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大阪高等裁判所 昭和44年(う)191号 判決 1970年6月16日

被告人 正賀伸

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人川西譲、同井藤誉志雄共同作成の控訴趣意書および同補充書各記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、被告人は飲食店営業者としてふぐ料理を客に提供するにあたり、一般的にその遵守が可能であり、法令上、条理上あるいは慣習上必要とされる注意義務を尽していたものであつて、客の一人がふぐ中毒により死亡したのは被告人にとり全く予見し得なかつた結果であるから、被告人に過失責任を負わせることはできないのに、原判決が、被告人のみならず一般通常の飲食店営業者に対しても要求することが無理な高度の注意義務を設定し、かつ、本件結果が被告人にも予見し得ないものではなかつたとして、被告人に過失責任を認めたのは法令の解釈適用を誤まり、あるいは事実を誤認したものであるというのである。

よつて、審按するのに、原審および当審で取調べた証拠によると、本件ふぐ中毒死事故発生の経緯は次のとおりと認められる。すなわち、

被告人は、神戸市長田区庄田町一丁目一番地において酒、料理等を販売する大衆酒場有限会社高田屋湊店の代表者として同飲食店を経営し、自らも兵庫県知事より調理師の免許を受けて飲食物の調理、提供等の業務に従事していた。そして同店では昭和三四年ごろから毎年季節料理として一一月から翌年三月中旬に至る間俗称なごやふぐ(シヨウサイフグあるいはマフグ)の鍋物を販売していた。昭和四一年二月二五日午前九時四〇分ごろ被告人は同区二葉町三丁目丸五市場内の清水鮮魚店で店主清水利子からなごやふぐ(マフグ)一三匹位(合計二・二瓩)を買受け、同女にこれを三枚におろし、肝と皮をつけておくよう依頼し自店に帰つた。そこで同女は右ふぐの皮をむき、目と腹わたを取り、肝とその他の内臓を別にし、頭を切つて三枚におろし、骨と身を別々にし、一時間位流水で十分水洗いしたうえ、骨と皮および身と肝をそれぞれポリエチレン袋にいれ、残りはすべて廃棄した。同日午前一一時すぎ高田屋店員が清水鮮魚店から右のように調理解体されたふぐを持ち帰つたので、被告人は肝だけとくに塩もみして三〇分位水につけておき、その余は二、三分塩水で洗つた後いずれもタツパーウエアー(密封容器)に入れて冷蔵庫に保管していた。同日午後九時一五分ごろ足立貞雄、薦田暢敏、芳沢義秀、岡本正、伊奈吉三の五人連れの客が高田屋に来てふぐの水炊き二人前鍋二つを注文したので、被告人は前記ふぐを冷蔵庫から出し、一鍋につき身と骨を二五〇瓦位、皮を一二瓦位、肝三瓦位(成人の小指の第一関節の先位)を二切れ、白菜、菊菜、とうふ等を入れ、一五分位煮てこれを二鍋右客に提供し、その際肝については一人占めして食べないよう注意した。足立、芳沢、伊奈の三人が一つの鍋を薦田、岡本の二人がもう一つの鍋を囲み、清酒七本位を飲みながらこれを食したが、五人のうち足立と薦田は肝を含めてよく食し、その余の者はどの程度食したか明らかでなく、結局二つの鍋を合せて三分の二位食べ残しがあつた(肝が残つていたかどうか明らかでない)。同日午後一〇時半ごろ右足立ら五人は高田屋を出、足立は薦田とともに同区松野町一丁目岸酒類販売店でビール一本を飲んだ後、午後一一時五〇分ごろ同区水笠通三丁目の自宅に帰り、すぐ寝巻きに着かえて床に入り眠つた。翌朝午前四時半ごろ足立は急に苦しみ出し、近所の医師を呼んで手当をうけたが、午前六時四五分ごろふぐ中毒により死亡するに至つた。しかし足立を除く四人については何らの中毒症状も生じなかつた。以上の事実を認めることができる。もつとも、本件一つの鍋に入れたふぐの肝の量について、被告人は司法警察員、検察官に対し「一二瓦位」と供述しているのであるが、被告人は検察官に対し「成人の小指の第一関節の先ぐらいのものを二切ぐらい」とも供述しているし、被告人方の調理師森清富の検察官に対する供述調書、同人の原審公判廷における証言、当審における検証の結果にてらせば、右一切の肝の量は約三瓦であると認められ、少くともその蓋然性は強いものと考えられる。また、本件ふぐの種類については証拠上俗称なごやふぐで学名上のマフグもしくはシヨウサイフグのいずれかであると考えられる(神戸地方においてなごやふぐというのは学名上のシヨウサイフグ、コモンフグを意味するが、マフグにも成長の過程で右二種と同様の斑点を有するものがあつて、専門家でも区別しにくく、本件ふぐについて警察の調査ではマフグであり、保健所のそれではシヨウサイフグである)のであるが、谷巌作成の「日本産フグの中毒学的研究」によると、皮以外の毒の含有部分、毒力においては両者全く差がないけれども、皮の毒力においてシヨウサイフグの方がマフグより強いことが認められるから、刑事裁判の本則に従えば、被告人に有利に本件ふぐの種類はマフグであると認定せざるを得ない(検察官も訴因においてマフグであると主張している)。

ところで、業務上過失致死罪が成立するためには、当該業務に従事する一般通常人が行為者のおかれたと同じ具体的事情のもとで結果の発生を予見することが可能であつたこと(客観的予見可能性の存在)を必要とするので、これを本件について検討するのに、前記各証拠によると、次の諸事情、すなわち、(1)神戸地方においてはふぐ料理に肝をいれることが常識となつており、肝をいれなければ客が承知しないばかりでなく、実際に味も落ちると考えられていること(2)同地方においていわゆるなごやふぐは毒性が弱く、その毒(主として肝)も水洗いを十分にすることによつて除去されるものと信ぜられており、小売店、魚屋で一般家庭にも販売されていること(3)保健所でも本件発生当時ふぐの毒についての認識は(2)と大差なく、本件ふぐ中毒の原因が水洗いを十分にしなかつたことにあるとして、これを理由に被告人を営業停止に処したこと(4)兵庫県では(1)の慣習を考慮してか、他府県のごとくふぐの肝の提供を禁止する条例を制定していないばかりでなく、本件発生後においてもなおかつ、保健所は各ふぐ料理の業者に対しなごやふぐの肝を客に提供することが望ましくないとしながらも、全面的にこれを禁止することなく、流水により水を変えながら浸漬し、かつ、十分煮沸し、さらに客一人につき五瓦以下に制限することを条件に肝を提供することを容認していること(5)兵庫県下で昭和三九年から同四二年九月末までに発生したふぐ中毒事件は六一件であり、そのうち飲食店営業者によるものは五件であるが、そのうち一件のみ死者が出たものの、これも死者の特異体質として処理され、業者に過失があつたものとは認定されていないこと(6)被告人は本件発生まで約七年間本件と全く同様の方法でふぐを購入し、調理し、客に提供していたが、何ら中毒事件を起したことはなく、本件ふぐを販売した清水鮮魚店では昭和二七年以来いわゆるなごやふぐを専門的に取り扱つて来たが、これまで同店からの購入客で中毒を起したものがいることを聞いたことはなかつたこと(7)本件発生以前においては保健所による指導講習はほとんど行なわれていなかつただけでなく、ふぐ毒に関する書籍類も殆んどなく、かりにあつても入手困難であり、一般営業者としてはこれまでの慣習と保健所の指導に従うほかなかつたことが認められる。そして、これら神戸地方における慣習、保健所一般業者のふぐ毒に関する知識の程度に、前記のような被告人の本件ふぐ料理提供の方法(水洗いを十分にし、かつ肝の量もごく小量であつたこと)をあわせ考えるときは、本件致死の結果は、被告人にとつてはもちろんのこと、神戸地方でふぐ料理を提供する一般業者、これを指導監督している保健所にとつても、とうてい予見し得ない結果であつたといわざるを得ない。もつとも、ふぐ毒に関しては最高の権威者である原審鑑定人谷巌の供述に、同人作成の「日本産フグの中毒学的研究」をあわせ考えると、マフグの肝、皮等にはふぐ毒すなわちテトロドトキシンがあり、これは水洗いによつて除去ないしうすめられることはなく、これを食するときはふぐ中毒を起し、人の生命に危害を及ぼす危険性があること、同鑑定人による実験の結果によると、マフグの中には肝一瓦につき最高二万単位の毒力(単位とは臓器一瓦が殺し得るフランス・マウスの瓦数で毒力を表わし、二万単位とは臓器一瓦で二万瓦のマウスを殺し得る毒力をもつことを意味する)を有するものもあり、また、皮一瓦につき最高四〇〇〇単位の毒力を有するものもあつたこと、人に対する最小致死量は約二〇万単位であるから、右の場合肝についていえばその一〇瓦で人に対し致死的となること、しかし、ふぐの毒力は個体差がはげしく、また季節により異なり、例えば同鑑定人が二月(本件は二月に発生したものである)に採集したマフグ二三匹について実験したところによると、肝については一万単位のもの一匹、四〇〇〇単位のもの一匹で他はすべて一〇〇〇単位以下であり、皮については二〇〇〇単位のもの一匹、一〇〇〇単位のもの一匹で他はすべて四〇〇単位以下であつたが(肝の高単位のものと皮の高単位のものとは別の個体である)、もとより右実験数値以上の毒力をもつマフグが存在しないという保障はなく、従つてマフグの肝でいえば一〇瓦以下でも絶対安全であるとはいえないことが認められるから、同鑑定人にとつて本件致死の結果は必ずしも予見が不可能であつたとはいえない。しかし、同鑑定人はフグ毒に関する最高権威者であつて、同鑑定人を標準として予見可能性の有無を判断することは、前記(1)のような慣習の中で(2)(3)のような知識しかなく、本件発生後においても(4)のような保健所の指導の下にある(本件発生前においてはなおさらである)一般営業者に対しては難きを強うるもので妥当ではないばかりでなく、足立の死がふぐ中毒によるものであることに疑念をさしはさむ余地のない本件についてみると、被告人の提供したマフグがたまたま同鑑定人の長年月にわたる実験においてさえ見られなかつたほど高単位の毒力を有していたといわざるをえず(たとえ足立が一鍋全部の肝と皮を食したとして、かつ、これが同鑑定人の実験の結果において判明している最高の毒力を有していたとしても合計一六万八〇〇〇単位で最小致死量二〇万単位に及ばない、なおマフグの肉は無毒である)、この点からみても、本件致死の結果はまことに偶然という外なく、前記のような同鑑定人のみ認識しているふぐの毒力の特異性について知るはずのない一般営業者(前記(7))にとつてはますます予見しがたい結果であつたといわなければならない。原判決は、(イ)ふぐの内臓一般について毒性があると考えられていたのが普通一般人の見解であつたこと(ロ)被告人自身なごやふぐの肝が全く無毒であると考えていたわけでなく、肝をたくさん食したらふぐ中毒にかかるおそれがあると認識していたこと(ハ)兵庫県下においてふぐ中毒事件は昭和三〇年から同三八年まで七九件発生し、患者数一〇三名、死者六二名、昭和三九年から同四二年九月まで六一件発生し、患者数七四名、死者三四名の多きを数えていることを主たる理由として、被告人が本件致死の結果について予見可能性があつた旨説示している。なるほどふぐの内臓一般ことに肝に毒性があることは一般に周知の事実であると考えられるが、それにもかかわらず古来より日本においてふぐの肝が賞味されてきたことも事実であり、それは肝を食することにより一そう美味が増すばかりでなく、ふぐの種類、肝の分量のいかんによつては多少の中毒症状(しびれ)を呈することはあつても死に至るほどの危険性はないという認識が一般に根強く存在しているからと考えられ、そう考えてこそ、神戸地方における前記(1)(2)(4)の慣習、行政指導が理解しうるのであり、(イ)(ロ)の事実からただちに被告人のみならず、ふぐ料理を提供する一般業者に本件致死の結果についての予見可能性があつたということはできない。また(ハ)の事実は本件証拠により認められるが、昭和三〇年から同三八年までの事件の詳細は不明であり、ただ昭和三九年から同四二年九月までの内訳(前記(5))にてらすと、右事件のほとんどが飲食店営業者の調理によるものではないと考えられ、(5)の期間死亡事件について過失を認定された飲食店営業者が皆無であることから考えても、(ハ)の事実をもつて一般営業者の予見可能性の有無を判断する資料とはなし得ない。

果してそうだとすると、被告人が足立貞雄に対しふぐ料理としてマフグの肝および皮を提供するに際し、足立に致死の結果が生ずることについては客観的予見可能性がなかつたものといわざるを得ないので、被告人に右結果を回避すべき業務上の注意義務が発生する余地はなく、従つて被告人に本件致死の結果について刑事上の責任が生ずるということはできない。原判決は、本件致死の結果について客観的予見可能性があることを前提として右結果を回避するためふぐの肝をその量の多寡にかかわらず絶対に飲食に供してはならないとの客観的注意義務を設定していると考えられるが、右前提のとりえないことは前記説示のとおりであり、原判決が被告人に過失責任を認めたのは結局注意義務に関する解釈を誤りひいて事実を誤認したものといわざるを得ず、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、本件につき更に次のとおり判決する。

本件公訴事実(原判決の判示事実と同じであるからこれを引用する)については、前記説示のとおり被告人に過失の存したことについての証明が十分でなく、結局犯罪の証明が十分でないから刑事訴訟法四〇四条、三三六条により主文のとおり無罪の言渡をする。

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