大阪高等裁判所 昭和44年(う)824号 判決 1969年11月04日
被告人 西村一衛
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役四月に処する。
原審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人前田知克作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意第二点について。
論旨は、原判決の法令適用の誤を主張し、本件被害者両名の負担は何れも救護を要する程度のものではなかったから救護義務は生じなかったのに、これあるものとしてその不履行について犯罪の成立を認めたのは、法令の適用に誤があるというのである。よって案ずるに、道路交通法七二条一項前段は、単に「車両等の交通による人の死傷、または、物の損壊(以下交通事故という。)があつたときは、当該車両等の運転者その他の乗務員(以下この節において運転者等という。)は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない。」と規定するのみであって、救護義務の対象となる負傷者を、その傷害の程度によって区別しないから、汎く交通事故による傷害をうけた者一般を包含し、すべての負傷者を救護すべき義務を運転者等に課したものと解するほかはない。また交通事故による被害者の傷害の程度態様は、千差万別であって、ことに衝突の態様、衝突時における被害者の姿勢並びに転倒動揺の態様によつては外見上さしたる異常を認めがたいばあいでも、負傷者を絶対安静に保ち、精密な診察を相当期間継続しなければならないことが考えられ、かつそのような措置の必要性の有無は医療の専門家をもってしても、負傷者を一見して直ちに判断できるものではなく、まして運転者等にその判断を委ねることは失当であるから、およそ交通事故により負傷者を生じたばあいは、その傷害の程度いかんを問わず、運転者等において、すべて救護の義務を負うものと解するのが相当である。そうでないと、交通事故現場において、運転者等と、負傷者との間に救護義務の存否に関し、徒に事端をしげくし、負傷者をして、迅速適切なる医療をうける機を失わしめ、本条の趣意を没却する虞がある。ただあまりに広範囲に救護義務を認めることは、却って社会生活の実情に適しないことも考えられるから、とくに衝突の態様を考慮に入れ、社会通念に照らし、明かに医療の必要を認めない極めて軽微な傷害のばあいに限り救護義務が生じないと解することはできるが、それも右に説明した交通事故による傷害の特質にかんがみ厳に制限的に理解すべきである。
ところで、本件被害者、石井義雄、中野渡ミネ両名の傷害について検討するに、何れも約二四日間の安静加療を要する頸椎捻挫であつて、そのうち約二週間に亘り注射投薬をうけ大分軽快したというにあり、道路交通法七二条の救護義務の対象となる傷害であると認められる。尤も右被害者等は本件事故発生当時にあつては前記の如き重大な傷害を受けたことに気付いていなかったことが窺われるが(被害者の各供述調書)本件事故の態様は、原判決認定の如く、時速約四〇粁で運転していた被告人が前方注視を怠った結果、交差点直前に一時停止している被害車を約四・四米に接近して始めて発見し、急制動したが及ばず追突したものであり、この種事故にあつては前記の如き傷害(頸椎捻挫)を生じ易いことは公知の事実であるから、被告人としては直ちに停車して傷害の有無を確める義務があるものと解すべきであり、且被告人がこのような措置を執り直ちに被害者等に医師の診断を受けしむる等の措置を執つていれば(少なくとも被害者中野渡は衝突時に首に衝撃を受けたことを認めている)被害者等の傷害の程度が原判示よりも軽減されたであろうことは推察に難くないのに拘らず(更に警察官に事故の報告をしておれば、警察官において被害者等に直ちに医師の診断を受けるよう指示したであろう)敢えてこのような措置を執ることなく被害車を放置して逃げ去った以上、被告人には未必の故意があったものと認めざるを得ない。したがってこれと同旨の判断に出て、被告人に同条一項前段、一一七条を適用した原判決には所論のごとき法令適用の誤はない。論旨は理由がない。
控訴趣意第一点について
論旨は原判決の量刑不当を主張するので、所論にかんがみ記録を精査して考えるに、本件は無免許運転にかかる追突事故でしかもいわゆるひき逃げを伴う事案で犯意は必ずしも軽くないが、被害者両名の負傷も比較的軽く既に軽快しており、被告人の父西村哲治において、被害者石井に対し車両修理費治療費として合計四万円、中野渡に対し治療費として二万円を支払つて示談解決していることなど所論の点を考慮すると、被告人を懲役六月に処した原判決の量刑は重過ぎると考えられるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において、さらに判決する。
原判決の確定した事実に、その掲記にかかる法条を適用し、所定刑期範囲内において、被告人を懲役四月に処し、原審における訴訟費用は、被告人に負担させることとし、主文二、三項のとおり判決する。