大阪高等裁判所 昭和45年(ネ)1420号 判決 1971年12月23日
控訴人
青木安治
右代理人
藤田良昭
他二名
被控訴人
清水勝
他一名
右代理人
阪口春男
他二名
主文
原判決中控訴人敗訴部分を次のとおり変更する。
被控訴人らは各自控訴人に対し金五〇万〇、四八一円および内金四五万〇、四八一円については昭和四二年六月一〇日から、内金五万円については昭和四六年一二月二四日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
控訴人のその余の請求を棄却する訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを五分し、その四を控訴人の、その余を被控訴人らの負担とする。
事実《省略》
理由
第一、本件交通事故発生の日時場所態様と控訴人の受けた傷害およびこれに基づく損害の程度、並びに被控訴人清水勝にも過失があるため、同人は運行供用者として、被控訴会社は使用者としていずれも損害賠償責任があることについては、原判決理由のはじめより同六枚目裏八行目までと同一(但し、次のとおり一部を訂正する)であるから、これを引用する。
右原判決の判断においては、(1)被控訴人清水が本件交差点を通過するに際し、その東側の信号の青であることを確認したこと、(2)控訴人の自転車にはライトがついておらず、しかも交差点の中心部の少し東側から斜めに右折しはじめたため、東進して来た事故車に正面衝突してはねとばされて、南北の市電軌道の東側に転倒したことをそれぞれ認定している。しかしながら、当審における当事者双方の主張を比較しつつ、本件の証拠関係を検討してみると、控訴人は事故のため頭部その他に重傷を負つて一七二日間入院し、事故の前後の状況の記憶も不十分であるばかりでなく、警察官の実況見分(甲第二八号証)も事故の日より四日後に行なわれており、これに立会つた者は被控訴人清水勝と事故車に同乗していた橋村洋太郎の二名にすぎず、控訴人側は全く陳述の機会を持ち得なかつたのであり、このため、右両名のなす事故現場の指示および状況説明も意識的あるいは無意識的に被控訴人側に有利に傾くことは避けがたいところであると見なければならない。また右(1)の点についても、青の信号を確認したといつても、交差点に進入の時点において、青信号に変つて直後である場合と、次の信号に変る直前である場合との間に種々微妙な差異があり、同被控訴人の陳述をどの程度に信用してよいかも問題である。かように考えると本件の各証拠を形式的に観察した場合にはたしかに控訴人に一方的に不利なものが多いのであるが、一般の交通事件における場合以上に、本件については事実認定の上の難点が感ぜられ、しかも被控訴人側よりは控訴人が飲酒運転中であつたと主張し、これが採用されないことも考慮を要する。してみると、右(1)(2)の二つの問題点、特に控訴人の交差点進入方向と衝突および転倒の各地点、ならびに正面衝突であるか否かなどの点につき、当裁判所はすべて原判決の認定どおりであるとの心証をひかないのであつて、本件の真相はこれよりも控訴人に有利の判断をする余地のある事案でないかとの疑問を禁ずることができないのであるが、本件の証拠調の結果によつてはこれ以上具体的な認定をすることはできない。しかし以上に観察した事柄は次に過失相殺の判断をする上においては、これをしんしやくすることを要するものと謂わなければならない。
第二、控訴人は、原審が治療費と看護料とを除いたその余の損害の算定について、本件事故における控訴人の過失を六割と認定したことを不服としているのに対し被控訴人らの控訴はないから、右不服申立の限度において、過失割合を判断すべきであるが、当裁判所は前段説示のとおりの事実認定上の疑問に加えて、さらに小型貨物自動車と自転車の衝突の場合損害を受けるのは通例一方的に後者であつて、両者の危険度に大きな差異があり、それだけに大型車の運転に慎重が望まれること、および自賠法三条が挙証責任を転換していることを考慮に入れると原審以上に具体的公平の見地を重視して双方の過失を五割宛と判定するのが相当であると解する。
第三、したがつて、前記認定の損害合計金五三五万三、六八七円から治療費と看護料との計金七四万八、一〇〇円を控除した金四五〇万五、五八七円の五割にあたる金二二五万二、七九四円を差引くと、損害額は金三一〇万〇、八九三三円であり、一方控訴人が本件事故について自賠保険金一四六万円のほか、被控訴人らから金二九万五、九五〇円を受領したことは、当事者間に争いのないところであるから、これらを差引いて、金一三四万四、九四三円となる。
第四、弁論の全趣旨によつて成立が認められる甲第二七号証によれば、控訴人は弁護士藤田良昭に本件訴訟を委任するについては昭和四三年九月一二日右弁護士に対し着手金五万円を支払い、かつ報酬として勝訴額の二割に相当する金額を支払う旨を約したことが認められ、右認定事実、本件事案の難易、審理の経過、過失相殺の主張の理由のあることその他諸般の事情を考慮すれば、本件事故と相当因果関係にたつ弁護士費用は金一五万円と認めるを相当とする。
第五、よつて、原審において認容された金額のほかに、被控訴人らは各自控訴人に対し、計金五〇万〇、四八一円並びにこの内金四五万〇、四八一円については不法行為日の翌日昭和四二年六月一〇日から、内金五万円については本判決言渡日の翌日昭和四六年一二月二四日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならないが、その余の請求は理由がなく棄却を免れない。
第六、よつて民訴法三八五条九二条九三条を適用して主文のとおり判決する。
(沢井種雄 常安政夫 潮久郎)
(控訴人の主張)
原判決は事実を誤認し、その結果過失割合の評価を誤まつた。
一、原判決は、事故車と被害自転車とは、「正面衝突した」と認定し、この認定を基準に控訴人が「一たん横断し信号待ちして北進した」との主張を否定、「斜めに右折しはじめた」としている。
けれどもこれらは明らかに事実誤認である。
二、すなわち、正面衝突ならば先づ、自転車前車輪が事故車前部に激突する。
したがつて同車輪(ホイール)は、タイヤチューブがパンクするのはもちろんのことホイールもへし曲つてしまうはづである。
とくに事故車(トヨエース)は、前部バンバーの位置が低く、自転車前輪がその下に無事にもぐり込むことはありえないから、「正面衝突」で、しかも「前部からの強い衝撃」(「上部の支柱が曲る」ほどの衝撃)を受けて、変形せぬ道理はない。
しかるに実況見分調書添付写真にあるとおり、車輸に一点の損傷もない。
この一点においても、原判決の事実誤認は明らかであろう。
三、また原判決は「事故車の左前部と原告自転車のハンドル部分とが衝突した」とする。
しかしもし仮に、前記の支柱が曲損するほどに「強い衝撃」が加えられたものとすれば、ハンドルは前記写真に見られるぐらいの曲りですむものではない。
のみならず、もし原判決どおりとすれば、事故車左前部の、自転車ハンドルの高さの位置に金属物の打撃痕がなければならぬにもかかわらず、それらしきものは全然存在しない(甲二八写真参照)。
かえつてそれより高目の位置、すなわち自転車操縦者の肩の高さに当たる付近に、控訴人の左肩もしくは左体躯が衝突したと思われる軟体物の痕跡が見られる。
これらは「正面衝突」ではなく、真横または左斜め前から控訴人に当たつたことを物語ろう。
四、さらに原判決は、事故車の「左前バンバーが内側に押されて」いた原因を、完全に看過してしまつた。
「正面衝突」のため自転車前輪が当つたと考えたのであろうか。
もしそうならば、それはバンバー以上に破壊されておらねばならぬことは前述のとおりである。バンバーの高さにあるのは、控訴人の左下腿部である。これが衝突したが故にこそ、同部が骨折(ポット骨折)したのではないのか。
そうではなく原判決認定の衝突態様、はねとばされた方では、右足はいざ知らず左足を骨折する道理はないし、バンバーのみが損傷するはづもないのである。
五、したがつて、自転車上部の支柱に与えられた衝撃方向は、真横ないし左斜め前方以外にない。事故車は、被告清水の供述では衝突寸前右ハンドルを切つたとしており、瞬時の反射的操作としてこの点は運転常識上、肯定してよい。
そうすれば、自転車の左斜め前方から衝突したものと推定される。
六、なおハンドルが左に曲つたのは何故であろうか。自転車のハンドルは、中央部ネジの締め具合いかんで、わずかな力で(子供の力でも)容易に曲がる。事故車がこれに直接当たつたものでないことは前記のとおりである。
また当たつておれば、控訴人の左上肢も受傷しておるはづであるが、その事実はない。
ということは、ハンドルをわずかに外れて(事故車前部にやりすごして)中央部付近に衝突したことを示すものである。
細かく分析すれば、(1)バンバー=左下腿(2)前照灯上部=肩ないし上体が衝突、この事故車の衝撃圧力と、これに堪えんとする控訴人の瞬間的な腰部の無理な防御姿勢との加重圧とによつて、自転車上部支柱の鈍角的なひずみを招いたものと考えるのが自然であろう。
ハンドルもその際か、もしくははねとばされた際に曲つたのであろう。
七、かくして、到底「正面衝突」ではありえず、控訴人の「斜め横断」とみることはできない。
控訴人は、やはり長年の習慣どおり直角に横断しつつあつたとみるのが正しいであろう。
八、(1)ところで不幸にも控訴人は、本件事故により瀕死の重傷を負い、事故前後の情況につき、完全に記憶を失つた。原判決にいうとおり、事故車の「運転に対するマイナス面について何の指摘もできない」。
したがつて事故状況は、わずかに前記の物損状態を除いて他は被告清水の供述あるのみである。
現場地点、走行方向、速度、両車の位置関係、発見及び回避衝突状況等について、真実発見のための証拠資料は、極めて乏しい。
(2)事故直後の加害の供述は、比較的作為介入の余地少く真実に近いが、わずかでも時日を経過し、特に周囲の第三者との接触を重ねたあとでは有利に歪曲されること、経験的事実である。
本件に関する現場検証は、事故後四日も経過して、しかも(当然ながら)被告清水の立会のみで一方的になされた。これではもはや真実は到底望むべくもない。
果たしてその立会説明及びこれにそう被告本人尋問の結果は、同人に一方的有利な事実の羅列であつた。
(3)けれどもそれらは斜め横断、正面衝突という供述であつて、これが真実と程遠いことは先に見て来たとおりである。
そこにある控訴人の事故前行動は、一般の道路交通常識を逸脱している。
粗雑な、一方的証拠で軽々しく認定さるべきことではない。
(4)自賠法第三条は過失の立証責任を加害者側に転換した。無過失の立証責任および過失相殺ないし賠償責任を軽減すべき事情についての立証責任もまた同人側にある。
もし被害者側の過失度がより大きく、それが道路交通における優先権の所在をまで逆転せしめる主張事実に関するときは、とりわけ厳格な証明が要求されねばならない。これを本件についてみるに、対面信号現示のいかん、衝突部位、方向等、未だ被告清水の供述を全面的に措信することはできないであろう。
動かし難い事実は、自転車対四輪車の交差点における衝突という点である。
危険度の大きい四輪車は、道路交通上の劣者たる歩行者またはこれに準ずべき自転車に対し、細心の注意を用うべき法律上の義務がある。
とりわけ危険発生の蓋然性大きい交差点においては、これらの動向に対し最高度の注意義務を負う。
たとえ歩行者、自転車の道路横断が違法行為であつたと仮定しても、四輪車運転者としては特別な事情なき限り(信頼の原則適用場面を除いて)かかる違法行為のあることを常に念頭におき行動しなければならない。
この義務に違反して事故発生を招致したときは、優者としてその危険を負担すべきである。
まして夜間とはいえ見通しのきく本件交差点上で控訴人動向の早期発見注視を怠つたその過失は、到底未だ控訴人の交通優先権を逆転せしめるほどに小さいものではない。
しかるにこれを四〇パーセント程度に過小評価したことは、原判決は大きな誤まりを犯しているといわざるをえない。控訴審における厳正な審判を希求する次第である。
(被控訴人の主張)
一、控訴人は昭和四六年六月三日付準備書面で、事故車と被害自転車とは正面衝突したとの原判決の認定を論難し、自転車の左斜め前方から衝突したものと推定されると主張し、縷々その根拠を述べている。正面衝突か或いは自転車の左斜め前方からの衝突なのか必ずしも判然としないが、被控訴人清水及び証人橋村の証言によれば、事故直前清水は突嗟にハンドルを右へ切つて回避措置を講じており、他方控訴人は左下腿部に受傷しているのであるから、あるいは控訴人の主張するとおり自転車の左斜め前方から衝突(事故車は前部左角)したものと考えられないではない。しかしながら、仮に正面衝突でなかつたとしても、本件の過失割合に差異が生ずるものではない。即ち、控訴人は本件交差点を右折するに当つては、道交法三四条三項により別紙図面のように、歩行者と同様に通行すべきことを義務づけられているのである。従つて、控訴人の主張するとおり、直角に横断したか或いは原判決が認定したように斜めに右折したかにかかわらず、東西信号が青色進めを表示しているときには北進できないのである。道路交通法施行令第二条第一項(進めの信号の意味三、)(南北信号が青にならなければ北進できない)。右規定を無視して右折北進した控訴人の過失は極めて重大で、原判決の過失割合をもつても、なお清水の過失が重きにすぎるものがあるほどである。
二、ところで、控訴人は衝突地点が南北市電軌道の西側であるとし、実況見分調書が清水の一方的供述に基づき清水の有利に作成されたものであり、控訴人は完全に記憶を失つたので、何らの有利な主張ができない旨主張するが、これ又場当り的な主張にすぎない。なぜなら、清水の供述にもあるとおり、もし南北市電軌道の西側で衝突したものとすれば、控訴人は市電軌道を越えて一〇数米はね飛ばされたことになるが、通常衝突によりはね飛ばされる距離は二〜五米程度であることから判断しても不自然にすぎる。のみならず、衝突位置、控訴人の転倒位置等は附近の住民も知悉しており、なかんづく清水及び橋村の証言にもあるとおり、本件交差点北西角にあるレストランサカエヤの従業員が大勢見ていたというのであるから、控訴人はこれら従業員から衝突位置等を確認できるはずである。かように証拠を収集しようと思えば容易に出来るにもかゝわらず、これをなさず、単に記憶を喪失したといつて、原判決を非難するのは怠慢以外の何ものでもない。しかも控訴人は、原審において原告代理人の尋問に対し、前記道交法三四条三項のとおり右折したと供述しながら、その直後の被告代理人の尋問に対し、甲第三四号証の赤点線(これは道交法に違反する)が私が走つた経路であると供述して、その間に重大な矛盾があることを自覚しないのみならず、控訴審に至つて当時の記憶を全く喪失したと供述するに至つては、原審の供述が一体どこからでて来たものか全く疑問といわざるを得ないのである。
なお、清水が青信号に従つて本件交差点に進入したことは、同人の供述、橋村の証言から明らかであるとともに、既に主張したとおり、市電が通るような交差点で信号に従わず進行した場合には二重三重の事故が惹起されるおそれがあることは明らかであり、本件においてそれがなかつたことは、ともなおさず清水が青信号に従つて進行していたことを客観的に裏付けるものといえるのである。