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大阪高等裁判所 昭和45年(う)1314号 判決 1971年8月30日

被告人 船越国三郎

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人三木今二作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は事実誤認、ひいては法令適用の誤りを主張し、原判決は、本件事故をもつて、被告人の警笛吹鳴、減速徐行、道路の左側によつて安全を確認する各義務違反の過失に起因する人身事故であると判示するが、被告人には右各義務違反はなく、本件事故は専ら被害者湯浅ふみ江の前方不注視に基くものであるというのである。

よつて、所論にかんがみ、記録ならびに当審における事実取調べの結果を検討して考察するのに、

一、被告人の警笛吹鳴義務について。

原判決には、起訴状に訴因として記載されていない被告人の警笛吹鳴義務を認定した訴訟手続の法令違反があることは、しばらく措くとしても、実体的にも被告人に右義務を認定することは困難であると思料する。すなわち、原判決は右義務を認定した根拠として、本件事故現場が道路幅員約三米の狭隘な、しかも右方にカーブした見通しの困難な曲り角である、ということを挙げる。しかしながら、道路幅員の狭隘なことは、それのみでは警笛吹鳴義務の根拠としては不十分であり、また、被告人が、自車前方約一五〇米ないし二〇〇米において、被害車両を発見し、一度見失つて後に再度発見したのは、被告人車の前方約二〇米であり、この時の見通し限界は約二二米であるので(当審における検証調書参照)、被告人車と被害車両との相互の死角は、時間にして約二分の一秒にすぎないという所論は採るを得ないとしても、原判示のように直ちに本件事故現場をもつて、見通しの困難な曲り角である、と断定することにも疑問がある(特に衝突地点は、被告人から見て曲り角の手前約一〇米の地点であることに留意する必要がある)。さらに注意すべきは、被告人は、最初自車前方約一五〇米ないし二〇〇米において、被害車両を発見しているのであり、このことは、本件現場付近の見通し状況を考慮するならば、被害者も前方注視を怠つていない限り、同時に被告人車を発見していることを意味するのであるから、一時相互に、いわゆる死角内に入り、お互いが見えなくなつたとしても、被告人において、被害者も相互の出合いに注意しつつ減速徐行しながら進行するであろうと期待するのは自然であり、したがつてかかる場合殊更に被害者の注意を喚起するために、被告人において警笛を吹鳴しなければならないとする根拠は乏しいものと思料される。したがつて弁護人の主張は理由がある。

二、被告人の減速徐行義務違反について。

所論は、原判決は衝突直前の被告人車の速度を時速約三〇粁であると認定しているが、現場に残された被告人車のスリップ痕から逆算すると、右認定は誤りであり、事実は時速約二〇粁であると主張する。よつて考察するのに、被告人の検察官に対する供述調書によれば、被告人は自車の速度が約三〇粁であつたことを認めているのであるが、一般に自動車運転者が、速度計を見ないで自車の速度が時速三〇粁であるか二〇粁であるかを正確には感知できないことは経験則の教えるところであり、したがつて被告人の右供述は必ずしも措信しがたい。のみならず原判決は被告人が「衝突現場の手前約四〇米附近で前方から対向してくる被害者等の二台の原動機付自転車を前方一五〇米位に認めている」と説示しているが、この事実認定によれば、被告人車が約四〇米を進行する間に、被害車両は約一一〇米進行したことになり、その速度は被告人車の約三倍弱になるのであるから、被告人車の速度が時速三〇粁とすれば、被害車両の速度は時速約八〇粁であるとしなければならない。これは被害車両の性能、現場附近の道路状況等に照らし不自然、不合理な事実認定といわざるを得ない。被告人の衝突現場の手前約四〇米附近で前方約一五〇米に被害車両を発見したという供述を信用する限りにおいては、被告人車の速度を時速約三〇粁と認定するのは誤りであり、むしろ所論の時速約二〇粁であるという主張の方が合理的であると思料する(スリップ痕の長さのみから自動車の速度を算定するには、当該路面の摩擦係数が重要なポイントとなるが、右摩擦係数を関係資料によつて求めるも、それには一定の幅があり、これを適確に把握し得ない本件においては被告人車の速度は必ずしも正確には算定し得ず、時速にして五粁や一〇粁の誤差の生ずることは止むを得ないところである)。さらに原審第三回公判調書の被告人の供述記載によれば被告人は自車前方約二二米に被害車両を発見し、離合に備えて自車を道路左側に寄せたが、被害車両は、被告人車の正面に向つて進行をつづけたため、危険を感じ、約一二米の距離をとつて急停車したが、被害車両はそのままつつ込み、被告人車の正面に衝突した事実がうかがわれるのであるが、この事実は、被害者湯浅ふみ江の原審証人尋問調書によつて裏付けられる。すなわち同人は自車を運転中、前方注視を怠り、路面を見ながら走行していたのであつて、衝突するまで被告人車に気づかなかつたものである(現場附近の道路は砂利道で路面には凸凹がはげしく、しかも所々に水溜りがあり、単車で走行する際は、常に路面に注意しなければ危険な状態にあつたのみならず、現場附近は交通量のきわめて少いところであつたため、被害者が衝突するまで被告人車に気づかなかつたということも不自然ではない。また被害車両の後方約三〇米を同じく単車で走行中の原審証人陰山庄次郎の証言によるも、同人も同じく被告人車には全然気づかず、衝突の状況を見ていないのである。)。

以上の事実を綜合すれば、原判決が被告人に減速徐行義務を認定したことは相当であるとしても、被告人は、被害車両との離合に備えて予め減速し、一二米の距離をもつて停止したのであるから、同人に減速徐行義務の違反があつたとは到底考えられない。

三、被告人の道路の左側によつて、安全を確認すべき義務の違反について。

所論は、被告人は、被害車両との間に一二米の間隔をもつて急停止したが、その時の被告人車の位置は道路の左側によつており、被告人車の右側には、被害車両が通過するに足るだけの余地があつたのであるから、被告人には、道路の左側によつて安全を確認すべき義務の違反はない、というのである。よつて考察するのに、被告人車が衝突時に停止していたことは、被害者が被告人車のボンネットの上にはね上つているにもかかわらず、フロント・ガラスの破損もなく、また被害者の身体がボンネットから転落することもなく、その上で静止していた事実に徴し、明らかに認められぬところである(原審第三回公判調書中被告人の供述記載および当審公判廷における被告人の供述参照)。さらに、衝突時、被告人車は道路の左側によつており、道路西端との間に被害車両との離合が可能なだけの余地のあつたことは被告人車のスリップ瘍、被告人車の車幅、道路幅員等を勘案すれば、容易に認定することができる(司法警察職員作成の実況見分調書、原審検証調書、当審検証調書参照)とすれば、被告人は前項において説示したごとく、被害車両との離合に備えて減速し、自車をできるだけ道路の左側に寄せて、さらに危険を感じて一二米の間隔をもつて急停止したものであつて、当時の現場の状況よりすれば、被告人にこれ以上の安全確認義務を負担させることは、道路交通における適正な危険の分配の原理からも合理的でなく、被告人は十分に安全確認義務を尽していたものといわねばならぬ。

以上の考察により明らかなごとく、被告人には、原判決が認定した業務上の注意義務違反は認められないから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認、ひいては法令適用の誤りの違法があり、原判決は到底破棄を免れない。

よつて本件控訴は理由があるから、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により直ちに自判するのに、本件は、被告事件について犯罪の証明がないばあいに帰するから、同法三三六条により、主文のとおり判決する。

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