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大阪高等裁判所 昭和44年(ネ)61号 判決 1969年11月25日

控訴人

アンドウ・コンバーター株式会社

代理人

坪野米男

外四名

被控訴人

内藤健治

代理人

中山秀夫

主文

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し金一五〇万円とこれに対する昭和四二年三月二九日から右支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

この判決は第二項に限り金三〇万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実《省略》

理由

一控訴会社が昭和四一年一〇月八日被控訴人との間で、原判決末尾添付目録記載の甲土地(京都市右京区西京極長町四番地、田五畝一歩、同所五番地、田九畝二五歩の二筆、合計四四六坪。以下、甲地と略称する。)を代金一三、一五七、〇〇〇円で買受ける旨の土地売買契約を締結し、同月二〇日被控訴人に対し手付金一五〇万円を交付したことは当事者間に争いがない。

二控訴人は、右売買契約は、もともと買主たる控訴会社の代理人上月安三において、原判決末尾添付目録記載の乙土地(京都市右京区桂池尻町二番の一、田一反一畝二六歩、坪数にして三五六坪。以下乙地と略称する。)を買受ける意思で、誤つて契約表示の上で甲地を買つてしまつたものであるから、契約の要素に錯誤があり無効である旨主張するところ、後記証拠によつて認められる事実関係によれば、右主張事実を肯認するに十分であり、他に反証はない。もつとも、本件売買契約は後記のとおり、最終的な契約書作成段階では、控訴会社代表者の妻安藤豊子が同社の代理人として直接代理の方式で契約書に署名捺印をし、これを被控訴人側と取交したもので、右契約書面上は上月を買主たる控訴会社の代理人とする旨の顕名はなされていないけれども、同女の立会は形式完備目的だけのもので、右契約書作成時にも上月が控訴会社代理人として立会つていたのはもとより、本件売買の交渉から契約(実質的)成立までについては終始同人が独りで控訴会社の代理人として行動したもので、売買契約自体は実質的に見て控訴会社代理人上月安三がこれを締結したものと認めて差支ないから、本件契約上の控訴会社側の意思の欠缺及び過失の存否は右代理人たる上月安三につきこれを定めるべきものである(民法第一〇一条一項)。また、被控訴人は、控訴会社は目的物件を甲地と承知の上本件売買契約を締結しながら後日調査の結果嫌気がさして錯誤を云々するに過ぎない旨主張するけれども、被控訴人の全立証によるもそのような事情を認めうる証拠は全くない。

そうすると、本件土地売買契約は、売主たる控訴会社側において甲地を乙地と取り違えたいわゆる目的物の錯誤が存し、法律行為の要素に錯誤があること明白であるから、無効といわなければならない。

三しかし、被控訴人は、右錯誤については表意者たる上月に重大な過失があり、控訴会社としては自らその無効を主張することができない旨抗弁するから、次にこの点について検討する。

<証拠>を綜合すると次の事実が認められる。

(一)  控訴会社は和装小物の製造卸販売を業とする会社であるが、かねてから京都市内の上桂方面に研究所建設用地を物色していたところ、たまたま取引先である友禅染色業者上月安三(明治三五年生)が約七年前から同市内右京区上桂前田町三六に居住していたので、昭和四一年夏頃同人にもそのことを依頼した。上月はもとより不動産取引仲介業者ではなく、また、かつてそのような仲介や代理をした経験もなかつたが、得意先の依頼でもあるので、適当な土地があれば(無報酬で)世話をしたいと考えていたところ、その頃自分の子供が菊の栽培のことで知合いの訴外大八木藤次郎(農業)なる者が「西七条の内藤が四〇〇ないし五〇〇坪の土地を売りたいらしい。」と言つているのを聞き及び、直接右大八木に尋ねたところ、それは同人所有農地の西側にある本件乙地であり(桂川から約一〇〇米西側。上月宅の東北約三〇〇米)、その所有者は「西大路七条入る一筋目か二筋目を下つて西に行つたところの内藤」だとのことであつた。

(二)  上月は早速右乙地の下見をし、控訴会社代表者をも現地に案内したところ、坪数も概ね四〇〇坪あり、その位置も桂川の西側にあり比較的環境もよく、私道を経てすぐ国道九号線に出られる点等を現認、検討の結果、前記用地として恰好の場所であると考え、ここに控訴会社代表者は上月に右乙地購入の交渉、契約一切を委嘱した。

(三)  よつて、上月は早速同年八月頃のある日の夕方、孫を連れて、前記大八木のいう内藤方を訪ねて直接交渉をするべく、大八木に教えられた道順を頼りに七条通りの西大路東入る附近をあちこちと探したが見当らず、そうこうするうちに日も暮れていくので、ふと目にとまつた算盤塾で「この辺に内藤さんという家はないかと」尋ねたところ「その家ならそこだ」といつて教えてくれた。そこは七条通西大路東入二筋目先で、七条通りに面した相応の構えの家であつたので、上月としては日暮れ時に目指す内藤方をやつと見付けたという安堵の気持ちも手伝い、同家の位置が当初大八木が教えてくれた道順と多少相違する点があつたはも拘らず、全くそれに気付かず、それが教えられた通りの甲地の所有者である内藤方と信じてその家の門を叩いた。これが本件被控訴人内藤健治宅であつた。

一方被控訴人家では、丁度その時妻内藤沢子が応接に出たのであるが、上月は「お宅は桂に土地を持つておられるか」と確かめた上、売却の意思があるか打診してみたところ、同女は桂に土地を持つていることは肯定したが、他人に耕作させている関係もあり、売却の点は即答を避け、後日返事する旨約し、間もなく上月は帰つた(前掲証人上月安三は、そのさい「上桂の三菱病院の近くの土地を持つているか」と尋ねた旨供述するが、他に右証言を裏付ける確証もなく、また前掲証人内藤沢子の証言に照らすと、にわかに措信し難い)。

(四) しかし、上月がこのようにして、町の算盤塾で教えられ、目指す「内藤家」なるものを探し当てたと信じて同家の者と交渉に入つた背面には、次のような相互の誤認を生み易い原因ともいうべき事実が潜んでいたのであり、このことは上月としては全く知る由もなかつた。すなわち、(イ)控訴会社代理人上月が買受を所望している乙地の所有者は、実は被控訴人内藤健治ではなく、訴外内藤定美にほかならなかつた。内藤定美(同人は被控訴人のいわゆる古くからの分家に当るけれども血縁関係はなく、従つて日常特別の交際の様なものはなかつた)の住居は、被控訴人方から約五〇米離れたところ、七条通西大路東入る二筋目を南に下り、更に西に折れ、北に入つた袋小路になつたところであり(京都市下京区西七条南西野町三〇)、往々郵便の誤配もある程の近所の同姓者であるが、定美宅の方が余程わかりにくく外来者には発見困難な場所にあり、結果からみると、上月はこのような微妙な位置関係と教示の誤りから、全く別人たる被控訴人宅に辿り着いたのであつた(別紙図面(一)参照)。(ロ)しかも、偶然にも被控訴人もまた桂川附近に土地(すなわち甲地)を所有し、被控訴人の妻のいう「桂の土地というのは甲地にほかならず、甲地は正確には桂川を挾んで乙地と反対側(東側)に在るから、地名も「西京極」と称すべきものではあるが、被控訴人家では方角上同所が桂地区の方向に当り、かつこの付近に甲地以外の所有地がなかつた関係上、日頃これを単に「桂の土地」と称し「西京極の土地」とはいつていなかつたため、被控訴人の妻内藤沢子としては、わざわざ自宅を訪ねて来て「桂の土地」というからには、てつきり自家でも「桂の土地」と呼んでいた甲地を買いに来たものに違いないと思い込んで全く怪しまず、甲地を相手方の申入土地として応待した。このことがまた買手側である上月の誤つた信念を強めさせる方向に働いた。甲地、乙地は直線距離にして約一粁離れているに過ぎないが、その立地条件、環境等は乙地の方が秀れており、殊に被控訴人所有の甲地は低湿な袋地であり附近には工場もあるような環境で、現に昭和四三年当時の時価を比較してみても甲地は一平方米当り五、六〇〇円、乙地は同じく一二、二〇〇円の差がある。(別紙図面(二)参照)。

(五)  このような次第で、以後は、上月は被控訴人所有土地こそ控訴会社の所望する乙地と信じて疑わず従つてその現地はすでに自ら実見了知のものとして交渉に入り、一方被控訴人側でも上月は甲地を買いに来たものと信じてこれまた疑うことなく、一週間ぐらいの間に数回にわたつて交渉がすすめられ、その間被控訴人は、この件については妻内藤沢子及び古くから出入りの訴外谷口敬吉(明治二三年生)に委せていたので、交渉は専ら控訴会社側は上月、被控訴人側は右両名によつてなされ、代金額も前記のような甲、乙両地の立地条件の差があつて、右買主側の誤認が結果としては売主側に有利な条件となつたため、比較的簡単に一致し、公簿上の面積を基準に、坪当り三万円となつていたところ、最終的には上月の希望を容れて坪当り二九、五〇〇円と決定した。

上月はその間谷口に甲地の地名地番を教わり、司法書士に依嘱してその登記簿謄本の下付を受けたが、専ら坪数や権利関係の記載に注意を払つていたので、これが実は乙地でないことには終始思いいたらず、甲地(二筆)の公簿面積を合算して、乙地の目測坪数とほぼ合致していることを確認したに留まつた。しかし、上月も交渉の最終段階では甲地の地名に「西京極」と冠せられているのを一寸不審に思い、谷口や被控訴人の妻沢子に対し「この土地は桂と思うが違うのかなあ」といつた程度の疑問を洩らしたが、被控訴人側としても前記のとおり売買物件は甲地であると思い込んでいた関係で、右の疑問の持つ意味さえも理解するに至らず、僅かに「あの辺りは昔葛野郡であり、皆一緒であつた(桂も西京極も、以前は一体として同じ土地の意)。」といつた趣旨の返答をして聞き流し、上月も、それ以上深く尋ねることもせず、疑念を解消した。また、被控訴人側では当初上月に対し甲地の地形等について若干の説明を始め、現地の案内をしてもよい旨申入れたが、上月は前記のような次第で、現地は承知していると確信していたため、詳しい説明も求めず、案内についてもそれには及ばぬ旨答えた事実もあつた。

(六)  かくして、昭和四一年一〇月八日被控訴人の妻内藤沢子と谷口は上月の案内で控訴会社に赴き、控訴会社代表者の妻安藤豊子と上月がこれを迎え、ここでかねて控訴会社側で準備していた契約書に、買主控訴会社側は安藤豊子が、売主被控訴人側は内藤沢子がいずれも直接代理の方式でそれぞれの当事者の署名、捺印をなし、これを双方取交し、本件甲地の売買契約が成立し、同月二〇日手付金一五〇万円が授受された(右売買契約の成立及び手付金の授受については当事者間に争いがない)。

(七)  ところが、翌四二年一月控訴会社が乙地の測量にかかつたことから、乙地の持主が被控訴人と関係のない内藤定美であり、控訴会社が本件売買契約によつて買受けた土地が桂川の東側にある甲地であつたことに気付き、控訴会社は直ちに弁護士に依頼したりして被控訴人にその旨伝え、手付金一五〇万円返還の交渉をしたが、被控訴人としては現在甲地を控訴会社に引渡す意思は持つていないが、手付金の返還請求に対しては、そのうち五〇万円ぐらいなら返すという程度の回答しかせず、結局本訴となつた。

以上の事実が認められ、右認定事実に反する前掲証人上月安三、同内藤沢子、同谷口敬吉の各証言部分は前掲各証拠に照らし措信せず、他に右認定事実を左右すべき証拠はない。

右事実関係によれば、本件売買契約は、まず、控訴会社側で目的物件たる乙地の現況を自ら見定めた上、その所有者をつきとめてその買受交渉をするという過程を経て成立したものであるところ、控訴会社代理人上月安三が所有者「内藤」の家を現地で探し当てるについて前記位置関係から自らは探しあぐねた末、近辺の町の算盤塾の人に道を聞いたところ、同人がそれを自己の知つている内藤と早や合点して被控訴人宅を教えてしまつたという好意に基づく軽率な誤りから端を発し、上月は甲地所有者たる被控訴人と売買交渉を始める結果になつたのであり、しかも本件では前認定のとおり、売買物件と売主の両者につき、買手側から見ても、また一旦申込みを受けた売手側から見ても、誤認を生じ易い客観的諸条件が重複伏在したもの、即ち、(イ)たまたま乙地所有者内藤定美宅と被控訴人宅は僅か五〇米の近所に在り、(ロ)また、両者とも桂川近辺にほぼ同一面積の乙、甲両土地をそれぞれ所有し、いずれも売却の意図を秘めており、かつ、両地の俗な呼称までも同様であり、即ち被控訴人方では正確には西京極に所在する甲地を常日頃「桂の土地」と称していたため、右呼称だけでは、少くとも被控訴人方では、桂川以西の正確な桂の土地と判然区別することが困難であつた等の偶然が重なつていたため(前記(四)の認定事実参照)、一旦買受けの申込みをすると、契約成立という段階までには、その誤りに気付き難い甚だまぎらわしい状況が待ち受けていたもの、再説するならば、ほぼ同じ様な売却可能物件を持つていた同じ様な売主が、ほぼ同じ場所に在つて、一旦その一方に買受けの申込をした限りほぼ当然に売買交渉がそのまま進展し易い条件が併存し、従つて、最初の申込の相手方の誤り、即ち入り口の誤りが、殆どそのまま結果の重大な誤りに導き易い条件下で、上月が右の申込の相手方の誤りを犯したことになり、右申込の誤りが殆ど決定的となつて、上月としては最初のいわゆる「お門ちがい」をそれと気付かぬまま、それがために生じた本件錯誤が遂に最後まで発見、覚知されないで結局甲地を買受けてしまつたことが認められるのであつて、しかも上月が右申込の誤り、即ち、その相手方として被控訴人を選ぶに至つた直接の原因が、甲乙両地の各所有者の近隣者の軽率に在つたことは前認定の通りである。尤も本件においても、その後の交渉過程中において、一般的に言えば、買主の代理人として、相応の方法で相手方(被控訴人)の応諾物件が自己の買受目的地(本件では乙地)であることを確認すべき義務はあり、またその機会もあつたにもかかわらず、上月は被控訴人側の現地案内の申入れにより、自己が一旦了知している積りの目的物件を念の為めに再確認することを得た筈であつたのに、これをことわり、また折角登記簿謄本(但し甲地のもの)によつて調査をしておきながら、専ら坪数や権利関係の記載のみに目を奪われ、肝腎の目的物件の同一性の確認をおろそかにしたという憾みはない訳ではなく、その所在地名について「西京極」とある不審の点に折角気付きながら右の疑問を徹底して追究せず、従つて、相手方に対しても疑問のふしを明瞭ならしめるような質問、調査も試みない程度で終つたことは、一応入念の注意を欠いたそしりを免れず、売買物件につき調査を尽し、万全を期さなかつた点において過失があるというべきである。しかし、他方、上月は前記のとおり不動産取引の経験もない一友禅染色業者であり、本件売買交渉ももともと好意から出た世話に過ぎないところ、同人も事前に現地を実見し、自ら登記簿をも調査するだけの注意は払つており、目的物については買主として通常なすべき調査は遂げているのであつて、その地名が「西京極」となつている点の不審についても不徹底乍ら一応の疑問を表明しており、全く無視した訳でもなく、また被控訴人に現地(甲地)の案内や詳細な説明を求めなかつた点も、すでに上月自身としては自己の意図する目的地(乙地)の現況は実見、確認ずみと考えていた点から、強ち無理もない態度とも言い得られる。本件甲地の表示する西京極の地が、正確な「桂」の地域内には有り得ないことに気付くべきであつたとの点も、前認定の被控訴人側の説明と、上月が甲地を乙地と思い込んでいた先入主に強く支配されていた当時の状況に鑑みると、右の不注意も或程度諒として差支えない。従つて、目的物件確認の点だけから言えば、ことここに至つた結果自体は甚だ重大といわねばならないとしても、かかる異例の事態が発生したについては、上月の上記の過失もさることながら、右の過失は比較的軽微であり、目的物として近似した二口の物件の存在に関する前記の如き稀なる偶然が重なつたことの方が重大な要因となつており、右目的物に繋がる売主の正確な把握を誤つた点が、むしろ決定的な錯誤の原因を作つたと見るべきことは前述のとおりである。しかも、右の二人の売主自体が、頗る紛らわしい状況で近所に存在していたのであるから、これの判別に関する上月の過失の程度が最も問題であると言うことができる。右の判別の経過は前認定の通りであるが、この点を更に分析すると、上月が、最初大八木から乙地の正確な所有者としての「内藤」の住所地の教示は可なり正確であつて、この点で、上月が所有者の住所を誤つて調査したとは到底言えない。右住所を現地について尋ねた場合の判別は、前認定の近隣者の指示に依つたものであるが、これらの点について被控訴人は、上月の重過失として、当初乙地所有者を確認するにさいし単に「内藤」姓だけを聞いて名を確かめないで交渉先を取り違えたという粗雑さを指摘し、前記認定事実によれば、上月が「内藤」の名までは聞かなかつたこと、並びに上月が「内藤」宅を探し当てたさいも、その所在位置が、先に大八木から教えられたところと若干異なる点を看過している事実も認められるけれども、右の点の注意までも要求するのは、上月が内藤なる同姓の両家が近所に併存していること、その区別が紛らわしいことを知り、又は知り得べかりし状況の下にあつたことを前提とすべきであつて、このような特殊な条件の伏在するのを露知らぬ上月に対し、発見し難い所に在つた訴外内藤定美の家を自ら探しあぐねた末に前記近隣者の教示を得て欣喜して訪ね至つた先が程遠からぬ同姓の被控訴人方であり、しかも、同様の売買物件を所有していることを聞いて、これを正確な売主と確信するに至つた点の過失は、これを問うとしても、甚だ諒とすべき点が多く、右過失の程度をもつて重過失ということはできない。なお被控訴人は、控訴人本人としても、代理人上月に一切の交渉、契約を任せ、同人の処理の手落ちを自身でもよく注意しなかつた点に重過失がある旨主張するけれども、上月が不動産売買には素人であると言つても、同人が通常人の知識、経験につき特に欠ける所があつた人物であるとの点は、本件全証拠を通じ何等これを認めるに足る資料がないから、同人を代理人に選任し、一切を委任したこと自体は何等重過失とは言えず、また控訴人自身が上月に比して本件錯誤を事前に防止するか、もしくはこれを早期に発見してその結果を阻止することが特に容易であつたとの事情は、格別これを見出し難く、控訴会社代表者の妻安藤豊子が本件契約書作成に立会い代理署名をしたのも、契約成立確認の形式具備のためであつたことは前認定の通りで、同人の関与の程度も右目的に副う程度を多く出でなかつたこと、及び同人も「西京極」が桂川の東か西かをよく知らなかつたことが証人安藤豊子の証言(原審)で窺われるから、同人が契約書作成に立会つた機会において、上月の手落ち、ないしは右契約の錯誤を直ちに発見、阻止し得なかつたことを以て、直ちに重過失と目することはできない。

以上のとおりであるから、被控訴人の重過失の抗弁は理由がない。

四そうすると、本件売買契約は買主たる控訴会社側に目的物の錯誤があつたため無効であり、右無効は表意者たる控訴会社において主張しうべきものであるから、被控訴人が受領した本件手付金一五〇万円は畢竟法律上の原因なき利得であり、これに因つて同額の損失を蒙つた控訴会社に返還さるべき筋合いである。よつて、被控訴人は控訴会社に対し右手付金一五〇万円とこれに対する返還催告後である昭和四二年三月二九日(訴状送達の日の翌日)以降右支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いをなすべき義務がある。

よつて、控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべく、これと異る趣旨に出た原判決は取消しを免れず、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(宮川種一郎 竹内貞次 畑郁夫)

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