大阪高等裁判所 昭和45年(う)64号 判決 1970年6月23日
被告人 田宮嘉夫
主文
原判決中有罪部分を破棄する。
被告人を懲役三年に処する。
原審の未決勾留日数中五〇日を右刑に算入する。
本件公訴事実(昭和四四年九月二二日起訴)中昭和四三年一一月一三日ごろ広島県佐伯郡大野町字八坂一、六三四番地の六、抱石庵において、覚せい剤である塩酸フエニエル、メチル、アミノプロパン原末約二〇グラム所持していたものである、との点につき、被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、被告人作成の控訴趣意書ならびに弁護人古川彦一作成の控訴趣意補充書記載のとおりであるから、これを引用する。
一、論旨はいずれも原判決引用の昭和四四年九月二二日付起訴状記載の公訴事実第二(以下第二事実と略称する)につき事実誤認を主張し、原判決挙示の各証拠を総合しても、昭和四三年一一月一三日ごろ、被告人が抱石庵で所持していたといわれる粉末が、覚せい剤である塩酸フエニエル、メチル、アミノプロパン(以下覚せい剤と略称する)であることの証明がない、というのである。
よつて記録を精査し、当審における事実取調の結果を検討して考察するのに、先づ、原判決に言う「覚せい剤………原末約二〇グラムを所持し…」というのは、覚せい剤の原料である塩酸エフエドリンから、覚せい剤原末を製造した際に生ずる「廃液」の所持を判示したものでないことは、弁護人所論のとおりであり、たとえ右廃液が、覚せい剤取締法二条一項三号にいう覚せい剤を含有する「物」に該当するとしても、原判決は明らかに原末の所持を認定しているのであつて、廃液の所持を認定したものでないと解すべきである。そこで被告人が、原判示のとおり、覚せい剤原末を所持していたか否かを検討するのに、原判決挙示の鈴木恒郎の昭和四四年七月九日の司法警察職員に対する供述、ならびに被告人の同年六月二七日の司法警察職員に対する供述によれば、被告人は右鈴木の助けを得て、昭和四三年一一月七日ごろから、広島市住吉町一六番二二号ミヤコ・ビル一〇六号室において、米田伝内らと共に二回にわたり覚せい剤を製造した際(原判決添付、公訴事実別紙一覧表中(5)(6)の事実参照)の廃液約一七リツターより覚せい剤を抽出する作業にとりかゝり、同年同月一三日ごろ、二番取りのいわゆるアカネタ約二〇グラムを製造し、これを鈴木に手渡した事実がうかゞえる(被告人は控訴趣意書においては、この時鈴木に手渡した粉末は、塩化ナトリウムを主とし、これにアンナカ末、カフエイン等を若干調合した薬物であつて、覚せい剤でない旨主張するが、前記鈴木の供述によれば、当該粉末は赤黄色の色を帯びていたことがうかゞわれるのに対し、もし被告人の言分どおりであれば、それは白色でなければならないのであるから、被告人の主張は措信しがたい)。しかし乍ら、当審において、記録に現れた全証拠を検討してみても、この時被告人が所持していた粉末が、覚せい剤の原末であるとの裏付は、必ずしも充分であるとは思料しがたい。すなわち、これを支持する証拠は、前記被告人の自供以外には、鈴木の供述よりないのであるが、鈴木は、被告人から当該粉末を覚せい剤原末であるとして手交され、それを信じ込んだまでであり、また司法警察職員によつて抱石庵より押収された濾紙についての大阪府警科学捜査研究所技術吏員清多達造作成の鑑定書を提示され、その濾紙より覚せい剤の粉末が検出されたことを知つて、当該粉末を覚せい剤原末であると容易に信じたもので、後述するとおり、当該濾紙が、被告人が抱石庵で覚せい剤を製造する際に使用したものであると断定することができない以上、鈴木の供述を、そのまゝに措信することはできないのである。そこで右濾紙が、被告人が抱石庵で使用したものであるかどうかを考察するのに、被告人が抱石庵で使用した器具、薬品類の殆ど大部分は、鈴木が後日米田伝内と共に、再度覚せい剤を製造する目的で、持出しており、本件第二事実に関して司法警察職員西田正次により差押えられた器具等は、その残余の約十数点にすぎず、しかもこれらは、被告人が証拠湮滅の目的で全部水洗してあつたため、覚せい剤成分が附着していたかどうかは不明であり、前記清多達造の鑑定の結果によるも、これら器具等からは、覚せい剤は検出されなかつたのである。たゞ前記西田正次作成の差押調書中押収品目録一五、一六の濾紙からは、量目測定は不可能ではあつたが、覚せい剤の検出が鑑定されているのであるところ、この濾紙は、被告人が、前記ミヤコ・ビルで、米田伝内と共に覚せい剤の密造をした際に使用したものか、あるいは被告人が抱石庵で使用したものであるのかは、必ずしも明らかではない。前記被告人の供述によるも、そのいずれであるかは断定できず、また被告人ならびに鈴木が、ミヤコ・ビルで使用した製造器具等を、呉市の貸ガレーヂから抱石庵へ運搬するに際しては、これからの生活の準備として、夜具、炊事道具等の購入から、不足薬品の購入まで、相当あわたゞしい事情がうかゞわれ、また右器具等も、整理梱包して運搬されたものとは思われず、手当り次第に自動車に積み込んで運んだものと想像されるところ、その間、一枚や二枚の使用済の濾紙が混入する蓋然性は相当高いものと思料される。とすれば右濾紙が、ミヤコ・ビルで使用されたものでなく、抱石庵で使用されたものであると断定するには、それが抱石庵から押収されたという一事だけでは不充分であると言わねばならない。これを要するに被告人が抱石庵において所持していた約二〇グラムの薬物は、被告人の捜査段階及び原審公判廷での自供によるも、それが覚せい剤であつたかも知れない可能性を推測しうるに止まり、それが覚せい剤であつたことを断定するに足る科学的裏付となるべき証拠が存在しないといわなければならない。従つて結局右公訴事実については犯罪の証明がないという外はなく、原判決が覚せい剤原末所持の事実を認めたのは、事実を誤認したものといわざるを得ない。
二、次に職権を以て調査するのに、原判決は被告人に対し、懲役四年を言渡し、原審の未決勾留日数中二二五日を右刑に算入したことは、原判決書により明らかであるが、記録によれば、被告人は昭和四四年三月九日に、同年三月一七日付起訴状記載の公訴事実を被疑事実として勾留された上右一七日に勾留中で起訴され、更に同年九月二二日公訴事実第一(覚せい剤製造)、第二(同所持)につき別件勾留中として追起訴され、同年一二月一〇日、原判決が宣告されると同時に右追起訴分の公訴事実につき、勾留状が発せられ、現在に至つていることが認められる。しかしながら、前記三月一七日の起訴にかゝる公訴事実については、原判決は無罪を言渡したものであるから、この事実に関して発せられた勾留状の執行による未決勾留日数は、その算入の対象として、科せられるべき本刑が存在しないものといわなければならない。もつとも裁判所が同一被告人に対する数個の公訴事実を併合して審理するばあいには、無罪とした公訴事実につき発せられた勾留状の執行により生じた未決勾留日数を、他の有罪とした公訴事実の本刑に算入することができるものと解するを相当とする(最高裁昭和二八年(あ)第五〇四七号同三〇年一二月二六日第三小法廷判決参照)から、原審において無罪とされた事件と、追起訴事件との併合審理が決定された昭和四四年一〇月二〇日より、原判決が宣告された同年一二月一〇日の前日までの五一日は、刑法二一条による裁定通算の可能な未決勾留日数というべきであるが、右の限度を超えた勾留日数を算入するのは違法であり、原判決の未決通算は前記五一日を超える部分については、刑法二一条の適用を誤つたものといわざるを得ない。そして前説示の事実誤認及び右法令適用の誤は、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであり、しかも原判決は前記第一事実と第二事実とを刑法四五条前段の併合罪の関係に立つものとして、その主文において、一個の刑を科したものであるから、原判決の有罪部分は、全部破棄を免れない。
よつて、被告人の量刑不当の論旨に対する判断を省略し刑事訴訟法三九七条一項、三八二条および三八〇条により、原判決中有罪部分を破棄し、同法四〇〇条但書により自判するのに、原判決の確定した罪となる第一事実(覚せい剤の不法製造)は覚せい剤取締法一五条一項、四一条一項三号、四一条の二、刑法六〇条に該当するから、所定刑中懲役刑を選択し、さらに被告人には、原判示の累犯前科があるので、刑法五六条一項および五七条により累犯の加重をし、なお原審の未決勾留日数の本刑算入については、同法二一条を、当審における訴訟費用に関しては、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。