていたのはこの写真のメジャーを当てている位置であると供述し(第五回公判)それによると前同様それはグリーンベルトの側端(車道寄り)であるから被害者の立つていたのは前認定の位置であると認めるのが相当である。右に反する被告人の当審検証の際における指示説明、当審公判廷の供述は信用し難いから右の所論も採用できない。また所論は、被害者は、被告人の自動車の方を「チラッと見た」のでその接近に気付いていたと主張するけれども被告人は原審公判廷において被害者が自分の方を振返つたのは見届けていない(第四回公判)し、私の方をチラッと見たことはない(第五回公判)旨供述しており、また原審証人村岡健史も、被害者はこちら(被告人)の方を向いたようであるがそれは走り出した後衝突直前のことである旨証言している点からみて被害者は所論のように、グリーンベルトに佇立していた時点においてすでに被告人の自動車の接近に気付いていたとは認められない。被告人の司法巡査に対する供述及び当審公判廷における供述中所論にそう供述はたやすく信用し難い、したがつて右の所論も採用できない。次に所論は、被害者は、「突然略々直角に、全力疾走で」飛び出して来たもので「斜に小走り」していたものではないと主張するけれども、被害者が突然グリーンベルトから走り出して来たことはさきに認定したとおりであり、その方向が被告人からみて右斜めであつたことも前掲実況見分調書の被害者の佇立していた位置と接触地点とを比較することによつて自ら明らかである。ただ、右の走り方が「小走り」であつたか「全力疾走」であつたかはともかくとして「走り出して」来た(飛び出して来たといつてもよい。)ことは否定し難いところであつて、それは単なる言葉の綾の問題であり、このことによつて被告人の過失の有無に何ら影響はないから原判決が所論のように「小走り」と認定したとしても特にこれを違法とすべきものではない、この点の所論も採用できない。さらに所論は、被告人が飛び出したのを発見した位置はその約九メートル(一方では5.3メートルともいう。)手前である旨主張する。この点について被告人は、司法巡査の実況見分の際には約12.4メートル手前であると指示説明し、検察官に対しては衝突地点の一メートル足らず手前であると供述し、さらに原審公判廷においては、停車地点から発進後約三〇メートル進行して、被害者を発見し、さらに約一〇メートル進行して被害者に衝突し、被害者が跳ね返つた時にはじめて被害者に気がついたのであつて、それまでは被害者の姿は自分の視界の範囲になかつた旨供述し(第四回公判)、当審における検証の際においては一転して約一〇メートル手前で発見した旨指示説明し、当審公判廷においても同趣旨の供述をするに至つているのである。このように被告人の供述は供述する度毎に変つていて、そのいずれが信用できるかにわかに判断し難いのであるが、衝突直前の被告人の自動車の速度がさきに認定したとおり時速約三八キロメートル(秒速約10.6メートル)であり、前掲実況見分調書によると被害者は三メートルばかり走つて被告人の自動車と接触していること、接触した時点における被告人の自動車の位置がその直前の位置に比較して稍々中央線寄りであつて被告人が接触直前に被害者を発見してハンドルを稍々右に切つたことがうかがわれること等から判断すると、司法巡査による実況見分の際における指示説明が事実に合致するようにも思われるけれども、その反面ハンドルを右に切つているとはいえ、その度合いは極めて浅く、被害者を発見したときには急制動の措置もとる間もなく、被害者を7.2メートルも前方に跳ね飛ばすほどの勢で接触していることを考えると、12.4メートルもの手前で被害者を発見していたとは考えられない。むしろ被告人は被害者が走り出した際には、これに気付かず、走り出したのちこれに気付きしかもそれが避けるいとまもないほど直前(その距離はにわかに確定することはできない。このことは被告人の供述の変遷によつても自ら明らかである。)であつたため遂に接触したものと認むべきが相当である。この点の所論も採用できない。以上のとおりであるから被告人の自動車の速度、被告人が被害者を発見したときの彼我の距離、その際における被害者の佇立位置、その動静、についての原判決の認定には所論のような事実誤認はない。ただ、原判決が被害者が走り出しているのを左前方約一メートルの地点に発見した旨認定したのは稍々妥当ではないがこれも前認定と同趣旨と認められないことはないから、これを以て事実誤認であるともいい難い。

そこで、本件事故について被告人の過失の有無について検討する。

本件事故の具体的状況は、さきに認定したとおりであつて、すなわち、被告人は、原判示国道を時速約三〇キロメートルで進行中左前方約二〇メートルのグリーンベルトの右端に一歩踏み出せば車道に降りられる位置に満六才の被害者が被告人の自動車の接近にも気付かぬ様子で対向車道の方を向いて佇立しているのを認め、しかも被告人自身被害者が下校途上の低学年の児童であることも認識していたのであるが、このような場合、自動車運転者としては、被害者が成人であればともかく、右のような学童はその年令から考えて、いつ、不測の行動に出るかも知れないことを慮り、警音器を吹鳴して警告を与える等その挙動に周到な注意を払うとともに、いつでも停車できるように減速、徐行し以て事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものというべきである。

ところで所論は、本件現場の道路ならびに交通の状況、被害者の佇立していた位置、最近の学校教育における交通教育の実情ことに現場には学童用に押釦式信号機が設置されており、本件事故直前被害者と同級生の一団がこれにしたがつて正規に横断歩道を渡つたのを被告人は現認していること等の具体的状況下においては、被害者が児童とはいえ、車道に飛び出して横断する危険な行動をすることはおよそ予見することは不可能であつたものであるから前記のような注意義務はないというのである。なるほど、本件現場は大阪、京都を結ぶ国道一七一号の幹線道路であつて、車両の交通の激しい場所であること、被害者の飛び出して来た場所は歩道上に設けられたグリーンベルトの中であつたこと、本件事故直前その現場に最寄りの横断歩道を被害者と同級生の学童数名が正規に渡つたのを被告人も現認していたことは所論のとおりである。しかしながら、当時対向車道には所論のように、横断が全く不可能なほど車両の交通が激しかつたことは疑いなきを得ない。すなわち、被告人はこの点について、司法巡査に対して「当時交通量は普通で、対向車は少しずつ来ていた」旨供述し(昭和四二年九月一三日付供述調書)、次で検察官に対しては「対向車道には実況見分調書添付見取図1点の右斜前方普通乗用車二台分位の車長の位置に一台、その後方に同じく三台分位の間隔をおいて一台、またその後方に同じ位の間隔で一、二台の各対向車両が徐行して進んで来た」旨供述し(同月二七日付供述調書)ていたが原審公判廷においては、反対車線には重なつた状態または一車位の間隔で四、五台が続いて来ていた(第四回公判)また五、六台、あるいは六、七台が流れて来ていた(第五回公判)旨供述し、さらに当審公判廷においては、トラックや乗用車が六、七台来ていた旨供述しているのであつて、その供述は必ずしも一貫していない。これに対して原審証人村岡健史は「反対車道は自動車は一〇メートルないし一五メートル間隔で割合沢山来ており、その間を横断することは危険で無理気味だつた」旨証言しているほか被告人の自動車に先行する車両はなく、後方には数台あつた程度であつた旨証言しているのである。これらを総合すると、当時対向車道には数台の自動車が進行して来ていて、道路を横断することは危険であつたことは認められるけれども、所論のように、横断は全く不可能と考えるほど激しいものであつたとは考えられない。また、被害者の走り出して来た場所は、さきに認定したとおりグリーンベルトの中で、当審検証の結果によると、最寄りの前記横断歩道から約四〇メートル東方の地点であつて、必ずしも道路交通法一二条二項にいう「横断歩道がある場所の附近」とはいい難く、また同法一三条二項により特に横断禁止場所として指定された場所であることの証拠はないけれども、そこは、グリーンベルトの中であることを考慮すると、一般的には横断を禁止された場所と同視できないことはないのである。

(したがつて原判決が本件現場に横断禁止の場所ではなく、最寄りの横断歩道まで約五〇メートル離れている旨説示しているのは誤りであるけれども、この点は本件の場合特に過失の判断に影響はない。)。そして右の各事情を考え合わせると、成人の場合には、恐らく身の危険を冒して道路を横断することは一般的に予見し難いものと考えられるけれども、本件のように満六才の低学年の学童の場合は、成人と同一に論ずることはできないのである。すなわち、このような児童は、原判決も説示するように老人、酩酊者などと同様、事物に対する正確な認識、判断をする能力に乏しく、したがつて、これらの者に適切な行動を期待することができないのが通例であつて、そのため、これらの者は自動車の接近に気付かず、あるいは気付いたとしても危険を無視し、またはこれを察知しないで横断をする等の不測の行動に出るかも知れないことは容易に予見し得るところといわなければならない。本件の場合被害者は満六才に過ぎない学童であるばかりかさきに認定したように歩道を歩行中に突然走り出して来たというのではなくグリーンベルトの右端で一歩踏み出せば車道に降りられる地点に立つという異常な態度を示していたばかりでなく対向車道の方を向いて、被告人の自動車の接近にも気付かない様子であつたのであるから、右の不測の行動に出る危険はむしろ予見可能な状態にあつたものといえるのであつて、このことは被告人が事故直前、学童数名が前記横断歩道を正規に渡つて行つたことを現認していたことによつて結論を左右されるものではない。したがつて、右の危険は予見不可能であつたとの所論は採用できない。そしてもし被告人において前記注意義務ことに警笛を吹鳴して警告を与えることに欠くるところがなければ被告人が被害者を発見した際における被害者との距離、被告人の自動車の速度、被告人の後続車両の比較的少なかつたこと等に照らし、被害者との衝突は回避できないことはないと思われるのである。所論は前記危険が予見可能であつたとし、前記注意義務を尽したとしても衝突は不可避であつたと主張するけれども、さきに認定したように被告人が被害者を発見した際における彼我の距離が約二〇メートルあり被告人の自動車の速度が時速約三八キロメートルであり、かつ被害者は被告人の自動車の接近に気付いていない様子であつたのであるから直ちに警笛を吹鳴して警告を与ええることにより被害者の横断を防止することができた思われるばかりでなく、右の彼我の距離、自動車の速度から勘案してなお制動距離外にあつたと考えられるから仮令急停車までの措置を採らないまでも、直ちに減速徐行することにより衝突は回避できないことはなかつたと思われるのである。すなわち自動車運転者としては危険が予見されかつその危険が回避できる場合においては、可能なかぎり危険回避のための措置を採るべき義務があるものというべきである。したがつて、本件の場合衝突は不可避であり前記注意義務もないとの前記所論も採用することはできない。

しかるに、被告人はさきに認定したとおり、被害者の側方を通過するに当り、前記の注意義務を怠り、被害者は自己の進路前方を横断することはあるまいと軽信して、警音器の吹鳴すらせず、また特別その動静にも注意することなく、その儘加速進行したものであるから被告人は本件事故についての過失責任を免れないことは明らかである。

次に所論は、本件は、まさにいわゆる信頼の原則の適用せらるべき場合であると主張する。いわゆる信頼の原則は、歩行者をも含めて、交通関与者相互の間において、互いに一方の者が他方の者の交通法規を遵守した行動に出るであろうことを信頼することが社会的に相当と認められる場合にはじめてその適用が認められるものであつて、そのためこの原則を適用するに当つては、当然、事故当時の道路、交通事情等の具体的状況を個別的に分析、検討することを必要とし、他の交通関与者の交通法規を遵守した行動に出ることを信頼したことが果して社会的に相当と認められるか否かを厳格かつ慎重に判断しなければならないのである。したがつて、事故発生の予見可能性があり、かつ、結果回避の可能性のある場合は、よし他の交通関与者の事故原因に連なる交通法規違反の行為があり、一方の交通関与者が交通法規にしたがつた行動をとつたとしてもただそれだけで常に必ずこの原則の適用が許されるものと解すべきではない。そしてこの原則は運転免許の取得が義務づけられ、交通法規に精通していることが十分期待できる車両の運転者に対する場合は格別歩行者に対する場合にはむしろ適用されないのが通例であろうと考えられる。けだし、現在のわが国の歩行者に対する交通教育の実情、歩行者の交通道徳の程度、自動車専用道路及び歩行者専用道路が極めて少なく殆どの道路は歩車道の区別のある場合でも両者共用であるのが実情であること等にかんがみると、歩行者に多くを期待することはできないからである。ことに歩行者のうちでも、それが幼児、児童、老人、酩酊者のような場合であつて、車両の運転者が予め、これらの者を認識し、または容易に認識し得べかりし場合であるが、これらの者が危険な行動に出ることを予見し得べき状況があつた場合においてはむしろ右の期待(信頼といつてもよい)をすることはそのこと自体が不相当であり、信頼の原則は適用されないものと解すべきである。以上の見地から本件をみると、本件道路は、大阪、京都を結ぶ国道の幹線であるとはいえ、車両専用道路ではなく、歩行者との共用道路であるほか、当時の具体的状況もすでに認定したとおりであり、被害者も満六才の学童で、適切な行動を十分期待し得る者ではないのはもちろん、被告人も予めその被害者を認識し、かつその佇立位置、態度から推して不測の危険な行動に出ることが予見可能な状況にあり、しかも前記注意義務を尽すことにより、衝突を回避することも時間的、空間的にみて必ずしも不可能ではなかつたと思われるのに、被告人は被害者が走り出してくることはあるまいと軽信して、警笛すらも吹鳴せず、その動静をも注視しない儘加速進行したため本件事故の発生をみるに至つたものであるから、よし被告人が所論のように被害者は学校において、交通訓練を受けているものと考えまた、現場近くの横断歩道に学童用の押釦式信号機が設置せられていて、他の学童がこれによつて横断歩道を渡つて行つたことを現認していたこともあつて被害者は道路を横断することはないと信頼していたとしても、その信頼は社会的に見て相当とは認められないのである。したがつて、本件の場合いわゆる信頼の原則はその適用がないものと解すべきが相当である。それ故この点に関する所論も採用することができない。

なお所論は、被害者の死因についても疑いがあるというけれども、医師吹田和徳作成の死体検案書及び同人の当審証言によればその死因はさきに認定したとおりであつて、当審の事実取調べの結果によつても他に死因となるべき事実は認められないからこの点の所論も理由がない。

以上のとおりであるから、原判決が本件事故について、被告人に過失の刑責を認めたのは相当であつて、縷述の所論にかんがみ、記録を精査し、かつ当審の事実取調べの結果によつても右認定には所論のような事実誤認ないし法令の適用の誤りがあるとは考えられない。論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意中量刑不当の主張について

論旨は、原判決が被告人に対し禁錮刑を科したことは重きに過ぎるから、罰金刑を以て処断せられたいというのである。

よつて按ずるに、さきに詳細に判断したとおり、被告人は本件事故についての過失責任は免れないとしても、その事故の具体的状況からみて、被害者が満六才に過ぎない学童であつて成人には予想できないような不測の行動に出たことが事故発生の重要な原因をなしており、その過失の程度も軽いものと考えられるからこの点を斟酌すれば原判決が被告人に対して禁錮刑を科したことは重きに過ぎると考えられる。論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書にしたがいさらに次のとおり自判する。

原判決の確定した事実(但し原判決二枚目表九行目の「左前方約一米」とあるを「左前方直前」と訂正する)に法令を適用すると、判示所為は刑法六条、一〇条により昭和四三年法律第六一号による改正前の刑法二一一条前段罰金等臨時措置法三条に該当するから、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内において被告人を罰金三万円に処し、右罰金を完納することができないときは刑法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部被告人に負担させることとし、主文二項ないし四項のとおり判決する。(岡田退一 瓦谷末雄 藪田康雄)

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