大阪高等裁判所 昭和44年(ネ)1075号 判決 1970年6月16日
被控訴人 株式会社協和銀行
理由
西村俊雄が被控訴人に対し本件定期預金債権を有していたことは、当事者間に争いがない。
控訴人は、同年七月一日西村俊雄から本件定期預金債権の譲渡を受け、西村俊雄は被控訴人に対し同月三日到達の書面によつて右債権譲渡の通知をしたと主張し、右事実は《証拠》によつてこれを認めることができる。しかし、被控訴人は、本件定期預金債権には譲渡禁止の特約が存し、控訴人において右特約の存在を知りながら右債権譲渡を受けたのであるから、右債権譲渡は被控訴人に対抗できないと主張するので考えるに、右甲第一号証及び原審証人城戸久の証言によると、本件定期預金債権については債権者たる西村俊雄と債務者たる被控訴人との間に被控訴人の承諾なくして右債権を譲渡しまたはこれを質入れすることを禁ずる旨の特約がなされており、且つ、右特約は債権証書たる定期預金証書(甲第一号証)の裏面に記載されていることが認められるところ、西村俊雄または控訴人が右特約による承認を受けたことについては、何の主張・立証もない。もつとも、このような譲渡制限の約定は善意の譲受人には対抗できないものであるが、前記定期預金債権譲渡当時、右証書が西村俊雄の手許にあつて保管されていたことは、原審における控訴人本人尋問の結果によつて認められるところであるから、控訴人は譲受当時右証書を見分して、右約定を知つていたものと推認されるのみならず、原審証人城戸久の証言によつても明らかなように銀行の預金については、どの銀行でも、定期預金たるとその他の預金たるとを問わず、譲渡質入の禁止ないしは制限の約款を設けているのであつて、このことは銀行預金に関係をもつ者にとつては常識になつているといつても過言でないと考えられることよりすれば、控訴人において他に何らかの特段の事由があつたことの認められない本件では、控訴人は前記特約の存在を知りながら敢て右債権の譲渡を受けたものと認めるの外はなく、右債権譲渡は被控訴人に対する関係においてはその効力を生じないものとしなければならない。
次に、控訴人の申請により昭和四三年七月一二日本件定期預金債権につき、大阪地方裁判所岸和田支部同年(ル)第一四四号・同年(ヲ)第一六二号債権差押・転付命令が発せられたこと及び右命令が同日控訴人に送達されたことは当事者間に争いがなく、かつ《証拠》によると右命令は前同日西村俊雄に対しても送達されていることが明らかである。
ところで本件定期預金債権の如く譲渡禁止ないし制限(以下譲渡禁止と仮称する)の特約のある債権についてなされた転付命令の効力については、民法第四六六条第二項との関係上議論のあるところであり、判例は任意譲渡の場合と同様差押債権者の善意・悪意によつて区別し、悪意のときは債権移転の効力を生じないと解するものが主流をなしている。しかし、この見解は債権譲渡禁止特約の本来の趣旨たる債務者の特殊な立場に基づく合理的な要請を離れ、一般に特約さえあればこれによつて債権に対する強制執行の一方法たる転付命令の及ばない財産を設けることを許す点において問題があるのみならず、とくに、銀行の定期預金その他の預金債権は最も確実な執行の対象であるにかかわらず、その殆んどにつき譲渡禁止の約款が存することは、銀行取引関係者にとつて常識になつている結果執行債権者の悪意が推定され、最も利用度の高い転付命令から閉め出されることになるのは、一般債権者にとつては少なくない不利益を及ぼすものといわなければならない。民法第五一一条は、債権に対する差押債権者のため債務者・第三債務者間の相殺につき制約を設けて差押債権者の保護を図つているが、他面第三債務者の有する相殺期待利益ないしは相殺の担保的機能保護の必要性との関連から、独自の意義が解釈上認められ、被差押債権と第三債務者の反対債権との相殺は、差押当時双方の債権の弁済期が到来していて相殺適状にある場合及びその当時弁済期未到来でも自働債権の弁済期が受働債権のそれより先に到来する場合に限り、法定相殺を以て差押債権者に対抗できるのであり、また相殺予約・相殺契約も右の条件を充す範囲において差押債権者に対抗できるものとされている(最高裁判所昭和三九年一二月二三日判決、民集一八巻二二一七頁参照)。この相殺の制約は債権差押の効力に基づくものであるから、この制約を外し、相殺の期待利益・担保的機能をさらに拡大せしめるためには、債権譲渡禁止の特約では役立たず、さらに進んで差押禁止を認めなければならないことになるが、特約によつて差押を受けない財産を設けることができないのはいうまでもない。すると、債権に譲渡禁止の特約を付し転付命令による債権移転の効力を否定できても、取立命令が許され、これに基づく取立権の行使に対する抗弁としての相殺にも前同様の制約がつきまとうのであるから、右転付命令の実効性の否定は第三債務者に裨益するところは殆んどない。むしろ強制執行手続において平等主義を採る民事訴訟法の建前からすれば、転付命令には逸早く独占的な満足を得る利益があるため、差押債権者にとつてこの換価方法の選択が魅力のある重大な関心事であるにかかわらず、これを除外した者の合意によつて、選択の自由が奪われ、有効な転付命令を得る余地がないとするのは、不合理であるといわなければならない。従つて譲渡禁止特約付き債権の譲渡につき、譲受人の善意・悪意によつてその効力に区別を設ける民法第四六六条第二項の規定は、転付命令については適用がなく、執行債権者は右特約の存在及びその善意・悪意にかかわらず、被転付債権を取得するものと解するのが相当である。そうであるから、控訴人は前記転付命令により本件定期預金債権を西村俊雄から取得したものといわなければならない。
そこで、被控訴人の相殺の抗弁について判断するに、《証拠》を総合すると、次の事実が認められ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
一、被控訴人は昭和四三年三月三〇日西村俊雄の父西村善雄との間に手形貸付、手形割引等の銀行取引契約を締結し、右契約に於て、右善雄が支払を停止したときその他一定の事由が発生した場合は通知催告なくして当然に(乙第一号証銀行取引約定書第五条第一項)、また、善雄の信用状況が悪化して被控訴人の債権保全のため必要と認められるときその他一定の事由のある場合は被控訴人の請求によつて(同条第二項)、いずれも善雄の右契約上の債務につき期限の利益を喪失させる旨の特約がなされた。
二、同日右契約に基いて、被控訴人は右善雄に対し二〇〇万円を、弁済期は同年五月二八日、利息は日歩二銭四厘と定めて貸付け、これと引換に同人から別紙目録記載の約束手形一通を受領したのであるが、西村俊雄は善雄の右契約上の債務につき連帯保証をなし、その所有の岸和田市土生町字濁り池南原四三番一、畑七畝七歩に極度額五〇〇万円の根抵当権を設定し、更に抵当物件の換価手続が煩雑なところから、右連帯保証債務につきいわゆる見返り担保として本件定期預金を被控訴人に預け入れた。
三、ところが、善雄は前記期日に弁済ができず、被控訴人はやむなく同年七月二七日まで前記貸付金の弁済を猶予したが、同月一日善雄が被控訴人以外の者に宛てて振出した額面合計一、七九五、六五五円の約束手形二通がその支払場所である被控訴人の泉大津支店で預金不足の理由で不渡りとなつたので、被控訴人は、善雄の信用状況が悪化し自己の債権を保全するために必要であると判断し、善雄に対し同月四日到達の書面を以て前記特約に基き右貸付金を同月八日までに支払うよう請求して、一旦猶予した弁済期を同日限りで打切り、同人の制限の利益を喪失させた。
四、然るに、右善雄は右期限を徒過し、他方被控訴人は前認定の如く同月一二日前記差押転付命令の送達を受けたので、差押債権者たる控訴人に対し同月一九日到達の書面を以て、西村俊雄に対する前記貸付金の連帯保証債権と被差押債権たる本件定期預金債権とを対当額で相殺する旨の意思表示をした。右認定事実によると、本件定期預金債権についての右債押転付命令が被控訴人に送達された当時、被控訴人の西村俊雄に対する前記貸付金連帯保証債権は前記期限の利益喪失に関する特約に基き被控訴人が西村善雄に対してなした請求により既に弁済期が到来しており、本件定期預金債権と相殺適状にあつたこととなるから、被控訴人は右差押転付命令送達の後であつても右相殺を以て控訴人に対抗することができ、従つて本件定期預金債権は右相殺によつて消滅に帰したものというべきである。
右の点に関し、控訴人は、(一)西村善雄には前記特約により期限の利益喪失事由とされている支払停止はなかつたと主張するけれども、前認定のとおり支払停止は当然の利益喪失事由の一とされているところ、被控訴人は善雄に対し右と別個の期限の利益を喪失させているのであるから、控訴人の右主張は当を得ない。(二)次に、善雄振出しの前記約束手形二通が不渡りに陥つたのは、被控訴人が控訴人に対し本件定期預金債権の支払を拒絶したことに起因するから、被控訴人はこれを理由に善雄の期限の利益を喪失させることができないと主張するけれども、本件定期預金債権は、その成立当時から俊雄の被控訴人に対する連帯保証債務の見返り担保に供せられ、被控訴人は右双方の債権の相殺に強い期待的利益をもち、本件定期預金債権に付せられた譲渡禁止の特約に右利益保障の役割りをもたせているのであるから、本件定期預金債権者たる俊雄に対しては無論、その債権の悪意の譲受人たる控訴人に対してもその支払を拒否できるし、また拒否するのが当然視される立場にあることは前説示に照らして自づから明らかなところであるから、控訴人主張の手形の不渡りが本件定期預金の支払を拒否されたことに起因するとしても、その責任を被控訴人に転嫁し、被控訴人に対し不利益を帰せしめることができないのはいうまでもない。むしろ控訴人主張の手形の債務者側である善雄及び俊雄がすでに自己の被控訴人に対する別口債務のため担保に供していた本件定期預金を以て右手形の決済資金に充てなければならない状態にあつたこと自体が同人等の資産・信用状況の悪化を物語るものであり、被控訴人が同人等に対する前記貸付金ないしはその連帯保証債権につき、保全の必要ありとして、特約に基づく期限の利益喪失の手段に出たことを正当づけるものといえる。(三)また、期限の利益を喪失させるためには相当の催告期間を必要とすると主張するが、そのように解すべき根拠はない。(四)更に、被控訴人が相殺を主張することは法の潜脱であると主張するけれども、差押当時既に自己の反対債権と被差押債権と相殺適状にあり、相殺によつて自己の債務を免れ得るという正当な期待利益を有していた被控訴人のなした相殺を脱法行為とすることはできない。従つて、控訴人の以上の各主張はいずれも採ることができない。
そうであれば、控訴人の請求はその余の判断を俟つまでもなく理由がないことに帰着し、これを失当として棄却した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却