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大阪高等裁判所 昭和45年(ツ)37号 判決 1976年7月07日

上告人

梅本敬一

被上告人

大和証券株式会社

右代表者

安部志雄

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人は原判決破毀の裁判を求めた。

上告人の上告理由は別紙のとおりであり、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

上告理由第一点について

所論は要するに、本件株式を譲受けた上告人は、その譲受けの時から直ちに株主権者となり、反面これと同時に、譲受人は株主権者でなくなつたことを自覚するのであるから、譲渡人の為した新株引受行為につき準事務管理が成立するものとし、これを否定した原判決を論難するものであるところ、そもそも株式譲渡の効力に関する理論のうち、その譲渡当事者間の効力に関する理論と、会社その他の第三者に対する効力に関する理論とは、それぞれ別異の側面の関係を規制すべき使命を持ち、その妥当する側面に応じて適宜使い分けられることを期待するいわば次元を異にする理論であつて、これによると右両側面の矛盾のない同時規制の試みは、本来難事であるのみならず、通常はその必要を見ないところである。いわゆる資格説も、問題点の言い替えとはなつても、事の実質的な解決に格別寄与するものではない。これを本件について見るに、本件株式の譲受人が、上告人主張のように、譲受行為のみで、譲渡当事者間では直ちに株主権を取得したといつても、その権利の内容を実現するがためには、これとは別側面の理論の適用なくして達し得ないもの、即ち、その実現は、譲受人が右譲渡を会社に対して主張するに必要な手続を履践することによつてのみ、これを達成し得るものであつて、譲受行為のみで取得した株主権というものは、右の意味でいわば「条件付」でのみ満足し得る権利に過ぎず、この場合の株主権の「実質」性は、右の限度を出るものではないのである。しかも一般に株式譲受人は、株式相場変動による応急的、投機的意図あるいは財産秘匿の意図等よりして、直ちに名義書換を欲しない場合も往々存在することは顕著な事実であつて、その結果、譲渡株式について、相当な時期に名義書換が行われないままで経過する多くの場合にもそれが単なる手続の遅滞か、失念か、故意(一種の権利放棄と見られる)に因るのかは、必ずしも容易に判別し難いものであることは、当然に推測され、本件で採り上げられた商慣習成立の基盤も、この辺に求められるものと考えられぬ訳ではない。そうすれば、この事態の反面として、株式譲渡人が、譲渡株につき割当てられた新株を引受けたり、配当金を受領したりする行為も、必ずしも譲受人のためにする意思を以つて行うものとは到底考えられないものとなることも、理の当然というべく、これに加えて、原判決が示すように、新株の正当な引受権者においてさえ、果してその引受権を行使するか否かは、その者が利害を考慮の上、その任意により決するものであるところから、譲渡人において為す引受行為も、その者自身の負担と危険においてなされる同人自身のための行為と見られる余地が存する点を勘案すれば、原判決が、本件新株引受権の行使に、上告人主張の準事務管理の成立を肯定しなかつた点に何等の違法はなく、所論憲法違反にも該当せず、所論は畢竟、独自の理論に立つて原判決を批難するに帰し、採用に由がない。

同第二点について。

しかし、原判決理由五の判示に徴すれば、原審は、所掲の証拠により、「協会員間の取引において、名義書換を失念した場合の配当金の処理については、譲渡人は譲受人から配当金額(ただし源泉徴収所得税額を控除)の五〇パーセント以下に相当する金額を返還すべきものとする統一慣習規則が定められており、このことは、非協会員が仲買人たる右協会員を通じて売買取引をするについても準用される慣行になつている」との事実、即ち非協会員が協会員を通じてする取引に、右協会員間の取引につき定められている統一慣習規則が準用される事実たる慣習の存在することを認定したうえ、右事実たる慣習に法的拘束力を認めても不当ではない旨判断したものであることが明らかであつて、原判決挙示の証拠によれば、右認定はできない訳ではない。

従つて、論旨中、まず原審が右協会員間の慣習たる統一慣習規則を、直ちに非協会員を通じてする取引にも適用したことを前提とする部分は、原判決の誤解に基づくものであり、また、右慣行の存在せざる旨をいう部分は、結局原審の適法にした実事認定を論難するに帰し、いずれも採用の限りでない。

しかして、前記慣行(事実たる習慣)に法的拘束力を認めても不当ではない旨の原審の判断は、当裁判所もこれを首肯できるものであつて、論旨中これと相容れない部分は独自の見解であつて、採用できない。

よつて、論旨はいずれも理由がないので、民事訴訟法四〇一条、九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(宮川種一郎 潮久郎 光広龍夫)

【上告理由】

第一点原判決は法令の解釈を誤り、かつ憲法に違背するものである。

一、原判決は、その理由の二の中段において、改正前の商法第二八〇条の二の二項及び改正後の同条一項八号、二項等を引用して、新株発行決議の趣旨は、その文言にもかゝわらず、会社との関係ではさておき、株式の譲渡当事者間の関係においては、株主名簿上の記載の如何にもかゝわらず実質上の株主を新株引受権者とみることを否定するものではない。従つて商法が新株引受株主につき一定日時の株主名簿上の株主に限定することを要求した商法二八〇条の四の規定は、新株発行手続の画一化及び簡素化のための便宜的規定であり、その法的狙いはむしろ免責的効果の付与にあるものとみられるのである。と断じている。

右の如き法解釈こそは、公平妥当、かつ取引の通念に適合するものとして全面的に賛意を表するものである。

二、しかるに、その次において、

控訴人の準事務管理の主張につき案ずるに、わが法の下においてそのような法律構成ないし権利関係を肯認するに足る法的根拠に乏しいものというべきであるのみならず、一般には株主は新株引受権が与えられたとしても、その新株の市場価額の変動等の予測その他諸般の事情を考慮して新株引受権を行使するかしないかの自由を有し、又その権利は有償割当の場合一定の申込期日迄に株金の払込をしないときは消滅する権利であるところ、本件においては控訴人の受託者たる訴外大塚証券が名義書換を失念し、結局控訴人において新株の申込及び払込をしなかつたこと上述のとおりであり、他方被控訴人が元来控訴人の有する新株引受権を行使して新株を取得したとしても、それは自己の負担と危険において自己のためになされたものであると看做しうるから、右新株引受権の行使を客観的に他人の事務と即断することはできず、従つてこれを他人の事務であるとし、それを前提とする準事務管理お成立も亦認め難いところといわなければならない。

と述べて、上告人が前叙の趣旨のもとに新株の引渡を求める準事務管理の主張は、わが法の下において、そのような法律構成ないし権利関係を肯認するに足る法的根拠に之しいとして、結局上告人の請求を排斥しているものである。

三、株式の譲渡は、証券業者の手を通じた場合と、然らずして直接取引の場合であるとを問わず、譲渡人は代金と引替えに株券を交付した以上、その瞬間から譲渡人は自からその会社の株主でないこと、従つてその会社に対する何等の株主権をも有しないものであることを明らかに自覚認識しているものである。これに反射して譲受人はその瞬間からその会社の株主権を取得するものである。従つて一切の株主権を取得したものであると自覚している。かくの如き事実と認識とは、あらゆる法の趣旨の帰納的解釈からも、又経済界、証券界の実際取引上の通念から考覈しても何ら異論の存しないところであると信ずる。

又、現実の株式の売買譲渡は少くとも当事者間においては特別の意思表示なき限りその株式に附帯する現在及び将来の権利義務一切を包括しているところの実質的株主権の譲渡である。故に配当受領権、増資がなされた場合新株の割当を受ける権利等を包括するものである。従つて、万一株主名義書換を失念するなどのことがあつても、時期が遅れる等のことがあつても、それによつて株式譲渡による実質的の株主権の効果には何等の変りもないものである。

従つて、原審の前叙の如き法による免責効果に外ならずとする法意の解釈を肯認することと相俟つて、更に右の如き株式譲渡の取引の通念から推断して、良心的からしても譲渡人は自己の知れる範囲内において実質的株主権者でない自分に新株の割当がなされていることを譲受人に通知する義務があると信ずる。かくすることによつて取引の安全と信用が保持され、また無用の紛争も起らななくてすむものと信ずる。即ち、法と政府によつて証券業者は一定の資格条件の下に特許的認可業者としての保護と特典とが与えられ、帳簿にも委細落ちなく記載する義務を課せられている。これは特定認可業者を保護するということのみでなく、証券市場の安定信用を保持して不特定多数の取引人が安心し信用して取引をなし得るもので、もつて流通証券市場としての機能を遺憾なく発揮することを期待しているものと信ずる。

然るに本件取引の場合、譲渡人たる被上告人は四大証券業者の一であり、仲介したのは大塚証券株式会社であるに反し譲受人は素人の上告人である。然るに被上告人及び大塚証券ともに上告人が本訴を提起前交渉しても一片の誠意も通知もないものである。如此は証券業者が法や政府の期待する信用と良心的行為を破壊し、自己の特権のみを利用するものというべきである。

殊に証券業者たる被上告人は本件親株を譲渡したにもかゝわらず、本件新株割当をうけながら仲介業者たる大塚証券に対して一片の通知もなさずして、自己が新株を引受けることによつて何程かの利益を得ると思料し、偶々譲受人が名義書換手続を失念していたため実質上株主でない被上告人に新株割当通知をなされたことを奇貸として世間に所謂ねこばばをきめこんで本件新株を引受けてそれを取得して一片の誠意もないことは、法の擬制的手続に便乗して公の使命を持つ証券業者が実質上他人の利益を私しているもので、正義公平の観念からも許すべからざることである。これに反して、仮りに今日のように株価が暴落して時価が株式の額面以下となつたような場合は、恐らく新株の割当通知をうけても、証券業者はそれが引受は絶対にしないであろうと信ずる。これに対比して上告人のような素人は、会社に何等かの知合があるか、或は会社の事業乃至は経営者を信頼する等、会社の将来に多大の期待を抱く等の関係で株式を取得するものあるから、目前の利潤のみに執着せず、目前に多少の損失があつても新株の引受をするものである。所謂会社を信用し、会社を愛して株主となつたものである。所謂大衆株主と云つて会社の安定のため必要であり、株式上場の要件には如此大衆株主のあることを絶対の要件とし、証券業者には一定数以上の株式取得所持を禁じているのであるが、四大証券は裏面で提携していろいろと工作するので、中小証券業者との間に種々対立があると噂され、一般人が証券業界に多少でも不信感を抱くのは此の辺の事情を物語るものと推測する。かゝる実情と取引の実際通念からして、特に善意の大衆株主を保護し、会社の株主安定を図ることは証券市場としての機能の発揮と信用保持のため活きた解釈適用を強く念願し期待してやまないものであります。

四、株式の譲渡、取引の安全、信用の保持、紛争の予防につき、高い時限から考察して、実質的に株式を譲渡して株主でない株式譲渡人に対し、会社は一定時の株主名簿記載の株主であればそれに新株割当の通知をする。それで会社は責任がないこととなる。それは免責的効果の付与である。しかし、実質的には譲渡人は主観的にも客観的にも株主でなく、又株式も所持していないものであり、譲渡人自身もそれを自覚しているのであるから、会社の資本を充実し会社の株主安定のためにも且つ又良心的に云つてもそのことを譲受人に通知して引受をなさしむべき義務があると信ずるが、実際問題として譲渡人たる被上告人は証券業者としての扱い件数が多数であり、業務も多忙であるから一々通知ができぬという遁辞を用いるとしても、譲渡人自身は株を自ら譲渡して現実に株主でないことを深く自覚しているのであるから譲受人に対して通知することなく自ら新株の引受をしたとしても、この場合の法律行為としての構成は所謂事務管理の規定を準用されるものであると信ずる。しかるに原判決は、この点に関し「市場価格の変動等の予測その他諸般の事情を考慮して新株引受権を行使するかしないかの自由を有し自己の危険負担もあり云々」との理由で、客観的に他人の事務であると即断できないとし、それを前提とする準事務管理の成立も亦認め難いとしているが、これは誤つた認定といわねばならぬ。即ち他人の事務であると云い難い理由として挙げられている点は民法第六九七条第二項によつて当時における経済事情を勘案して常識的に引受けするか否かを判断すれば其処に危険負担も自ら解消し、後日譲受人からの要求があれば払込金なり支出した必要経費と引換えに新株を引渡せば何の損害もなく、かつ譲受人としてもその処置を当然に承服する筈である。右の如く民法第六九七条第一、二項の適用を調整して考えると原審が他人の事務と解し難い理由として挙げる点は自ら解消するものである。かく解して公平正義の理念にも合致しかつ株式譲渡の理念にも合致するものである。

原審がこの点に意を用いなかつたのは結局事務管理乃至その準用について法律の解釈適用を誤つたもので、ひいては憲法第二九条財産権の保障を犯すもので、この点からして原判決は破棄を免れないものである。<以下略>

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